第51話 拘束
城壁の崩壊で作られた砂の丘を越えるのに時間がかかり、帝都に入れたのは深夜だった。
戦いの爪跡が残る街を駆ける。若王は途中で体力が尽き、ヒスタロスに抱えられていた。
隠れ家へとつながる地下通路へと入って驚いた。
「みんな、ここに避難したの……」
そこには、ヌルムたちのほかに、平民や貴族もいた。みな、所在なくへたり込んでいる。怪我をしている者も多い。
なぜか、胸騒ぎがした。
地下通路を進み、祈るように隠れ家の扉を開けた。
嫌な予感は、的中した。
そこには――ダグラスしかいなかった。
青ざめた顔をしたダグラスがはじかれたようにとびよってきた。
「よかった。……来てくれて。もう大変なんだ」
それだけ言うと、膝から崩れ堕ちるようによろよろと地に座り込む。
ダグラスの肩をつかみ、こちらを向かせた。
「何が起こったか教えて」
ダグラスは憔悴しきった様子で口を開いた。
「みな囚われてしまった。トルクはもう剣を握れない」
ダグラスは語った。
3日前に、東ノ国が突然城壁を壊して侵入してきたこと。
騎士団と緊急で徴兵された民兵たちが総崩れになる中、仲間たちで死力を尽くして戦い、東ノ国をなんとか一時退却させたことを。
「大多数のメンバーが剣を割れるようになっていたのが大きかった。それに、傷が弓矢で援護してくれた。トルクやガレンを中心に、よく戦った」
「一時は勝っていたのね。じゃあ、なぜみんないないの?」
焦りを押し殺して尋ねる。
ダグラスはうつむいて苦しそうに言った。
「本当の敵は、この国の人間たちだった」
「どういうことだ?」
トルーシスの目に険しい光がうかぶ。
「それは――」
ダグラスが言いかけた、その時。
奥の部屋から、激しくせき込む音が聞こえた。
トルーシスがはじかれたように立ち上がる。
「トルク……? トルクがそこにいるのか」
引き寄せられるように奥の部屋へと歩み寄る。
すかさずダグラスが立ちふさがり、首を横に振った。
「やめておいた方がいい」
トルーシスはその言葉を聞かず、扉に手をかけ――開けた。
「トルク……」
呆然とした声が、部屋に響いた。
◇
「トルーシスさん……?」
胸を真っ赤に染めたトルクは、僕の方を見た。顔色が恐ろしいほど白い。何かを呟いたようだったが、それは言葉にならずに、代わりにせき込んで大量の血を吐いた。
「トルク!!」
そばに駆け寄る。胸に剣が刺さっていた。金箔で西ノ帝国の紋章が入っている。この国の貴族にやられたのだ。敵ではなく。
「なぜ!?」
ほとんど、叫んでいた。トルクは昔と変わらない柔らかい笑顔を浮かべた。
「油断してました……貴族の娘を助けて肩をかしていたら、その父親に、触るなって、刺されました……」
トルクは乾いた笑い声をたて、もう一度血を吐いた。
「……許せない」
トルクは口もとにわずかに笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます。でも、みんな自分なりの正義に従っているだけなんです」
トルクは一つ大きく息を吐いた。
「僕は信じてます、この世界を。いつか、皆が平等に笑いあう日が来るはずです」
僕を眩しそうに見つめる。
「トルーシスさん。最後にあなたの顔の綺麗な紋様を見せてくださいませんか」
ぐっと唇を噛んだ。
懐から小瓶を取り出すと、その中の液体を頬につけ、ゴシゴシとこすった。化粧が剥がれる。
トルクがそれを見て、嬉しそうに微笑む。
「あぁ。あなたはずっと僕の永遠の憧れだ。……少しは近づけたでしょうか」
トルクの手を取って握りしめた。まったく温かみが感じられない手だった。
「近づいたも何も、お前こそ真の英雄だ」
その言葉に、トルクはふっと目を細めて笑った。そしてその目から光が消え――がっくりとその体から力が抜けた。
「トルク!」
トルクに縋りつく。何度その名を叫んでもトルクは目を開かなかった。
トルクの名を連呼する、絶叫に近いトルーシスの声。
「……まずいな。トルーシスが壊れる」
隣の部屋から聞こえるその声に、ヒスタロスが暗い声で呟いた。
若王はただおろおろしているばかりである。
「ガレンや傷、それに他のみんなは? トルクが斬られたのが昨日の昼よね? 仇を撃とうとして囚われたの?」
尋ねると、ダグラスは首を横に振った。
「いや。ガレンたちは歯を食いしばって、ただ東ノ国を倒すことだけを考えて戦った。その甲斐あって、昨日も退却させたんだ」
ダグラスは肩を震わせた。
「だが、本当に愚かなことに――前王の腹心達が、昨晩、ガレン達を捕らえた」
「は?」
自分の耳を疑った。
「……味方ながらに白銀鉄を割るのはこの帝国を冒涜する行為だってさ。戦いの中、王家や騎士団よりも民衆の信頼を得始めた俺らを、やつらは許容できなかったんだ」
吐き捨てるような声だった。
「抵抗する間もなかった。こちらが死力を尽くして戦って、傷つき疲れ果てた時を狙ったんだ」
ダグラスはちょうど部屋でトルクの介抱をしていたので難を逃れたという。
「……腐っている」
その無機質な声が、トルーシスのものだと気づくまでに数秒かかった。
いつの間にか、音もなく部屋から出てきていたトルーシスがそこにいた。
「……トルクを殺した貴族はどこだ?」
その瞳にはなんの感情も浮かんでいないように見えて――激しい怒りがくすぶっていた。
「分からねぇ。トルクは刺した相手を言わなかったんだ。恨まないように、ってさ。馬鹿かよ」
ダグラスががっくりとうなだれる。
「そうか」と頷き、トルーシスは極端に抑揚のない声で言った。
「このくだらない国を壊す。……ちょうどいい。僕は呪われた紋様持ちだ」
思わず自分の腕に鳥肌が立つのを感じた。
トルーシスから放たれる抑制された殺気のせいだ。瞳だけが、やけにギラギラと異様な光をたたえている。
何か言わなくては、と思ったが、肝心な時に言葉は口から出てこなかった。
「僕は地獄へ落ちる。レオラ。君が英雄となってくれ」
そう吐き捨てるように言い、トルーシスは部屋を出ていった。
◇
白い優美な白銀鉄でできた王の宮殿。
最も光り輝く純白の大広間は血の海と化していた。
おそらく宴の最中だったのだろう。
豪華な料理が食卓にのったまま、冷え切っている。
その部屋の中で命がある者は、トルーシスだけだった。
王の側近や将校たち以下、この国の中枢を担う高官37名が全員、絶命していた。
皆、一撃で首筋を斬られている。
……高官まで皆殺しにしたのか。
立ち尽くしているトルーシスに、私は恐る恐る声をかけた。
「……トルーシス」
彼は、ハッと剣を構えたが、私だと分かるとほんの少し構えを解き、端的に尋ねた。
「なぜ来た」
「私も一緒に地獄に落ちようと思ったんだけど」
トルーシスはふっと笑った。
悲しくなるほど寂しい笑みだった。
「もう終わった。……見ただろう?」
「……えぇ」
高官の他にも、この部屋へと続く多くの部屋には王家に仕える様々な官吏がいる。
みな、ことごとく殺害されていた。
彼はおそらく100人以上を30分足らずで殺した。
騒ぎになったら他の部屋の者が気づく。声をあげる間もなく殺していったに違いない。
「僕を捕らえろ、レオラ。若王に差し出せ」
トルーシスは平坦な口調で言った。会った最初の頃と同じ、感情のない言葉。
「いやよ」
間髪入れずに答えると、トルーシスは少し困ったように眉根を寄せた。
「君に攻撃したりはしないから」
手に持っていた白銀鉄の剣を投げ捨てる。カラン、と涼しい音が響いた。
腰に指している銅剣も投げ捨てる。
「あなただけが汚れ役を引き受けるのはおかしい」
「これしか手はない。それに、僕は呪われた紋様持ちだ」
「でも……」
言い合いになりかけたところで、コツ、コツと足音が響いた。トルーシスがその音を聞いて少し微笑んだ。
「やあ、思い切ったことをしたねぇ」
足音の主は部屋に入ってくるなり、トルーシスを後ろから拘束した。
純白の制服。金髪に碧い瞳。ニックだ。
トルーシスは全く抵抗しなかった。
「まあ、東ノ国との戦いで勝つには、古い体制に巣くう害虫を一掃するしかないよね。先をこされちゃったよ」
ニックは飄々と言った。
「食事に毒を入れたのはあなたですか? おかげでやりやすかったです」
「あぁ、気づいちゃった? でもあれは3日たたないと効果が出ないんだけど」
ニックはにこりと笑った。
「……とらわれた皆は、牢に幽閉されています。そこの将軍が吐きました」
トルーシスは倒れている純白の制服を着た男を一瞥した。その男だけ激しく出血して死んでいる。
「ガルガリケか。復讐できたんだね」
にこりと笑うニックに、トルーシスは黙ったままだった。
「まあ、仲間を助け出すことは約束するさ」
そういうなり、ニックはトルーシスの鳩尾に膝蹴りを入れ――トルーシスは静かに気絶した。
◇
冷たい牢の中。
力なくうずくまっていた面々は、響く足音に顔をあげた。
「良かったね。君たちはもう自由だよ」
金髪の騎士が、牢の扉をギィッと開けた。
「ほら、出なよ」
顔を見合わせる牢の中の者たちを見て、ニックはふと真顔になった。
「あれ、傷は?」
「別で地下牢に入れられた。俺たちのまとめ役だと思われたんだ」
絞り出すようにルカが答えた。西ノ帝国には、この牢とは別に、重罪人が収容される地下牢がある。そこは、とても複雑に入り組んでおり、一度入ったら二度と出ることはできないと言われていた。
「そう」
低い声で呟いてから、ニックは切り替えるようにいつもの微笑を浮かべた。
「この国の中枢の人間は全員いなくなった。新しい若い王様は、君たちと共に戦いたいそうだ」
「どういうことだ?」
ガレンが光る目を向ける。
ニックは背負っていた青年をドサリと下ろした。厳重に拘束され、気を失っているその顔を皆に見せる。
「先を越されて残念だったね。もうトルクの仇は取れないよ。彼が全員、殺しちゃったからね」
「な……」
ガレン達は言葉を失った。
頬に刻まれた黒い紋様。彼は、英雄となるべきトルーシスだった。




