第50話 解
一方、西ノ帝国にそびえたつ塔の中にいるデイトンは。
「そういうことか! なるほど、だとしたらこれはここに対応して……。ということは!!」
キリルの部屋から、彼の興奮したような声が聞こえてくる。
ヒスタロスの紋様を入手して以来、ずっとこの調子だ。
ヒスタロスの紋様は、茶褐色と黒の紋様が複雑に重なり合っている特異な形をしている。
おそらく、2色の紋様はそれぞれ、同じ内容を記している。――そこまでは俺にも分かった。
キリルは何やら計算式を使い、茶褐色の紋様の内容を予測し、さらにそれに対応する何十、何百パターンもの黒い紋様の内容を予想しているらしい。
すごいことだ。
俺には到底たどり着けない境地。
解読はキリルに任せ、塔の中の唯一の窓から帝都を眺め、これからのことを思考する。
今、トルーシスとレオラは、若王を辺境の地から連れてきている頃合いだろう。
若王は、自分らしく振舞えるようになっただろうか。
そして、傷は――
束の間物思いに耽り、ふと我にかえると、あれだけ騒がしかったキリルの声がやんでいた。
……どうした?
キリルの部屋を見つめていると、扉がガチャリと開いた。
「なんなんだこれは」
キリルが頭を抱えて出てきた。
飲み放題の髪に、何日も寝てないであろうことを示す、目の下のクマ。
「黒い紋様が解けた」
まるで魂が抜けたように呟いて、俺の前に一枚の紙を置いた。
そこには、キリルらしい几帳面な文字で、黒い紋様を構成する一つ一つの要素に対応する、西ノ帝国の文字が記されていた。
……本当に解けたのだ。
衝撃を感じながら、キリルに尋ねた。
「で、なにが書いてあったんだ」
キリルは暗い顔で、ドサリと黒い紋様が書き写された帳簿を置いた。
古くから塔に保管されてきたものだ。それを悲しそうに眺めて、キリルは呟いた。
「くだらない戯言だ」
……え?
「もっと重大な世界の秘密が書かれていると思ったのに」
キリルは、がっくりと肩を落としたまま台所の食料をかき集めると、また部屋に籠ってしまった。
どういうことだ?
キリルが残した解読方法と帳簿に手を伸ばす。
茶褐色の紋様の帳簿は膨大にあるのに対し、黒い紋様の帳簿はこの一冊だけしかない。
最初の数ページはやけに単純な紋様がならんでいた。
ペラペラとめくると、おそらくキリルがつけたのだろう。印がついているページがあった。
このページから紋様が読めるということか。期待を込めてページをめくり、キリルの残した解読方法をもとに、紋様を読んでいく。
”白銀鉄を満月の晩、海水によく浸せ”
”海水に浸した白銀鉄を、よく雷がなる日に外に出しておけ”
”よく冷えた冬の方がよい”
”海水には少なくとも3回の満月が過ぎるまで浸せ”
”なるべく高い山に置くとよい”
茶褐色の紋様と同じだ。断片的に情報が散らばっている。解読した内容をつなぎ合わせるのも、”書庫守”の仕事だ。
要するに、白銀鉄を長時間海水につけた後、冬の雷のなる日に、高い山の上に置いておけということなのだろう。
だが、なぜ?
次のページを開いて、俺は自分の目を疑った。
”さすれば不老不死の薬ができる”
……なんだ、これは?
不老不死の薬? 思わず呆れてしまうくらい、非科学的な記述じゃないか。
白銀鉄の生成方法が詳細に記された茶褐色の紋様とは全く異なる。
キリルが意気消沈するのも無理はない。
数十ページに渡って同じような記述が続いた。
『もうやだ!! 僕はこんなもののために人生を捧げたわけじゃない!!』
途中、キリルの殴り書きとページを握りつぶしたような跡があった。
キリルはここで読むのを辞めたらしい。紋様の解読に人一倍思い入れが強かったからなぁ、となんだか気の毒に思った。
そのあとは少し変わった紋様が続いた。
今までの複雑な形とは打って変わり、きわめて単純な形をしている。読もうと数時間格闘したが無理だった。
これは読めないのではなく、もともと意味を成さないのか?
もう読むのを辞めてしまおうか。そう思った時、ふっと紋様が読める形になった。
”魔物を追い払う聖なる炎がある”
”お前たちにもたらす利益は計り知れない”
”赤々と燃え盛り、けっして消えない炎の作り方は――”
……またふざけたことを。
苦笑してページをめくったが、その後のページは真っ白だった。
しばらくページをめくっても、白いページが続く。怪訝に思ったとき、古代帝国語が目に飛び込んだ。
”帝国歴238年以降、黒い紋様の砂紋民は姿を消す”
急に心が冷えたような感覚になった。
それ以降は、全くの白紙だった。
ヒスタロスとレオラの紋様の写しが最後に挟まっているだけ。
ヒスタロスの紋様は、解読方法だから意味を持たない。
ならばレオラの紋様は?
レオラの紋様は、きわめてシンプルだった。半円を描くように曲線が連なっているだけ。
形は違うが、傾向でいうと、帳簿の冒頭と中盤にあった、読めなかった紋様と似ている。
数時間考えたが、音をあげた。
これでもう読める黒い紋様はなくなったか、と嘆息した時、ふと思いだした。
トル―シス。
彼のあの美しい黒い紋様がある。
キリルは写し取るのを断られた、と言っていた。
長い間紋様で差別されてきたのだ。抵抗があるのも無理はないだろう。
脳みそを振り絞り、全力でトル―シスの紋様を思い起こした。
虚華亭では化粧か何かで紋様を隠していたから、昔――村々で戦っていた時に見かけた時の記憶が頼りだ。
深夜までかかって、だいぶ曖昧だが、再現はできた。
頬にある紋様だけではあるが。
それを、丁寧に読んでいく。
丹念に紋様を追っていくにつれ、掌に嫌な汗がにじんでくるのが分かった。
断片的だ。それに、推測も混じる。
が、そこには、
”白銀鉄” ”崩壊”
この2単語が確かに書いてあった。
トル―シスの紋様は、頬だけではなく、腕や体にもあると聞いた。
もしかしたら彼の紋様には、白銀鉄の崩壊の方法が書かれているのか?
ドクン、と心臓が一つ音を立てた。
白銀鉄の剣を砕くことができる。
それは、西ノ帝国だけが知っている秘密だと思っていた。
だが、もし、東ノ国が黒い紋様の解読に成功し、白銀鉄の崩壊の情報を握っているとしたら?
紋様の研究に秀でている東ノ国のことだ。ありえなくはない。
そこまで考えたとき、ハッとした。
この帝都は、白銀鉄の城壁で守られている。
いかに東ノ国の軍勢といえど、建国以来一度も攻め込まれたことのない鉄壁の城壁をこえ、帝都に侵入するのは不可能だと思っていた。
ゆえに、西ノ帝国の侵略を望む鋼主を、無謀な男だと思っていた。
だが。
ネルから聞いた鋼主の人物像は、用意周到といってもいいものではなかったか?
まさか。
背筋に戦慄が走る。
いや、おちつけ。
剣と城壁は違う。こんなにも大きな城壁が砕けるなど――。
いくら自分に言い聞かせても、不安はぬぐえなかった。
◇
一方、トルーシス・レオラ・ヒスタロス・若王の4人は、ネルヴァの屋敷を発ち、帝都へと向かっていた。
私は隣で馬を駆るトルーシスの横顔をちらりと見た。
唇を引き結び、どことなく険しい表情をしている。トルーシスは昨日からしきりに『嫌な予感がする』と口にしていた。
故に若王がついてこれる程度で、最大限、馬をとばしている。
ようやく帝都が遠目に見える場所まできて、愕然とした。
――なかったのだ。
帝都をぐるりと取り囲む、あの難攻不落の白銀鉄の城壁が。
「なぜ……」
若王がかすれた声で呟く。ヒスタロスも言葉を失っている。
「音がしたんだ」
トルーシスは帝都に目線を向けたまま、静かに言った。「昨夜、白銀鉄の剣が割れるような様な音が、幾重にも。多分、みんなには聞こえない音だ」
そして、短く私たちに告げた。
「皆が危ない。急ごう」
帝都にたどり着いたのは、夕刻だった。
かつて勇壮にそびえたっていた城壁は崩壊し、あちこちに白い砂の丘を作っていた。
そのひとつにのぼり、帝都を見渡す。
それは、戦いとよべるものではなかった。
一方的な殺戮だった。
漆黒の隊服をまとった東ノ国の兵が、帝都を襲っている。
西ノ帝国の者たちは、剣を手に、必死で抵抗していた。
純白の隊服を来た騎士に加えて、民衆もいる。緊急で徴兵されたのだろう。
だが、みなあっけなく斬り捨てられていった。――騎士でさえも。
力の差は歴然だった。
西ノ帝国の剣は弱すぎた。
刃が触れた瞬間、西ノ帝国の白銀鉄の剣は粉々に砕け散った。
前線に立っていたのは砂紋民の兵だった。
貧しさでやせ細り、ろくに剣も握ったことのない彼らは、それでも白銀鉄の剣を手にし、誇りを持って戦っているようだった。
「な、なんということだ……」
若王がよろよろと膝をつく。
あの陽気なヒスタロスでさえ、顔面蒼白だった。
思わず歯噛みした。
見事に留守をつかれた。
――鋼主。
想像以上に厄介な男だ。
ふいに、トルーシスの足元の地面に赤い血がポタ、と落ちたのが視界に入った。
固く握りしめられた拳から血が滴っている。
「……トルーシス」
思わずその拳をそっと両手で包むと、トルーシスはハッと我に返ったようにしてから、苦しそうに目を閉じた。
「レオラ。前線の砂紋民の兵が死ぬ間際に叫んでいる言葉が聞こえるか」
私が首をふると、絞り出すようにして続けた。
「……帝国万歳、だ。彼らは何を信じ、何のために死んだのだろう」
言い捨てると、さっと身をひるがえす。
「行こう」
トルーシスは、今までに見たことのない目をしていた。
悲しみと――静かな、でもはっきりとした燃える様な怒りが入り混じる瞳だった。




