第49話 涙
時間は少しさかのぼる。
王の暗殺の報に、帝都が騒然となっていた頃。
帝都から遠く離れた荒野を歩く、二人の影があった。
「傷。付き合ってもらって悪かったな」
若王は静かに言い、俯いていた顔をあげた。地面に数滴落ちた涙のしずくに気づかないふりをして、私は首を横に振った。
「いえ。時間はたくさんありますから」
3日前、秘密裏に帝都の城壁を抜けた。今は若王と共に辺境の地へと向かう途中である。
若王は唇を噛みしめた。
「では、もう少し砂紋民の村々を回ろう」
既に廃墟と化した村々を巡る。
襲われたときの状態のまま、村々は朽ちていた。あちらこちらに白骨化した遺骸もある。
西ノ帝国が砂紋民を襲っていた話は聞いていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。
「……いったい、我らはどれだけの砂紋民を殺してしまったのだろうな」
何個目かの滅びた村に差し掛かった時、若王は力なく呟いた。
この村は、村全体が焼けたのだろう。建物の残骸があちらこちらにあるだけで、村があった形跡はほとんどない。
「父上の罪は重いな」
若王は表情を暗くして続けた。「なぜ、こんな方法しかできなかったのだろう」
ふと、何かを見つけたのか、若王が馬を降りた。
地面にかがみこんで拾うと、凍り付いたように動きを止める。
「指の骨だ。たくさんある。傷、教えてくれ。これは……」
青白い顔をして、声を震わせている。
困ったが正直に言ってやるしかないだろう。
「騎士たちが功を競ったのでしょう」
若王はしばし絶句し、絞り出すように言った。
「二度と、繰り返したくない。……だが、どうすればいい」
思わず言葉をかけていた。
「強くなり、知恵をつけるのです」
「……私にもできるか?」
か細い声だった。
「えぇ、必ず。努力すれば」
若王はしばらくその言葉を噛みしめていたが、やがて「傷、ありがとう」とまっすぐ私を見た。その真摯な眼差しに思わず目をそらす。
「もう砂紋民の村落はあらかた巡りました。ネルヴァという者の屋敷へ向かいましょう」
「あぁ。本来、そこが目的地だったな」
若王は頷き、私の馬のあとに続いた。
◇
「傷はどこに行ってしまったのだろう」
私は、ネルヴァがつくった、非常に美味な夕食を食べながら呟いた。
ネルヴァの屋敷で過ごして1週間がたち、この辺境の地での暮らしにも慣れてきた。
「私がちょっと余計なことを言ってしまいましたかねぇ~」
ネルヴァは顎に手を当てた。いつも三人が揃う食卓だが、本日は傷の姿が見えない。
「傷は、何者なのだろうな」
傷と一緒に過ごすとそう思わずにはいられない。「今日、治世学について教えてくれたのだ。目を見張るほどの知識だった。王宮の家庭教師とは比べ物にならない」
もちろん、武芸に秀でているのは言わずもがなだ。日々、私に丁寧に剣を指導してくれている。
ネルヴァはふっと微笑んだ。
「貴重な経験でしたね、若王様。これからも沢山教わるといいでしょう」
思わず少し首を傾げた。
「ネルヴァと傷は知り合いなのか?」
一緒に過ごす中で、なんとなくそう感じることが何回かあったのだ。
「どうでしょうかね」
苦笑するネルヴァの表情がなんとも寂しそうで、それ以上は深く尋ねなかった。
「ネルヴァ。農作業の話、面白かったぞ。また聞かせてくれ」
夕食を食べ終わり礼を言うと、ネルヴァは「もちろんです」と笑みを深くした。
2階に設けられた自分の部屋へと戻る。
ネルヴァと二人だけの食卓も悪くはなかったが、やはり傷がいないとしっくりこない。傷は基本的に無口だが、静かに話を聞いてくれているだけで、安心するのだ。
ふと、僅かな違和感に足を止めた。
普段は開いていない隣の部屋――そこは辺境の地に謹慎になったときのデイトンの部屋だと聞いていた――の扉がほんの少し開いていた。
それは、ただの興味本位だった。
そっと部屋の中をのぞく。
びっしりと本棚で埋め尽くされた部屋だった。
そして、その中で放心したように立っていたのは傷だった。
何か、手紙のようなものを手に持っている。
頬が涙で光っていた。
……え?
見てはいけないものを見た気がして、すぐにその場を去った。
それ以来、何度となくその部屋の前を通ったが、扉が開いていることは二度となかった。
◇
私と若王が、ネルヴァの住まう辺境の地で暮らし始めてから3か月がたった。
3か月。
それは人を変えるのに十分な長さらしい。
若王は見違えるようになった。
日々鍛錬したことで体力がついたし、周りを伺うような自信なさげな雰囲気がなくなった。
ある日、私の下に、一羽の鷹が飛んできた。足に文が括りつけられている。
その文を読むと、庭へと向かった。
若王とネルヴァが畑仕事に精を出している。
「若王様。帝都からあなたを迎えにくる者たちがやってきます。もうじきつくでしょう」
「……そうか」
若王は少しだけ顔を暗くしたが、すぐに明るく笑った。「ここでの生活が思いのほか気に入ってしまったが、そうも言ってられないな」
「えぇ。私もあなたにこれからもいろいろ手伝ってほしいのですが。そうも言ってられないですね」
ネルヴァが目じりに笑いジワを作った。
数日後。
レオラ、トルーシス、ヒスタロスがはるばる訪れた。ネルヴァが早速出迎え、食事の後、酒の席になった。
若王と遠慮のない会話を繰り広げるレオラとヒスタロスを、トルーシスは屋敷の壁に背を預け、僅かに微笑んで見つめている。
トルーシス。
彼については、ネルやリュシアから何度となく話を聞かされていた。
どんな切れ者かと思っていたが、虚華亭で初めて会った時には、静かな男だという印象でしかなかった。
剣を割る動きも、修練を重ねれば身につけられる。
もっと強い男を私は知っていた。
だが今、旅装を身にまとい、静かに佇む彼の気配に、以前とは全く別のことを思った。
……静かすぎる。
気配が全くない。
獣が息をひそめ、獲物を待ち伏せているような静けさだ。これでは、狩られる獣は己を狙う者の気配に気づけない。
もし、この静かな気配のまま、本気で戦ったとしたら?
背筋がぞくっと冷えた。
そのトルーシスが、私のところまで静かに歩いてきた。
反射的に、右手が腰の剣を握る。
「……警戒させてすまない」
第一声は、実に申し訳なさそうな声色だった。深く頭を下げ、続ける。
「先に帝都に戻ってくれないか。嫌な予感がする」
「嫌な予感、とは?」
尋ねると、トルーシスは声をひそめた。
「ここに来る途中で、東ノ国の斥候兵数人に会った。全員口は割らなかったが、東ノ国の動きが活発になっていることは確かだ」
なるほど。
「万一に備えて、今すぐに出発する」
トルーシスはもう一度頭を下げた。
「申し訳ない。皆と旅をする機会がなくなってしまって。若王も君を慕っているというのに」
存外、細やかに気を遣うタイプらしい。
「いえ、構いません」
弓を背負い、すぐに戸口へと向かおうとすると、呼び止められた。
「気を付けて。君は強いから大丈夫だと思うが」
「あなたよりは強くありませんよ」
思わず口の端をあげて私は戸口を出た。
◇
そのころ。東ノ国では。
「シェムリ。いるか」
軍服姿の鋼主が、シェムリのいる”奥”の部屋へとやってきた。
「……え?」
いぶかしんで扉を開けたシェムリは仰天しつつ、自分の部屋に鋼主を招き入れた。
「今から西ノ帝国に発つ。しばらく会えなくなる」
鋼主はそっと自分の覆面を外すと、シェムリを抱き寄せ、その栗色の美しい髪を愛おしそうに撫でた。最近、鋼主はシェムリと会う時だけは覆面を外すようになった。
シェムリは「今から……?」と驚いたように目を見開く。
「出立日を早めた。こちらの情報が西ノ帝国に漏れているような気がしたのだ。許せ」
鋼主はシェムリの髪を撫で続けている。
しばらくの沈黙のあと、シェムリは鋼主を見上げた。
「”お前が漏らしているんじゃないか”って私に聞かないの?」
鋼主は手を止め、静かに口の端をあげた。
「聞かない。もとより私は誰かを信用するのを辞めた。西ノ帝国時代の教訓だ。他者は裏切る。常にその想定で動く方がいい」
「え、じゃあ私も裏切ると思ってるの?」
シェムリの声が少し震えた。
「あぁ。お前だけじゃない。軍の他の者たちもそうだ」
鋼主の声が平坦になっていく。
「じゃあ……なんであなたは私と今こうして一緒にいるの?」
鋼主は少し考えてから短く答えた。
「……さあな」
シェムリは泣きそうな顔でぎゅっと鋼主の体にしがみついた。
「ごめん。本当にごめん。あなたの地図のために答えていた内容、東西逆なの」
「知っていた」
鋼主の静かな声に、シェムリは呆然とした。鋼主はそっとシェムリの肩を離した。
「さようなら、シェムリ」
そのまま背を向けて部屋から出ようとする。
「待って!」
シェムリは小さく叫び、鋼主の前にぐるりと回り込んだ。鋼主の足が止まる。
「私、もうあなたに嘘はつかない。絶対に裏切らないから……だから、お願いだからまた私のところに来て」
シェムリの瞳から涙が幾筋もこぼれた。
鋼主は口の端だけで、ふっと笑った。寂しそうな微笑みだった。
「生きていればな」
死を覚悟しているような響きを、シェムリは感じとった。
「……ねぇ! どうしてあなたは戦争なんてするの? 西ノ帝国が憎いから? でも、あなたはそんな人じゃないでしょう?」
鋼主はシェムリから目をそらして言った。
「西ノ帝国が憎いからだ。毎日己の体を傷つけ、過去を忘れないようにしている」
シェムリは痛々しそうに顔を歪めた。
鋼主の体に残る無数の拷問の痕。その上に、今も毎日、新しい傷を鋼主自身が重ねていることを、シェムリは知っていた。
「ねぇ」
呼びかけると、鋼主が視線をこちらに向けた。
シェムリは近寄ると、うんと背伸びをして鋼主の唇に口づけをした。
唇を離す瞬間、ほんの少し噛んだ。鋼主のあれた唇に血が滲む。
「ん……」
鋼主が怪訝な顔をした。
「私のことも忘れないでね、ファクトル」
シェムリは涙に濡れた瞳で鋼主を見つめた。
何か言われるかと思ったが、鋼主は微笑んで自身の唇をなめた。
「分かったよ。この痛みでお前を思いだそう。……ではな」
鋼主が去っていった後も、シェムリはその後ろ姿の残像をぼんやりと見つめていた。
シェムリの部屋を去り、ひとり軍の長い廊下を歩く中、鋼主は覆面の下で、唇を噛みしめながらつぶやいた。
「……シェムリ。お前には知られたくないんだ。こんな醜い気持ちなど」




