第48話 旅
そのころ、西ノ帝国では。
「トルク。もう少しだ。もう少し回転をかけてみるといい」
「分かりました!」
トルーシスの言葉に頷くと、トルクは息を整え、素早く斬りこんだ。
キィィン!
高い音があたりに鳴り響く。
「よし」
トルーシスが微笑んだ瞬間。
白銀鉄の剣が粉になって崩壊した。
「できた……」
トルクが呆然とする。
「やったわね!」
私は思わず手を叩いた。一番難易度の高い第3商会製の剣を割ったのだ!
すかさず仲間たちが怒涛のようにトルクの周りに集まってきた。
「さすがトルクだな!」
「俺にもコツを教えてくれぃ!」
「うーん、トルーシスさんの言う通りにやったらできたんだけど……」
トルクが困ったような顔をすると、皆は笑って軽口を叩いた。
「だから、トルーシスの言うことは凄すぎてわかんないんだっつうの」
「音なんて俺には聞こえねぇよ」
「トルク、分かりやすくトルーシスの言葉を翻訳してくれよ! いや、お前がすごくないとは言わないけど!」
最後のルカの言葉に、みんながどっと笑った。
トルーシスは、皆のやりとりを少し離れたところで、微笑みながら見ている。
私たちの仲間になってから3か月。
――圧倒的に強い。
それがトルーシスと一緒に剣の修練をする中で、みなが感じていたことだった。
トルーシスはどんな剣でも一撃で割る。
どうやら割れる音があるらしい。
第5商会の剣が割れる音は私たちにも分かったが、それ以外の商会の剣についてはあまりよく分からなかった。どうやら、トルーシスはとても耳が良いらしい。
ゆえに私たちはトルーシスからの助言を頼りに、体に剣を割る動きを覚え込ませようとしていた。
◇
「いいころ合いね。王権も弱体化したし」
その夜。酒の席で言うと、トルーシスは深く頷いた。
「あぁ。トルクは教え方がうまい。もうすぐ皆が剣を割れるようになるだろう」
「悪かったわね。……教え方が下手で」
私もしばらく前に剣を割れるようになったが、トルクとは違って教える才能が皆無だった。
「そうだな。驚いたよ」
少しだけ笑いの混じる声。驚いて目を向けると、トルーシスは口もとをおかしそうに緩ませていた。
わ、笑ってる……!
呆然とトルーシスの顔を見つめる。こんな表情、今まで見たことがあっただろうか。
「おぃおぃ。どうしたんだよ、兄ちゃん。楽しそうじゃないか」
目ざとくヒスタロスがからみに来る。手には大きな酒瓶を持ち、もう片方の手で嫌そうな顔をするガレンを引き連れてくる。
「いや。レオラの教え方を思いだしたら、おかしくて」
トルーシスはヒスタロスから差し出された酒を、ぐいと飲んだ。
酒、飲めるの!?
私は心の中で衝撃を感じていた。
ずっと飲まないから、飲めないもんだとばかり思ってた。
「だよな。『もっとグッと踏み込むのよ!』しか言わないもんな」
ヒスタロスが私の声真似をすると、トルーシスはくすくすと笑った。
トルーシスが2階の部屋へと上がっていくと、トルクが隣の席にやってきた。
「笑っていましたね。初めて見ました。素敵だった……」
まるで恋する娘のように呟き、ぼんやりと空を見つめて、ヒスタロスがつぐ酒をぐいぐいと飲んでいる。
トルクはそんなに酒に強くはなかったはずだ。大丈夫だろうか。
「顔の紋様も見たいなぁ……。綺麗なんですよ」
トルクが呟く。
「そうよね。もう化粧なんてしなくていいのに」
トルーシスは、まだ化粧で顔の紋様を隠している。紋様を見せることに抵抗があるのだろうか。
「まあでも、兄ちゃん、いい顔をするようになったよな」
ヒスタロスがしみじみと言った。酒を呷り、二ヤリと私に微笑みかける。「嬢ちゃん、教え方が下手で良かったな」
「んもう、みんな私を馬鹿にするんだから」
そうは言ったものの、トルーシスが笑ってくれたのなら、それでもよかったのかもしれないと思えてくる。
トルクの気持ちも分からんでもない。
笑うトルーシスには、妙に惹かれる何かがある。さすが帝都の花街で一番客を取っていたただけある。
「そろそろ若王を迎えに行くわ。トルク、ガレン。その間ダグラスやルカたちと一緒に、留守をお願いね」
「もちろんです。僕は第二のトルーシスさんになります」
酒で顔を赤く染めたトルクは、力強く頷いた。
ちょっと意味が分からないが、トルーシスへの憧憬が痛いほど伝わってきた。
「……まあ、こいつも含めて任せておけ」
相変わらずぶっきらぼうだが、ガレンがいてくれるのはかなり心強い。
「頼んだわ。もし東ノ国が出陣の準備を始めたら、ネルから連絡が入る。それに、帝都の周りには、鉄壁の城壁がある。急襲されてもしばらくは持ちこたえるはず」
「分かった」
ガレンは深く頷いた。
頼りにしていることを伝えたかったのだが、ガレンはふいとダグラスのもとへと飲みに行ってしまった。
数時間後。
トルクは、酔いつぶれて机につっぷしていた。
肩に毛布をかけてやりながらヒスタロスが私に微笑みかけた。
「トルクは剣奴時代、兄ちゃんに救ってもらったらしい」
「そうなの」
知らなかった。
「酒を飲ませて聞いたんだ。みんなあんまり過去の話はしたがらねぇからな」
ヒスタロスが自慢げに酒瓶を叩く。
……無駄に酒を消費しているわけじゃないのか。
心の中でこの大男を見直す。
「だからこれからも俺の酒の量を減らさないでくれ」
深々と頭を下げるヒスタロスに、さっきまでの気分はふきとんでしまった。
「若王を迎えに行く旅が楽しみだな。トルーシスと二人で行くんだろ?」
ヒスタロスは私の杯に酒をぐいぐいとつぎながら、楽しそうに言った。
「いや。あなたも一緒に来てほしいの。いざとなった時に若王を抱えて逃げられる人材が必要よ」
ヒスタロスは驚いたように一瞬目を見開いたが、やがて得心したように頷いた。
「なるほどな。それなら俺が適任だ」
◇
数日後。
トルーシスとレオラとヒスタロスの3人は、皆に見送られて隠れ家を後にした。
若王が身を潜めている辺境の地まで、馬で旅をする。
日の出前から夕暮れまでぶっ通しで駆け続ける強行日程だったが、夜には3人で焚火を囲んで夕食をとった。そのひと時は思いのほか、和やかで楽しいものとなった。
「それでな、俺は妻とは18の時に会ったんだ。ちょうどその時俺は、やぐされててな。なにこの女、と思ったんだ。年上だったし」
ヒスタロスは酔うとよく妻や子どもの話をした。
「子どもは5人いたんだ。娘2人と息子3人。みんな俺に似て、美男美女揃いだ」
「それ、自分で言っちゃう?」
レオラの軽口に、トルーシスがくすりと笑った。トルーシスの様子にわずかに目を細めて、ヒスタロスは続ける。
「今頃、ちょうどお前たちくらいだな。元気にやっているかな」
ぐいっと酒を呷り、レオラの肩をたたく。
「特にお前は俺の長女に性格がそっくりだ。あ、顔は全然及ばないよ?」
「ひどい」
レオラがその手を邪険に払いのけると、ヒスタロスは陽気に笑った。
「冗談だよ、冗談。お前、幸せになれよ」
「なんなのよ。言われなくても幸せくらい、自分の手で掴むわ」
「勇ましい女だ。なあ、トルーシス?」
トルーシスは少し微笑んで頷いた。
「あぁ。レオラは強い」
「え?」
驚いたように目を見開いたレオラに、ヒスタロスがすかさずささやく。
「よかったじゃん」
「……別に」
ぶっきらぼうな返事に、ヒスタロスはふっと穏やかに笑った。
すっかり夜も更け、レオラが寝息を立て始めたころ。
ふらりとどこかへ行っていたトルーシスが火の番をするヒスタロスのもとへと戻ってきた。
「おう、おかえり」
「……」
ヒスタロスの言葉に答えず、トルーシスは焚火の近くに座り「火の番を代わる」と呟いた。どこか影のある表情だった。
ヒスタロスは酒を呷り、いつもの調子で尋ねる。
「殺しをしてきたのか?」
トルーシスの目がわずかに見開いた。
「……どうして分かったんだ?」
ヒスタロスがため息をつく。
「顔。返り血がついてるぜ。それに兄ちゃん、殺しも折檻も得意じゃないだろう。雰囲気で分かるんだよ。……水臭いな。俺らにも言ってくれれば良かったのに」
トルーシスはしばらく沈黙した後、静かに言った。
「ひとりの方が動きやすい。レオラには休息が必要だし、お前は夜に酒を飲むのを楽しみにしている」
「気を使ってくれたってわけか」
ヒスタロスは苦笑した。「ありがとよ。東ノ国の兵か?」
トルーシスは考え込むようにして口を開いた。
「いや。今日はどこの国の者とも違う雰囲気だった。……それに、口を割らなかった。ヒスタロス、何か知ってるか?」
ヒスタロスの顔が一瞬青ざめたのは、炎を一心に見つめて話すトルーシスには分からなかった。
「知らねぇな。お前、そいつらを倒したのか?」
「三人いるうちの一人だけだ。もう二人は既に死んでいた。それも、不思議な死に方だった。誰かに襲われた気配はないのに、胸から出血していた」
そうか、とヒスタロスは相槌をうち、おもむろに口を開いた。
「俺が火の番をこのままする。戦ってきたんだろ? ゆっくり休んでくれ」
トルーシスははじめ遠慮をしたが、ヒスタロスの押しに負けると「ありがとう」と微笑み、寝る支度を始めた。
眠りこけているレオラの毛布がずり落ちているのを見ると、それを直してやる。
「お休み、ヒスタロス」
そう言ってトルーシスは眠りについた。
――こいつは人間らしくなったな。最初に会った時は感情をなくした人形のようだったのに。
トルーシスの寝顔をみながらヒスタロスはそんなことを考えた。
「まずいな。俺ももうじき終わりだ」
二人が眠りについた静寂の中、ヒスタロスは静かに呟いた。
焚火が音を立ててはぜ、その顔に複雑な陰影をつける。
「いったい俺はどうしたらいいんだろう」
ヒスタロスは一晩中、その静かな自問を続けた。
傍に置かれた酒の瓶は、朝まで一滴も減らなかった。




