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第47話 恋

「……どう考えても醜(みにき)いだろう」

鋼主(こうしゅ)の声は少しだけ上ずっていた。


覆面(ふくめん)の下の顔には、酷(ひど)い傷痕(きずあと)があり、殴(なぐ)られすぎたのか顔の骨が変形してゆがんでいる。右目も拷問(ごうもん)によってつぶされていた。


「喜んで! 私、闇(やみ)多めの男が好きなの。しかもまだけっこう若いじゃん」

シェムリは嬉々(きき)として鋼主(こうしゅ)に覆(おお)いかぶさり、熱い口づけをした。


「やめろ」

鋼主(こうしゅ)はシェムリの肩(かた)を掴(つか)んで強引に離(はな)した。


「前に俺の顔を見た娘(むすめ)は、おびえて泣きわめいた」


「はーん。だからカッとなって殴(なぐ)ってしまったって訳か。でも、あなたのことだから殺してはないんでしょ? さっきも、私を本当に殺したければ間髪(かんぱつ)入れず殺しだだろうし」

シェムリはにこりと笑った。


鋼主(こうしゅ)は一瞬沈黙(いっしゅんちんもく)してから口を開いた。

「お前、非難しないのか」


「別にいいんじゃない? 魔(ま)が差すことなんて、誰(だれ)にでもあるでしょ」


黙(だま)りこくる鋼主(こうしゅ)に、「まあ、闇(やみ)があればあるほど、私の好みなんだ」とシェムリは熱い視線を向けた。


「お前、それも嘘(うそ)か?」

鋼主(こうしゅ)が小声で聞いた。


「ん?」

シェムリは聞こえないふりをした。


「何でもない。どちらでもいいか、この際。お前、狂(くる)ってるしな」

鋼主(こうしゅ)はため息をつくと、首を左右に振(ふ)った。「俺の過去の話、誰(だれ)にも言うなよ。もう忘れたいんだ」


「分かった。言わないよ。でも忘れなくてもいいんじゃない? 私はすごいよく頑張(がんば)ったと思ったけど」


「何様のつもりだ。だが……そういってくれて感謝する」

鋼主(こうしゅ)はぎこちなく口の端(はし)をあげて、静かにシェムリの体を抱(だ)き寄せた。


「――これからも毎日来てくれないか」

聞き取れないほどのささやきを、シェムリはちゃんと聞いていて、「もちろんだよ」とくすぐったそうに笑った。






    ◇






シェムリが鋼主(こうしゅ)のところに通うようになってから2週間後。

俺は軍の仕事の合間に、鋼主(こうしゅ)の相手をする女たちが住まう、”奥(おく)”にあるシェムリの部屋を訪れた。


名目上はシェムリが以前働いていた娼館(しょうかん)からの荷物を届けるため。

実際は、鋼主(こうしゅ)について探るためだ。


豪華(ごうか)な調度品で美しく飾(かざ)られた部屋の中に、シェムリはいた。


「やけに”奥(おく)”の雰囲気(ふんいき)が明るいな。何かあったのか?」

尋(たず)ねると、いつも通りの屈託(くったく)のない笑みを返された。


「みんな暇(ひま)を出されることになったの。鋼主(こうしゅ)様がこれからは私だけでいいって」


だから先ほどすれ違(ちが)った娘(むすめ)たちが安堵(あんど)に満ちた表情をしていたのか。にしても、いったいどんな手練手管を使ったのだろう。毎度シェムリには舌を巻く。


「すごいじゃないか。で、どうだ鋼主(こうしゅ)は」 声を落とし、続ける。「何か弱みを握(にぎ)れたか」


シェムリは一瞬(いっしゅん)、虚(きょ)を突(つ)かれたような表情をした後、沈黙(ちんもく)した。

そして真っ直ぐに俺を見て、口を開いた。


「握(にぎ)れなかった」


――嘘(うそ)をついている。

そう思った。

それにしても、なぜ? 冗談(じょうだん)めかして尋(たず)ねてみる。


「お前、鋼主(こうしゅ)のことが好きになったのか」


「ち、違(ちが)うわよ!!」

叫(さけ)ぶように否定すると、シェムリは肩(かた)をすくめ、疲(つか)れたような表情で続けた。


「そんなんじゃないわ。ただ、最近調子がおかしくて。なんだか胸が締(し)め付けられるし、顔も熱い。何かの病気かしら」


ま、まさか。

「……お前、それこそが恋(こい)ってものじゃないか」

ならば、今その対象は1人しかいない。


シェムリは目を見開いた。

「恋(こい)!」






    ◇






「へぇ。これが恋(こい)……」

シェムリはどこか陶酔(とうすい)したような表情で、ぶつぶつと楽しそうに呟(つぶや)いている。


これはものすごく、まずいかもしれない。

そんな考えが頭をよぎった。


シェムリはかなりこっちの情報を持っている。

俺や傷(きず)が本当は西ノ帝国(にしのていこく)側だと知っているし、西ノ帝国(にしのていこく)の内部事情も良く知っている。そんな女が鋼主(こうしゅ)の側へと回った。



殺すか?



一瞬(いっしゅん)、そんな物騒(ぶっそう)な考えが頭をよぎった。

だが、今の状況(じょうきょう)を見る限り、シェムリは鋼主(こうしゅ)に相当気に入られている。やめた方がいいだろう。

シェムリに向かって言った。


「シェムリ。お前は砂紋民(ヌルム)の村々(むらむら)を襲(おそ)った張本人を好きになろうとしているんだぞ」


「でも、彼は直接襲(おそ)っていない」


「そういう国の体制を作ったのはヤツだろう」


「……」

シェムリはうつむいてから、顔をあげて口を開いた。恐(おそ)ろしいほど澄(す)んだ瞳(ひとみ)だった。


「私、決してあなたたちの情報は漏(も)らさない。その代わり、彼の情報も渡(わた)さない」

俺に向かって、深く頭を下げる。


「殺さないで。私、今初めて生きたいって思ってるの」


……やべぇ。

鋼主(こうしゅ)の何がシェムリの琴線(きんせん)に触(ふ)れたのか分からないが、これは確実に惚(ほ)れてやがる。


立ち上がってシェムリに別れを告げる。

「殺さねぇよ。もうすぐ西ノ帝国(にしのていこく)に出陣(しゅつじん)だ。忙(いそが)しくなる。元気でな」


「えぇ。あなたも」

シェムリは俺を見つめ返した。回廊(かいろう)の部屋からの、なんだかんだの腐(くさ)れ縁(えん)だった。


もしかしたらこんな風に言葉をかわせるのは最後になるかもしれない。直感的にそう思った。


「今までありがとよ。なんだかんだ言って、いろいろと世話になった」


「へぇ。いまさら私の気を惹(ひ)こうっていう気になったの?」

シェムリは笑った。

いい笑顔をするようになったな、と思った。


「そういえば骸骨(がいこつ)たちの姿が見えないようだが」

茶化して言った。豪華(ごうか)な調度品で整えられた、清潔で広い部屋の中には、いつものシェムリの相棒たちがいない。


「うん。カルアだけにしたんだ」

そう言ってシェムリは戸棚(とだな)を開けた。そこには、綺麗(きれい)に磨(みが)かれた骸骨(がいこつ)がひとつだけ、鎮座(ちんざ)していた。


「他のみんなはもう埋葬(まいそう)したの。カルアはお守りね」


……へぇ。受け入れたのか。


「やるじゃん」

そう言うとシェムリは花のように笑った。


「彼がよく言うの。過去が自分をいつまでも支配するって。私も、同じね」

白い指先で骸骨(がいこつ)をそっと撫(な)でる。


「私が強くなって、彼を支えたいの」

そのまなざしは、恐(おそ)ろしいほど純粋(じゅんすい)だった。


俺は心の中で天を仰(あお)いだ。

破滅(はめつ)の道しか見えない。――見えないが。


今までで一番幸せそうなシェムリに、何も言うことはできず、”奥(おく)”を後にした。


それに、俺に恋(こい)や愛を語る資格など、ないのだから。






    ◇






真夜中。

第5商会の地下、ラジャトの研究室。


時計が深夜12時を指したとき、独特のリズムで壁(かべ)を叩(たた)く音がした。


「来たか」

隠(かく)し扉(とびら)を開けると、粗末(そまつ)な身なりをした長身の青年が立っていた。


「やぁ、ネル大佐。一躍有名人(いちやくゆうめいにん)になっているじゃないか」

ネルはこの国の中で今、最も注目されている軍人だ。ネルが西ノ帝国(にしのていこく)王の暗殺に成功したと知った民衆は、熱狂的(ねっきょうてき)にネルをもちあげた。


「まあ、今だけだな」

さらりと言うその顔には、静かな覚悟(かくご)だけがある。


「帰って来てから、リュシアにまだ会ってないんだろう? 会ってやれよ」


「……」

沈黙(ちんもく)が返ってきた。


「気持ちは分かるけどさ。リュシアはもっと君の力になりたいと思ってるよ」


「鋼主(こうしゅ)が恐(おそ)ろしいんだ。考えていることが全く読めねぇ」

隠(かく)しきれない苦悩(くのう)をわずかに声ににじませ、ネルは頭を下げた。

「ラジャト、これからもリュシアを頼(たの)む。お前には任せられる」


「……分かったよ。目の方は大丈夫(だいじょうぶ)か?」

話を変えると、表情が一段と暗くなった。


「もう夜になるとほとんど見えなくなっちまった」


「なに?」

急激に症状(しょうじょう)が進んでいる。

椅子(いす)に座らせ眼球を調べたが、原因は分からない。


「明るい時は問題ないぜ。逆に見えすぎるくらいだ」


「ふーん」

おもむろに床下(ゆかした)に隠(かく)していた弓を掴(つか)むと、瞬時(しゅんじ)に射た。

その矢羽根を、ネルはパッと素手で掴(つか)む。


「すごい、本当だな。これは常人じゃない」


「……お前。俺を殺すつもりか」

胡乱《うろん》な目を向けてくるネルを立たせ、身長を測った。


「また身長も伸(の)びたのか――」

ネルの背は、ここ数年で急激に伸(の)びた。それと連動するように昼間の視力が上がり、夜間の視力が落ちてきている。

有効な手だては、今のところ見つかっていない。


「キリルなら何か分かるのかもなぁ」

頬杖(つらづえ)をつきながら何気なく言った言葉に、思いがけずネルが反応した。


「キリル? 西ノ帝国(にしのていこく)にそんな名前のやつがいた。紋様(もんよう)の研究をしてるみたいだったぞ」


……え?


身を乗り出した。

「詳(くわ)しく聞かせてくれ」



ネルが語る西ノ帝国(にしのていこく)の様子は、とても興味深かった。最後にネルは言った。

「仲間は得られたが、思ったよりも人数が少なかった。剣を割る算段は整えてきたが、厳しい戦いになるだろう」

少し沈黙(ちんもく)したあと、口を開く。


「だが希望もあった。”英雄(えいゆう)”が生きていた」


「英雄(えいゆう)?」

首をかしげると、ネルは力強く頷(うなず)いた。


「そうだ。あいつはどんな剣も一撃(いちげき)で割ることができる」


「え?」

――そんなことが可能なのか?






    ◇






翌日の夕方。

僕はリュシアの研究室を訪れた。


「調子はどうだ?」

声をかけると、リュシアは手を止め、こちらを見て微笑(ほほえ)んだ。


「ラジャト、判明しました。見ててください」

作業台に固定された白銀鉄(はくぎんてつ)の剣にリュシアは銅剣(どうけん)の刃(やいば)を強く当て、そのまま一気に滑(すべ)らせた。


次の瞬間(しゅんかん)。

粉々(こなごな)に、剣が崩壊(ほうかい)した。


台上の小さな三角錐(すい)の機械の針《はり》は、”25”を示している。


「25kHz(キロヘルツ)か。厳しいな」

呟(つぶや)くと、リュシアは静かに頷(うなず)いた。


「はい。人間には全く聞こえない音です。第一商会の剣ですね」


「そうか」

短く応じ、壁際(かべぎわ)にずらりと並ぶ剣へ視線を向ける。「他の商会はどうだ?」


「第4商会は20kHz(キロヘルツ)。ギリギリ聞こえる音です。第2商会は22kHz(キロヘルツ)前後。大半の者には聞こえないでしょう。第3商会は……そもそも安定しません」


白銀鉄(はくぎんてつ)は振動を加えると崩壊(ほうかい)する。

振動とはすなわち音であり、白銀鉄が崩壊(ほうかい)する音は、製造時の純度によって変化する。

そのことをリュシアは突き止めていた。


リュシアは声を落とした。

「これでは、西ノ帝国(にしのていこく)は剣を割るのにかなり苦戦するでしょう。ぴったり18kHz《キロヘルツ》の作り方を広めたはずですが……」


「見せかけだけ整えて、質を落としたか」

壁際(かべぎわ)の剣は、きらびやかな装飾(そうしょく)ばかりが目につく。


「なぁ、リュシア。……どんな剣でも一撃(いちげき)で割れる人間なんて、いると思うか」


「……いる。トルーシス」

リュシアはぼそりと呟(つぶや)いた。


ぎくりとした。

なぜ知っているんだ? 


嫌(いや)な予感がした。


リュシアは静かに引き出しから1枚の紙を取り出した。

音の波形がびっしりと刻まれている。

……ネルと僕(ぼく)の会話を記録したのだろう。


「ラジャト。私に隠(かく)れてネルとあっていたんですか?」

リュシアの声の温度が冷たい。


「……申し訳ない」

深く頭を下げると、リュシアはため息をつき、きっぱりと言い切った。  


「もし戦争が始まったら、私は西ノ帝国(にしのていこく)に行きます」


「その時は一緒(いっしょ)に行く。旧友に会いたいんだ」


リュシアはふっと笑った。

「分かりました。みんなで西ノ帝国(にしのていこく)行きですね」

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