第5話 利益の出る商売
「おい、待てよ! 騎士に歯向かったら斬り殺されても文句は言えないぞ!」
トルーシスに追いすがろうとした、その時。
「大丈夫だ。彼は強い」
低い声とともに、肩をグッと掴まれた。
見上げると、金髪に碧眼の騎士が立っていた。たしか――デイトンの友人のニックだ。いつからそこにいたのだろう。
「ほら」
ニックが微笑して指さした方を見て、思わず自分の目を疑った。
倒れていたのはトルーシスではなく――騎士だった。
帝国騎士を、音もなく、一瞬で倒した?
ニックは倒れた騎士に近づくと、身軽に背負いあげた。
「ボーダンは回収するよ。まったく、楽しい時間が台無しだ」
馴染みらしき娘たちに手を振り、店を出る間際に面白がるように俺に尋ねた。
「騎士への憧れ、なくなっちゃった?」
「…………」
言葉に、詰まった。
「ま、この世界は虚飾であふれてるのさ」
その言葉だけ、妙に真剣な調子だった。
ニックは扉をバタンと閉めて出て行った。
トル―シスは助けた娘や他の店の娘たちに取り囲まれて、口々に礼を言われていた。
やつをしりめに、リュシアのもとへと戻る。
「そろそろ行くわ。じゃあな」
適当に代金をテーブルに置くと、リュシアは律儀に多すぎる分を返した。
少しためらいながら俺の頭の入れ墨を指さす。
2本の線が交差する、朱色の入れ墨を。
「それ、お母さんの紋様?」
驚いた。
気づく者は今までいなかった。
「……よく分かったな」
「極端に単純な紋様のお母さんの子どもは、綺麗な紋様になるっていうから」
リュシアが俺の左腕の紋様に視線を走らせたのが分かった。
「まだ完成してねぇよ」
ぶっきらぼうに言い返した。
この砂紋民特有の流線状の紋様は、16で成人するときに完全な形になる。
「お前も、砂紋民なのか?」
尋ねるとリュシアはこくりと頷き、袖をたくし上げて左の二の腕を見せた。
「へぇ。……お前、西の方の村のあたり?」
まだ形を成していないところもあるが、リュシアの紋様は、以前に西で見た者たちの紋様とよく似ていた。
「その通り。すごいや」
リュシアが微笑む。
「別に。俺は流れ者だったから」
リュシアは、少し言いよどむと遠慮がちに聞いた。
「お母さんは今、帝都にいるの?」
こいつは全て悟ったんだと、思った。
「……あぁ。多分もう死んでるけど」
俺が殺したようなものだ。
今まで封印してきた、嫌な記憶が一気にあふれ出た。
◆
「いつもごめんね」
母さんが申し訳なさそうに僅かな飯を、食卓に置いた。
「……いらねぇよ。俺はさっき友達から菓子をもらったんだ」
母さんがここ数日、水しか口にしていないことはよくわかっていた。
「いや。食べなさい」
母さんは俺に友達なんていないことを、よくわかっていた。
腹ペコだったことを悟られないように、わざとゆっくりと食べる俺を見て、母さんはまた「ごめんね」と謝った。
母さんが苦しむ姿をもう見たくなかった。
ただそれだけだった。
「なぁ! 帝都に行ったらどうだ?」
元気づけるように明るく続ける。「帝都は豊かだって聞くぜ。きっといい暮らしができるさ!」
「そう……だね。そうしようか」
母さんは一瞬、驚いたように目をしばたかせたあと、俺の頭を撫でて微笑んだ。
砂紋民の村から、長い砂地を旅して帝都にたどり着いた俺たちは、裏路地の狭い部屋で暮らし始めた。
1か月ほどたったころ。
「なぁ、毎日帰りが遅いけど大丈夫?」
母さんは仕事だと言って、よく夜に家を空けるようになった。
「大丈夫よ。いい仕事が見つかったの」
母さんはにこりと笑った。
「……どんな仕事? 大変なら俺も働きにでるよ」
「ありがとね。でも、ネルは働かなくていいのよ」
きっぱりと言われ、柔らかな手のひらが俺の頭を撫でた。
少しだけひっかかったが、頷いた。
「ネル、商売に興味はない?」
しばらくして母さんが嬉しそうに言った。「弟子を探してる商人のお方がいてね……あなたさえよければ、弟子にしてくれるって!」
「……え?」
帝都の狭い部屋での生活に暇を持て余していた俺は、がぜんやる気になった。
沢山稼いで、母さんに楽をさせよう。そう思った。
数日間、母さんが家に戻ってこない日が続いた。
不安に思っていると、家の扉を叩く音が聞こえた。
扉を開けると、笑みを浮かべた恰幅のよい男が佇んでいた。
「きみが彼女の息子だね。来なさい。商売を教えてやろう」
母さんが言っていた商人だ!
そう思い、何の疑いもせずついていった。
「……何、ここ?」
入り組んだ裏路地を抜けてたどり着いた地下の部屋には、鉄格子があった。
上半身を裸にされた砂紋民たちが手枷をはめられ、押し込まれている。
皆、腕に朱色の逆三角の入れ墨が入っている。――奴隷なのだ。
「彼らひとりは、銀貨1枚か、高くても金貨3枚」
……は?
思わず顔を見ると、商人は相変わらず微笑んでいた。
「それを貴族や嗜好家たちに金貨5枚で売りさばいたら? 言わずとも利益がでる。特に見目のいい娘は高く売れる」
俺の肩に手を置いてささやく。
「もっと利益を出す方法もあるんだよ。ほら、ごらん」
その指さす先には――
砂紋民の紋様が入った、革の鞄があった。
背筋に戦慄がはしった。
「紋様が美しいほど高く売れる。これは金30枚だ」
絶句した。
「……おかしい。こんなのおかしい商売だ」
それだけを絞り出すと商人は微笑んだ。
「どうして? 牛や他の獣だって同じように加工してるじゃないか」
「……俺たちは砂紋民だ」
「そう、砂地の先に住む下等な民族だ。それに奴隷は所有物だ」
冷え冷えとした声で言い切り、続ける。
「さて、ついこの前、もっといい商売をしたよ。気になるかい?」
笑って懐から何かを取り出す。
それを見て凍り付いた。
革でできた財布だった。そこには――母さんの紋様が刻まれていた。
「馬鹿な女だ。君を弟子にするために金貨10枚が必要だといったら、自分の身を奴隷として売ったんだよ」
……な、なぜ。
商人は楽しそうに笑った。ゆがんだ笑みだった。
「あの女は娼館で働いていたんだ。そこじゃそんな大金、一生かかっても稼げないのさ」
「……娼館?」
聞き返すと、商人は鼻をならした。「そんなことも分からないのか。君を聡い子だとあの女は言ってたけど」
見下した目でこちらを見る。
「世間知らずな、馬鹿なガキだな。母の苦労も知らず、のうのうと生活して――挙句騙されるなんてな」
「クソ野郎!!」
殴りかかったが、あっけなく羽交い絞めにされ、気づいたら帝都の外に放り出されていた。
帝都の城壁は固く閉ざされ、中に戻ることはできなかった。
どこにも行き場をなくした俺は、何とか帝都から砂紋民の村々の間に広がる広大な砂漠を生き抜いて、村長アトスの村へとたどり着いた。
村の男たちの後について、街の娼館にも行った。
朝まで女と過ごして、母さんがそこで何をしていたのかを知った。
あの時俺が――。
もっとちゃんと状況を読めていれば。
……酒を飲みすぎた。とめどない感情があふれてくる。
「……あぁ、だからか」
呟くような言葉に、ふと我に帰った。
リュシアは、納得したように言った。
「察しの良さは生まれつきじゃなくて、努力だったのか」
はじかれたようにリュシアの顔を見た。リュシアは真っ直ぐに俺を見ていた。
……うわ。
思わず目線をそらした。
「知ったような口を聞くんじゃねぇよ」
吐き捨てるように言うと、テーブルに置いたままになっている金属片が目に入った。
「あ――、これもらってくわ」
パッと金属片を手に取り、懐に入れる。
「え?」
リュシアが目を丸くする。
「なんだよ。文句あんのか。お前ならすぐまた作れるだろ」
「……!」
リュシアは破顔した。喜ばれるようなことを言ったつもりはないのだが。
「次はもっとましなの作れよ。じゃあな」
席から立ち上がった。
「……うん。私、がんばる!」
その声は、今晩聞いた中で一番弾んでいた。
帰り道。
先ほどまで娘たちに取り囲まれて目を白黒させていたトルーシスは、ようやく解放されてほっとしたような表情を浮かべている。
「……お前、強いんだな。すごかったぜ」
不思議そうな顔をこちらに向けるので、「騎士を倒しただろ」と補足をすると、トルーシスは静かに微笑んだ。
「デイトンを見習っただけだ」
「あいつはいい騎士だったな」
本当に正義を貫いている。
トルーシスは深く頷いた。
「ニック、という騎士にも感謝をしないといけない」
「食えないやつだけどな」
あいつは信頼していいのか分からない。
「ミレーも、ニックはしっかりと金を払ってくれるし乱暴なことはしない、と言っていた」
ミレーって……確か騎士に殴られていた娘の名だ。
「お前、いつの間にちゃっかり名前で呼ぶようになっているんだよ」
「名前で呼んでくれと言われた」
「……お前なぁ」
それはいろんな悲劇の元になるぞ。
「きみだってリュシアの金属片をもらってたじゃないか」
……う。見てたのかよ。
「まあ、ここでひとまずネルの旅支度も整えられたし、明日出発しようか」
トルーシスは微笑んだ。
「そうだな。”敵”の正体に少しでも近づきたいぜ」
俺の腰には、白銀鉄の短剣がある。トルーシスが今日の昼買ってくれたものだ。市場で出回る安物だが、ないよりはマシだろう。
俺たちは一晩宿屋で泊まったあと、次の村へと出発した。




