第43話 革新
「……いいのだろうか」
虚華亭の密談部屋を出て、隠れ家へと地下通路を進んでいると、後ろで歩を進めていたトルーシスがぽつりと言った。
「え?」
松明を片手に最後尾で鼻歌を歌うヒスタロスのせいで、トルーシスの言葉が聞こえず、私は聞き返した。
「僕が英雄で、本当にいいのだろうか」
トルーシスは静かに言った。
いいに決まってるじゃない、みんなそう思ってるわ、と言いかけて私は口をつぐんだ。
そんな安易な気休め、はたして欲しいだろうか。
ふと、虚華亭の密談部屋での別れ際、ネルに言われたことを思いだした。
――『引き受けはしたが、あいつは”英雄”って役割に乗り気じゃないな。支えてやってくれ』
そして、声を一段おとして囁かれた。『自信を持て。お前、あいつの好み、ど真ん中だぜ』
……変なことまで思いだしてしまった。
気持ちを切り替え、口を開く。
「なら、これから英雄になれるように努力するしかないじゃない」
私が普通の女の子だったら、もっと彼の心を支えられるような――気持ちを明るくできるような言葉を言えたのだろうか。
後ろでドシン、と人と人とがぶつかる音がした。
「むぅ。なんだよ兄ちゃん。急に止まるなよぉ。松明を落とすところだったじゃないか」
ヒスタロスが不満げな声をもらし、抗議するように松明を持ち直した。
「……その通りだ、レオラ」
呟くようなトルーシスの声。
思わず後ろを振り返り、松明に照らされたその顔を見て、息をのんだ。
はっとしたように見開かれたその瞳が、とても綺麗だと思ったのだ。
いつもの伏し目がちで厭世的な感じではない、透き通るような眼差し。
その瞳が、ただ、まっすぐにこちらを見つめていた。
「まさにその通りだ」
トルーシスはもう一度言った。
……な、なんなのよ。
思わず前を向き、歩を進めると、「ありがとう、レオラ」とトルーシスの控え目な声が聞こえた。そして、歩き出す気配。
ヒスタロスがまた鼻歌を歌いだした。
◇
一方の東ノ国。
「それ、燃やしてしまっていいんですか」
リュシアは、紋様のスケッチがびっしりと刻まれた帳簿を燃やしている青年に問いかけた。
青年は”眼鏡”と呼ばれていたが、少し前に己の名を”ラジャト”と明かした。
「もうこの国の白銀鉄の技術は最高点に達したからな。これ以上の研究は不要だ」
燃えている帳簿から目を離さずにラジャトは答えた。
その隣に、リュシアはしゃがむ。
あれほど熱心に記していた、紋様のスケッチが燃えていく。
「命よりも大事にしているように見えたのに」
リュシアは少しだけ、痛々しそうな表情を浮かべた。
ラジャトはふっと笑った。
「こんな手垢のまみれた帳簿より大事なものなんて、いくらでもあるさ」
その瞳には不思議な色が浮かんでいた。覚悟と期待。そして、ほんの少し混じる狂気。
リュシアは言った。
「それは……白銀鉄の脆弱性を明らかにすることですか」
「あぁ。そのためなら何だって捨てられる」
なんてことのないように言う。
こういう、なんてことのないように言われる言葉こそが、本気の言葉だということをリュシアは知っていた。
「あなたは変わり者ですね」
炎がパチパチと音を立てた。
「きみに言われたくないな、リュシア」
その言葉にリュシアは苦笑いしながら、1年前のことを思いだしていた。
◆
営業が終わり、第5商会の売り場から地下へ降りると、リュシアの研究室の前に”眼鏡”がいた。
「どうしたんですか?」
尋ねると、端的に返ってきた。
「最高純度の白銀鉄の作り方が分かった」
「なぜ、最高純度だと言い切れるんですか?」
冷静に問い返すリュシアに苦笑しながら眼鏡は口を開いた。「君も知っている通り、僕は紋様の遺伝パターンの研究を極めた」
リュシアは頷いた。
高位の格付けの砂紋民を必死に集めている第1~4商会とは異なり、この第5商会は1人の砂紋民も囲っていない。
それは、眼鏡が一組の男女の紋様を見れば、次に生まれる子どもの紋様を予測できるからだ。
ゆえに、一般公開の砂紋民の紋様だけで、十分な情報が得られている。
「実は数年前から、とある事実に気づいていた」
眼鏡は、「例えば」と帳簿を開き、印がついているページをリュシアに見せた。
僅かに目を見開いたリュシアに、「見覚えがあるだろう?」と口の端をあげる。
そのページには、ネルが頭に彫り込んでいる、ネルの母親の紋様があった。
線が二本交わるだけの、シンプルな形である。
茶色の色分けがされている。
最下位、”茶”の格付けだ。すなわち、なんの意味も持たない紋様である。
「”茶”の母から、”青”のネルが生まれた。僕の予想では、ネルの子どもは”黒”の格付けになる。どの女と交わっても、だ」
東ノ国の砂紋民の紋様には、九つの格付けがある。
上から順に、金、黒、赤、青、紫、緑、黄、白、茶。
”金”はトルーシスのような黒い紋様を指し、まだ未解読だから、”黒”は実質、最高位の情報である。
「2世代後だ。極端にシンプルな紋様の2世代後に、革新的な情報を持つ砂紋民が生まれる」
眼鏡は指先で、ネルの母親の紋様をぐるりと囲んだ。
「こういった極端にシンプルな紋様を、僕は”鍵”と呼ぶことにした」
眼鏡はそこで言葉を切ってリュシアを見た。
「鍵はここ数年、なぜかぱったりと見かけなくなった」
「……なるほど。そしたらもう技術革新は起こらない」
リュシアは呟いた。
「そうだ」と頷き、眼鏡はリュシアに紙の束を差し出した。紋様を読み解いた内容が記してある。
「僕が君に渡す情報は、これで終わりだ。もう全て予測しきった。これ以上は何も出てこない」
リュシアは衝撃を感じながらも、紙の束を受け取った。
「じゃあ、あなたは――もう紋様の研究はしないの?」
「あぁ」と眼鏡はまるでなんてことのないように頷いた。「人生は短い。他にもやらなきゃなんないことなんて、山ほどあるからな」
「例えば?」
リュシアの質問に、眼鏡は静かに答えた。
「君が最高の剣を作ったら、その情報を一般公開にする」
その言葉の通りに事は運んだ。
半年後、リュシアは眼鏡の情報をもとに最高峰の剣を作りだした。
それが話題になるやいなや、眼鏡はその製造方法を冊子にして国内にばらまいた。
国の人々や他の会社は、惜しげもなく貴重な情報を公開した、第5商会のこの男に衝撃を受けた。
第1~4商会は躍起になり、すぐに第5商会の技術を取り入れて剣を製造し始めた。
こうして、東ノ国に、最高水準の白銀鉄の技術が広まっていくことになった。
眼鏡は一躍有名となり、賞賛と尊敬の眼差しで人々から見られることになる。
このころに、眼鏡は自らの名を”ラジャト”だと名乗るようになった。
◆
燃え盛る炎を見つめるラジャトの顔をリュシアはしばらく見つめた。
短く整えた濃茶の髪。削ぎ落されたような輪郭の顔。そして、いつもどこか遠くの1点のみを見つめているようなまなざし。
――研究者というより、彼は変革者だ。
同い年なのに、はるか先にいるように思える。
リュシアはふいにラジャトの顔の眼鏡をとった。
「ちょ……っと」
ラジャトが珍しく動揺した声を出して、手で顔を隠す。
「視力、悪くなってますよね?」
「まあ、最近近くのものを見すぎてね」
ラジャトは曖昧に言葉を濁した。
「いずれ見えなくなると、どこかで覚悟してますよね? 私に言っておくべきことがあるのでは?」
リュシアの追及に、ラジャトはしばらく黙ってから「ついて来てくれ」と立ち上がった。
ラジャトは、リュシアと共に地下に降りた。
地下には、リュシアとラジャトの研究室、そして私室がある。
ラジャトは自らの私室の鍵を開けた。
小奇麗に整頓された私室の奥には、隠し扉があり、さらに地下へとくだる階段があった。階段を下り、ラジャトはまた扉を開いた。
「この部屋を君に紹介しよう」
リュシアの目が驚きで見開かれた。
たくさんの金属が散乱していた。白銀鉄や銅、そのほか見たことない金属まで。
その中でひときわ異色を放つものがあった。
黒光りする金属。
それが大量に中央に置かれていた。
「これは……」
リュシアの口から呟きが漏れた。
「これからの時代に、白銀鉄の代わりとなる金属だ。親父がつくりだした鋼鉄だ。ようやく大量生産できるようになった」
「わかりました。あなたに何かあったら私がこれを受け継ぎます」
リュシアは、その金属をそっと撫でた。
「頼む」
ラジャトの目は、恐ろしいほど真っ直ぐだった。
「親父は白銀鉄の脆弱性を訴えたが、誰からも相手にされず、借金まみれになって死んだ。戦で白銀鉄の剣が割れれば、みなその欠点に気づくはずだ」
リュシアは気づいた。――剣が割れれば、そのおおもとの製法を広めたラジャトが非難を浴びることになる。
「あなたはお父さんを愛しているのね」
ラジャトは僅かに目を細めた。
「いや。ただ、憎んでいるんだ。父さんを愛せなかった自分を」
「……」
リュシアはラジャトの言葉の意図を推し量ろうとした。
そんな雰囲気を変えるかのように、ラジャトは言った。
「そういえば。ネルが今日、こっちに戻ってきたらしいな。街で噂になっていた。西ノ帝国の王を暗殺したと」
「そうですね」
淡白な口調で応じるリュシアに、ラジャトは励ますように言った。
「きっとネルは君に会いに来てくれると思うよ」
「どうでしょうかね」
寂しそうに微笑んだリュシアに、ラジャトは苦笑した。




