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第42話 若王

鮮血(せんけつ)が寝台(しんだい)を染めている。


「こんなに簡単に成功するなんて! さすがだね」

シェムリは今まさに隣(となり)で寝(ね)ていた男が、首をとばされたにも関わらず、嬉(うれ)しそうな声をあげた。


「のん気なことを言ってないで服を着ろ。早くここを出るぞ」


「えぇ~、私の自慢(じまん)の体、もっとよく見てくれてもいいんだよ?」

口を尖(とが)らせたシェムリに、「相変わらずだな」とため息まじりに言ったあと、少し間をおいてから口を開いた。


「シェムリ。お前が王に毒を盛ったり、寝室(しんしつ)の場所を教えてくれなければ成功しなかった。感謝する」


その言葉に、シェムリは本当に嬉(うれ)しそうに微笑(ほほえ)んだ。

傷(きず)が差し出した服を「地味だなぁ」と言いながらも素早く着はじめる。


シェムリに背を向けて、王の首の後処理をしながら問いかけた。

「どうやって毒を盛ったんだ?」

王には、深い昏睡状態《こんすいじょうたい》に陥《おちい》っていた。枕元(まくらもと)の酒には毒が入っているようには見えない。


服を着終わったシェムリはこちらに回り込むと、得意げに口を少し開け、その中を指さした。

無色無臭(むしゅう)でパッとは分からないが――


「紫煙花(シエカ)の毒か?」


シェムリは頷(うなず)き、屈託(くったく)なく笑った。

「私は砂紋民(ヌルム)だから大丈夫(だいじょうぶ)だけど、王は帝国民(ていこくみん)だから紫煙花(シエカ)に弱いの。飲食物はみんな毒味されるし。この方法が一番」


「……なるほど」

神妙(しんみょう)な顔で頷(うなず)いた。首をかしげている傷(きず)に、シェムリはにこりと笑って説明する。


「毎日、私の唇(くちびる)と口の中に紫煙花(シエカ)の毒を塗(ぬ)ってたの。口づけをする度に、王に毒が蓄積(ちくせき)されるってわけね。今晩は特にアツい口づけをしたのよ」


シェムリは微笑(ほほえ)みながら、首から上だけになった王の頭をそっと抱(いだ)き、唇(くちびる)を重ねた。


「かわいそうな王さま。ずっと私のこと忘れないでね」


俺の顔と、いつも滅多(めった)に表情を動かさない傷(きず)の顔までもがひきつった。




「で、他の女たちは?」

気を取り直して尋(たず)ねると、シェムリは肩(かた)をすくめた。


「みんな、東ノ国の手の者だとバレて殺されちゃった」


一瞬目(いっしゅんめ)を見開いた。

王の暗殺を狙(ねら)うにあたって、”密偵《みってい》”として、東ノ国からたくさんの女たちが送られた。


目的は王に取り入り、暗殺の手引きをすることである。

西ノ帝国(にしのていこく)の宮廷(きゅうてい)暮らしも味わえるし、暗殺が成功すれば、山ほどの報奨金《ほうしょうきん》が手に入る。そんな華(はな)やかな話に多くの女が自ら希望して東ノ国に行ったが、実際は厳しい世界だったようだ。


「……よくお前は殺されなかったな」


「まあ、いろいろと上手くやったし。あと、あなたにまた会いたかったんだ」

シェムリが魅惑的《みわくてき》な笑顔を浮かべて、パチリと片目をつぶった。


「……」

まずい食べ物でも食べたような顔になった俺に、傷(きず)が少しだけ口元を緩(ゆる)めた。


「あとは、若王(わかおう)だな」

呟(つぶや)くと、シェムリは意外そうに眉(まゆ)をあげた。


「若王(わかおう)も殺すの?」


「いや。使えそうだったらこちらに引き込むよう頼(たの)まれた。お前の意見はどうだ?」


「多分使えるわ。今は父親の影(かげ)におびえてるけど」


「そうか」

ひとつ頷(うなず)き、傷(きず)に合図をした。






    ◇






目を覚ますと、そこは慣れ親しんだ王宮の私室ではなかった。

明かりの差し込まない、暗く、狭(せま)い部屋。

頭が妙(みょう)にぼんやりとした。


「お目覚めですか、若王(わかおう)様」

低い声がした方を見て驚(おどろ)いた。顔に酷(ひど)い火傷の跡(あと)がある女が座っている。

王宮の召使(めしつかい)の服装をしているが、その雰囲気(ふんいき)は歴戦の騎士のようだった。


「あなたは――」

言いかけて、自分の身に起こった出来事を思いだした。

いつものように扉(とびら)を叩(たた)いて入ってきたシェムリ。だが、続いて入ってきたのは、東ノ国の軍服を着た軍人だった。

声をあげる前に、軍人の手刀《てがたな》をくらって倒(たお)れた。


視界の端(はし)に、困ったような顔を浮かべたシェムリがいた。

――シェムリに裏切られたのか。


いや。シェムリは最後に私に抱(だ)きつき、「ずっと忘れないでね、私のこと」と言った。よく分からない。

たしかにシェムリのことは忘れないだろう。王宮の中で初めて心を許せた者だった。


「私はこれから東ノ国の人質になるのか」

目を眇(すが)めて女を見ると、驚(おどろ)いたことに女はいいえ、と首をふった。


「私たちは西ノ帝国(にしのていこく)側の人間です」


……私を政争の道具に使おうという魂胆(こんたん)か。

くだらない。


「お前たちの望むように振舞(ふるま)おう。だが、その前に私を塔(とう)の書庫守(しょこもり)に合わせてくれないか」

あの魔窟(まくつ)のような王宮からせっかく自由になれたのだ。半ばやけくそで言った。


女は目を丸くして、しばらく黙(だま)ってから――「分かりました」と意外にも了承(りょうしょう)した。






その後、女は私を女人《にょにん》に仕立て上げると深夜に塔(とう)へと向かった。

名を捨てたらしい。自らを”傷(きず)”と呼んでくれと言った。


傷(きず)は瞬(またた)く間に弓矢で足場を作ると私をひょいと背負い、そのまま身軽に塔(とう)を登っていく。

背負われるなどなんとも情けないが、私の足では到底(とうてい)この塔(とう)に登れなかっただろう。





塔(とう)。

たくさんの文献(ぶんけん)が集積されている、帝国(ていこく)の心臓部と言ってもいい場所だ。


1年前、ここで私はとある衝撃的(しょうげきてき)な事実を知った。


白銀鉄(はくぎんてつ)の製法は、神託《しんたく》によって得られるのではない。砂紋民(ヌルム)の紋様(もんよう)から得られるのだと――。






    ◆






15の年。成人まであと1年を迎(むか)えた私は、父上と共に初めて神託ノ儀(しんたくのぎ)を執(と)り行った。

帝国王(ていこくおう)は毎年、この神託(しんたく)で白銀鉄(はくぎんてつ)の作り方を神から得る。故に、この儀(ぎ)は王にとって非常に重要なものだった。


夕暮れ時から真夜中まで、王宮の奥(おく)の秘められた小部屋で、ひたすら誦句《しょうく》を暗唱した。

父上は、「お前にも神の声が聞こえただろう」と言っていたが、私にはまるで何も感じなかった。


「父上はどんな内容を聞いたのですか?」

尋(たず)ねても言葉を濁(にご)された。


……おかしい。

この様子では、神託(しんたく)で何かを得ているようには思えない。

ならば神託(しんたく)で王が得るとされる、白銀鉄(はくぎんてつ)の作り方は――この国を支える冨の源泉は、どこから得られるのだ?


父上はそんな私の思いを知ってか知らずか、ただ「来い」とだけ言って、神託ノ儀(しんたくのぎ)が終わると、小部屋を出て歩き始めた。

ついていくと、塔(とう)へとたどり着いた。


厳重に封(ふう)じられた入口の鍵(かぎ)を開けると階段が現れた。

最上階まで続くその長い長い階段を、父上は贅沢《ぜいたく》な食事でよく肥えた体を重そうにしながら登っていった。


私は父上にあわせてゆっくりと歩を進めながら、塔(とう)の中に所狭(ところせま)しと並ぶ本棚(ほんだな)に目を奪(うば)われていた。

あらゆる分野の本がびっしりと並んでいた。


次の階に進むには、鍵(かぎ)のかかった扉(とびら)をいちいち開けなければならなかった。

扉(とびら)を開くたびに、本棚(ほんだな)に並ぶ本は特定のジャンルに偏(かたよ)っていった。


――砂紋民(ヌルム)についてだ。

背表紙に目を凝(こ)らし、タイトルを読んだ。砂紋民(ヌルム)の紋様(もんよう)について書かれた本が多くを占(し)めていた。


塔(とう)の上部へと進むと、本棚(ほんだな)にびっしりと並ぶのは本ではなく、何かの帳簿(ちょうぼ)のようなものに変わった。

背表紙に書かれている文字は複雑で読めなくなった。

本棚(ほんだな)に入りきらずに平積みされているそれを、階段から落ちないように手を伸(の)ばして取り、中を見て驚(おどろ)いた。

砂紋民(ヌルム)の紋様(もんよう)がびっしりと記録されていた。


父上は私の様子に構わず、ただひたすら、ぜぇぜぇと息を切らし階段を登っていく。


最上階へとついた。

父上は最後の鍵(かぎ)を開けた。


その扉(とびら)の先には――もう階段はなかった。

代わりに純白の部屋の中で、緑色の長衣《ちょうい》を身に纏《まと》った二人の男がひれ伏(ふ)していた。

彼らが選ばれた書庫守《しょこもり》なのだと直感した。


父上は二人が差し出した書簡《しょかん》の束を「ご苦労」とだけ言って受け取った。

もときた階段へと戻(もど)ろうとする。


「父上! お体が心配です。私が持ちます」

声をかけると、父上は汗(あせ)をたらしながら「助かる」と言ってそれを私に渡(わた)した。

ずっしりとした重みがあった。


手すりに縋《すが》りつき階段をおり始めた父上にちらりと目線をやってから、その書簡を開いた。

――そこには、何かの製法が事細かに書かれていた。


思わず身震(みぶる)いした。

これはおそらく、白銀鉄(はくぎんてつ)の作り方だ。


こちらを射貫(いぬ)くように見ていた一人の書庫守(しょこもり)と目があった。

灰色の髪(かみ)に灰色の瞳(ひとみ)の男だ。凛(りん)とした雰囲気(ふんいき)がある。


「神託(しんたく)など、いつわりだったのか」

私のつぶやきに、その書庫守(しょこもり)は頷(うなず)いた。彼に問うた。


「教えてくれ。本当は砂紋民(ヌルム)だったのか?」

書庫守(しょこもり)たちが住まう純白の部屋に視線を走らせる。びっしりとその部屋を埋(う)める本棚(ほんだな)には、紋様(もんよう)の帳簿(ちょうぼ)が所狭(ところせま)しと並んでいた。


「砂紋民(ヌルム)の紋様(もんよう)こそが、この国を支える白銀鉄(はくぎんてつ)の作り方を――」

そこまで言って私は愕然《がくぜん》とした。


「……我らは砂紋民(ヌルム)にひどい仕打ちをしているではないか」

その時、父上が階下から私を呼ぶ声が聞こえた。なかなか来ないのを不審(ふしん)に思ったらしい。


「ご明察《めいさつ》のとおりです、若王(わかおう)様。来年もお待ちしています」

灰色の瞳(ひとみ)の書庫守(しょこもり)は、そう言った。

後ろ髪(がみ)をひかれつつ、その部屋を出て父のもとへと階段をかけおりた。



それから私は様々(さまざま)な書簡を秘密裏に集め始めた。

シェムリも協力してくれた。父上に自由な外出や交流の機会を奪(うば)われていたから、シェムリの協力は助かった。

書簡から知りえる国内や隣国(りんごく)の情報は、大臣たちから聞くものとは大きく異なった。

――間違(まちが)いなく、このままではこの国は東ノ国に滅(ほろ)ぼされる。


そう思わずにはいられないほど衰退(すいたい)していた。

どのようにすれば、衰退(すいたい)を止められるのか。それを書庫守(しょこもり)に聞きたかった。

砂紋民(ヌルム)の紋様(もんよう)を読む彼らなら、何か答えを知っていると思ったからだ。







「では、入りますよ」

傷(きず)の声で我に返った。気づけば、塔(とう)の最上階にある、小窓までやってきていた。

足場は秀逸《しゅういつ》で、小窓へ楽に入れるように作られていた。


私が頷(うなず)くと、傷(きず)は窓枠(まどわく)をガタガタとゆすっていとも簡単に外し――私を背負ったまま、ひょいと塔(とう)の中へと入った。






    ◇






「……あなたは」

俺は信じられない思いで、突然窓(とつぜんまど)から入ってきた、完璧(かんぺき)に美しい娘(むすめ)に変装した若王(わかおう)を見つめた。


「若王(わかおう)様はあなたに聞きたいことがある、ということだ」

傷(きず)――虚華亭(きょかてい)の密談部屋でネルと共にいた女だ――が窓枠(まどわく)を元に戻(もど)しながら、静かに言った。


若王(わかおう)は俺の前に座し、真っ直ぐこちらを見て口を開いた。

「東ノ国の白銀鉄(はくぎんてつ)は、最高峰(さいこうほう)の水準に達したらしい。もし今、戦争になったら確実に負ける。何か策はあるか」


驚(おどろ)いた。

きちんと状況(じょうきょう)を把握(はあく)している。

大臣たちは己の利得のために、情報を制限していたはずなのに。


部屋の隅(すみ)で素知らぬ顔で紋様(もんよう)の帳簿(ちょうぼ)を読んでいるキリルも、一瞬眉(いっしゅんまゆ)をあげたのが分かった。


1年前に会った時も同じ感想を抱(いだ)いた。

――この若者は、良い王になる。


「ひとつだけ、策があります。決して他言《たごん》しないと誓(ちか)えますか」

声を低くして尋(たず)ねると、「誓(ちか)う。教えてくれ」と若王(わかおう)はぐいっとこちらに身を寄せた。


耳元でささやいた。

「あなたが王になり、この国を変革するのです」


若王(わかおう)が大きく目を見開いた。

「……無理だ。私には」


「可能です。我らをお信じください」






     ◇






計画を話し終わった時、若王(わかおう)はしばらく放心したようになっていたが、やがて絞(しぼ)り出すように言った。

「分かった。ほとぼりが冷めるまでその東の辺境の地に行き、”英雄(えいゆう)”とやらが来るのを待とう」


傷(きず)が静かに言った。

「私がご案内します」


「頼(たの)む」

若王(わかおう)は頭を下げると、しばし黙(だま)り込んだ。

塔(とう)を出る準備を始めた傷(きず)に近づき、若王(わかおう)に聞こえない声で尋(たず)ねる。


「なぜわざわざ危険を冒(おか)してここまで来た。君が計画を話して、そのまま辺境の地に連れて行く手はずだっただろう」


「……若王(わかおう)様はあなたを信頼(しんらい)しているようでしたから」

傷(きず)がふっと微笑(ほほえ)んだ。


ドキリとした。

やはり。昔、あまりにも恋焦(こいこ)がれた人にそっくりだ。

思わず尋(たず)ねた。


「あの、その火傷は――」

傷(きず)は一瞬(いっしゅん)動きを止めたが、何も答えずにさっと背を向け、若王(わかおう)と一緒(いっしょ)に窓から出て行った。


……そうだ。君は高いところが得意だったんだ。


 雷(かみなり)に打たれたようになりながら、若王(わかおう)と傷(きず)が塔(とう)を降りていくのを見つめていると、キリルがからかうように口の端(はし)をあげた。

「あの黒髪(くろかみ)の女の子――レオラだっけ?に怒(おこ)られるよ? 毎年のように逢瀬《おうせ》を重ねていたのにさ」


「……そういう関係ではないと言ってるだろう」

レオラとは唯一外出(ゆいいつがいしゅつ)が許される祭りの日に、虚華亭(きょかてい)で秘密裏に会っているだけの間柄(あいだがら)だ。


「そうだよね。1年間、必死に解読した紋様(もんよう)の情報を渡(わた)してたんだよね」

キリルはなんてことのないように言った。


……気づいていたのか。

いや、キリルのことだ。ずっと前から気づいていたに違(ちが)いない。見て見ぬふりをしてくれていたのか?


「でも、あまりに東ノ国は発展しすぎだったね。僕(ぼく)も驚(おどろ)いた」

かすかにいたわる雰囲気(ふんいき)がある。キリルなりに気にかけてくれたのだろうか。

実際、あれだけ骨身を惜(お)しんで解読をしていたのに、東ノ国に遠く及(およ)ばなかったことは、内心、堪《こた》えていた。


ネルから聞いた話では、東ノ国では、砂紋民(ヌルム)を紋様(もんよう)の格付けごとに分けて子を産ませ、情報を得る、という恐(おそ)ろしいことが行われているそうである。

だが、それだけであのような技術の最高点へ、こんなにも早く到達(とうたつ)できるだろうか?

それに、その技術が秘匿(ひとく)されずに国全体に広まっているなんて……


「向こうには、天才がいるんだ。僕(ぼく)も負けてはいられない」

キリルの目は帳簿(ちょうぼ)に向けられている。


ヒスタロスとレオラ。

二人の黒い紋様(もんよう)を写し取ることに成功したらしい。トルーシスには断わられたようだ。


「じゃあ僕(ぼく)は、これから本腰(ほんごし)を入れて解読に入るから」

キリルは自室へと引きこもった。


俺は一人もの思いにしずんだ。

トルーシスは計画を引き受けてくれたが、内心はどう思っているのだろうか。

昔、あれほど裏切られたのに、またこの帝国(ていこく)のために戦ってくれと言っているのだから。


申し訳ないが、やってもらうしかない。

もうどうしようもないくらい、この帝国(ていこく)は沈(しず)んでしまったのだから。

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