第40話 外出
そのころ。
帝都の中心で高くそびえる塔の最上階で、書庫守のデイトンは帝国報の号外を凝視していた。
『ルフラン死亡。闘技場、廃止へ』
大きい見出しが踊っている。
記事には、試合から剣奴たちが逃走したこと、闘技場の主催者のルフランが自室で遺体となって発見されたことが書かれていた。収支の悪化もあり、闘技場はこれを機に廃止になるという。
『ルフラン殿は、今回の責任を取って自害をした様子。逃走した剣奴たちを許すな。捕らえたものには金貨3枚!』
煽情的にそう書かれていた。帝国報は、帝国にとって都合のいい内容しか載せない。
ならば――。
レオラが動いたのだろう。全く、恐ろしい娘だ。
明日は祭りの日。俺らが外に出られる、唯一の日だ。しっかり情報交換をせねば。
相変わらず紋様の帳簿と睨めっこをしている同僚のキリルに尋ねる。
「なぁキリル、お前は明日の外出、どうするんだ?」
「いつも通りさ」
淡々とした答えが返ってきた。
キリルは毎年、祭りの日には朝早くにどこかに出かけ、夕方に戻ってくる。
帳簿を閉じて自室へと入ろうとするキリルに声をかけた。
「明日、俺もお前について行っていいか。毎年、昼間は時間を持て余すんだ」
俺の言葉にキリルはぴたりと足を止めた。
「別に何も楽しくないけど、いいの?」
背を向けたまま、尋ねてくる。
「でもお前にとっては楽しみで、毎年行ってるんだろう? ならば行ってみたい」
キリルはさっと振り向いて、パチパチと瞬きをした。
かと思うと、「じゃあ夜明け前に。汚れてもいい服装で。僕は少しだけ寝るから。寝坊は厳禁だから」と早口で言い、すぐに自分の部屋に入ってしまった。
◇
「ミケ!」
キリルは部屋に入るなり、部屋の中にいた猫に呼びかけた。
まだら模様のキリルの飼い猫が嬉しそうにじゃれつく。
キリルはミケを抱き上げて寝台に座った。
「明日、デイトンが一緒に行ってくれるってさ」弾んだ声に、ミケがミャーと鳴いた。「でも、大丈夫かな。あの森に耐えられるといいんだけど」
キリルは心配そうに呟いた。
◇
翌日。
早朝にキリルと一緒に塔を出発し、ひたすら馬を駆ると、昼前にうっそうと茂る森についた。
ついてきた見張りの兵士はそこで馬を止めたが、キリルは躊躇わず森の中へと馬を乗り入れた。
「見張りの兵は、この森の毒を恐れてるのさ。きみもヤバくなったら言ってね。紫煙花の中毒死はそこそこ楽な死に方だけど、死ぬのは嫌でしょう?」
確かに森の中には、紫色の鮮やかな花――紫煙花が咲き乱れていた。
「大丈夫だ。前に森に入った時もなんともなかったから」
懐かしい。ネルの成人ノ儀のことが、今や遠い昔のように思える。
「へぇ?」
キリルは眉をあげた。
幸い、何事もなく目的地へと到着した。
そこは、険しい岩山だった。
緑色のツタが生い茂るごつごつとした岩肌を数時間かけて登ると、キリルは山頂にある小さな石碑に手を合わせた。
形の良い白い額には汗が浮かんでいる。
「何の石碑なんだ?」
だいぶ風雨を受けてかすれているが、文字が彫り込まれている。”ヘブライ”と読み取れる。
「父上の墓さ。この山が好きだったんだ」
どこか昔を懐かしむような顔。
……こんなに人間らしい表情を初めて見た、とは言わないでおいた。
「じゃ、きみは適当に休んでて」
おもむろに懐から巾着袋をとり出すと、なにかの種をあたりにまき始めた。
「手伝うよ」
俺の言葉に、キリルは驚いたように目を見開いた。
小一時間ほどかけて、袋いっぱいに入っていた種を二人でまき終えた。
「なんの種なんだ?」
尋ねると、キリルは石碑の近くに生えている、ツタのような植物を指さした。
「育つとああなる。紫煙花だ」
山頂に登るまで何度も足をとられた、この岩山にびっしりと生えていた植物だった。
「え?」
思わず聞き返した。花など咲いていないし、普通の紫煙花とはずいぶん見てくれが違う。
「岩山に根付くために適応したんだ。それに、ここは標高が高いから花は咲かない。中腹から麓にかけては夏に咲くけど」
「へぇ。おかげで登りづらくてたまらなかったよ」
「ひどいこというなよ。父上が愛した植物なんだから」
キリルはぽつり、ぽつりと昔のことを語った。
もともとこの岩山は、全く植物の生えない場所だったという。
キリルの父は暇さえあればこの山に行き、紫煙花の種を植えていた。幼いキリルはそれを手伝っていたという。
少し感慨深い気分になった。
この紋様の解読に命をささげる風変わりな青年は、どんな子ども時代を過ごしたのだろう。今日も涼しい顔で馬を操る姿が意外だった。
……にしても。
こいつは今もなお、貴重な外出の日に父をしのんで、花の種を植えているのか。
「親孝行だな。父上はきっと喜んでいるぞ」
思わずそう言うと、キリルは一瞬動きを止めた。
「ま、まあ、外出っていっても特にやることはないからね。体力づくりだよ。そうだ、疲れ果てた君にいい場所を案内しよう」
心なしか頬を赤く染めながら、キリルはすたすたと歩き出した。
「これは、生き返るな」
俺たちは、温かい湯に足を浸していた。疲れた足がほぐれていく。あたりは白い湯気が立ち込めていて幻想的だ。
「ここも僕の父上が作ったんだ」
キリルが足をぶらぶらとさせると、湯がちゃぷちゃぷと音をたてた。
腰をおろして休めるように木製の長椅子が置かれている。古びているが心地の良い場所だった。
キリルは昔を懐かしむように続けた。
「すごかったよ。不思議な機械を使って地面を掘ったんだ。そしたら熱湯がぶわっと出てきてさ。ずっと隠れて見てた」
……椅子じゃなくて、この広大な湯の湖を作ったのか。キリルの父上は一体、何者だったんだ。
俺の心中をくみ取ったのか、キリルは笑った。
「父上はね、東ノ国で一番の発明家だったんだ」
「すごいじゃないか」
ならばどうしてキリルは今、西ノ帝国にいるんだろうか。そこは詮索しなかったし、キリルも言わなかった。
「そういえば君、そんな腕輪つけてたんだ」
キリルが俺の左腕をちらりと見て言った。
「あぁ。俺の家には、代々伝わる腕輪をつける風習があるんだ」
湯に足をつけるために、邪魔な書庫守の緑の長衣は脱いでおり、二の腕の腕輪がむき出しになっていた。
複雑な彫り込みの入った、重厚な腕輪である。
「ふーん」
キリルにも、腕輪に刻まれている家紋が見えただろう。だが、名家の男がなぜ書庫守をしているのか、キリルは何も聞いてこなかった。
「帰ろうか」
しばらく湯の温かさを味わったあと、キリルは立ち上がった。
「あぁ、いい場所だったな。ありがとう、キリル」
そう言うと、キリルはふん、とそっぽを向いた。
「僕は少し休むよ。きみは例の彼女と楽しんできてね」
夕暮れ時。塔へ戻って一息つくと、キリルは自分の部屋に入ろうとした。
「お前も来ないか? 黒い紋様の砂紋民に会えるかもしれないぞ」
今日は、トルーシスがくる可能性が高いはずだ。
「……なに!?」
思った通り、キリルが食いついた。
夜も更けたころ。
キリルと二人で虚華亭へと入ると、密談部屋に通された。
俺たちが一番早くついたようだ。
中央の長テーブルと椅子には、まだ誰も座っていない。
適当な席に座り、がらんとした部屋で皆を待っていると、ガチャリとドアがあいた。
「やぁ」
姿を現したのは、ニックだった。ラフな私服姿である。
小洒落た質の良い服を来て、金髪を後ろになでつけ、綺麗に整えている。
『久しぶりだね。おや、今日は君だけじゃないんだね』
さっと俺の隣に座ると、いつもと変わらない笑みを浮かべ、机を指先で叩く。
騎士団で、師団長以上に昇進すると”塔番”の任が回ってくる。
書庫守に食料を渡し、変わりがないかを確認する一週間の任務だが、ニックはその時にこの指言語を面白がって習得した。
『あぁ。今日は友人を連れだした』
持ってきた紋様の帳簿を暇そうにめくっていたキリルが一瞬、動きを止めた。
『へぇ、良かった。一人で孤独に紋様と向き合ってるんじゃないんだね』
ニックが茶化すように笑った。
『まあな。お前の調子はどうだ』
話題をニックに向ける。
『あぁ。明日、正式に第4師団長になる』
なんてことのないように言うが、ニックがこれまでに多くの困難を乗り越えてきたことを俺は知っている。
『すごいな、お前ってやつは。心から祝福するよ』
力強く指を叩くと、ニックはふっと微笑んで、『今日は懐かしい顔が来ているよ』と後ろを振り返った。
「デイトン。久しぶりだな」
入ってきたのは、かなり長身の青年だった。
均整のとれた、鋼のような体つき。頭には、朱色の入れ墨。もしかして――
「ネルか?」
思わず、ガタンと立ち上がった。
……あ。
しゃべってしまった。表向きには舌を抜かれ、耳をつぶされているというていだったのだが。
「やっぱりきみ、聞こえてるししゃべれるよね」
ニックがくすくすと笑った。「この場だけ、普通に話したら?」
……そうすることにした。
普通にコミュニケーションをとれることはこの上なく便利だった。
驚いたことに、ネルは東ノ国の軍にいるらしい。
続いて傷という女が影のように入ってきて、壁際に佇んだ。
東ノ国から来た、ネルの仲間だという。
どこか見覚えがあるが、思いだせない。よく顔を見たいと思っても常に顔を伏せていて、見れないのだ。
「さぁ、あとは主役たちだね」
ニックは、重厚な長テーブルの、残り2つの空席を見やった。「レオラと一緒にトルーシスはきっと来るよ。楽しみだね」
口の端をあげたニックに、皆が頷いた。




