第38話 救出
「怖い。怖いよぉ」
地下通路の中で、ヒスタロスが僕にしがみついてくる。
前を歩くレオラが呆れたような表情を浮かべた。
「あなた、暗いところが苦手なの?」
「そうなんだよ。目があんま見えなくなるし……それに怖い。助けくれよ、兄ちゃん」
ヒスタロスが僕の左腕を、図太い両腕でぎゅっと抱きしめる。
ヒスタロスはひとまずそのままにしておき、レオラに尋ねた。「で、どうやって騎士と戦うつもりだ?」
レオラは強い光を目に宿して言った。
「私が槍で援護する。あなたは剣をひたすら割って」
「それだけで成功するか?」
レオラは深く頷いた。「大丈夫よ。ダグラスやルカ、それにヒスタロスもいるし」
「そうそう、俺もいるし」
ヒスタロスが横から弱々しく呟いた。
◇
そのころ。
闘技場の地下では。
耳にピアスをつけた番人は、トルクを見つめ、心の中で深くため息をついた。
右肩――利き手がある方の肩だ――にざっくりと深い傷を負っている。
観衆からは服で見えない。
まったく、酷いことをしやがる。というか、事前のルフランの言いつけ通り、さっき俺がつけた。なるべく腱や関節をいためないようにしたが。
足には、重い鉄の足枷がまとわりついていて、かなり動きは制限される。
……まったく。これじゃ処刑じゃんかよ。
ルフランはトルクたちが憎くてたまらないのだ。だが、今日は不思議なことにルフランの姿が見えない。
俺は口を開いた。
「あきらめるなよ。お前らを救いたいってやつが試合開始と共に来てくれるはずだ」
「気休めを言うな、番人。そんな奇跡なんて起こるはずない」
トルクは笑った。この5年で兄のザルクよりも背が伸び、細かった体も見違えるようにがっしりとした。よく光る青い瞳で闘技場を見据える。
「でも、僕は最後まであきらめない。美しく死ぬよ。兄さんみたいに」
トルクの剣は、包帯で右手に固く縛り付けられている。腕に力がはいらなくても剣を握れるようにするためだ。
さっき、お願いされて俺がやった。
「仲間たちのことだけが悔やまれるな」
トルクは顔を曇らせた。
「いや、みんな好きでお前についていくんだ。さっきは晴れやかな顔をしてたぜ」
これは、気休めではなく本当のことだ。まったくもってトルクはすごいやつだと思う。
「そうか。……なぁ、番人」
トルクは少しだけうつむくと顔をあげ、俺に問うた。
「僕はこの闘技場をなくすことに、一役買えたかな?」
「もちろんだ。このままいけば数年以内になくなるだろ。俺たち番人の給料は激減だし、暇を出された者もいる。……仮にお前らが死んでも、剣奴たちはもう知ったからな。この闘技場に対抗するすべを」
その言葉に、トルクは心底嬉しそうに微笑み、表情を引き締めて闘技場を見つめた。
その横顔を見て思わず俺は微笑んだ。
「ザルクとよく似てるぜ」
その青い瞳はただただ、澄んでいた。
◇
闘技場に、試合の開始を告げる太鼓が響いた。
と言っても戦いというより、一方的な殺戮だ。
番人である俺は、ただ見ていることしかできない。
剣奴たちに、白い隊服を来た騎士たちが一斉に襲いかかる。
みな剣を抜いて立ち向かっているが、勝敗は目に見えている。
トルーシスがいたら。
その想いがぬぐえない。
あいつは不可能を可能にした。
騎士に、ボロボロの銅剣で立ち向かって、白銀鉄の剣を割ったんだ。
それをザルクが援護していた。ザルクは剣を割れなかったが、いい動きをして、トルーシスの危ない場面を何度も救ったんだ。
あのとき、二人は確かにここを生きて出れると信じ、それに向かって動いていた。
……ザルクが先にやられたんだったな。
ザルクが深手を負った時のトルーシスの表情が脳裏にこびりついている。
絶望と、自分が身代わりになれたらというような眼差し。
トルーシスはそこから、めちゃくちゃに剣を振るって騎士を殺していった。
それがなければあんなに悪評が立つこともなかったのだろうが……
俺は頭を振って雑念をとばした。
トルクの最期を見てやらねば。
トルクは、兄のザルクよりも正直剣の腕は劣る。
だが、その信念の強さは兄以上かもしれない。
その時、俺の立っている床がバキバキと音を立て始めた。
……きたよ。本当に。
信じられない思いでいると、床の一角が壊れ、黒髪の娘が顔をのぞかせた。
危ない賭けだが乗った甲斐があったな。
そう思いながら、今閉めようとしていた、闘技場へとつながる扉をそのままにした。
「番人! 感謝するわ!」
娘は小声で言うなり、素早く俺の腹を斬った。
……さすがだ。致命傷にはならないが、なかなかに出血が酷くてやられた感を出してくれる場所だ。
「うわぁ! 何者だ!!」
俺は叫んだ。
「たいした演技力ね」
笑って走り抜けていく。そのあとに屈強な男や青年たちが続いた。ふと、身に覚えのある顔に目がとまる。
「……トルーシス?」
俺の声に、その青年は反応した。ハッとこちらを見て、すぐさま目を伏せ――ぺこりと礼をした。
それから一行は、闘技場の中へ乱入すると、圧倒的な強さで騎士を倒した。
ものの5分とかからなかっただろう。
そして、トルクと剣奴達を連れて、また地下通路へと姿を消した。
「ザルク、良かったな」
今は亡き青年は空の上で見ているだろうか。「――やっと昔のトルーシスが戻ってきたぞ」
瞬く間に銅剣で剣を砕くその姿は、圧倒的だった。
黒髪の娘の槍も素晴らしかったが、トルーシスがいなければ、この救出劇は成功しなかっただろう。
ややその表情は暗かったが、前に進んでいることには間違いない。
腐ってないかずっと心配していたが――。
カヌラに手紙でも書いてみよう。そう思った。
◇
剣奴たちとともに闘技場からいつもの”隠れ家”に戻ると、自然と酒の席になった。
みな和気あいあいと酒を酌み交わしている。
「かっこいいですねぇ。永遠に僕の憧れなんです」
ほろ酔い気分でにこにことしているトルクの視線の先には、トルーシスがいる。
肩を震わせて昔のことを謝るダグラスとルカに、「気にしなくていい」と控え目に応じていた。
「すごかったわよねぇ。あんな風に剣を砕くなんて」
人間離れした動きだった。高く跳躍し、重力を味方につけて剣を割る。尋常じゃない。
「でも、あなたもすごいわよ。闘技場で、荒れ狂う剣奴たちをまとめ上げてたんでしょ?」
トルクが私たちの仲間に加わる意思を示すと、剣奴たちは皆、トルクにならった。人望の故だろう。
「いや。ガレンがいなければ僕は何も出来なかった」
真剣な口調で呟くと、「おーい、ガレンー!」と明るく呼びかけ、部屋の隅で1人、腕を組んで壁にもたれかかっていた青年を呼び寄せた。
げ。
内心でひきつり笑いをする。さっきから私に睨みをきかせていた青年だ。
長い黒髪を後ろで一つに結び、やや浅黒い肌に、鋼のような体躯を持つ。
纏う闘気からして、剣奴たちの中で一番強い。トルクよりも強い。
――そして、私の仲間たちの誰よりも強い。私とトルーシスを除いて。
「ガレンだ」
青年はそういうと、私と距離をとって座り、ぐいっと酒を呷った。
それ以降、言葉は発さない。
仕方なく私はガレンの空になった杯に、酒を注いだ。
ガレンはやや驚いたようにしてから、私をじっと見つめ、尋ねた。
「歳は?」
「ガレン、初対面の女の子にいきなり年齢を聞くのは……」
控え目に言うトルクに「うるせぇな」と呟き、「じゃあ」と少し考えてからガレンは口を開いた。
「今まで何人殺した?」
光る三白眼が真っ直ぐにこちらを見つめている。
「その質問の方がもっとダメだ」
頭を抱えるトルクを横目に見つつ、私は端的に答えた。
「1247人。歳は22」
目を見開いたトルクとは対照的に、ガレンは「へぇ」と静かに言って酒を呷った。
その空になった杯に、また酒を注ぐと、ガレンはちら、とこちらを見た。。
「お前、今まで何をしていた?」
どう答えるか迷った。まだ今の仲間たちには話していない。
だが、きっとガレンにごまかしは通用しないだろう。
「帝国騎士だった」
「は?」
ガレンがあっけにとられた様子で口を開けた。トルクは驚きのあまり固まっている。
次の瞬間、ガレンの手の中の陶器の杯が音を立てて粉々になった。
ガレンが握りつぶしたのだ。鬼のような形相でこちらを睨んでくる。
「お前、あのクソみてぇな騎士団の一員だったのかよ」
女ながら騎士であったことには反応しないのか、と思いつつ、私は一歩も退かずに答えた。
「だから辞めて、今ここにいるの」
数回、瞬きをしたガレンの顔に、少しだけ理解の色が浮かび、吐き捨てるように尋ねた。
「……お前のその実力は、騎士団でつけたのかよ」
「まあ。そんなところかな」
ガレンは黙ってまた酒を呷った。自分で注ぎ足して、ぐいぐいとかなりの量を飲んでから静かに言った。
「俺は、976人。歳は19。どちらも負けだ」
そこで言葉をきり、こちらを真っ直ぐに見る。「だが、俺はお前ではなく、トルクにのみ従う」
「もとからそのつもりよ」
トルクを中心とした元剣奴集団と、私たち革命組織は協力するが別々で動く。そうトルクと先ほど話していた。
「……お前、本気でこの国をひっくり返すつもりか?」
ガレンの三白眼が細くなった。
「えぇ。そうじゃなかったら、始めないわ」
そう言うと、「馬鹿ばっかりだな」とガレンは呟いて立ち上がった。
「ねぇ、」私は思わず聞いた。「あなたも数えてるの? 人数」
「一緒にするな。お前とは違う理由だ」
ガレンはつっけんどんに言うと、「じゃ」と言って部屋の隅へと戻っていった。
「ガレン、たくさんしゃべっていたな」
トルクはにこりとして続けた。「……ガレンはね、傭兵だったんだ。帝国騎士に雇われて戦っていたんだって」
「なるほど」
いろいろと想像がついてしまう。きっと騎士に反発したか何かで、言いがかりをつけられ闘技場に売られたのだろう。
「あんな態度だったけど、レオラのことをかなり認めていると思う」
トルクは1人で納得したように深く頷いてから、微笑んだ。「それに、すごくいいやつなんだ」
それから、元剣奴たち1人1人を指さして、彼らの簡単な略歴と性格、そしていかに優れた人物かを嬉々として語っていった。
トルク。まるで太陽のようだ。
あの氷のようなガレンの心も、トルクが溶かしたのだろう。
トルクの話を聞いていると、こちらまでぽかぽかと心が暖かくなるようだった。
「……トルク」
控え目なその呼びかけに、トルクがぱっと姿勢を正し、すぐさま振り返った。
トルーシスがはにかんだような、困ったような笑顔を浮かべて立っていた。ダグラスたちとの話が終わったのだろう。
「君は自分の信念を果たしたんだな。すごいことだ」
静かな、だが力強い言葉だった。トルクが息をのむ。
「良かったわね、トルク」
固まっていたトルクを肘でつつくと、トルクははっとしたように我に帰り、「とんでもない! トルーシスさんのおかげです!!」と熱い口調で言った。
トルーシスはあいまいに微笑むだけだった。
「あなたも一緒に飲まない?」と声をかけるも、トルーシスは「疲れたから」と丁重に断り、自らにあてがわれた2階の部屋へと上がっていった。
途中、酒を差し出してからむヒスタロスには、苦笑して首を振るだけだった。
◇
2階の部屋に入ると、すぐに部屋に備え付けの水場に向かった。
腹が焼けるように痛い。
――闘技場での戦闘で、傷を受けていた。
軽い傷だと思っていたが、思ったよりも痛んだ。なまっているな、と苦笑する。
体を洗い、服を着替えると、さきほどヒスタロスから強引に渡された酒を傷にかけて消毒した。
ヒスタロスは僕が手負いになったことに気付いていたのだろうか。
がさつな様でいて、思ったよりも勘が鋭い奴だ。いや、ただ何も考えていないのかもしれないが。
そう思ったとき、体がぐらりと傾いた。
……あれ?
そう思ったのを最後に、意識が途絶えた。
◇
「嬢ちゃん、騎士だったのかよ! かっけぇ!」
ヒスタロスと名乗る、トルーシスに突き従う大男は樽からぐびぐびと酒を飲みながら、陽気にはしゃいだ。
「……」
私は少し恨みがましい目でトルクを見つめたが、秘密を洩らした当の本人はすっかり酔いつぶれて気持ちよさそうに眠っている。
まあ、私が他言しないように言わなかったのが悪かった。
「そうか。やっぱりレオラは別格だな」
ダグラスがしんみり頷いた。
胸にざらりとした感情がくすぶった。
……せめて、追いつく気概を見せてほしい。
でも、それを求めるのも、今の仲間には無理な話だろう。
「ガレンもそう思うよな? な?」
ヒスタロスが聞きながら、ガレンに酒をついだ。
先ほどヒスタロスは壁際のガレンを羽交い絞めにして強引にこちらに引っ張ってきた。酒の相手が欲しかったのだろう。
みな酔いつぶれており、まだ元気なのはヒスタロス、ダグラス、ガレン、そして私の4人だ。
「……別に」
ガレンは杯を呷り、ボソッと聞いた。「あのクズな騎士団の男どもの中にいて、お前、襲われなかったのかよ」
「まあね。完璧に男装してたし」
私は不敵に笑った。
ヒスタロスが「すげぇ!」と無邪気にはしゃいで続けた。「それにしてもすごかったよな、嬢ちゃんの槍。おかげでみんな傷一つなかったぜ」
「あぁ、今回は小さな傷一つでも危ないの。騎士の剣に毒が塗ってあったから」
ヒスタロスが顔をひきつらせた。少しとぼけたようにして尋ねる。
「あれ、兄ちゃんは?」
「トルーシスのこと? もう2階で休んでるわよ。私も、部屋に上がるわ」
「へぇ、ちょっと様子見てやってよ。部屋で1人寂しく酔いつぶれているかも」
「トルーシスは酒なんて飲んでなかったじゃない」
笑って私は席から立ち上がった。ダグラスは寝落ちている。
ガレンは迷惑そうな顔をしながらも、まだヒスタロスに付き合うようだった。




