第37話 協力
気が付くと、僕の体の紋様をしげしげと眺める娘と目があった。
黒光りする瞳。レオラだ。
数秒たって、思いだした。
途中から妙に体に力が入らなくなって――負けたんだ。
「あなた、紫煙花の煙の吸いすぎで、体が痺れ出したでしょ? そうじゃなきゃ勝てなかったわ」
レオラは屈託なく笑った。
先ほど僕が握っていた、リュシアの作った剣を手にしている。おそらく、僕の体の紋様と、その鞘の紋様を見比べていたのだろう。
「……僕が誰だか分かったか?」
「えぇ、テルシヴァン。あなた、トルーシスね」
レオラは黒光りする目を向けた。吸い込まれそうな瞳だと思った。
「僕は負けた。君の命令に従う」
レオラは実に嬉しそうに微笑んだ。
そして、僕の予想通りの言葉を言った。
「じゃあ、私の仲間になって」
「分かったよ。どうせもう、どこにも行くところはないんだから」
もしかしたら僕は心のどこかで望んでいたのかもしれない。
そう命令されることを。
◇
「嬢ちゃん、まだかなぁ」
大男は隠れ家の戸棚から勝手に干し肉を取り出し、むしゃむしゃと食べながらひとりごちた。
「……なんでお前、まだここにいるんだ」
「まあまあ、そう固いことを言わずに。それよか、楽しみだな、戦い!」
ヒスタロスは能天気に声を弾ませた。
あのあと、レオラに連れられ、帝都の外れの隠れ家へと逃れた。レオラはこうした隠れ家をいくつも持っているらしい。
ヒスタロスは虚華亭の僕の荷物をまとめ、背負ってついてきてくれた。
レオラはというと、隠れ家に着くなり「ちょっと出てくる」と言い残し、そのまま姿を消してしまった。
今日は、夕刻に戦いがあるらしい。僕も参加する手はずとなっている。レオラが戻ってくるまで、ここで待機だ。
干し肉を食べ終わり、楽しそうに剣の手入れを始めたヒスタロスに告げる。
「ヒスタロス。お前の雇い主はカヌラさんだ。僕に仕える理由はない。もう虚華亭に戻れ」
ヒスタロスは口を尖らせた。
「え~、もっと俺の忠義を信頼してくれてもいいのにぃ。俺は兄ちゃんにどこまでもついていくよ」
「ついてこなくていい」
「冷たいなぁ。そんなんだと、あの黒髪の嬢ちゃんにも見放されちゃうよ?」
「……別にそういう関係では」
ヒスタロスは僕の否定に耳を貸さず、耳元に口を近づけてささやいた。「惚れているんだろ? 認めちゃえよ」
「うるさいな」
軽く睨んで話題をかえる。「というかお前、なんで上着を着ないんだ」
カヌラから服を支給されていただろうに。大男はズボンのみを身に着け、上半身をむき出しにしていた。
「いい質問だな!」
ヒスタロスがよくぞ聞いてくれたとばかりに満面の笑みを浮かべた。「俺の愛しの筋肉たちをいつでも見れるようにするためだ」
……聞いた僕が馬鹿だった。
そのとき、隠れ家の扉がバタンと開き、レオラが顔を出した。
「昨日ぶりね」
屈託なく笑う。
「何をしてきたんだ?」
いつもと同じように見える。だが、いつもと少し気配が違う。
「んまぁ、ちょっとね」
レオラは曖昧に言葉を濁した。
「ルフランを殺してきたのか?」
レオラは一瞬わずかに目を見開き、にこりと僕に微笑んだ。
「ご名答。もともと殺す予定だったし」
「え」
ヒスタロスが唖然とした。
「どうして分かったの?」
レオラが興味深そうに尋ねてくる。
「わずかに殺気を纏っていたから。それに、少しだけ血の匂いがした」
「……ちゃんと水を浴びたんだけどな」
レオラがしゅんとした。「お前、言い方気をつけろよ」とヒスタロスが口をへの字にした。
「じゃあ行きますか」
レオラは身支度を整えなおしたあと、気楽な調子で言い、隠れ家の床下を開けた。
地下通路へとつながる入口になっていた。
「いよいよだな」
ヒスタロスがにやりと笑った。
「……あぁ」
久しぶりの戦闘だ。
「二人とも、よろしくね。トルクをはじめ、闘技場の剣奴たちを助けに行くわよ」
レオラの言葉に、半年ほど前に見たトルクの姿が脳裏に浮かんだ。
◆
「見て。テルシヴァン。あれが噂の剣奴よ」
エミリーが闘技場を指さした。僕たちが座る観客席からはるか下に、1人の剣奴が出てくる。
黒い髪を後ろでひとつに結んでいる青年だ。遠目からでもその体はかなり鍛えられていることが分かる。
「あの剣奴、すごいの!」
エミリーが僕の腕にぎゅっと抱きついて笑顔を見せた。「一撃で相手を倒すのよ。その強さは闘技場始まって以来と言われているの」
「……へぇ」
思わず棘のある返事になり、慌てて表情をつくり直す。
貴族の令嬢はのんきなもんだ。こんな戦いの何が楽しいというのだろう。
「もう、妬いてるの?」
エミリーがくすぐったそうに笑う。その言葉が耳に入らないくらい、次に登場した剣奴に目を奪われた。
金髪に青い目。伸びた身長。
ザルクにそっくりだ。
――トルク。
君は、随分たくましくなった。
だが、なぜここにいるんだ?
呆然としている間に、試合の始まりを告げる太鼓が響いた。
戦いの決着がついた時、周りはブーイングの嵐だった。
「高い観覧料が無駄になったな」
「ああ。まったくつまんねぇ戦いだったぜ」
前に座っていた二人組が席を立った。いたるところでトルクに対する罵倒が聞こえてくる。
「……いこっか」
エミリーが僕の袖を引いた。「私は、みんなが言うほど面白くない戦いじゃなかったけどな」
「あぁ、同感だよ。興味深い戦いだったね」
話を合わせながら、衝撃を全身に感じていた。
――この闘技場をなくしたい。
真っ直ぐな瞳でそう言った少年の顔が思い浮かぶ。
試合中、トルクはずっと逃げ続けた。
巧みにのらりくらりと逃げ続け、飽きた観客の半数ほどがそこで席を立った。
しまいに、トルクは砂埃を立たせ、ひるんだ相手の隙を突き、打撃で倒した。
血が流れず、つまらないとされる決着方法だ。
それに、砂埃でよく様子が見えなかった。
不満の声が渦巻く中、トルクは倒れる相手に手を差しのべた。一層、観衆のブーイングが大きくなった。
剣奴に騎士道精神は求められていない。観衆は蔑む対象を求めている。
ただ、残酷にお互いを殺しあえばいいのだ。
倒れた黒髪の剣奴が、苦笑いしながらその手を取るのがはっきりと見えた。
トルク。
君は、本当に君の目標を叶えようとしているのか。
再び剣奴になり、罵倒を全身に浴びてまで。
それに、こんな戦い方をすれば、どんな仕打ちを受けるか分からないじゃないか――。
その日、トルーシスや客たちが帰った後。
闘技場の地下では。
目を開けると、潤んだガレンの黒い瞳と目が遭った。
かと思ったら途端に目をそらされた。
背には固い石の寝台の感触。
いつもの番人の治療部屋だろう。
「トルク、うまくいった。客たちは文句ばかり言って帰っていった」
黒髪を後ろで縛った、逞しい青年は顔を伏せて呟いた。名はガレン。今日戦った相手だ。ちなみに闘技場始まって以来の強者と言われている。
「そんなに僕の顔、ひどいかな」
先ほどからガレンが全く目を合わせてくれない。確かに、ルフラン直々にかなり殴られた。歯も何本か抜けてるだろう。
「そうさ。あの勇猛果敢なガレンが、片時も傍を離れない程度にはな」
部屋の奥から陽気な笑い声と共にやってきたのは、番人だった。
このピアスをつけた闘技場の番人は、医術の腕に優れている変わり者で、人目を盗んではよく僕たちを介抱してくれる。
ほらよ、と差し出された鏡を見る。
あ――、確かに。これは酷い。
顔全体が赤黒く腫れていて、ほとんど目も開いていない。もはや顔と呼べないかもしれない。
「今、僕は帝都で一番不細工な男だっていう自信があるな」
うそぶくと、ガレンに睨まれた。ややつり目の三白眼に睨みをきかされると非常に怖い。
「お前、これからも続けるつもりか、これを」
尋ねるガレンに、微笑んで「あぁ」と頷くと、ガレンはぐっと拳を握りしめた。
「気にするなよ、ガレン。僕が好きでやっているだけだ。今日の戦い、ガレンの評判も落としてしまったかもしれない。それだけが気がかりだ」
「……」
ガレンは沈黙した。何かに苛立っているように、小刻みに指先で机の上を叩く。
まあ、多分何かを考えているんだろう。
番人に顔を向けた。
「僕の次の試合の予定は?」
「トルクは1週間後だな。45勝のバルドとだ。ガレンは3日後、82勝のノジェクだ。あ、ちなみにトルク。お前は負けたことになっているから」
番人は手元の帳簿を見ながらすらすらと答えた。
「分かった」
頷き、思考を巡らす。
バルドは話せるやつだ。ひたすら逃げ回り、バルドに勝利を与える形で負ければいい。
というか、今日も僕はガレンに負けるつもりだったんだけど、と内心で首をかしげる。わざとガレンは僕に負けたのだろうか?
当のガレンは何かを考え込むようにしてぼそりと呟いた。
「次はノジェクか」
己の怒りを発散するように常に荒々しく戦う男で、観衆から人気があった。
「ガレンなら楽勝じゃないか。早く勝ってここを出ろよ」
そう言うと、なぜかまたガレンに睨まれた。
「……俺の気持ちが分かっただろう」
番人の寝台の上で体を起こしたガレンは、涙でぐちゃぐちゃになった僕の顔を見て、ふっと笑った。
「なんでこんなこと?」
ガレンの顔は僕よりも酷く腫れている。
今日、ガレンはノジェクの剣をよけ続けた。そのつまらない試合に、大勢の観客は途中で帰っていった。
ルフランは怒り心頭でガレンをひどく痛めつけた。
ガレンは静かに口を開いた。
「ずっと死んでるような毎日だった。ここを出ても同じことだ。なら、お前と一緒に命を懸けたい」
「ガレン……」
思わずその傷だらけの痛々しい手を握った。
「かっこいいな、お前は」
ため息混じりに呟くと、「……お前の方がだよ」というぼそりとした呟きが聞こえた。




