第36話 判明
次の日。
いつも通り化粧をして、営業用の上等な衣を身に着けた。
本当は今までの礼を短く告げ、虚華亭を辞めるつもりだった。
『大丈夫だ、テルシヴァン。お前は”トルーシスの弟”で通そう』
事情を伝えると、カヌラは僕の肩に手を置き、力強く言った。
『ルフランはきっと、地の果てまでお前を追いかけ、つかまえて殺すはずだ。ここにいろ』
そういって強く引き留められて今に至るが、嫌な予感がぬぐえない。
よく眠れなかった。代わりに、紫煙花の煙を大量に吸った。
そのせいか、肺がキリキリと痛む。
それでもかまわなかった。とにかく今は、痛みと煙で自分を麻痺させたかった。
身支度を終えて店に降りると、ヒスタロスと出くわした。
カヌラから支給された黒服を来て、すでに用心棒として店に馴染んでいる。
「お、兄ちゃん、昨日と印象が違うな。服が違うからか? イケてるぜ」
親指をつきたて豪快に笑う。
「てか、兄ちゃんって何の仕事してるの? そんな服じゃ動きずらいだろう? 俺みたいに用心棒じゃないわけ?」
野太い声が頭に響いて顔をしかめる。
「……もうすぐ客が来る。そうすれば分かる」
「ふーん?」
ヒスタロスが首をひねった。
17時を告げる鐘がなった。開店だ。
もうすぐ祭りということもあって、最初から多くの客が入ってくる。
「え? ……え?」
ヒスタロスが目を白黒させている間に、最初の予約客がやってきた。
最近、帝都の白銀鉄の工場で働き始めた貧しい娘だ。稼いだ金を全て僕につぎ込んでいる。
ひとつ静かに息を吐き、演じることに集中する。
「やぁ、マリア。仕事はどう? こんなに手が荒れているじゃないか」
笑顔で歩みより、あかぎれだらけの白い手をそっと両手で包んだ。娘の頬が赤く染まる。
「たしかに大変だけど、帝都の白銀鉄の工場で働くのは夢だったから。それに、頑張っていればきっと英雄様が救ってくださるわ」
また英雄の話か。心の中でため息をついた僕に気づかず、マリアは続けた。
「でも、一番はあなたなの。あなたを思うと頑張れるの。私――」
何かを言いたそうに、でも言葉にならないようで、もどかしそうな表情をする。
目の下には、化粧で隠しきれない疲れがにじんでいる。
「分かっているよ、マリア。君ほどまっすぐに僕を想ってくれる人は、正直ほかにいない。行こう」
さりげなく肩を抱いて席に案内する時、彫像のように固まったヒスタロスと一瞬だけ目があった。
◇
笑顔を浮かべたマリアが帰っていくと、ヒスタロスが僕のもとへと近寄ってきた。
「大体、兄ちゃんの仕事内容は理解した」
神妙な顔でささやく。
「そうか。軽蔑するならしろ」
「するかよ。なにか事情があるんだろ。兄ちゃんほどの者が、その腕を十二分に生かしていないなんてさ」
「……」
黙り込んだ僕を見てヒスタロスが励ますように言った。
「まあ、でも、あの娘は帰るとき幸せそうな顔をしてたな。健気ないい子じゃないか」
「……どこが。僕という都合のいい存在に縋らなければ生きれないんだ。戦いで真っ先に死ぬのはああいう者だ」
絶句するヒスタロスを置き去りにして、次の接客へと向かった。
◇
取り残されたヒスタロスに、カヌラが笑いを含んだ声で話しかけた。
「……なかなかひねくれているだろう」
「相当だな」
ヒスタロスは苦笑した。「でも俺は気に入ったぜ。あの兄ちゃん」
カヌラが目を細めた。
「本当かい? ありがたいね。テルシヴァンをよろしく頼むよ」
「あいつはここに来る前、何をしてたんだ?」
「お前もあの娘と同じことを質問をするんだね」
カヌラが目顔で示した先には、ちょうど来店したレオラがいた。テルシヴァンは迷惑そうな視線を不躾に向けている。
「へぇ。兄ちゃんが素だ。兄ちゃんの彼女?」
「どうだろうね」
カヌラの微笑みに、ヒスタロスもつられて微笑んだ。
◇
レオラは虚華亭に入ってくると、僕に駆け寄ってきた。
相変わらずめげずに通い続けてくる。
「どうだった? 昨日の買物は」
満面の笑顔だ。
「……今日は、もう帰ってくれ」
「え?」
レオラの目が見開く。
「ここにいてほしくないんだ」
レオラが何か言いかけたとき、入口からどやどやと男たちが入ってきた。
……きたか。やはり。
闘技場の主催者――ルフランとその部下たちだった。
彼らはぐるっと店内を見回すと、目ざとく僕を見つけた。つかつかとこちらに歩いてくる。
剣呑な雰囲気に眉をひそめたレオラに告げた。
「余計なことはするな」
言葉を重ねる。「君まで目を付けられる。それに、もう逃れることはできないんだ」
「……どういう意味?」
「いけ。頼むから何もするな」
不意をついて肩を強く押すと、レオラはよろけた。いつの間にか近くに来ていたヒスタロスが、レオラを支える。
「ヒスタロス、お前も何もするな。これは命令だ」
大男は不満げな顔をしながらもしぶしぶ頷いた。
◇
ルフランはじっと僕の体に刻まれた黒い紋様を見つめている。
今、僕はルフランの指示に従い、上着を脱ぎ、肌を露わにして静かにひれ伏している。
虚華亭の客たちが固唾をのんでこちらを見つめている。
ふと、ルフランは何かに気づいたように僕の顔を凝視した。
次の瞬間、頭を乱暴に掴まれ、そのまま床へ叩きつけられた。
思わず顔をしかめた。
同時に、終わったな、と思った。
ルフランはそばにおいてあった酒の瓶を取り、僕の顔にぶちまけ――
強く左の頬をこすった。
化粧が剥がれた。
「黒い紋様が顔にもある!」
ルフランが大声をあげた。「やはり、お前はあの売国奴、トルーシスだろう!」
周りの客たちに向かって続けて声を張り上げる。
「聞いてくれ! やつは昨日、忌まわしきあやつと同じように、私の白銀鉄の剣を銅剣で砕いた! 今から思えば5年前に殺した時、少し違和感があった。やつは生き延びていたのだ!」
客たちが大きくざわめいた。視線が突き刺さる。
驚愕。そして恐れと怒り。
昔から慣れ親しんだ視線。
「紋様が似ているだけで早とちりしないでもらいたい。こいつは弟なんだよ」
腕組みをしたカヌラが冷静に、堂々と反論した。
「弟……?」
眉をひそめたルフランに、カヌラは怒鳴った。
「家族のことで色眼鏡で見られないようにしてたのにさ。お前のせいで台無しだよ。どう責任を取ってくれるんだい!」
あのルフランが思わずたじろぐほどの剣幕だった。
「だ、だがこいつは剣を割った。兄と何かしら協力していたに違いない」
「そんなことはないさ。こいつは幼い時に兄と生き別れている。潔白だよ」
カヌラが反駁するが、見るからに客たちの僕を見る目が変わったことを感じた。
カヌラは分かっていない。この視線の中で生きることが何たるかを。
もう全てがどうでもよくなった。
「いいです、カヌラさん」
「え?」
カヌラが目を見開く。
「ルフランの元へ行きます。僕の所有権を譲渡してください」
絶句するカヌラの横を通り、ルフランの近くへ行くと跪いた。
「あなたの下僕となりましょう。生かすも殺すも、お任せします」
そういった瞬間、勝ち誇ったようにルフランが声をあげた。
「聞いたか! きっと己の罪に耐えられなくなったのだろう!」
虚華亭は大混乱に陥った。
ルフランの慈悲で、僕には一晩、荷物をまとめる時間が与えられた。
ルフランが満足げに虚華亭を去ったあと、カヌラはほとんど泣きそうな顔をしていた。
「あんたってやつは……。なぜあんなに簡単に折れたんだ」
「申し訳ありませんでした。虚華亭に迷惑を――」
「そんな事はどうでもいいんだよ」
カヌラが語気を強くする。その強い視線をまっすぐに見ることができず、目をそらした。
「もう、疲れたんです。……少し外の空気を吸ってきます」
客たちの罵倒を浴びながら、虚華亭の中を進み、裏口から外へと出た。
後ろ手で裏口のドアを閉めると、へなへなとしゃがみこんだ。
……何もかも崩れ去ってしまった。
虚華亭で客に都合のいい自分を演じている時だけは、全てを忘れられた。
懐から煙管を取り出し、紫色の煙で肺を満たす。
急に多く吸いすぎたのか、胸が苦しくなってせき込んだ。かまわず吸い続ける。
視野がだんだん狭くなっていく。思考が霞んでいく。
あぁ、もうこのまま――
その時、平手で頬をはたかれた。
いや、頬をはたく、という生やさしいものではなかった。
目の前に地面がある。数秒遅れて自分は誰かに殴りとばされたのだと気づいた。
歪んだ視界に立っていたのは、レオラだった。
「テルシヴァン。勝負をしましょう。勝った方が負けた方の命令に従う」
レオラは僕にいつもの木剣ではなく、真剣を放った。
目の前に転がってきたそれに、ハッとした。
いつの日かリュシアが作ってくれた、僕の紋様が装飾されている剣。
思わず手に握る。
レオラは満足そうに頷き、僕を見据えると槍を握った。
どこから出したのか分からないが、かなり使い込まれている。白銀鉄製だ。
本気でかかってくる、ということか。
そうだ。
負けて、重傷を負って死のう。
いや、いつも通り勝てばいいんだ。そしてこの娘に僕の命の終止符を打ってもらおう。
自殺は許されてない。他殺ならいいはずだ。
この戦い、必ず勝つ。
そう思ったのは、紫煙花の煙で頭が倒錯したからか。
目の前に立つレオラの殺気に、本能で思ったからか。
それとも、久しぶりに感じる戦いの高揚か。
分からない。
ただ、強く剣を握りしめた。




