第34話 買い物
次の日。
虚華亭に出ると、カヌラが声をかけてきた。
「やぁ、今日は客足が落ち着いたら、買出しに行ってきてくれないかい? お前にしか頼めないんだよ」
カヌラが買物のリストを差し出した。ちらっと見て眉をひそめる。いつもの品物の最後になんてことのないように付け加えられていたのは、「腕の立つ砂紋民の奴隷1人」だった。
「物騒ですね」
カヌラは少し表情を暗くした。
「また一つ、砂紋民の村が帝国の手に落ちたらしい。闇市に奴隷が多くなっているはずだ」
もうほとんどの村は滅びてしまった、と低い声で呟く。
「奴隷の値段はどうします?」
カヌラは少し考えた。
「妥協はしたくないからね。金貨1枚までで頼むよ」
僕が頷いたのを見て、懐から何かを取り出す。「嫌な仕事を頼んですまないね。これ、渡しておくよ」
「……これは」
カヌラから渡されたのは護身用の銅剣だった。
「いくらお前でも素手では限界があるだろう?」
微笑むカヌラに頭を下げた。
東ノ国への流出を恐れ、もう白銀鉄の剣は市場では手に入らなくなっていた。
◇
帝都の歓楽街の一角に、馴染みの商店がある。
ギィッと扉を開けて中へと入ると、すぐに店員の声がとんできた。
「んだよ、テルシヴァンか。また騎士に殴られたのか? まったく、いい男が台無しだぜ」
悪い日に来てしまったと小さく嘆息する。
ズンズンと歩いてきた男に、カヌラからもらった、買い物のリストを渡す。
男はざっとそれを眺めると、「了解」と言って品物の準備をしに店の奥へと入っていった。
耳につけているピアスが目に入った。
この男は闘技場で僕の世話をいろいろと焼いてくれた、あの番人である。
最近、闘技場の給料が悪くなったので、非番の日はここで雇ってもらっているという。
番人は、すぐに品物を用意して持ってきた。
「ほいよ。カヌラさんによろしく。お前の顔の薬もおまけしてやったぜ。サービスな」
礼を言い、代金を払ってから口を開いた。
「いつものやつを2つ」
金貨を2枚見せると番人は一瞬沈黙し、店の奥から包みを二つ取り出した。
煙管用の紫煙花の束が入っている。匂いの少ない特注品だ。
「……いつもより量が少なくありませんか」
「バレたか。お前なぁ。少しは抑えろ」
悪びれる様子もなく腕を組み、口調を強くする。「脳がイカれて、路地裏で虚ろな目をしているやつらと同じようになるぞ」
「どう生きようと僕の勝手です。では」
紫煙花の束に手を伸ばすと、厚みのある手がガシっと僕の手を抑えた。
「やっぱ、ひとつしか売らねぇ。大体お前、こんなに吸っててまだ痣が出てないことが奇跡なんだからな」
いつになく真剣な目で、金貨一枚をこちらに返し、包みの一つをさっとどこかへしまう。
正直、その手を払うことなどたやすいことだった。
だが、下手なことをして、今後売ってもらえなくなったら困る。
黙って従う僕に、ピアスの番人は肩をすくめて尋ねた。
「これからまた仕事?」
「いえ。闇市へ」
「そうか」
ピアスの番人は物憂げな目をした。「また奴隷が大勢売りに出されたそうだ」
光あふれる歓楽街から裏路地へ一歩足を踏み入れると、そこには混沌が広がっている。
むわっとした甘い香り。
毒々しい紫色の煙がそこかしこで立ち上っている。
紫煙花の煙だ。
それを吸うのは、あまたもの痩せこけた砂紋民たちだ。
老若男女問わず路地裏に座り込み、死んだような目で煙管をくわえている。
紫色の痣が肌に広がり、ぐったりとしている者も多い。紫煙花の中毒症状の末期になるとこのような痣が出て、すぐに死ぬ。
力尽きた者には、子どもたちが群がって懐を漁っている。
煙管代を稼ごうと男を誘惑している女もいる。
横行するすりをかわしながら裏路地を進む。
「英雄様、早くお見えになってください」
人々が口々に祈る声が耳を打った。
……またか。
裏路地の治安が荒れるにつれ、まことしやかにささやかれるようになった噂がある。
”東から来た英雄が真の王を立て、この荒れた国を立て直す”、というものだ。
最近、よく聞くようになった。
社会の下層にいる者たちは特にこの話に縋っている。
無駄なことだ。英雄など現れやしないのに。
そんなことを考えていると、松明で照らされた広場へと行きついた。
目的の場所――闇市だ。
手枷をつけられた砂紋民たちが並べられている。まるで売り物かのように、値段順にだ。
目を閉じ、懐から煙管を取り出すと、煙を吸い込んだ。
……何も考えたくない。何も見たくない。何も思い出したくない。
体に紫煙花の煙がいきわたったところで、広場に足を踏み入れる。
入り口に並べれている砂紋民たちは値段が低い。
衰弱しきった子どもや老人が3人まとめて銅貨1枚。
傷ついて片足を失った男が銅貨1枚。
広場の奥へと進む。
働き盛りの男が銀貨1枚。
年頃の娘が銀貨2枚。
特に見目麗しいものには銀貨3枚。……腐っている。
早くここを出ようと、カヌラから頼まれた、腕が立ちそうな者を探す。
が、どうにも見当たらない。息が詰まるような空気に、もう帰ってしまおうかと思った時。
広間の隅から、いびきが聞こえてきた。
……こんなところで寝れる神経のやつがいるとは。
思わずその方向へ足を進める。
並べられている砂紋民達と少し離れた暗がりに、獣用の檻のなかに入れられた大男がいた。
あぐらをかいて座った姿勢のまま、大きな剣を抱きしめるようにして眠っている。
身につけているのは、粗末な麻のズボンのみ。
むき出しになっている上半身は、鎧のように分厚い筋肉を纏っている。
興味を惹かれた。
よく大男を見ようと、携帯用のランプをかざす。
――思わず息をのんだ。
大男の体に刻まれた紋様。
それは、2色だった。
茶褐色と漆黒。
その2つの紋様が絡み合うように形を成していた。
さらに、腕だけではなく、胸や腹などの上半身全体に広がっている。
――こんな紋様は見たことがない。
ふと、大男が収容されている檻に書かれている、注意書きが目に入った。
『危険! 反抗的で扱いづらい。値段は交渉次第』
……なんだこいつは。
あっけに取られていると、大男の目がパチリと開いた。
「ふわ~ぁ。良く寝た」
気持ちよさそうにあくびをしたあと、こちらを向く。
「お、なんだよ兄ちゃん。俺を買おうってのか?」
軽い調子だったが、大きい瞳が一瞬、鋭く光った。
「……検討している」
「残念だったな。俺は、俺より強い男にしか興味ないんだ」
胸を張って自信たっぷりに言う。完全に囚われているのに変な男だ。
「その紋様、変わってるな」
「よく言われる」
大男は屈託なく笑った。「そういう兄ちゃんはどんな紋様なんだ?」
一瞬、言葉につまった。
「へぇ。普通の紋様じゃないってことね」
大男がニヤリと口角を上げた。
そのとき、奴隷商人が目ざとく声をかけてきた。
「お、その大男を気に入りましたか。いくらでご所望で?」
「銀貨1枚」
本当なら金貨1枚でもいいくらいだが、この大男の扱いを見る限り、これくらいでも喜んで売ってくれるだろう。
思った通り商人の目が輝いた。「どうぞどうぞ!」と、すぐさま檻の鍵を開ける。
「え、俺、本当に買われるの?」
きょとんとしながら檻から出てきた男を見て、またも驚いた。
見上げるほどの巨体だ。僕よりも頭二つはゆうに高いだろう。鍛え上げられた肉体だった。
商人が差し出した契約書にサインをしようとしたとき――
「待て。その男、銀貨2枚でどうだ」
傲慢な冷たい声が耳に響いた。後ろを振り返ると、豪華な身なりの男が4、5人の部下と共に佇んでいた。
心臓が一瞬、早鐘を打った。
忘れもしない、あの闘技場の主催者だった。




