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第33話 槍

「やぁ、テルシヴァン。殴(なぐ)られたところは大丈夫(だいじょうぶ)かい?」

翌日の夕方。虚華亭(きょかてい)に出ると、カヌラが声をかけた。


「酷(ひど)くはなりませんでした」

幸い、顔に腫(は)れもほとんど出なかった。


「そうか! なら今日の予約は問題なさそうだ」

カヌラが満足そうに頷(うなず)いて、予約帳を手渡(てわた)してきた。ざっと眺(なが)める。

ふと、一番最後に「レオラ 特等室」と書いてあるのが目に留まった。


「……またあの娘(むすめ)がくるのですか」

思わず尋(たず)ねると、カヌラがニヤリと笑った。


「そうだよ。良かったじゃないか」


「別に」

それだけ答えると、カヌラは笑みを深くした。









……やりづらいな。


さっきからレオラがちらちらと僕(ぼく)の方を見ている。今は、1階の広間で常連の女性客を接客中だ。


裕福(ゆうふく)な平民の女だ。ただ、話を聞いて慰(なぐさ)めてほしいタイプの客である。

ひたすら聞き役に徹(てっ)し、勇気づけ、相手が返してほしい言葉を返せばいい。


普通(ふつう)に会話をしているようで、相手は沢山(たくさん)のサインを出している。もっと聞いてほしいのか、逆に深入りはしないでほしいのか。

そんな微妙(びみょう)な心の機微(きび)を組んで、相槌(あいづち)をうち、返答すれば、大体の女は満足する。


「カレーニナ、」 

女の名を呼ぶ。30代中頃(なかごろ)の商人の妻。旦那(だんな)との折り合いが悪く、幼い子どもも手がかかり大変なのだという。

「残念ながらもう時間だ。また次、話を沢山(たくさん)聞かせてほしい」


女はハッとしたように時計を見て、気まずそうに微笑(ほほえ)んだ。「ごめんなさいね」


「いや、カレーニナ。君が誰(だれ)よりも苦労していることは僕(ぼく)が一番よく知っている。折れないで。気高くいて」

抱(だ)き寄せ、首筋に軽くキスをした。


「……!」

女は涙(なみだ)のたまった瞳(ひとみ)で僕(ぼく)を見て、頬(ほお)を赤く染めた。席を立った時の女の顔は、笑顔だった。







「あのお客さん、最後、まるで別人みたいだったわね」

レオラがおいしそうにグラスに入った酒を飲みながら呟(つぶや)いた。レオラは僕(ぼく)を助けたが故に特別扱(あつか)いで、飲食代は全て虚華亭(きょかてい)負担だ。もう深夜を回っているのに、ここぞとばかりに食事と飲み物を頼(たの)んでいる。


「何のことだ?」

首をひねると、レオラは笑った。


「さっきの女の人よ。この店に入ってきたときは、すごくしんどそうな顔をしてたの。でもあなたと話して変わったわ。いい接客ね。分かれ際なんて、ときめいちゃった」

レオラがウインクをした。


「所詮《しょせん》、僕(ぼく)が提供しているのは偽(にせ)の現実だ。いつわりにすぎない」


僕(ぼく)は本心から彼女(かのじょ)が苦労しているだなんて思っていない。もっと生きるか死ぬかの瀬戸際(せとぎわ)にいる者だって大勢いる。


「でも、それに救われる人もいるわよ。だとしたらこの店がこんなに繁盛(はんじょう)するわけないじゃない」


「……」

その言葉に答えず、運ばれてきた料理を無言で食べた。レオラが注文したのだろう。肉料理が多い。


「ねぇ、あなたってさ」

沈黙(ちんもく)が気まずいのか、それとも何も考えていないのか、レオラが口を開いた。「本当はけっこう無口なわけ?」


「……すまなかった。接客を怠(おこた)っていた」

この娘(むすめ)との出会いが異質すぎたからだろうか。無料だが客なのに、ぶっきらぼうに対応してしまった。


「別にいいよ。素のあなたでさ」

レオラは気楽に言って、皿を持ち上げると、ささっと食事の残りを平らげた。

貴族の娘(むすめ)が見たら、はしたないと言うのだろうが、その手つきが無駄(むだ)なく素早かったからか、どことなく洗練されて見えた。


「よし。じゃあ、部屋に行こう。今日はカヌラさんに特等室を取ってもらったんだ」

レオラは勢いよく立ち上がった。


「……」

何か、普通(ふつう)じゃない夜が始まりそうだ。






部屋に入って驚(おどろ)いた。

がらんどうだ。テーブルやソファーなどの調度品は端(はし)にどけられている。


「さあ、テルシヴァン」

その言葉に、顔を向けると――


レオラがドレスの裾(すそ)をひらめかせた。

昨日と同じ、黒いドレス。太ももとに槍(やり)の穂先(ほさき)が固定してあった。

一瞬(いっしゅん)、見えた脚(あし)は良く鍛(きた)えられていた。


やはり。槍(やり)使いか。

剣を使う者ならば、もっと上背に筋肉がつく。

この娘(むすめ)の体つきからして、剣士(けんし)ではないだろうと思っていた。


レオラが瞬(またた)く間に槍(やり)をくみ立てた。

足には槍(やり)の柄(え)も分割されて括(くく)りつけられていたらしい。



「よっ」

微笑(ほほえ)むと、いきなり、豹(ひょう)のように斬(き)りかかってきた。

一切の無駄(むだ)も躊躇(ちゅうちょ)もない動きだった。


「……ッ!」

瞬時(しゅんじ)に後ろにとびのき、僕(ぼく)の胴(どう)を両断しようとした槍(やり)をかわす。

その動きを見れば、相手が何人の敵を倒(たお)してきたのか大体分かる。


この前、殴(なぐ)られた騎士は、5人くらい。

この娘(むすめ)は――きっと1000以上。いや、2000はくだらないか?


「私の槍(やり)をよけるなんて。しかも昨日殴(なぐ)られた後の手負いの体で! 感心感心」

レオラが本当に嬉(うれ)しそうに言った。


「あんなのは手負いに入らない」

思わず言うと、レオラは目を輝(かがや)かせた。無駄(むだ)なことを言ってしまったと悔(く)やんだ。


「手負いに入らない!? あなた、相当戦い慣れているのね!」

はい、と言ってレオラはもう一度裾(すそ)をひらめかせると、剣を一本、僕(ぼく)に手渡(てわた)した。

修練用の木製の剣だ。よく見れば、レオラの槍(やり)の石突(いしづき)も色が塗(ぬ)られているだけで、木製だった。


「いくわよ。じゃあ、勝った方が負けた方になんでも頼(たの)みごとをできるってことで」

そういうなり、レオラはまた斬(き)りかかってきた。


体が瞬時(しゅんじ)に反応した。

豪速(ごうそく)で迫(せま)る槍(やり)を身をひねってよけ、己の剣を一閃(いっせん)させる。


ガッ! と鈍(にぶ)い音がした。


僕(ぼく)の剣を、レオラの槍(やり)が受け止めた音だ。


思わず一瞬(いっしゅん)、呼吸が止まった。

この剣を止めるとは。

正直、慢心(まんしん)していた。いや、僕(ぼく)がなまったのか。


「ヤバい、ゾクゾクしちゃうな」

レオラが槍(やり)の穂先(ほさき)ごしに微笑(ほほえ)んだ。


そして、ゆらりと動いた。

次の瞬間(しゅんかん)には、もう槍(やり)の穂先(ほさき)が迫(せま)っている。


思わず剣を握(にぎ)る手に力を込めた。







1時間後。

レオラに疲(つか)れが見えたところで、僕(ぼく)がレオラの首に剣を突(つ)きつけて戦いは終わった。


「はぁ~、いい戦いだったわね」

レオラが心底悔(くや)しそうにしながら汗(あせ)をぬぐっている。


……何者だ。この娘(むすめ)。

これほどの槍(やり)の使い手をみたことがない。

その槍(やり)は縦横無尽(むじん)に動き、風を巻き起こすほどだ。


こんなに必死になって戦ったのは――いつぶりだろうか。

額を汗(あせ)がつたう。

いや。きっと初めてだ。


「もっと動きやすい服だったら勝てたかもしれないのにぃ」

レオラはなおも悔(くや)しそうだ。ドレスの首元を緩(ゆる)めて、手でぱたぱたと風を起こし、あおいでいる。

白い首筋とその紋様(もんよう)が見えて、昨晩のことを思いだし、思わず目をそらした。


……まずい。汗(あせ)をかきすぎた。

今日は接客用の華美(かび)な装いだ。通気性が悪い。

懐(ふところ)から布を取り出して慎重(しんちょう)に汗(あせ)をぬぐう。 


「な、お上品ね」

レオラが僕(ぼく)の様子を見て絶句した。からかうように言う。「化粧(けしょう)でもおちるのを気にしているの?」


一瞬(いっしゅん)、言葉に詰(つ)まった。

その様子を見て、レオラが驚(おどろ)いたような顔をして、こちらへ飛びよってきた。


「あれ? 化粧(けしょう)してるんだ! なるほど! だから肌(はだ)がそんなに綺麗(きれい)なのか!」

ニコニコと笑顔を浮かべながら僕(ぼく)の顔に自分の顔を近づける。

とっさにその肩(かた)をグッと掴(つか)んで離(はな)した。


「……離(はな)れてくれ。僕(ぼく)が勝っただろう。勝った方が負けた方になんでも頼(たの)みごとをできるはずだ」

顔の紋様(もんよう)が見つかったら厄介(やっかい)だ。


「分かったわよ」

レオラは素直に引き下がり、肩(かた)をすくめて尋(たず)ねた。


「で、あなたの頼(たの)みごとは?」


「今のだ。離(はな)れてくれ、と言った」


レオラは一瞬(いっしゅん)あっけにとられたような顔をして、それから「えぇ~」と口を尖(とが)らせた。

「他に頼(たの)みたいことはないの? これからも毎日来てくれ、とかだったらすごく嬉(うれ)しいのになぁ~」

またニコニコと笑顔を浮かべる。


「……特に、ない」


「そうかぁ~」

僕(ぼく)の言葉にレオラはがっくりと肩(かた)を落とした。

その後、やんわりとまた仲間にならないかと勧誘(かんゆう)してきたが、断った。


レオラはめげずに「また来るよ」と笑った。







    ◇







隠(かく)れ家の扉(とびら)を開けるなり、私は叫(さけ)び出したい気持ちを抑(おさ)えながら、皆(みな)に言った。

「聞いて! 虚華亭(きょかてい)の彼、すごい強かったの……!」


「なにッ?」

ダグラスはじめ仲間たちがすかさず食いつく。皆(みな)、この話が聞きたくてこんな深夜まで私の帰りを待っているのだ。


「今日は二人で戦ったんだけど、」


「……戦ったのか」

ルカが微妙(びみょう)な顔をした。ルカは私に色仕掛(いろじか)けを期待している。


「彼、戦うと全然性格変わるじゃない! ずっと気の荒(あら)い獣(けもの)に睨(にら)まれてる気分だった。こんなにゾクゾクした戦いは久しぶりよ!」


「そうか……! それはトルーシスに違(ちが)いない!」

ダグラスが立ち上がり、興奮冷めやらぬといった具合で拳(こぶし)を握(にぎ)りしめた。


「仲間になる話には頷(うなず)いてくれなかったけど、絶対にこっちに引き込むわ! 彼と毎日戦いたいもん!」


「おう!! その調子だ、レオラ! 粘(ねば)り強くグイグイいけ!」

ダグラスの言葉に、皆(みな)が力強く頷(うなず)き、私に期待の視線を送る。


「なんか違(ちが)うけど……これでいいのか?」

ルカがボソッと呟(つぶや)いた。

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