第30話 虚華亭①
第3章、開幕です!
~売国奴:トルーシスが闘技場で死んだと思われてから5年後~
日が暮れかけている。
窓にさしこむ赤い夕暮れの光で、僕は目を覚ました。
出勤の時間だ。
重たい体をおこし、上質な絹の衣を纏い、化粧をする。
化粧をする男はこの国では稀だ。
慣れた手つきで、左の頬に刻まれている紋様を消していく。それが終わると、体中に無数にある昔の傷跡も目立たなくさせる。
だが、どんなに化粧で消しても、過去は消えるわけではない。
ため息をついて煙管に手を伸ばし、火をつける。煙を吸うと少しは嫌な記憶から逃れられる。
漂う紫煙をぼんやりと眺めて、頭の奥が酩酊し、同時に冴えわたってくる感覚を待つ。
「……行くか」
日が沈んだ頃、僕は立ち上がった。
部屋から出て階段を降り、裏口から「虚華亭」へ入る。僕の仕事場へと。
◇
豪華な内装のその建物には、これから仕事を始める、きらびやかに着飾った娘たちが既に揃っていた。
「やぁ、テルシヴァン。これが今日のあんたの予約客だ。夜半までびっしりだよ」
予約帳を差し出したのは、虚華亭の女亭主、カヌラだ。
ざっと眺める。常連と新規が半々くらいだ。週末だから忙しくなるだろう。
ふとカヌラが眉をひそめた。
「また煙管を吸ったのかい?」
「そうですけど」
予約帳から目を離さずに答えると、カヌラはあきれたように肩をすくめた。
「まだやめてないのかい。あの煙は寿命を縮めるんだ。だから――」
「縮んだ方がマシですよ。こんな命」
言葉を遮って吐き捨てた。カヌラは一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべたが、すぐにいつもの調子で続ける。
「んもう、いいかげん前を向きなよ。今の自分を受け入れてさ」
「……受け入れてますよ」
「嘘言え。大体お前は――」
カヌラの小言を遮るように、ドアがカラン、と鳴った。
客の男たちがどやどやと入ってきて、娘たちを指名しだす。開店だ。
男たちに紛れて、美しく着飾った貴族の娘が入ってきた。
以前から通い続けている常連、エミリーだ。
「テルシヴァン! もう私、会いたくてたまらなかったの……」
僕を見つけ、ぱっと顔を明るくして駆け寄ってくる。
陶器のような白く滑らかな肌。手入れの行き届いた艶やかな髪。ぱっちりとした大きな瞳。誰もが羨むような美貌の持ち主だ。
仕事用の微笑みを作り、エミリーの耳元に口を寄せて囁いた。
「僕もだよ。もう君なしではいられないんだ」
エミリーが頬を赤く染めた。ものほしそうな視線で見つめてくる。
合点がいって、その赤い唇に自分の唇を重ねた。
大胆に。それでいて繊細に、丁寧に。
顔を離すと、エミリーは酔ったように言った。
「早速、お部屋にいきましょう」
「えぇ、喜んで」
うやうやしくその手を取る。
後ろで、カヌラが「まったく、さっきまでの仏頂面はなんだったんだい」とボソッとつぶやいた声が聞こえた。
途中、エミリーと並んで歩く僕に、客の男たちから野次がとぶ。もう慣れたものだ。
「砂紋民のクセに、調子に乗りやがって」
「あの売国奴と同じ黒い紋様だって噂だろ」
エミリーはこの国で1,2を争うほど有力な貴族の令嬢だ。
おまけにこの国で一番の美貌とも言われている。妬ましいのだろう。
「気にしちゃだめよ」 エミリーがささやいた。「みんな分からないの。あなたは特別だし、売国奴とは全然違うのに」
「ありがとう、エミリー」
笑顔を作って返した。
胸にくすぶった、ざらりとした感情はすぐに消した。
◇
部屋に入ると、天蓋付きの豪奢な寝台で、口づけの続きをした。エミリーがそっと僕の服へと手を伸ばすと、僕はさりげない動作で枕元のランプを消した。
暗闇。
「んもう、もっとよく見たいのになんで消しちゃうのかな」
エミリーが不満げに呟く。しばらくたって目が慣れてくると、エミリーはそっと僕の服のボタンを外していった。
「まるで彫刻のようね……」 露わになった紋様を白く細い指先がなぞっていく。首筋から左肩を通って左手の先まで。いつからか、この漆黒の紋様は、強力な商売道具になると知った。
僕は目を閉じ、されるままになっている。
「やっぱりあなたは特別よ。普通の砂紋民は、こんなに真っ黒で、美しい紋様を持ってないもの」
エミリーは熱っぽい口調で言った。
……どれだけこの紋様のせいで苦しめられてきたか。
くすぶるそんな思いを押し殺し、エミリーの唇を自分の唇で塞いだ。
もう的外れな言葉を聞かなくてすむように。
◇
すっかり夜も更けたころ。
エミリーを見送り、全ての予約客の接客を終えた僕は、1階の広間へと降りた。
残りの時間、飛び込みの客の相手をしようと思ったのだ。
だが、今日はやけに剣吞な雰囲気が漂っている。
「カヌラさん」
声をかけると、カヌラはハッとしたようにこちらを見て、一言、毒づいた。
「ったく、最近の騎士は……」
カヌラの視線の先には、純白の隊服の帝国騎士たちがいた。酔いに任せて娘たちを相手に騒いでいる。1人の娘の頬が、ひどく腫れている。殴られたのだろう。
その髪を、騎士の1人が乱暴につかむ。
「こいよ」
引きずるように、2階の個室へと続く階段へ進む。
娘の顔が、恐怖でひきつったのが見えた。確か、新入りの娘だ。
「……止めに入ります」
足を一歩前に踏み出すと、カヌラが深々と頭を下げた。
「ありがとよ。お前には本当に頭があがらないよ」
背でカヌラの言葉を受け、騎士に向かって歩いていく。
「お客様」
爽やかな声で声をかけると、まだ年若い騎士は階段の中ほどで足を止め、面倒くさそうな視線を投げてよこした。構わず笑顔で続ける。
「いくら騎士様といえど、その娘を丁寧に扱っていただかなければ、お部屋にご案内することはできません」
案の定、騎士の眉がピクリと動いた。
「お前、砂紋民だろ? 俺たち騎士に意見する気か?」
騎士は娘を放すと、ゆらりと腰の剣に手を当てた。残虐な笑みを浮かべる。
「歯向かうとどういう目にあうか、分かってるんだろうな?」
言うなり、騎士は剣を抜き放ち、一気に切りかかってきた。
その動作は流れるように一瞬で、よく鍛えていることが分かった。
だが、圧倒的に遅かった。
……ただ、演じるだけだ。
そう自分に言い聞かせた。
剣の軌道を見切り、喉元を狙った刃が届く寸前で身を沈めた。
髪先だけ、わずかに散った。
騎士の目に、驚愕の色が浮かぶ。
……狙い通り。
かわしたものの、足がもつれてよろめいた――ように見せかけ、派手に転んだ。
床に転がる無力な砂紋民を、騎士は白銀鉄の刃なんかで殺そうとしない。
もはや、そんな価値すらないのだ。
案の定、騎士はにんまりと笑い、ぐっと拳を固めた。
予想通り、顔面に強打をくらった。
胸ぐらを掴み、続けて拳を入れてくる。
「おい! 隊律違反になるぞ!」
視界の片隅で、仲間が慌てたように止めに入るのが見えたが、その騎士はやめようとしない。
頭に血が上っているのだろう。
体に響く衝撃に耐え、これは長引きそうだな、と内心ため息をついたとき。
鈍い音がして、騎士の動きが止まった。
次の瞬間には、騎士が膝から崩れおちた。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
「この国の騎士ともいう者が、情けないわね」
若い娘の声がした。
倒れた騎士を蔑むように見下ろしている。
切れ長の瞳が印象的な娘だった。よく男が好むような愛らしい顔立ちとは違うが、どこか見た者の記憶に残る――そんな意志の強そうな精悍な顔立ちだった。歳は、21,22くらいだろうか。上質な黒い長袖のドレスを身に纏っている。
僕はあっけにとられ……いや、その場にいた誰もがおそらくあっけに取られて娘を見た。
シンと静まる空気に、娘はハッとして、
「ちょっとだけ腕には自身があるの」と憎らしいほど爽やかな笑顔を浮かべた。
腐ってもこの国の騎士は、選抜を経て任命されたエリートだ。訓練も積んでいる。
それを倒した。
……この娘、何者だ。
そこまで上背はない。僕より少し小柄なくらいだ。そんなにがっしりしているわけでもない。
「私、この国の重役とつながりがあるの。隊律違反を表沙汰にしたくなければ、さっさとここから出て行った方がいいと思うわ」
娘が冷たい視線で一瞥すると、騎士たちは逃げるように虚華亭を出て行った。
「お姉さん、強いねぇ。……って、あれ? レオラじゃないか! 久しぶり! 見違えたね!」
店が元通りの喧噪に戻ると、カヌラは娘と親しげに会話を始めた。
頭に違和感がないか確かめながら慎重に起き上がる。懐から小さな鏡を取り出し、顔の化粧を素早く確認した。
黒い紋様がいつも通り隠れていることに安堵する。
鏡を懐に戻したところで、カヌラが娘を誇らしげに紹介した。
「トルーシス。この娘はレオラっていうんだ。あんたは初めて会うよね?」
僕は頷き、レオラというその娘に頭を下げた。
「礼を言う。……助かった」
「どういたしまして」
切れ長の黒い瞳がこちらを向き、快活な笑顔が浮かんだ。
年頃の娘にしては珍しく、顎の下あたりで切り揃えられた、短めの黒い髪が揺れる。耳には、細長い札のような耳飾りをつけている。対角に走る一本の線で黒と赤の2色に分かれている、変わった趣向のものだ。
「何かお礼をしなくちゃねぇ。何がいいかな……」
カヌラが楽しそうに考えを巡らせ始める。
「じゃあ」と、レオラは笑顔のまま僕を指さした。
「彼との一晩が欲しい」
あっけにとられる僕をよそに、カヌラが大声で笑った。
「ハハハ! そうきたか! あんたなら二晩でも三晩でもいいさ。無料だよ!」
「ありがとう。今あまりお金がないから助かる……」
レオラは照れたように笑い、カヌラから部屋の鍵を受け取ると、実に嬉しそうに僕に右手を差し出した。
「私はレオラ。これからよろしく」
その手を、僕はただ握るしかなかった。
レオラと共に部屋へと向かう。
扉を開くと、豪華な調度品と、心地良さそうな二人掛けのソファ、天蓋のついた大きな寝台が目に入った。
……一番いい部屋を案内したのか。
カヌラが「楽しめよ」とニヤニヤ笑っているのが想像できて、げんなりした。
部屋に入るなり、レオラは心配そうに僕をのぞき込んだ。
「殴られたところは、大丈夫?」
黒い瞳がこちらをじっと見つめる。その瞳の奥に探るような色があって、僕をわずかに警戒させる。
わざと明るい声で答えた。
「えぇ。慣れていますので」
切れ長の瞳が少し細くなった。
「でも、痛いでしょう」
「大丈夫ですよ。それよりも、もっと違う話を――」
その言葉は、レオラのよく響く声でさえぎられた。
「慣れすぎだわ。普通の人は、あんなに殴られたあと、すぐに立ち上がれない」
鋭い眼光を浮かべて、僕の胸を人差し指でトン、と突く。
「あなた、わざと殴られにいったでしょう。しかも、殴られるとき、微妙に体の角度を変えて衝撃を受け流していた」
……こいつ、何者だ。
熟練の剣奴でさえも見破れない技なのに。
押し黙ると、「やっぱりね」と深く頷き、こちらをまっすぐに見つめた。吸い込まれそうな瞳だと思った。
「あなた、何者?」
「……ただの花街で雇われている奴隷ですよ」
「ふーん。その前は?」
質問で返した。
「あなたこそ何者ですか?」
「確かに、自分から素性を明らかにするのが礼儀ってもんね」
レオラは顎に手をあてて少し考えるようなしぐさをすると、奥の大きな寝台を指さしてにこりと笑った。「じゃあ、あそこで確かめてみて」
「な……」
大胆な娘だ。その時、ようやく我に返った。
そういえば今はまだ業務中だ。
僕は大きくひとつ息を吐いた。
◇
レオラを寝台にそっと押し倒すと、黒曜石のような瞳が僕を見上げた。
鋭いナイフのように切れ味のよさそうな、切れ長の瞳。
そこに浮かんでいる色は、客がよく僕に向けてくる、陶酔でも高揚でも――ましてや好奇でもなかった。
確固たる決意。
ただそれだけだった。
一瞬、息をのんだ。
まるで戦いを前にした戦士の目だ。そう思った。
こういう目を昔、沢山見た。死を前にしても揺らがないような、信念が宿った瞳。
僕がどこかに置いてきてしまった輝き。
思わず目をそらす。……まったく、調子が狂う。
レオラが着ている黒いドレスは変わった趣向のものだった。よく娘たちが好んで着るような肩を出したものではなく、首が詰まっている。
ぴったりと閉じられた襟元のボタンを、外してみて驚いた。
――そこにはあったのだ。黒々とした漆黒の紋様が。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
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第3章はどんどん話が動いていきます。ぜひお楽しみください!




