第29話 剣奴編③
「もう一度、自分の力で100勝するんだ」
トルクのその言葉に、確かに兄のザルクの面影を見た。
「おうよ。……頑張るんだな」
トルクを地下にある、剣奴たちの部屋に案内する。ガチャンと部屋の鉄格子を閉めると、トルクは静かに床に座った。
今までのどこか幼さの残る顔つきでは、なかった。
……ったく、何なんだよ、どいつもこいつも。
内心でため息をつきながら、俺はあの日の出来事を思いだしていた。
「ザルク! 頑張れよ! まだ望みはある!」
俺は闘技場の裏手の一室で、全力でザルクに治療を施していた。
だが、助からないやつにかける気休めの言葉ほど、空虚な言葉はない。
ザルクはほんの少し笑みを浮かべた。
「トルーシスはどうなってる?」
「大丈夫だ、勝ってる」
「……」
ザルクは静かに俺を見た。聡いザルクには嘘だと分かっただろう。
その時、バタンと部屋の扉が開いた。
仲間が顔を出す。
「ジン、あの売国奴の処理を頼む。ルフラン様は磔にして欲しいそうだ。しばらくしたら地下にさがる」
「……分かった」
気乗りしない任務だ。
部屋から出ようとしたところで、呼び止められた。
「最後に頼みがある」
か細い声とは裏腹に、ザルクは強く光る瞳で俺を見据えた。
ギィッと地下の一室の扉を開けると、そこには既にトルーシスがいた。
腹からドクドクと流れる血を止血することなく、力なく床に座っている。
「トルーシス。今からお前は磔になる」
「そうですか」
その顔には、何の感情も浮かんでいなかった。この闘技場にやってきた頃のようだと思った。
「……が、お前は死なない」
トルーシスの表情がわずかに動いた。怪訝そうに目を細める。
「お前に生きてほしいと強く願うやつがいる」
俺の後ろから、トルーシスとそっくりの青年が姿を現した。
俺が即席で顔と腕に紋様を書き、髪もトルーシスの色に染めた。
彼はトルーシスに微笑んだ。
怖いくらいに穏やかな微笑みだった。
「トルーシス。俺はもう生きれない。……内臓をやられた」
ザルクは青い瞳でトルーシスを見つめ、続けた。
「この命、君のために使わせてくれ。君はここで死んではいけない」
覚悟のような、陶酔のような――そんな光が瞳に宿る。
トルーシスは、はじかれたように立ち上がった。
「僕はすでに死を受け入れている。ザルクに生きてほしい」
「いや」
ザルクは首を横にふった。同時に、せき込んで大量の血を吐いた。
「なぜ……?」
トルーシスの瞳が揺らぐ。
ザルクはふっと笑った。
「東ノ国の兵って、本当は騎士だったんだろ?」
トルーシスが息をのむ。ザルクは穏やかに続けた。
「俺の父上は、帝国王の砂紋民の政策に反対して……処刑された。父上の信念を俺はつなぐ。君が生きて、砂紋民を守ることが俺の死ぬ意味になる」
「…………」
絶句したトル―シスの肩を、ザルクは軽く叩いた。
「ごめんな。勝手に託して」
眉を少しだけ下げると、俺の方を向く。
「じゃあ、ジンさんお願いします」
「あいよ」
俺は一息にザルクの腹を剣でさした。トルーシスが傷を負った場所と同じ場所を。
そして、部屋の一角に柱を建てると、彼を磔にしていった。先ほど打っていた麻酔が効いていることを祈るばかりだ。
「ジンさん……ありがとな」
「あぁ、きっとお前は天国にいけるぜ。まあ、そんなのあるか分からないがな」
ザルクはふっと笑い、瞼をとじた。青い瞳が隠れる。はた目には、トルーシスと遜色なくなった。
壁のレバーをガチャンと引く。重い音を立て、床の一部が上へと動き出す。
ザルクは笑みを浮かべたまま、闘技場へと上がっていった。
「…………」
残されたトル―シスは呆然としていた。
耳のいいこいつには、上で起こっていることが音で分かるのだろう。
観衆の歓声がひときわ大きくなった。
――ザルクが死んだのだ。
トルーシスが膝から崩れ落ちた。
顔色が蒼白だ。腹から血がさらに滴るのにも関わらず、掌を爪が食い込むまで握りしめる。
「……ザルク。……ザルク。なぜ僕が生きている?」
そのとき、闘技場の観客席から青年の叫び声が聞こえた。
「トルーシス!! お前は正真正銘の英雄だ! 俺は! 俺は!! お前の意思を継ぐぞ――」
「……仲間か?」
トルーシスは俺の質問に答えずに、目を見開いた。「……ネル」
呆然と呟く。
「……僕じゃない」
そして、唐突に叫んだ。「……僕は英雄じゃない!! 僕は! 僕はッ!! もうずっと――死にたかったんだ!」
そして剣を自分に向け――
……馬鹿か。
脳天を殴って気絶させると、人目を盗み、やつを部屋に運んだ。
致命傷だ。だがザルクほどではない。
こいつは絶対助けるぜ。
◇
目を覚ますと、そこは不思議な空間だった。
棚には書物と、無数のガラスの筒が所狭しと並んでいた。
液体で満たされたその筒の中には、人間の臓器のようなものが入っていた。酷くグロテスクなのに、美しいと思った。
唐突に、自分の身に起こったことを思いだした。
「……ザルク」
もうこの世にはいないその名を呟く。
ガチャリと扉が開いて、馴染みの番人が入ってきた。ピアスをつけている、他の番人とは少し違う、変わった番人だ。
こちらを見て目を細める。
「気づいたか」
「あそこで死にたかった」
それだけを絞り出した。もう、人と会話をするのも億劫だった。
番人は、なんとも言えない表情をしてから言った。
「俺の知り合いに、信頼できる女がいる。その女のもとで働け」
「…………僕は死ぬべきだ」
しばらく沈黙が支配した。
静かに続ける。
「僕に関わった人はみんな死んでいく。呪いは覆せない。僕はきっと、世界を破滅に導く……」
番人は言葉を遮った。
「ダメだ。少なくともザルクと俺と、トルクはお前に生きることを望んでいる」
「…………」
番人は僕の肩を強引につかみ、壁にかけてあった鏡に向かせた。
「お前、今の自分の顔見てみろ。そんな顔でザルクやお前の死んだ仲間に顔向けできるのか」
鏡の中の自分と目があった。
「……ッ!」
思わず鏡を叩き割った。
鏡は粉々に割れ、盛大な音を鳴り響かせて床に落ちた。破片のいくつかは拳に刺さり、血が滴った。
静寂の中、互いの息づかいだけが部屋の中にあった。
張りつめた空気を破ったのは、ドアが開く音だった。
「……ありゃ。えらい修羅場にきちまった」
苦笑して入ってきたのはシュラクの街の酒場の女主人、カヌラだった。
「最近、帝都に出店してね。人が欲しかったんだ」
力強い瞳がこちらを見つめる。
「うちの店では、みんな本名とは違う名をつけるんだ。別人になるんだよ。なんていう名がいい?」
「……」
黙っていると、カヌラはまた苦笑した。
「じゃああたしが名前をくれてやる。テルシヴァン、ってのはどう? 地に落ちた英雄、って意味だよ」
ただ頷いた。もう何もかもどうでもよかった。
カヌラはこちらをしげしげと見て、にんまりと微笑んだ。
「きれいな顔だね。でもちょっと傷が多すぎるな。化粧で隠すしかないねぇ」
「……」
続いて、僕の体をなめるように眺める。
「いい体だね。ま、もうちょっと身長が欲しかったけど。うーん、でも筋肉がありすぎるな。今どきの娘は、もうちょっと細い男を好むからねぇ」
強引に手を握られる。
「よろしく。うちは正当な報酬システムでやってるからね。頑張り次第で上を目指せるよ」
そういってカヌラは満面の笑みを浮かべた。
次は第3部です。




