第28話 剣奴編②
いまだに信じられなかった。
僕が100勝して自由の身になるなんて。
祭りの前日。
恒例の騎士と剣奴の戦いの日。
僕は祈るような気持ちで闘技場へと足を運んだ。
――兄ちゃん。トルーシス。どうか生きてくれ。
今なら分かる。
トルーシスと兄ちゃんは僕にわざと負けて勝ちを譲ってくれたんだ。
本来、100勝すべきは二人の方なのに。
◇
翌日。
試合が終わった。
観衆がみな帰っても、僕は凍り付いたように観客席から動けなかった。
兄ちゃんは多分死んだ。
トルーシスも死んだ。
兄ちゃんとトルーシスとまた3人で笑いあえる――そんな未来をどこかで信じていた。
「きみ、大丈夫?」
上から声が降ってきた。見上げると、金髪に碧眼の男の人が僕を眺めていた。よく鍛えられたその腕には、気を失った長髪の青年が抱えられている。
「……あなたも大事な人が戦いにでていたの?」
男の人の隣から、藍色の目をした砂紋民の女の人が心配そうに尋ねた。
「うん。……僕はもうしばらくここにいる」
俯くと、男の人は、紙に何やら地図を書き、僕の懐に強引にいれた。
「もし困ったら、ここを訪れて。力になるよ」
そして二人は去っていった。
闘技場にぼろきれのように転がるトルーシスは、闘技場の隣の”捨て場”に運ばれていった。剣奴たちの死体を捨てるところだ。
よろよろと立ち上がった。
最後に”捨て場”に行ってトルーシスと兄ちゃんに会おう。そう思った。
ひとけのないそこに近づく。
……ん?
ある違和感を感じて、僕はかけよった。
「兄ちゃん!」
抱き起こすと、兄ちゃんはかすかに口の端をあげた。
髪を染めていて、頬の紋様もそっくりだが、その瞳は青い。かすれた声を絞り出す。
「俺がこれを望んだんだ。……どのみち、俺は助からない」
いろいろな言葉を言いたいのに、出てこない。
ただ涙だけがボロボロとこぼれてくる。
「トルク。俺は俺の信念を……貫いた。お前も……そうしろ」
こちらを向いた真っ直ぐな視線に、ずびりと鼻を啜って聞いた。
「……兄ちゃんの信念は何だったの?」
「お前を守り……貴族の誇りを忘れないことだ。トルーシスは大丈夫だ。……お前に会えてよかった」
兄ちゃんは僕の頭に弱々しく手を置き――静かに息を引き取った。
その場で放心したように座っていた。
夜が更け、そして朝もやがあたりに立ち込めたときに、ふと、トル―シスの顔が思い浮かんだ。
そうだ。
僕の信念。僕の信念は――。
闘技場の地下の、あの日々が脳裏に蘇った。
◆
兄ちゃんとトルーシスが今日も、剣の稽古をしている。
まだ知り合って間もないのに、お互いの顔には、すっかり打ち解けた笑顔が浮かんでいる。
僕は、ぼんやりと二人を眺めながら、部屋の隅で膝を抱えていた。
兄ちゃんがこちらにやってきて、笑顔で声をかけた。
「トルク。お前、トルーシスに剣を教えてもらったらどうだ?」
「……いいよ。僕、剣うまくないし」
「そんなことないさ」
兄ちゃんは困ったように笑って、「休憩してくる」と言って部屋を出た。水場にいってくるのだろう。
「……トルク。よかったら剣の修練をしよう」
兄ちゃんが部屋を出た後、トルーシスが僕に向かって控え目に言った。
「何をするのさ?」
尋ねると、トルーシスはさっと僕のところまできてしゃがみ、目線を合わせた。
「打ち合いはしない。まず考えるんだ。何のために戦うかを。トルク。君は何のために戦う?」
ちょっと緊張しながら、思いついたことを言った。
「うーん、相手を倒すため?」
「もっと根源的な理由だ。どうして相手を倒したいんだ?」
思わず言葉につまった僕に、トルーシスは微笑んだ。
「まずはそれをゆっくり考えればいい」
「ねぇ、トルーシス」
翌日。今日も部屋を訪れたトルーシスに、声をかけた。
兄ちゃんがいない隙を見計らって。
「考えたんだけど。戦う理由……」
思わずためらい、うつむく。
「どんなことでもいい。教えてくれ」
トルーシスは柔らかく微笑んだ。
少し経ってから、思い切って言った。
「僕はこんな闘技場なんて場所、なくしたいんだ」
トルーシスの目が見開いた。
「……素晴らしい」
思わず、僕も目を見開く。
「ほんと? でも僕にできるかな?」
トルーシスは遠慮がちに、僕の頭に手を置いた。優しい手だなと思った。
「必ず。強くなれば」
力強い言葉だった。
それが本当に嬉しかった。
◆
その言葉の余韻を噛みしめると、僕は静かにひとつ息を吐き、歩き始めた。
そして、足を踏み入れた。
――闘技場の地下へと。
馴染みの番人が、驚いたようにこちらを見た。
「なんで、またここに来た」声を潜めて続ける。「トル―シスはここにはいない。安全なところに逃がした」
その言葉にほっとしながら、僕は番人を見据えて言った。
「もう一度、自分の力で100勝するんだ」




