第3話 騎士
数週間後。
「あ~、うまい! 久しぶりの酒は生き返るぜ!」
ドン、とテーブルに杯を勢いよく置く。
小さな街の酒場に俺たちはいた。正確には俺が行きたいと駄々をこねたのだが。
「きみは……14だろ。いいのか、酒を飲んで」
トルーシスがわずかに怪訝そうな顔を浮かべる。
「うるさいな。いいんだよ、ちょっとぐらい」
「そうか」
頷くと、トルーシスも杯を口に運ぶ。
フードを目深にかぶっていて分かりづらいが、いつもと顔色は全く変わらない。
……ったく。
酒を飲ませて、少しはこいつの話を聞き出してやろうと思っていたのに。
数週間、一緒に旅をしているが、トルーシスは自分について、ほとんど語らない。
そもそも口数自体少ない。常にフードを目深にかぶり、手の甲まで覆う長袖を着ている。紋様を隠すためだろう。
そういう俺も、今は頭に布を巻いて入れ墨を隠しているし、左腕の紋様も外套で見えないようにしている。
帝国民が多いこの街じゃ、砂紋民だと悟られない方がいい。
その時。
荒々しい足音が響いた。
入ってきたのは、腰に大きな剣を佩いた3人の男たちだった。
「おい、酒を出せ。一番いい酒だ」
賑やかだった酒場が一瞬で静まった。店主が震えながら口を開く。
「こ、これは海の向こうの国から仕入れた貴重なもので……。お代を払ってくれるなら――」
鈍い音が響いた。
店主が床に崩れ落ちる。
「ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと酒を出せ。殺されたくなければな」
店主の胸ぐらを掴んで恫喝する。残り二人の男たちは、品定めするように店内を見回した。
「おい、ここに砂紋民はいるか」
心臓がドクンと一つ、音を立てた。
「いるだろう! 左腕を見せろ!」
その声に、酒場の客たちは慌てたように服の袖をめくり始めた。
白い左腕が露わになる。――彼らは問題ないのだ。帝国民だから。
トルーシスにさりげなく囁いた。
「何ごともないように右腕をめくれ」
動揺を顔に出したやつから終わる。
そして、この場に必ず砂紋民はいる。
「いたぞ! 捕まえろ!」
裏口に向かって、若い娘とその弟らしき少年が駆けだしたのが見えた。
男たちは瞬時に追いすがり、抜刀した。
二人の服が破れ、左腕に刻まれている茶褐色の紋様が露わになった。
……服だけ斬ったのか。
「いい顔の女だ。高く売れるぞ」
「首をとばされたくなければ、おとなしく従え」
なおも抵抗しようとする姉弟を、男ふたりが押さえつけている。
もう1人は、店主を脅して金を巻き上げている。
――今だ。
呆然とその光景を見ているトルーシスの腕を掴む。
「逃げるぞ」
「……え?」
トルーシスの目が大きく見開く。
「もたもたするな。今しかねぇ」
かなり手慣れているやつらだ。やりあっても勝てねぇ。注意がそれているうちに――
そのとき、扉がカラン、と鳴った。
入ってきた男を見て、思わず息をのんだ。
帝国騎士だったからだ。
純白の隊服。胸には金の刺繡で帝国のエンブレムが入っている。
そして、腰には光り輝く白銀鉄の剣。
突然の騎士の登場に、男たちは動揺した。
お互い目を合わせ、ひとつ頷くと、一斉に騎士に斬りかかった。
次の瞬間。
鋭い金属音が鳴り響いた。
同時に、男たちの剣が砕け散った。
割れた刃が無残に床に散らばる。男たちは柄だけになった己の剣を呆然と見つめた。
騎士はゆっくりと、鞘に収まったままの剣を剣帯に戻した。
抜いてすらいない。3人を相手にして、鞘だけでこの威力。
――これこそが本物の白銀鉄の剣。本物の騎士。
「正義の味方気取りかよ!」
男たちはいまいましそうに吐き捨てると、逃げるように酒場を出て行った。
「騎士様、ありがとうございます!」
酒場の店主がひれふしたのを皮切りに、客たちは我にかえったように膝をつき、恭しく頭を垂れた。
俺もさっと跪ずく。
ちらりと横を見ると、ぼさっと騎士を眺めているトルーシスがいた。
「おい、礼儀ってもんがあんだろ。騎士には俺ら庶民は平服しなきゃなんねぇんだ」
小声で言い、やつを椅子から引きずりおろすと、トルーシスは申し訳なさそうな顔をした。
「……ごめん。世間知らずで」
「別に。俺が知ってることは教えてやるよ」
トルーシスがわずかに息をのんだ気配がした。
「ありがとう、ネル」
……な、なんだよ。
「みな、よい。どうか私には気を遣わず楽にしてくれ」
苦笑まじりの騎士の声が酒場に響いた。
改めてその顔を見ると、まだ年若かった。19,20くらいだろう。短く整えられた灰色の髪にやはり灰色がかった瞳。
殴られた酒場の店主をすぐに助け起こし、砂紋民の姉弟にも声をかけている。
「大丈夫か。怖かっただろう」
娘は平伏したまま、恐れ多そうに言った。
「き、騎士様、膝をつくなんて……綺麗な隊服が汚れてしまいます。私たち砂紋民なんかに――」
「かまわない。この剣と隊服は民を守るためにある。そなたらもかけがえのない民だ」
やべぇ! 痺れる!!
思わず拳を握りしめた。
姉弟は何度も頭を下げながら、笑顔で酒場を出て行った。
静かに佇んでいるその騎士に近づき、思い切って口を開いた。
「なぁ、よかったら、一緒に飲まない? 俺らと」
「え……」
トルーシスが、絶句する。
騎士はこちらを見て、にこりと微笑んだ。「いいぞ。少しだけなら」
◇
その騎士の名は、デイトンというらしい。姓は名乗らなかったが、銘家の出だろう。言葉遣いと所作に品がある。
ざっくばらんにお互いのことを話し、ひとしきり飲み食いした後、俺は声を潜めた。
「なぁ、デイトン」
この奇特な騎士は、自らの名を呼び捨てでかまわないという。「もし良かったら……剣を見せてくれないか? 絶対に盗んだりしないから!」
「いいぞ」
デイトンは微笑んで、白銀鉄の剣を鞘ごと俺に渡した。
ずっしりと重かった。
きらびやかな装飾の鞘から、そっと剣を引き抜く。
――光り輝く銀色の刃。
その美しさと鋭さに圧倒された。
村にあった剣と比べると雲泥の差だ。
市場に出回る模造品とは違う。
これこそが、他国が恐れる帝国最高純度の騎士の剣だ。
思わず時を忘れてその剣に魅入った。
「……で、兄さんは結局見つからなくて、ネルに出会って一緒に旅をしているんだ」
急に俺の名前が聞こえてきて、ハッと顔を上げた。
いつの間にか、トルーシスとデイトンが話し込んでいる。
……へぇ。人探しの旅をしていたのか。
「会えない苦しさはよく分かる。見つかることを願う」
デイトンがトルーシスの手に自らの手を重ねると、トル―シスは大きく目を見開いた。遠慮がちにぼそぼそと礼の言葉を言っている。
二人は馬が合うようだ。引き続きいろいろと話し込んでいる。
話がひと段落したところを見計らい、デイトンに剣を返すと、彼はそれを剣帯に収め、呟いた。
「東ノ国の兵には、気を付けた方がいい」
わずかに翳りのある表情だった。
「分かってるさ。俺の村も東ノ国に滅ぼされたんだ」
ガタン。
デイトンがいきなり椅子から立ち上がった。
「どこの村だ?」
やけに必死な表情で尋ねてくる。
「村長アトスの村だ」
「そうか、君たちは――」
デイトンは何かを言いかけて、口をつぐんだ。
「……生きていて良かった。申し訳なかった」
心からの謝罪だった。
「気にすんなって。辺境の村だったから、騎士には情報が伝わらなかったんだろう」
もし騎士たちが駆けつけてくれていたら――きっと光り輝くあの剣で、造作もなく敵を追い払ってくれただろう。
だが、もう終わった話だ。
デイトンはもう一度、「申し訳なかった」と頭を下げると、「そろそろ時間だな」と呟き、硬貨を数枚、テーブルにおいた。
「え?」
トルーシスが仰天する。
――飲み食い代にしては、十分過ぎる額だった。
デイトンは微笑んだ。
「楽しかった礼だ。残りは旅の足しにしてくれ。またどこかで合えたらいいな」
名残惜しく別れを交わしていると、金髪に碧眼の騎士が店に入ってきた。
皆が跪こうとするのを、「いいって、いいって! 俺、堅苦しいの嫌いなんだよ」と手をひらひらさせてかわす。
……こんな軽薄な騎士もいるんだなぁ。
俺の心の中を読み取ったかのように、デイトンが苦笑した。
「ニックだ。隊の中で唯一の友人だ」
唯一? 尋ねる間もなく、ニックは足早にこちらにやってきた。
「遅いよ、デイトン。上官に怒られるよ」
「分かってる。今帰ろうとしたところだ」
「はいはい」
ニックが、俺らを見てふっと目を細めた。あまり好意的ではない眼差し。そのまま何かをデイトンにささやく。
一瞬、デイトンはうつむいたが――すぐに顔をあげ、「じゃあ、またどこかで」と微笑むと去っていった。
◇
まだ夜は長い。
酒場を出たあと、トルーシスに言った。
「なぁ、裏手にも店があるみたいだぜ。入ってみないか」
「分かった。ネルの胃袋は底なしだな」
頷くトルーシスに、心の中でほくそ笑んだ。
こいつがどんな反応をするか楽しみだ。




