第2話 朱色の入れ墨
「黒い紋様……」
まじまじと見つめると、男はふっと目を細めた。わずかに物憂げな顔だった。
ふと、脳裏に母さんの言葉が浮かんだ。
◆
「めったにいないけどねぇ。たまに黒い紋様が現れる子もいるんだよ」
確か10歳の誕生日の記憶だ。
「かわいそうだけど、そういう子は10歳で殺すことになっている。お前が普通の子で本当によかったよ」
母さんの温かい腕が俺の体を抱きしめた。
「誕生日おめでとう。成人まであと6年だね」
気恥ずかしさを隠すように尋ねた。
「なんで殺しちゃうの?」
「それはお前、黒い紋様の砂紋民はこの世界を滅ぼす呪いを受けているからさ」
「……その呪いは解けないの?」
思わず尋ねると、母さんは驚いたように目をしばたかせた。
「さぁ。そこまでは知らないさ。そういうことはあんまり深く首を突っ込まない方がいいんだよ」
◆
「……呪い」
思わず呟いてから、まずいことを言ったかな、とその顔を見上げたが、黒い紋様の男は、「そうかもな」と静かに呟いただけだった。
みれば、まだ若かった。俺より少し年上くらいだろうか。巻き毛の栗色の髪に、整った顔立ちをしている。
「お前、名前は?」
「トルーシス」
「……へぇ」
気づけば、矢はとんでこなくなっていた。後方に点のように小さくなった村が見える。
「戻るか」
唐突に、トルーシスが言った。
「敵兵が村から離れていく」
ほら、と指さされた先を見ても、何も分からない。言われてみれば、かすかに土煙があがっているような気もするが。
「本当か? 俺にはよく見えないぜ」
やつは困ったように少し微笑んで、「見つからないように迂回して戻ろう」とフードを目深にかぶりなおし、馬の向きを変えた。
「エトスさん! 俺だ!」
村に戻るなり、俺は血だまりの中に倒れていたエトスさんに縋りついた。
まだかろうじて息がある。
「ネル……よかった、逃げれたのか」
エトスさんはわずかに目を開き、かすれた声で言った。「ひとつ、聞いてくれ……」
「なんだ? なんでも言ってくれ」
全身を耳にした。
「あのあと、敵が、言ったんだ……”東ノ国に奪われるくらいなら、砂紋民を殺せ”、と」
「東ノ国に奪われるくらいなら?」
思わず繰り返した。後ろに佇んでいるトルーシスも、驚いた気配がした。
「あぁ。たしかに、言った……。あいつらは東ノ国の兵じゃないのか……?」
エトスさんはそう呟き、眠るように息を引き取った。
その場をしばらく、動けなかった。
空が茜色に染まったころ、大きく息を吐いて、顔をあげた。
トルーシスは、村人たちを埋葬し終えていた。
ひとつだけ、誰も埋まっていない穴が見える。
「……おい、手伝え。埋める」
「もちろんだ」
やつは頷き、こちらまで来ると丁寧にエトスさんを担ぎ上げた。
「やっぱり、ちょっと待ってくれ」
エトスさんに土をかぶせようとするトルーシスを静止する。
「その……長い金髪の16くらいの娘はどこに埋めた? 一緒に埋めたい」
歯切れの悪い言葉になった。
トルーシスは「分かった」と嫌な顔をせずに頷くと、心当たりがあったのか、一つの穴を掘り起こし始めた。
「この娘か?」
現れたミトラさんの姿を見て、俺は頷いた。
エトスさんとミトラさんを折り重なるように同じ穴に入れる。
ふと、ミトラさんの美しい長い髪に、ひと房、編み込みがされているのが見えた。
――そうだよな。
ミトラさんの髪を小刀で斬った。
二人の手首を重ね、その髪で縛る。もう二度と離れないように。
「何かのまじないか?」
トルーシスが首をひねる。
「あぁ。砂紋民の古い習わしだ。こうすれば死後の世界で一緒になれる」
二人は相思相愛だった。今年の成人ノ儀には、エトスさんから求婚する予定だった。
「よいまじないだな」
やつは頷くと、おもむろに懐から紐を取り出した。
ツタで編まれた、藍色の綺麗な紐。それをぐるりとエトスさんの空いている方の手首に巻きつけた。
腕輪のように紐はエトスさんの手首を彩る。
そしてその紐の残りを持ち――
やつはいきなり俺の手首をとった。
「な、なにするんだよ」
言う間に、左手首に紐が巻き付いていく。
「これで、きみと彼も、死後の世界で一緒になれる」
満足そうな笑顔が目の前にあった。
思わずぽかんと口を開けた。
「いや、人の話ちゃんと聞いてた? これじゃ何の要素もかぶってないぞ! それに、これは恋人同士のまじないだぜ!」
「……。そう、だよな」
心なしかその口調が沈んでいる気がした。
「あ~もういいよ! つけてあげる! 寛大な俺の心に感謝するんだな!」
思わずつっけんどんな口調になったのは、多分ちょっと嬉しかったからだ。
この人の不器用な心遣いが。
翌朝。
目を覚ますと、トルーシスは既に起き出し、朝食の準備をしていた。
二人分、用意されている。
俺はまっすぐ、やつに近づいた。
顔に刻まれている黒い紋様が、不思議と美しく見えた。
「トルーシス、頼みがある」
地面に頭をつける。「お前、旅をしているんだろう? 一緒に連れて行ってくれ。敵の正体を知りたいんだ」
「……いいのか。僕と一緒にいれば、君まで呪いと――」
「うるせぇな。んなの迷信だろ」
トルーシスは驚いたようにこちらを見て、それから僅かに微笑んだ。
「……ありがとう」
「それはこっちのセリフだぜ。……周りからとやかく言われるのは慣れてるし」
少し、躊躇ってから尋ねた。「お前、俺の頭については何も聞かないわけ?」
俺は片側の髪を刈り上げて、右耳に近い部分に2本の線が交差する形の朱色の入れ墨を入れている。
……往々にして人は見かけで判断する。こいつはどうだ?
「似合ってるじゃないか」
首をひねるトルーシスに思わずふき出した。
「お前な。朱色の入れ墨ってのは、奴隷の証なんだよ」
トルーシスの目が見開く。
「君は奴隷なのか?」
「何にも知らないんだな、お前」
ため息をつき、説明してやる。「本当の奴隷なら腕に入れるんだよ。形も逆三角だし」
聞かれるのも面倒なので、続きをしゃべった。
「母さんが奴隷だった。村で噂がたったんだ。……奴隷の息子ってさ。だから自分から入れ墨を入れてやった」
荒くれ者たちが彫る入れ墨を、頭に、しかも奴隷を象徴する朱色で入れた。効果はてきめんだった。皆、腫れ物に触るように距離を置く。それでよかった。
唯一、エトスさんだけが俺に声をかけてくれた。
「君は――強い」
トル―シスは顔をあげて真っ直ぐに、俺を見つめた。
「は?」
予想外の言葉だった。
「僕にはその強さはなかったから……」
トルーシスはふっと目を伏せた。瞼にまで黒い紋様があるんだな、と妙なところに感心した。
こいつも紋様のことで、いろいろと言われてきたに違いない。
しばらく黙ったあと、トルーシスは静かに東を指さした。
「まずは黒ずくめの兵たちが向かった方向へ向かおうか」
「え、お前の行先はいいの?」
思わず驚いて聞き返した。
「あぁ。特に行先はないんだ」
「でもお前、旅しているんだよな?」
「……まあ」
トルーシスは照れくさそうに微笑んだ。
……よく分からないやつだな。
そんな訳で俺と、トルーシスとの旅が始まった。
◇
心が、バラバラに崩れてしまいそうだった。
涙で馬上からの景色が霞む。
……自分は何のために騎士になったのだろう?
今までに何度となく考えてきた問いを頭の中で繰り返す。
「余計な事考えて落馬しないでね」
隣で涼しい顔で馬を操るのは、同僚のニックだ。”敵”の返り血が僅かに頬についている。
ニックは今回の戦いで”敵”を10人殺して昇進した。
「君の気持ちも分からんでもないよ。でもまあ、まだ僕らはただの一般兵だ。この腐った騎士団を変えるには上り詰めないとね」
いつもの飄々《ひょうひょう》とした口調。
「……」
俺はそこまで割り切れない。
押し黙った俺をちらりと見てニックはため息をつくと、「それにしても、」と話を変えた。
「あの入れ墨の少年を救っていった男はすごかったね」
恐ろしいほど強かった、と感想を言う。
「あぁ……無事に逃げのびているといいのだが」
「そういう風に言うのは、多分君くらいじゃないかな」
ニックはあきれたように笑った。




