第1話 漆黒の紋様
鋭利な刃が首に触れる感触。
「さあ、選べ。ここで一息に死ぬか。それとも森で野垂れ死ぬか」
村長は刃をわずかに動かした。一筋の血が首をつたう。
「切れ味抜群の白銀鉄の剣だ。楽に死ねるぞ」
……ここで殺してください。
喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
「森で死にます」
「そうかよ。獣に食い殺されないよう、気をつけるんだな」
村長は残念そうに剣を鞘にしまった。
「じゃあな、”呪い”。文句はその黒い紋様に言え。掟通りお前は10歳の今日をもって追放だ」
村長は僕の背を蹴り、去っていった。
誰もいない森の中を歩く。
森は、静かだった。
村でつきものだった、罵倒や暴力は何もない。
ふと、茂みに人の気配があった。
「……レイル爺」
「バレちまったのう」
頭をかきながら、柔和な顔の初老の男が出てきた。
「よかった、死ぬのを選んでいなくて」
ほっとしたように呟き、包みを押し付けてくる。「当分の食料だ。簡単な武器もある。これで生き抜け」
受け取ると、ずっしりと重かった。
「……ありがとうございます」
頭を下げ、歩き出そうとすると、グッと肩を掴まれた。
「トルーシス。約束しろ。決して自分で自分を殺さないと」
力強い両の目がこちらを見据える。
「分かりました」
頷き、森の奥へと歩き出す。
「約束じゃぞ――」
遠くなる言葉を背で受けながら考えた。
これでレイル爺に義理を果たした。
さて、どこで死のうかと。
◇
森の奥へと進むと、低い唸り声が聞こえ、見事な体躯の獣がぬっと姿を現した。
――虎か。
鋭く光る牙が、僕を狙っている。
ここで、終わりにしよう。
そう思った。
目を閉じれば、もう怖さはなかった。
虎が大地を蹴る音。
ふりかかる生温かい息。そして牙が――
突然、ドサッと音がした。
「なにお前、死にたいの?」
呆れたような声に、目を開け、驚いた。
地面に倒れ伏す虎。
その傍らには、日に焼けた長身の青年が剣を手に立っていた。
「あ~ぁ。誰か捨てられたと思ってきてみたら、こんな痩せこけたガキか。娘が良かったなぁ」
「……なら助けなくても」
控え目に言うと、「そうは言ってらんねぇよ」と笑い、ふと真剣な表情になった。
僕の顎を指先でつかみ、ぐいと持ち上げる。
「ふーん。顔にまで黒い紋様があるのか」
「だから死んだ方がよかった」
黒い紋様を持つ砂紋民は、世界に災厄を招くと言われている。
青年は鼻で笑った。
「そんなの迷信だ。俺はこの腐った世界を変える。見ろ」
めくってみせたその腕に、息をのんだ。
そこには、黒々とした紋様があった。
……僕と同じだ。
「こいよ、ガキ」
青年は手を差し出した。「これからお前は俺を”兄さん”と呼んで敬え。生き方を教えてやる」
得意げに剣を一振りしてみせ、はじけるように笑った。
その剣は、今までに見たこともないほどに輝く、白銀鉄でできていた。
◇
……兄さん。
彼が残した白銀鉄の短剣を握りしめ、束の間、思い出に浸った。
あの日から1年後、兄さんは『帝都で奴隷にされている砂紋民を救う』と言って、森を出た。
それから5年が経ち、僕も兄さんが森を出たのと同じ歳――16になった。
短剣を腰に差し、一歩、森の外へと足を踏み出す。
兄さんにもう一度会いたい。その思いで。
◇◇◇
俺のいる村は敵に攻められて、酷い有様だった。
血と煙の匂い。倒れた村人たちと、崩れた家屋。
あんなに村の金をはたいて買った白銀鉄の剣は、無残な破片となって地面に散らばっている。
生き残った者たちは、奥にある村長の屋敷へと入っていく。が、俺は屋敷の茂みの影にしゃがみこむ。
「ネル、今日くらいは来い。誰がなんと言おうと、お前も村の一員だ」
明朗な声が響いた。顔を上げると精悍な黒い瞳と目があった。
「……構うなよ。エトスさんの格が下がる」
突き放すように言うと、この村の村長の息子は微苦笑を浮かべ、屋敷へと入っていった。
あとから来た大人たちが忌々しげにこちらに視線を向けたのが分かった。
「しぶといやつめ。生き残ってたのか」
「奴隷の血が入ってるだけはあるな」
ひそひそと話している。
……聞こえてますけど。
そう思いつつ、顔には出さなかった。
やがて屋敷で話し合いが始まった。
徹底抗戦か、投降か――どちらかが決まるのだ。
しばらくたち、どやどやとみなが屋敷から出てきた。
「……どうなった」
エトスさんの姿をみとめ、茂みから顔を出し、小声で聞く。
「投降することになった」
息をのんだ。
「……帝都から騎士団は?」
「待てない。もう使える剣がない」
エトスさんはため息をつき、続けた。
「反対したが、聞き入れてもらえなかった。みな、奴隷になっても生きてさえいられればいいと思ってる」
――奴隷がどんな扱いを受けるか知らないからだ。
唇を噛むと、エトスさんがふっと笑った。
「お前の言う通りだった。あの東ノ国が、この村を上回る剣を持っていた。……違う戦い方をしていれば、道は開けたのかもな」
目を細め、遠くを見る。
思わず、声を強めた。
「エトスさん、逃げろ。南は敵の包囲が緩い。エトスさんならいける」
「……できない。ミトラもいるし」
そう言うと思っていた。
エトスさんはこちらをまっすぐに見据えた。
「ネル、お前こそ逃げろ。この村と道連れになる必要はない」
しばらく沈黙してから、言った。
「いい。どうせもう、どこにも行き場はないんだ」
エトスさんが顔を曇らせ、口を開きかけたとき――
「そんなやつに構うなよ、エトス。穢れるぞ」
左腕の複雑な紋様を見せびらかすようにして現れたのは、大人たちだった。
「うるせぇな。お前らもその奴隷に、これからなるんだろ」
かりあげた頭に入れた、朱色の入れ墨をわざと見せつけてやりながら、その場を去った。
翌朝。
「これで、全員か」
東ノ国の兵は、低い声でそう言った。みな、黒いマントに身を包み、黒い覆面で顔を隠している。
黒づくめで気味が悪い。
「はい。我ら皆、投降いたします。お願いですから命だけは」
村長が跪いて頭を下げた。その隣で、エトスさんも同じように頭を垂れている。
「その予定だったんだけど、残念ながらちょっと事情が変わってねぇ」
東ノ国の兵は、なんてことのないように言った。
「殺れ。全員だ」
……え?
頭が真っ白になった。
「殺す必要はないのでは?」
若い敵兵の声が聞こえた。
先ほど指示を出した兵は、舌打ちをすると声を張り上げた。
「お前ら! 1人殺すごとに金貨1枚だ。10人で昇進のための推薦文を書いてやる!」
その言葉に雰囲気がガラッと変わった。
――まずい。
輝く敵の刃にかかり、どんどん周りの村人たちが斬られていく。
俺の頭上にも、刃が閃いた。
……これで、いいか。
そう思った。奴隷として生き地獄を味わうよりも、ここで一息に――
目の前で、鮮血が飛び散った。
崩れ落ちるように、ドサッと誰かが俺にもたれかかる。
「――エトスさん?」
俺を庇ったからだ。理解が遅れてやってくる。
「……なぜ」
微笑した顔と、目があった。
「いつも鋭いお前がどうした。希望がやってきているじゃないか」
……希望?
唐突に、馬の鳴き声が聞こえた。
風がうなる。次の瞬間、グッと力強く襟首を掴まれた。
「ネル。生き抜くんだ」
柔らかく微笑むエトスさんの顔。
「エトスさん!」
もがいたが、体は動かなかった。
気づけば馬上にいた。誰かに、体を抱えられている。
景色が流れていく。
「離せ! 俺じゃない!」
吠えた。「戻れ! 俺よりもエトスさんが助かるべきだった!」
そいつは、片手で敵の矢をはじき返しながら、静かに問うた。
「なぜ?」
目深にかぶるフードで、その顔は見えない。
「なぜって……エトスさんの方が強いし賢い!」
「そうか。でも今あの場に戻れば、僕らは死ぬ」
やけに淡々とした口調。
「止まれよ、クソ野郎!」
手を振り上げ掴みにかかったが、あっさりとかわされた。その拍子に、そいつが深くかぶっていたフードが外れた。
現れたその顔に、息をのんだ。
――黒い紋様。
噂に聞くそれは、俺たちの茶褐色の紋様と違って、闇を切り取ったような漆黒だった。
第一話、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この物語が、誰かの心に届けば幸いです。
良かったら、トルーシスとネルの行く末をぜひ見届けてください。




