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第26話 東ノ国編③ 軍隊

ノックの音がした。

部屋の中にいた男は、ハッとして覆面(ふくめん)を手に取り、顔につけた。


「それ、つけない方がいいのに」

同じ部屋で寝台(しんだい)に寝(ね)そべりながらぐびぐびと酒を飲んでいた大男が陽気に言った。


「……ヒスタロス。お前は見えないところにいろ」


「はいはい」

大男が寝台(しんだい)の下に隠(かく)れたのを見届けると、男は扉(とびら)を開いた。「……なんだ?」

その顔は覆面(ふくめん)に隠(かく)されて全く見えない。


「鋼主(こうしゅ)さま。お休みのところ申し訳ありません。軍に砂紋民(ヌルム)の男が入隊したいと言ってきまして。西ノ帝国(にしのていこく)の手先かもしれません」

部下が深く頭を下げながら言った。


「……素性は調べたのか」


「は。トル―シスという西ノ帝国(にしのていこく)で重罪人なった者と一緒(いっしょ)に活動していた者でした。追放され、こちらの国に逃(のが)れてきたのでは」

簡単な調査書を手渡(てわた)す。


「……トル―シス」

覆面(ふくめん)の下で男はその名を小さく復唱した。「……その男の腕(うで)は立つのか」


部下は頷(うなず)いた。「えぇ。かなり。鋼主(こうしゅ)さまには及(およ)びませんが」


「よし。入隊させろ」

迷いのない言葉に、部下は驚(おどろ)きの表情を浮かべた。


「よいのですか? 一度裏切ったものは何度も裏切ります。危険なのでは」


「構わぬ」

凛(りん)とした声に、部下はさっと深く頭を下げた。


「なんと広いお心。早速入隊許可を出します」

そういって部下は去っていった。







「よかったのかい?」

覆面(ふくめん)の男に、大男は寝台(しんだい)の下から出てきて尋(たず)ねた。


「……よい。もとより誰(だれ)も信用していない」


「なんだか悲しいな。東ノ国を治めてからずっとそうなのか?」


「……いや」 覆面(ふくめん)の男は、窓際にいけられていた紫色(むらさきいろ)の花にそっと触(ふ)れた。「一人、いや二人いた。ヘブライ……」


大男はまた酒をあおりながら尋(たず)ねた。

「そいつらは今どうしてるんだ?」


沈黙(ちんもく)のあと、覆面(ふくめん)の男は静かに言った。

「殺された。もう1人は自殺した」


「なかなか苦労の多い人生だねぇ」

大男はため息まじりに言って、また酒をぐびぐびと飲んだ。


「ヒスタロス。最後に紋様(もんよう)を見せてくれ」


「あいよ」

大男はごろりと寝返(ねがえ)りを打って、紋様(もんよう)を覆面(ふくめん)の男に良く見えるようにした。


「……相変わらず珍(めずら)しい紋様(もんよう)だ」

それは、茶褐色(ちゃかっしょく)と漆黒(しっこく)の2色が複雑に混じった紋様(もんよう)だった。


「読めたのかい?」


覆面(ふくめん)の男は頷(うなず)くと、立ち上がった。

「お前は自由だ。どこへでも行け」


大男は驚(おどろ)いたように顔をあげた。「おれ、硝子(ガラス)の部屋に入らなくてもいいの?」


「あぁ。お前の情報は私以外に知られると困るからな」


大男は面白そうに口の端(はし)をあげた。

「なんて書いてあったの? 俺の紋様(もんよう)に」


「それは言えない」


大男は「そうかい」と笑うと寝台(しんだい)から降りた。

「じゃあな。優しい兄ちゃん」陽気に笑う。「俺みたいなむさくるしい男なんかじゃなくて、麗(うるわ)しい娘(むすめ)でも見つけろよ」


「……無理だ。こんな顔だ。それに、私は優しくなどない」


「そんなことないさ」

大男はまた陽気に笑って部屋を後にした。


静かになった部屋で、鋼主(こうしゅ)、と呼ばれた男は部下から渡(わた)された調査書に再び目をやり、呟(つぶや)いた。


「砂紋民(ヌルム)か。馴染(なじ)めればよいが。……まずは北ノ国との戦いを生き抜(ぬ)けるかだな」






    ◇






東ノ国の軍に入るやいなや、俺は北ノ国との戦いに駆(か)り出された。


北ノ国は、豊かな国土を求めて毎年春の終わりから初夏にかけて攻(せ)め込んでくる。

東ノ国が西ノ帝国(にしのていこく)の属国だった時には、西ノ帝国(にしのていこく)の騎士が追い払(はら)ってくれたので戦う必要はなかったのだが。


長く厳しい戦いになり、俺の隊は、俺以外全滅(ぜんめつ)した。

俺も深手を負い、うっそうと茂(しげ)る森の中へと逃(に)げ込んだ。


それでも、北の兵は追いかけてくる。


ふと、足元に紫色(むらさきいろ)の花が見えた。森の奥(おく)の山へとその花は続いている。


……紫煙花《シエカ》か。


トル―シスがその毒で敵を撃退(げきたい)した記憶(きおく)が脳裏によぎった。


俺は最後の力を振(ふ)り絞(しぼ)って山へと足を動かし――やがて力尽(つ)きて倒(たお)れ込んだ。










目を覚ますと、洞窟(どうくつ)の天井が目に入った。

……あれ、トルーシスと旅をしてたんだっけ?


横を見て驚(おどろ)いた。

そこには旅装を纏(まと)ったリュシアがいた。洞窟(どうくつ)の壁(かべ)に頭をもたげて眠(ねむ)りこけている。


戦いで傷(きず)を受けていた脇腹(わきばら)に、包帯がまかれている。


……もしかして、こいつは。

俺のために?


「リュ……」

言いかけてやめた。もう少しだけ、その顔をこの目に焼き付けたいと思った。


起き上がり、近くへと歩みよる。


「リュシア、ありがとう」

眠(ねむ)ったままのリュシアにささやく。

……すこしやつれたか?


顔色が少し悪いような気がする。

唇(くちびる)にやや血色感がない。


……うすい唇(くちびる)だ。シェムリの厚い唇(くちびる)とは違(ちが)う。


「……あ、ネル起きたんだね!」

リュシアがパチリと目を覚ました。藍色(あいいろ)の瞳(ひとみ)と目線があう。


「うぉ! ま、まあな!」

思わず飛びずさる。


「……良かった。本当によかった。結構長いこと気を失ってたんだよ」


リュシアは俺に鏡を見せた。映し出された自分の体に、愕然(がくぜん)とする。

腕(うで)や足のあちこちにうっすらと紫色(むらさきいろ)の痣(あざ)があった。紫煙花《シエカ》の毒で死ぬ者のように。


「多分、この山は紫煙花《シエカ》の濃度(のうど)が濃(こ)いんだと思う。だから私たち砂紋民(ヌルム)でも迷い込むと命に関わる」

リュシアは洞窟(どうくつ)の外を見た。月明かりに照らされて、山の中腹からふもとにかけて紫煙花《シエカ》が咲(さ)き乱れている。


「お前は大丈夫(だいじょうぶ)だったのか?」


「うん。炎(ほのお)があったから」

リュシアは洞窟(どうくつ)の中で赤々(あかあか)と燃えている炎(ほのお)を指さした。

「白銀鉄(はくぎんてつ)の粉を入れた炎(ほのお)には、紫煙花《シエカ》の中毒を和らげる作用があるの。この前、偶然(ぐうぜん)気づいた」


「……そうなんだ」

リュシアが俺の命を救ってくれたんだ。

「お前、どうしてこんなところまで来たんだ」


リュシアは少しだけ微笑(ほほえ)んだ。

「……ネルが戻(もど)らないってきいて」


「死んだから剣が作れなくなるぞ」


「ネルに死なれる方が困るよ」

リュシアは間髪(かんぱつ)入れずに答えた。


少しためらってから、聞いた。

「……俺の方が剣よりも大事ってこと?」


リュシアは首をひねった。

「うーん、分からないな」


……分からないのかよ。


「でも、そうだなぁ」リュシアは微笑(ほほえ)んた。「でも私が普段(ふだん)考えていることの7割は剣のことで、3割はネルのことだよ」


……え?


「あっ、じゃあ、もう行かないと!」

リュシアは急に慌(あわ)てたように立ち上がった。


「も、もう行くのかよ。……もうちょっとここにいてもいいんじゃないか。ほら、夜は暗いし」

っていうか今晩くらいは隣(となり)にいてくれないかな。立ちあがったリュシアを見上げる。


「や、松明を持っていくから大丈夫(だいじょうぶ)」

洞窟(どうくつ)の中の炎(ほのお)を松明に移すと、松明は赤々(あかあか)と燃え盛った。

白銀鉄(はくぎんてつ)の粉が入っていると、長い間消えない明るい炎(ほのお)となるらしい。


思わず苦笑した。……そうだった。こいつにはこいつの道がある。


「ありがとな。……剣づくり、頑張(がんば)れよ」

そういうと、リュシアは微笑(ほほえ)んで洞窟(どうくつ)を去っていった。




「…………3割も俺のこと考えてくれてるのか。やば」

一人残された俺は、余韻(よいん)に浸(ひた)りながら寝転(ねころ)がった。


……まだ戦える。北の国を追い払(はら)おう。












体が回復した後、北の国の陣営(じんえい)へと忍(しの)び込んだ。

戦力が乏(とぼ)しい時には、奇襲(きしゅう)しかない。


だが――あれだけ多くの兵がいたのに、そこはもぬけの殻(から)だった。


無数の北の国の兵が倒(たお)れている。

彼らの死体を見て、さらに驚(おどろ)いた。


……首輪だ。

薄(うす)い金属で作られた首輪が締(し)まって死んでいる。


「……彼らはここに留まろうとした者たちだった」

突然(とつぜん)、声が聞こえた。ハスキーな少し高めの声。


瞬時(しゅんじ)に後ろに跳(と)び、構えた。

少し離(はな)れたところに、何者かが佇(たたず)んでいる。


「大丈夫(だいじょうぶ)だ。もう攻撃(こうげき)しない」

そいつは両手をあげた。その顔に見覚えがあった。左頬(ひだりほお)にある、大きな火傷の跡(あと)。北ノ国との戦いの中で、さんざんてこずらされた相手だった。


「……北の国の兵は皆(みな)、国へ帰った。もう夏が来てしまうから、らしい」


地面に転がっている死体に視線を向ける。

「帰るのを拒(こば)んだ者は、こうなった……」

深い悲しみが混じる声だった。


「お前は? どうしてこうならなかった?」

思わず尋(たず)ねると、静かな声が返ってきた。


「私は北ノ国の者ではないから」


「……え?」


「……私はただ、どうしようもなく、何かと戦いたくてここに流れついた」

荒涼(こうりょう)と荒(あ)れ果てた地面を見つめる。憂(うれ)いのある横顔に、凛(りん)とした佇(たたず)まい。


「苦労してるんだな。お前、もと東ノ国の王家の者とかか? それに女だろ?」


「なぜ分かった」

わずかに驚(おどろ)いた声。


「んまあ、なんとなくだよ。なぁ、お前俺の仲間にならねぇか?」

そう言うと、緑色の瞳(ひとみ)が見開いた。


「口説いてるんじゃない。俺はいつか西ノ帝国(にしのていこく)のためにこの東ノ国を倒(たお)す。お前の力を貸してくれ」


その女はしばらく黙(だま)り、それから「わかった」と静かに頷(うなず)いた。


「そういえば、お前名前は?」


「……名は捨てた。北ノ国の仲間には、”傷(きず)”と呼んでもらっていた」

なかなかのネーミングセンスだな。

その顔に広がる派手な火傷のあとをちらりと見やる。何かが過去にあったのだろう。


とにかく、俺はその変わった女――傷(きず)を仲間にした。






軍へと戻(もど)ると、北ノ国との戦いでの数少ない生き残りとして、多少は見られる目が変わった。だが、砂紋民(ヌルム)の俺に好意的に接する者はほとんどいなかった。


数日たって、上官が小包を手渡(てわた)した。

「鋼主(こうしゅ)さま直々(じきじき)にくださった隊服だ。大事にするんだな」

俺の肩(かた)を叩(たた)いて去っていく。


「…………」

隊服を来て、鏡に映る自分の姿に少しだけ見入ってしまった。


その隊服は、左腕(ひだりうで)だけ袖(そで)がなかった。左の首筋に入れたリュシアの紋様(もんよう)も良く見えるつくりになっている。

黒い隊服に、それらの紋様(もんよう)がよく映えていた。











あの闘技場の戦いから、5年後。


「眼鏡。いるか」

真夜中。地下通路の扉(とびら)をガチャリと開けた。

ここはとある家の地下室につながっている。


「久しぶり。おや、今日は制服姿?」

眼鏡をかけた青年が、机から顔をあげた。


「急ぎだったからな」

これは、かなり危険な密会だ。だが、眼鏡は特に気にした様子もない。


「なかなか似合ってるじゃないか。鋼主(こうしゅ)様じきじきに下賜(かし)されたって噂(うわさ)は本当なんだな」


「……まあな」

俺に合わせて、腕(うで)と首筋の紋様(もんよう)が良く見える様な意匠(いしょう)になっている。


「リュシアに見せてやればいいのに」

ため息まじに呟(つぶや)かれる。


「……巻き込めるかよ」

応じると、眼鏡は無言で非難の目線を送ってきた。


「きみ、女好きで花街に通い詰(つ)めだって噂(うわさ)ばっかりだよ?」


「それは欺(あざむ)くためだ」

西ノ帝国(にしのていこく)で飄々(ひょうひょう)としていた金髪(きんぱつ)の騎士が、いつも俺の脳裏にいた。


「ふーん? それにしては、シェムリって女のもとに足しげく通っていたようじゃないか。リュシアが内心どう思っているのか僕(ぼく)は怖(こわ)くてたまらないよ」


「……あのころは嫌(いや)がらせばかりで宿舎で眠(ねむ)れなかったんだよ」

眼鏡はもうひとつため息をつくと、「ところで」と話題を変えた。「また背が伸(の)びたね。目の具合は大丈夫(だいじょうぶ)?」


「問題ない。任務は支障なく行えるはずだ」

何かを感じ取ったのだろう。眼鏡は視線を鋭(するど)くさせた。


「いよいよ西ノ帝国(にしのていこく)に行くのか?」


「あぁ。”傷(きず)”はいるか」


「……はい」

低い声が響(ひび)き、音もなく物陰(ものかげ)から人影(ひとかげ)が現れた。頬(ほお)には大きな火傷の跡(あと)。すらりと均整がとれた長身に、短く刈(か)り込んだ髪(かみ)。一見、男のようにに見えるが女である。


「傷(きず)、支度をしろ。いよいよだ」


「既(すで)に」

傷(きず)は頷(うなず)き、まとめた荷物を掲(かか)げてみせた。さすが、話が早い。


眼鏡が口の端(はし)を上げた。

「まったく、”傷(きず)”がここに来た時も驚(おどろ)いたんだから。戦った相手を仲間にするか、普通(ふつう)」


「うるさいな、強かったんだよ」


「……」

傷(きず)は長いまつ毛に覆(おお)われた目を伏(ふ)せ、沈黙(ちんもく)している。基本的に寡黙(かもく)で、滅多(めった)にしゃべらない。


「リュシアが平然と受け入れていたから良かったものの。下手したら関係を疑われて追い返されても仕方なかったよ?」


「……正直、それは心配した」


「出国する前に、リュシアに一度会え」

傷(きず)のハスキーな声が響(ひび)いて、驚(おどろ)いた。


「傷(きず)に言われるなんて相当だぞ。実際、軍に入ってから会ったのは山で治療(ちりょう)してもらった時だけだろ?」

眼鏡が笑う。


「……いや、危険すぎる」

目を閉じ、首を横に振(ふ)った。

俺は、いずれ軍を裏切ろうとしているのだ。


「眼鏡、くれぐれもリュシアを頼(たの)む」


「はいはい、分かりましたよ」

呆(あき)れたように頷(うなず)く眼鏡に別れを告げ、俺と傷(きず)は東ノ国を旅だった。

めざすは西ノ帝国(にしのていこく)。


5年ぶりの俺の故郷だ。

次は、剣奴だった時代のトルーシスの話です。

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