第23話 失意のデイトン編③ 秘密
キリル、という名の書庫守の同僚は、想像していたよりも随分若かった。
まだ二十歳手前じゃないだろうか。だが、こちらをじっと見つめる視線には、どこか常人とは違う鋭さがある。
「帝国も馬鹿だねぇ。こんなやつ、僕だったら怖くて雇えないよ」
騎士が出て行き、部屋にふたりになるとキリルは呟き、肩をすくめた。
「耳を舌を奪われても仕事をするなんてさ。……狂ってるよ。何が目的?」
整った色白の顔。射貫くような瞳。「いっとくけど、僕が君の上司だからね。ごまかしちゃダメだよ」
「真実を知りたいんです」
思い切って言った。
「ふーん。続けて」
キリルは顎をあげ、うっすらと笑みを浮かべた。
「これは、今から100年前の砂紋民の紋様です」
懐からレイルの本を取り出し、キリルに見せる。
「明らかに今よりも複雑で美しい。帝国の衰退と連鎖するように砂紋民の紋様が失われている。――この紋様に、帝国の秘密がある気がしてならない」
キリルはもう笑ってはいなかった。
「で、真実を知ってどうするの」
「この国は美しくない。俺はこの国を、もっと秩序のある美しいものにしたい」
笑われるかと思ったが、キリルは口を真一文字に結び、しばらく沈黙した。
ややあって、ぶっきらぼうに尋ねる。
「それは、トルーシスってやつの影響?」
思わず笑みが浮かんだ。「それもあるな。彼を尊敬している」
「……ふうん。あらかた、本当の英雄だったんだろう」
その言葉に驚いた。
キリルは吐き捨てるように言った。
「世間は馬鹿ばっかりさ。僕は騙されない」
手元の俺の答案をざっと眺める。
「よくできてるね。でも、覚えておいて?」語調が強くなった。「紋様の秘密を解くのは、この僕だ」
独り言のように続ける。
「この世界は退屈極まりない。唯一、面白いのがこの紋様さ」
キリルは一瞬考えると、パッと顔を輝かせた。
「ちょうどいい! 君に退屈な書庫守としての仕事を全てやってもらおう!」
こちらを指さし、上から目線に告げる。
「君は下働き。僕は解読。分かった?」
「わ、分かりました」
いやとは言えない雰囲気である。
「けっこう」
キリルは満足げに頷いた。
「で、明日になれば耳と舌を処理されるんだよ?」
「はい」
俺が動揺してないのを見てとると、キリルは不満げに口を尖らせた。
「まあ、とりあえず明日からの意思疎通する方法を考えよう」
◇
「はぁ~、これで毎日会話するのか~、面倒だなぁ~」
キリルはガシガシと頭を掻きむしった。
最初は筆談を試みたが、時間がかかりすぎるのでやめた。
代わりに、指の叩き方で言葉を伝えることになった。
叩く回数く、速さ、間の取り方。その組み合わせで言葉を伝える。明日以降は指の動きをよく見て会話をすることになるだろう。
「じゃあ、きみの部屋は僕の部屋の隣にあるから、自由に使ってね」
キリルは立ち上がり、「書庫」と呼ばれる今いる本棚が立ち並ぶ広い部屋から、奥にある自分の部屋へと去った。
日中、書庫守は「書庫」で仕事をし、夜は自室で過ごすらしい。
自分の部屋に入り、荷ほどきをした。
持ってきた主なものはレイルから譲り受けた大量の本だ。部屋の中の本棚には入りきらず、書庫にある空いている本棚にも入れていく。
作業の途中で、入口からノックの音が響いた。
ドアを開けると、先ほど俺をキリルに案内した騎士がいた。
「では、最後の手紙を」
手を差し出した騎士に、ニックとネルヴァへ宛てた手紙を託した。
今日だけ、外部にいる人間に手紙を書くことが認められている。
そこから先は、1年に一回、祭りの日に外出が許される以外、外部から完全に閉ざされる。
手紙のやり取りも禁じられる。
祭りの日の外出時にも、常に騎士が付き、俺たちを見張るという。
――書庫守。
すごい世界に俺は来てしまったようだ。
◇
翌日の昼過ぎ。
「おかえり。どうだった? ……っていっても聞こえないか」
騎士に連れられ、デイトンが書庫に帰ってきた。言葉には反応していない。
「恐ろしいやつですよ。眉すら動かしませんでした」
騎士が苦笑交じりに言う。
「ナヴァン。君がこいつを”処理”したの?」
「えぇ。あとはよろしくお願いします」
にこりと笑い、騎士は一礼して退出した。
二人だけになると、指先で机をトン、トンとリズムよく叩いた。『おかえり』と。
デイトンも机を叩く。
『ただいま帰りました。早速仕事をやらせていただければと思います』
答えず、近くへと歩いていく。
『口を開けて』
デイトンの口の中を注意深く観察する。予想した通りだ。筋肉が固縮している。
懐から注射針を取り出し、すぐさまデイトンの舌にさした。
デイトンが僅かに顔をしかめる。
「ふふ、痛いでしょう? 耳はどうかな?」
耳の後ろのあたりにある骨を叩く。
『振動を感じる?』
指で尋ねるとデイトンは頷いた。
……やるな、ナヴァン。
その左耳に、小さな機械をかけた。耳の後ろの骨のあたりにくっつけるようにする。
「寝ずに作ってやったんだよ。感謝してね」
その瞬間、デイトンは驚いたようにこちらを見た。
「――聞こえるようになったでしょ? まあ、僕って天才だからね」
◇
キリルがその機械を耳につけた瞬間、音が自分の耳に戻ってきた。
俺は信じられない思いで、目の前に佇む自分よりも随分と若い青年を見た。
「どうよ気分は? 一旦声と音を奪われて、また取り戻した気持ちは?」
キリルが口の端をあげる。笑うと少し人懐っこい雰囲気になった。
「感無量です。感謝します」深く頭を下げたあと、思い切って尋ねた。「なぜここまでしてくださったんですか」
行ったことが明らかになれば、重い咎めを受けるだろう。上の命令に逆らっているのだから。
「なぜ……?」
キリルは瞬きしてわずかに考えたあと、本棚を指さした。
「君が持ってきた本、読んだよ。勝手にで悪いけど、君の部屋の中の本も読んだ」
まったく悪びれる様子はない。
「いっとくけど、あんなに興味をそそられる本、書庫に置いておく方が悪いんだからね。僕が知らなかった内容もあった。気になって部屋にも入りたくなるのが普通だろう」
キリルはそこまで言ってから、ややためらって口を開いた。
「君となら、話があうと思って」
「……え?」
一瞬、思考が止まった。
「わ、悪い?」
なぜかキリルは少し赤くなりながら喚きたてた。「僕の唯一の興味は紋様の解読だ。そのためなら、悪魔と手を結んでもかまわない」
「………」
俺は悪魔か。
「まあ、君が実は聞こえるし、しゃべれることがバレたら、僕は全部君に責任をなすりつけるから。僕は勤務態度がすごくいいから、絶対にみんな僕の言うことを信じるさ」
……騎士のノックをあれだけ無視しておいて、勤務態度がいいといえるのだろうか。
キリルは俺のことなどお構いなしに、机の上に平積みしてあった砂紋民の紋様が記録された帳簿を一冊、手に取った。
「さあ、仕事だ。ちょうど成人ノ儀が終わって、各地から紋様が集められた」
パラパラと帳簿をめくる。「ふーん、またありきたりな内容っぽいな。ま、手始めにはちょうどいいか」
言いながら帳簿を開き、差し出してきた。「じゃ、読んで?」
「……読む、とは?」
ページには日付と砂紋民の名前、誰の子か、といった簡単な記載に、紋様のスケッチしかない。
キリルが驚愕の表情をうかべた。
「え、きみ、気づいてないの?」
「……何をですか?」
首をかしげると、キリルは束の間、絶句して固まった。
「……僕は重大な思い違いをしてしまったのかもしれない」
首を左右に振ると、腕組みをして俺を見据える。
「君、僕の試験問題、最後まで解いたんだよね?」
「はい」
「君の部屋にあった、『紋様の研究』って本を5巻までほんとに読んだんだよね?」
「はい」
真剣に頷くと、キリルは深くため息をついて、がっくりと首をうなだれた。
「……話が合うなんて思った僕がいけなかった」
すごい剣幕でまくし立てる。
「君、馬鹿なの? ここまで読んどいて気づかないなんて。馬鹿なの?」
「ば、馬鹿と2回も言わなくてもいいじゃないですか」
思わず抗議した俺を冷えた目で一瞥してから、キリルは再びため息をついて言った。
「もの分かりの悪い君に教えてあげるよ。……砂紋民の紋様は文字なんだ」
◇
「……え。文字?」
思わず尋ね返すと、キリルは怒った口調で言った。
「解読方法は教えないからね! この一冊を読み終わるまで僕は君と口をきかないよ」
帳簿をたたきつけ、バタンとドアをならしてキリルは自分の部屋に引きこもった。
呆然と帳簿のページを見やる。
この紋様が、文字……。考えたこともなかった。
ちょっと待て。
『紋様の研究⑤』に出てきた、レイルが記したあの変な古代文字。それに似ているんじゃないか?
大急ぎで紙とペン、それから当分の食料を自室に持ち込んだ。
これから、しばらく籠ることになりそうだ。
◇
「クソッ。遅いな」
キリルはいらいらとしたように、夕食を口に放り込んだ。
昼すぎにデイトンに帳簿を渡した。それきり、デイトンは部屋にこもって出てこない。
「僕の試験問題を解いたんだろ。茶褐色の紋様くらいさっさと解読しろ」
一匹の猫がミャーとないてキリルに近づいてきた。
「……ミケ。やっとお前以外の話し相手が現れると思ったのにな」
キリルが猫をなでると、ミケと呼ばれた猫は嬉しそうにデイトンの足元にじゃれついた。
◇
「あぁ、思ったよりも早く解けた」
晴れやかな気持ちで俺は自室から出た。
かかった時間は1週間。「紋様の研究⑤」は解読するのに半年ほどかかったから、それに比べれば随分短い。
5巻を読み解く方法を少し応用すると、砂紋民の紋様を読み解くことができた。
そして気づいた。レイルは1巻から5巻を順に読ませることで、紋様を読み解くヒントを与えていたのだと。
「は? 何間抜けなことを言ってるんだ」
俺の姿をみとめたキリルが低い声で言い、こちらを睨みつけた。
「時間がかかりすぎだろうが! 5巻でかなりヒントが与えられていただろう。きみなら数時間で解けると思ってたのに!」
思わず目を見開いた。
「……嬉しい。俺をかってくれていたんだな」
「ど、どう考えても今の言葉は罵倒しているだろうが!」
キリルは俺が訳した紙をパッと取り上げた。パラパラと帳簿をめくりながら、赤いペンでところどころ訂正を入れる。
本当に読んでいるのか、と思うような恐しい早さで一冊が終わった。
「ふーん。まあいいんじゃない?」
なぜかちょっと悔しそうに言うと、本棚から紋様の帳簿を十数冊取り出し、ドサッと俺の前に置く。
「はい、次。よろしくね」
赤ばかりになった俺が訳した紙も一緒に返してくる。
思わず頬がひきつった。
◇
そのころ。
ニックのもとには、デイトンからの文が届いていた。
書庫守として塔の中で特別に仕事をすること、しばらく連絡が取れなくなることが書かれていた。
「さすがだな。デイトン」
ニックは感嘆したように呟くと、机の上に置かれていた、もう一通の手紙を手に取った。
差出人の名前は、ない。
開くと美しい文字が刻まれていた。
――例の砂紋民の村に到着しました。もうじき事が起こり、この帝国を離れるでしょう。どうかお元気で。
ニックはその手紙を炎にくべて燃やしながら、真剣な表情で呟いた。
「……生きるも死ぬも、己しだい。ふたりの運命も開けるといいが」
次は、ネルとリュシアの東ノ国編です。




