第22話 失意のデイトン編② 書庫守
「紋様を写させていただいて、ありがとうございました。民族衣装もいただいてしまい……」
村人たちに深く頭を下げた。
「なに、ヴァルゼンベルク家には遠い昔に恩があるからの」
村長が柔和な表情で、俺の左腕を指さした。そこには、家紋が彫り込まれた腕輪がある。騎士のときはいつも隠すようにしていた腕輪だった。
今は、袖のない砂紋民の民族衣装を着ているため、露わになっている。
村人たちは、みな笑顔で手を振り、見送ってくれた。
――有難い。
この腕輪を見せると、驚くほどすんなりと砂紋民の村々を回ることができた。
この時ばかりは砂紋民と関係の深かったという先祖に感謝したくなる。
砂紋民の村と村の間には、荒涼した砂地が広がっている。
ひとり、馬で進みながら、今までスケッチした紋様のことを考える。
……あの本にあったような、複雑で美しい紋様があまりない。村ごとの差異はあったのだが。
既に5つほど村を回っている。さて、と日が傾きかけた空を見上げた。
これから先にある村は、東ノ国に滅ぼされたと聞く。
一晩を越せる建物くらい、残っていると良いのだが。
◇
……まさか続きがあったのか。
状態が良さそうだったので入ってみた、村はずれの一軒の家。
床に散乱している本の中に、思いがけない一冊があった。思わず手に取る。
――「紋様の研究⑥」。
中身は途中から白紙になっていた。
「……ほう、その本に興味があるかね」
いきなり響いた声にぎょっとした。
たくさんの本棚に隠れて、部屋の奥に寝台があった。その上で、骨と皮だけの老人が体をおこし、じっと俺を見つめている。
「えぇ。この作者の本は実に興味深い。続きがあるなんて知りませんでした」
本の背表紙にある、レイルという著者名をそっとなぞる。
「……よもや1巻から5巻まで全部読んだのか?」
「えぇ。でも5巻は途中で終わっていて……」
「なんと!! すばらしい!」
老人が突然叫んだ。そんなに大きな声を出して体が大丈夫なのかとこちらが心配になるほどだった。「で、どうだった? 感想は?」
前かがみになって問いかけてくる。
「どうして研究を辞めてしまったのだろうと。残念でなりません」
「……」
老人はまじまじとこちらを見つめると、「最後まで読んだのに秘密は分からなかったのか……」と吐息まじりに呟いた。そして、鋭い眼光でこちらをじっと見つめた。
「おぬしはデイトン・ヴァルゼンベルクだな。貴族でありながら騎士になった奇特な男。そして、売国奴と協力した罪で辺境の地に追放されたと聞く」
「……よく、お分かりですね」
老人は得意げに鼻を鳴らして、俺の左の二の腕を指さした。
「その腕輪を見ればな。砂紋民の民族衣装もなかなか様になっているぞ」
老人はニヤリと笑って続けた。
「でも実際、真実は違うのだろう? トルーシスは砂紋民達を守ろうとしたし、おぬしもトルーシスを守ろうとした。さすが、ヴァルゼンベルク家の者よ」
驚いた。
初めてそんな風に言われた。
老人は微笑んだ。
「……死なずに待ったかいがあったな」
手元にあったハンドルを細い腕で回し始める。すると――
部屋に乱立している本棚がミシミシと音を立てて動き、後ろから隠されていた本棚が出てきた。
びっしりと並べられている本を見て絶句した。
全てが紋様について書かれた本だった。それも、「紋様の研究」と同じ作者、レイルのものだ。
「自由に読んでいいぞ。持って帰ってもいい」
「あなたは!」
驚愕の思いで老人を見やる。
「ん? なんだ、言ってみろ」
嬉しそうな笑顔がこちらを向く。
「――あなたはレイルの熱狂的なファンだった」
老人ががっくりと肩を落とした。数秒、沈黙したあとにぽつりと言う。
「もう言っちまうけど、レイルってワシのことなんじゃ」
「……!」
絶句すると、「それくらい気づかんかね」と不満げに睨まれる。
「ちょっといろいろお聞きしたい事が……いや、文句をいいたいことも……」
「なぜ文句を言われないといけないのじゃ」
顔をしかめた老人に、本を開いたときの憤りがふつふつとこみ上げた。
「どうして全て同じ言葉で書いてくれなかったんですか! 読むのがものすごく大変だったんですよ!」
レイルはあっけにとられたようにしばらく黙り、そして笑った。
「まあ、こっちもいろいろと事情があってな」
◇
「……なるほど。帝国に研究を禁止されたんですね」
レイルから一通り話を聞き、思わず唸った。
「あぁ。だが、研究結果を自分の中だけにとどめておくのはもったいないと思ってな。昔の本を装って世に出したのだ。こうやってな」
言うなりレイルは本棚から本を取り出して、バシバシと机に打ち付け始めた。
本がどんどん傷んでいく。
そして、近くに置いてあった水桶の中に本を放った。ドブン、と本が沈む。
「うわ――! やめてください! 貴重な本が!」
俺の反応におかしそうに笑いながら、慣れた手つきで水没した本を拾い上げ、日があたる窓際に置く。
「こうするといい味がでるのじゃ」愛おしそうに本を撫でる。
沈黙した俺を意に介さず、レイルは得意げに続けた。
「読めない言語で書けば、古代語だと思われてスルーされる。本当に読みたい者しか読めない。好都合じゃ」
「……もしかしてあの言語は、あなたが作ったのですか?」
驚いた。そんなことができるのだろうか。
「すごいだろう」
子どものような笑みが皺だらけの顔に浮かんだ。
「えぇ……」感嘆のため息を漏らすと、レイルはこちらを見て微笑んだ。
「泊っていくか? 今日だけと言わず、好きなだけここにいていいぞ」
◇
「レイルさん」
滞在して数か月がたった。骨と皮だけだったレイルは、俺が作る料理を食べてすっかり肉付きがよくなった。穏やかな笑顔を浮かべ、窓辺で日向ぼっこをしている。
「すごく面白かったです。砂紋民の紋様についてより体系的な理解ができました」
今読んだ本で、本棚にある全ての本を読破した。レイルが創作した言語で書かれていないので、すこぶる読みやすかった。
「でも、謎は深まるばかりです。紋様に隠された、本当の秘密とはなんですか?」
”紋様の研究⑤”の最後に書かれていたその言葉。それだけがどうしても分からない。
「……」
レイルが沈黙した。
「ここまで読めば、気づきそうなものだが」そう呟き、こちらをちらりと見る。
「もし知りたければ、”書庫守”になれ」
「……書庫守、ですか」
書庫守。砂紋民の成人ノ儀のときに、静かに紋様を写し取る、どことなく陰気な連中だ。
「選抜試験がもうじきある。お主ならきっと、成人ノ儀に赴くような下っ端ではなく、中央の仕事に関わる書庫守になるだろう。だが、それは帝国の秘密を知ることにもなる。……つまり」
レイルはいったん言葉を切り、こちらを光る眼で見据えた。
「人生全てをかける必要がある」
一瞬考え、そして言った。
「上等です。やりましょう」
ずっと、己の心が燃えるような何かを探していた。
それは、これだ。
レイルが声を低くした。「覚悟がいるぞ。最近は東ノ国も力を増している。かなり厳しく自由を制限されるだろう」
おそらく。
俺は、入っていはいけないところに足を踏み入れようとしている。
それなのに、なぜだろう。
この血が沸き立つような高揚感は。
「望むところです」
力強く頷くと、「お主は変わっているのう」とレイルは面白そうに笑った。
好きなだけこの家にある本を持っていけ、というレイルの言葉に甘えて本を荷にまとめ、レイルの家を旅立った。
季節は春になっていた。
謹慎期間の3年が、過ぎていた。
◇
帝都の中心にそびえる塔。
西ノ帝国にとって貴重な文献が保管されている、重要な建物である。
その最上階に、白く輝く、閉ざされた空間があった。
「クソッ! 全然とけない! これがθで、これがγか……εΔ₡﷼……」
砂紋民の紋様がびっしり記録されている帳簿を睨み、何語か分からない言葉を呟いているのは、まだ歳若い青年だった。
やはり何語か分からない言葉を、白銀鉄製の広い机の上の紙に書きつけていく。
色白の顔に、無造作にまとめた長髪。
何日も寝てないのか、目が充血している。
「は? ₪? なんでここで₪が出てくるんだ。意味がわからない!」
青年はダン、と机を叩いて、突っ伏した。
しばらくした後、小刻みに肩を震わせる。
「クククク……」
笑い声だった。それはそれは楽しそうな。
足元で眠っていた猫が目を覚まし、おびえたようにそっと部屋の隅に移動した。
「あぁ……ゾクゾクするね。これだから辞められない。……絶対に解いてやる」
呟いたかと思うと、一心不乱にペンを走らせ始めた。
恐ろしいほどの集中力だった。
しばらくして、扉をノックする音がしたが、青年は気づかないようだった。
ノックの音が強まり、やがてドアを叩く音になった。
青年はちらっとドアに目をむけたが、すぐに手元の紙に集中した。
次に、ドカドカッとドアを蹴る音が響いた。
青年は舌打ちをすると、しぶしぶと言った具合に歩いていって、ドアを開けた。
「なに、ナヴァン? 僕の貴重な集中力を奪わないでほしいんだけど」
「申し訳ありません、キリル様」
歳の頃40くらいの微笑を浮かべた騎士が、慇懃に礼をした。
「この度、書庫守の登用試験がありまして」
「へぇ。どうせ誰も解けなかったでしょ。僕の問題。誰か惜しいやつでもいた?」
「それが全問正解した者がいたんです」
キリル、と呼ばれた長髪の青年は目を剥いた。
「一番最後の解読問題も?」
「えぇ。全問正解はあなた様以来です」
キリルはぐっと眉根を寄せて尋ねた。
「どこのどいつだ」
「彼です」騎士は後ろに佇んでいた者の背をぐっと押した。
緑色のローブ――書庫守の制服だ――に身を包んだ30くらいの男が姿を現した。騎士が促す。
「では、挨拶を。ちなみに今日は機嫌が良い方です。いつもなら本やペンがとんできますから」
ややひきつった顔で頷き、緑色のローブ姿の男は深く頭を下げた。
「本日から一緒に働くことになった、デイトンと申します。これからどうぞよろしくお願いします」
「え? 僕と一緒に働くの?」
キリルはあっけにとられたように口を開けた。
「先週、第3師団長のヒューレン殿がその知らせを伝える手紙を入れたはずですよ」
騎士が飄々と言う。
「すまない。ちょっと取り込んでいて」
キリルは悪びれる様子もなく言って、騎士の方を向いた。
「もう説明済みなの?」
「えぇ」
騎士はにこりと笑った。
「へぇ? それでも働きたいなんてね」
まじまじとデイトンを見つめる。
騎士は「そうですね」と頷き、今までの会話と全く同じ調子で言った。
「明日、彼の耳と舌を処理します」
キリルが首をかしげる。
「あれ、最近は舌だけじゃなかったっけ?」
騎士はデイトンをちらっと見やった。
「デイトン・ヴァルゼンベルク。身元を調べたら、売国奴・トルーシスに加担した経歴がありました」
試験の回答用紙をキリルに渡し、言葉を続ける。「ですが、試験は満点。軍の中枢部で考えた結果、どこにも内通できないようにして採用することになりました」
「へぇ。あのデイトン・ヴァルゼンベルクか。さすがの僕も知ってるよ」
キリルはデイトンをまじまじと見つめた。
「……貴族のボンボンかと思ったら、そうでもなさそうだね」
「苦労は人よりもしてきたと思っている」
デイトンは真っ直ぐにキリルを見返した。
「では、彼の目と耳がつかえるうちに、いろいろと説明をしてください。また明日迎えに行きます」
騎士はそう言い残し、デイトンを部屋の中に入れると、ガチャリと塔の部屋の鍵を閉めた。




