第20話 銅の剣
1ヵ月後。
西ノ帝国の帝都の闘技場にて。
俺とリュシアが観覧席に並んで座っていると、突然、聞き覚えのある声がふってきた。
「やぁ。久しぶりだね」
顔を上げると、微笑を浮かべたニックがそこにいた。
騎士の隊服ではなく、ラフな私服姿だ。
「どうやって検問を潜り抜けたの? 君はもう死んだことになっているでしょう」
俺の隣に座り、興味津々に尋ねてくる。
リュシアが笑みを浮かべて、むき出しになっている白い左腕を見せた。
そこには、奴隷のしるしである、朱色の逆三角形の入れ墨が刻まれていた。
「……すばらしい!」
ニックは破顔して、交互に俺たちを見やった。
「これなら口の悪い帝国民の主人が、かわいそうな美しい砂紋民の奴隷を虐げているようにしか見えないね」
「誰が口の悪い、だ」
ニックを睨みつける。
だが実際、リュシアを従えていたら、検問で怪しまれることはなかった。
ニックはリュシアにひょいと向き直り、ぺらぺらとまくし立てた。
「黙って自分で入れたんだろう? 痛かったよね? てか彼を良くここまで立ち直らせたね? 酒や女に手を出さなかった? すごく大変だったでしょ?」
……黙れ、こいつ。
「まあ、大変でした」
リュシアがにへら、と笑った。
「…………」
俺は静かに反省した。
ドン、と開始を告げる太鼓がなった。
「……さぁ。始まるよ。まさかここまで生き残るとはね……」
そう呟くニックの目は、不思議な光を帯びていた。どこか期待のような、尊敬のような。
今日は建国祭の前日だ。
この日には、日々の戦いを生き残った剣奴と帝国騎士が闘技場で戦う。
だが、結局は剣奴は帝国騎士の輝く刃の前に、ひとり残らず殺される。
毎年恒例の、帝国の強さを誇示する、胸糞悪い見世物だ。
リュシアはただ黙って、静かに闘技場を見つめている。
その隣では、昨日知り合ったガキが固唾をのんでいる。そいつも身内が試合に出ているらしい。
拳を強く握りしめた。
――もう覚悟はしてきた。
闘技場に何人かの人影が出てきた。
今日戦う剣奴たちなのだろう。その中の一人を見て、俺は涙が出そうだった。
……トルーシスだ。本当にいた。まだ生きて、動いている。
腕に朱色の奴隷の入れ墨が刻まれている。ボロボロの服に、腰には錆びついた鞘の剣。
剣奴仲間だろうか。
けっこう強い気配をまとった青年と言葉をかわしている。
食い入るように見つめる俺に、リュシアが何かを言いかけて、そしてやめた気配がした。
そして――
太鼓が派手に叩かれ、トルーシスたちが出てきた方と反対から複数の人影が現れた。
それは、白い隊服に、光り輝く白銀鉄の剣を持つ騎士10人だった。
「クソッ! 差がありすぎだろ!」
拳を打ち付けると、木製の観覧席はバキッと音を立てあっけなく壊れた。
「あらあら。もう君はかなり強くなったんだから、ちょっとは手加減してもらわないと」
ニックが全く困ってなさそうな調子で、困ったように言った。
「……後で私が直します」
リュシアがニックに耳打ちをしている。
もう一度太鼓が響き、戦いが始まった。
……何を考えている?
俺はトルーシスをじっと見た。
他の剣奴たちが次々と斬り殺されている中、やつはのらりくらりと騎士の攻撃をかわし続けた。
まだ本気を出していないように見える。
斬られて地面に転がる剣奴たちは、戦いの邪魔にならぬよう、回収されていき――
気づけば闘技場の剣奴は、トルーシスと、試合開始前にトルーシスと言葉をかわしていた青年の二人だけになっていた。
二人は背中合わせになって剣を構えた。
トルーシスが鞘から抜いた剣を見て、驚いた。
――銅でできていたからだ。
銅。
白銀鉄の登場によって、もはや祭具でしか使われなくなった金属。
なぜだ?
他の剣奴達は質は最低だが、それでも白銀鉄の剣を持っていた。
こいつは――あえて選んだのか? 銅の剣を。
トルーシスの剣を見て、観衆はどっと笑った。
そんな剣で戦う気なのか、と。
騎士たちも、余裕の笑みを浮かべる。
円形に二人を取り囲み、もてあそぶようにじらしながら、じりじりと距離を詰めていく。
「さぁ、どうでるかな」
ニックはなぜか楽しそうだ。
トルーシスはただ、目を閉じ、少しだけうつむいて立っていた。
観衆の嘲笑と罵倒が大きくなる。観衆は、やつが完全にあきらめたと思ったのだろう。
だが。
俺は思った。
やつはまだ戦う気だと。
多分、きいているんだ。神経を研ぎ澄まして。
足音を。
空気の揺らぎを。
騎士たちが間合いに入った。
やつはまだ目を閉じている。
騎士の一人がニヤリと笑った。それを合図に、騎士10人が一斉にふたりに斬りかかった。
観衆は、輝くばかりの白銀鉄の刃に、血しぶきが上がったことを想像しただろう。
だが。
剣奴仲間の青年は身を低くしてかわした。
そして――トルーシスは跳んだ。
それは、素晴らしい高さの跳躍だった。
騎士たちの包囲から抜け出す。
ハッとしたように、数人の騎士がトルーシスの方へと向かった。
白銀鉄の剣を構え、斬りかかる。
「……おそい」
思わず口に出していた。
ニックが苦笑した。
「あれを遅いなんていえるのは、この帝国探してもなかなかいないよ」
トルーシスなら簡単に倒せる。もっとマシな剣さえ持っていれば。
次の瞬間。
キィィィン!
高い涼やかな金属音がした。
そして、騎士の持っていた白銀鉄の剣が砕けた。
ヒビが入ってバラバラになる、とかそういうレベルの話じゃない。
完全に粉砕したのだ。
輝く白銀鉄の剣は、瞬時に粉になって吹き飛んだ。
「え……」
自分の目を疑った。
……銅の剣だろ。白銀鉄と打ち合ったら、壊れるのは銅の剣の方だ。
さすがのニックも呆然としている。リュシアだけ違った。
「……振動数だ。たぶん、白銀鉄が崩壊する振動数と合わせてる」
トルーシスの動きを食い入るように見つめている。
その間にも、トルーシスは3人の騎士の剣を粉砕していった。
どういう原理か分からねぇが、すげぇ!!
イケる!!
そう思った時、トルーシスは突然、凍り付いたように動きを止めた。
――どうした?
トルーシスは、共に戦っていた剣奴の青年に視線を向けていた。
これは……もう助からねぇ。
青年をひとめ見て、そう思った。
臓器にまで達する深い傷を腹に受けている。
青年は回収されていった。
闘技場の剣奴は、トルーシスただ一人だけになった。
トルーシスはゆらり、と動いた。
そして、目にも止まらない速さで騎士の剣を粉砕していった。――最後の一本以外を。
最後の白銀鉄の剣は、トルーシスの手に収まった。
そして――やつは、騎士を全員殺した。
あの、めったに敵を殺さなかったトルーシスが殺したのだ。
憎しみのこもった眼で騎士を睨みながら。
剣を持たない騎士など、トルーシスの敵ではなかった。
ものの数分でカタがついた。
闘技場の地面には、一人残らず死に絶えた騎士たちが転がっていた。
立っていたのは、剣奴のトルーシスただ一人だけだった。
会場は恐ろしいほどの静けさに包まれた。
「……これはまずい」
ニックが呟いた声が聞こえた。
帝国の象徴である、白銀鉄を割った。それに、騎士も全員殺した。
帝国民のどんな反発を招くか分からない。
「売国奴を許すな!!」
闘技場に大声が鳴り響いた。太った男が出てきて、観衆に向かってまくし立てる。この闘技場の主催者だろう。
「皆さん、やつはあの売国奴なのです! 東ノ国と組んでいた張本人!」
闘技場全体がざわめきに包まれた。
「悪魔だ! 殺せ!!」
民衆が喚く。
武装した男たちがどこからともなく現れ、一斉にトル―シスに斬りかかるのが見えた。
やつはもう抵抗はしなかった。
自分の運命を受け入れたように見えた。
斬られた腹から、大量の血が滴る。
遠目に見てもわかる。致命傷だ。
ダン!と観客席を叩いた。
「あいつは悪くない! 本当の悪魔は――」
続きを言おうとしたところで、ニックが俺の腹に蹴りを入れた。
羽交い絞めにされる。
「クソッ! はなせ!」
「ダメだよ、感情的になっちゃ」
もがくが、逃れる隙はまったく与えてくれない。
トルーシスは男たちに取り囲まれて、闘技場の地下に降りていった。
しばらくしたあと、地上に出てきたやつの姿を見て――俺は凍り付いた。
磔にされている。
手首には杭が打たれ、体には幾重にも鋼鉄の縄が巻き付いていた。
観衆がそれを見て大歓声をあげた。
「殺せ!」
主催者の指示に、部下たちの剣がひらめいた瞬間。
「聞いてくれ!!」
トルーシスは叫んだ。
そのあまりの必死さに部下たちが一瞬、動きを止めた。
彼は、彼らしくない必死さで叫んだ。
「この帝国の騎士はもう民を守ってはいない!! 自分の頭で考えろ!」
あっけにとられたように静まる観衆。
主催者は青ざめた。
「もたもたするな! 早く殺せ!」
一人の部下が槍を彼の胸に突き刺した。彼は血を吐きながら、なおも言葉を続けた。
「騎士は、本当は砂紋民を――」
「全員で奴をさせ!」
主催者の大声がその言葉を遮った。
同時に、槍が一斉にトルーシスを貫いた。
「皆さん、この悪魔に騙されてはいけませんよ。呪われた売国奴に!」
主催者が煽情的に語りかけると、民衆は沸き立った。
「そうだ、奴を許すな!」 「呪われた黒い紋様め!」
暴徒化した民衆が闘技場に乱入し、トルーシスを刺そうとする。もう生きているのか分からない彼に。
主催者は楽しそうにそれを見ている。
その男の顔を改めて見て、俺は思いだした。
……あいつは。
母さんを騙し、殺したヤツだ。間違いない。
「クソ野郎!!」
ニックの拘束を振り払い、闘技場に乗り込もうとしたが、再び羽交い絞めにされた。
「おちつけ」
「落ち着けるかッ!」
ニックの腹に肘で突きをいれようとしたが、難なく防がれた。
「トルーシス! トルーシス!! お前は真の英雄だ! 俺は! 俺は――」
叫んだ声は、観衆の声でかき消された。
「ハァ、まったく。僕は何回きみを気絶させるのかな」
ニックのその言葉を最後に、記憶が途絶えた。
◇
目を覚ますと、知らない部屋の知らない寝台だった。
「……心配ない。ニックさんの部屋だから」
枕元に佇んでいたリュシアと目があった。
夢の中で、トル―シスと話していた。
だからもう覚悟は決まっていた。
「……リュシア。俺はあいつの意思を継ぐ。ここでさよならだ」
「何をするの?」
リュシアは光る眼で見つめてきた。
「東ノ国に行く。何が起きているかを見に行く」
今まで、俺はただのトルーシスの腰巾着だった。それはもう終わりだ。
「私も一緒に行く」
リュシアは間髪入れずに続けた。「ネルと一緒にいたいからじゃない。ただ、いい剣が作りたいの。それだけ」
決意の滲む声だった。
「……そうかよ」
その理由じゃ、なんも反論できねぇな。
俺たちはニックに礼を言って、二人で帝都を出た。
東へ。
きな臭さが立ち込める地へと。
◇
「……まったく、人というのは愚かな生き物だよ」
そう呟いたニックの視線の先には、”捨て場”に捨てられたトル―シスの亡骸があった。
その傍にうずくまり、少年が泣いている。
「……おや」
ふと、違和感があった。
顔まである黒い紋様。それはまごうことなき売国奴の証だ。
ニックは亡骸に近づき、その瞼をそっとなぞった。
――そこにあるはずの紋様がなかった。
「……へぇ。面白くなってきたね」
そう呟いてニックはおかしそうに笑った。




