第16話 ずっと、剣になりたかった
リュシアの指先が、俺の首筋にためらいがちに触れた。
皮膚の表面に、入れ墨を入れていく。
リュシアの紋様の形の入れ墨を。
「痛くない?」
リュシアの息が首筋にかかる。
「……全然。気にせずに彫り込め」
「分かった」
リュシアは頷いた。
ずっと、剣になりたいと思っていた。
リュシアのまなざしと熱を独占してしまう剣に。
それが叶ったみたいだった。
「……できた」
リュシアが呟いた。
「よし」
立ち上がると、後ろでひとまとめにしていた髪をほどく。ちょうど首筋が隠れて紋様が見えなくなった。
「じゃあ。俺は行くから」
「まって」
リュシアが俺の服の袖をほんの少しつまんだ。「……ネルの紋様も入れてくれないかな、ここに」少しだけ伝統儀の襟をはだけさせて、白い首筋を指さす。
「……ダメ」
「なんで?」
リュシアが泣きそうな顔になる。
「ダメだからダメ」
論理が破綻している返しに、リュシアは食い下がった。
「じゃあ、何か代わりに頂戴。ネルの大切なもの」
一歩も引かない、という目をしている。
「……」
懐を探って金属片を取り出した。
もうすっかり黒ずんでしまったそれを、リュシアに突き出す。
「お前に戻すわ。じゃあな」
「……!」
リュシアが何か言う前にその場から逃げるように立ち去った。
◇
「……リュシア! リュシア!」
肩をゆすられて私ははっと顔をあげた。気づけば朝もやが立ちのぼっている。
「もしかして泣いたの? ひどいわね、女の子を泣かすなんて」
村で必要な物資を調達する時に仲良くなった友人は、私の涙のあとを目ざとく見つけた。
「ううん。違うの。……嬉しいの」
先ほどネルからもらったものを握りしめると、友人は、お、と目を輝かせた。
「何かいいものもらったの? 見せなさいよ」
声が弾んでいる。
「うん。……これ」
掌を開いた。
それは、一番最初に酒場で会った時の、金属片だった。
ネルは、ずっと、ずっと持っててくれたのだ。
もうすっかり黒ずんでいるのに。
「…………」
友人はしばらく言葉を発さなかった。
その後ろから、彼女の新しい伴侶がひょいと顔を出して、私の掌の金属片を見て苦笑した。
「まあ、君たちらしいんじゃない?」
◇
金属片を押し付け、リュシアのもとを逃げるように去ったあと。
親方の家に戻ろうと森の中を進んでいると、ふいに声をかけられた。
「やあ、元気にしてた?」
どこかで聞いたことのあるような声。
そこにいたのは、デイトンの友人の騎士、ニックだった。
「な、なんだよ」
思わず腰の剣に手を当てると、ニックは「まあ、そんなに警戒しないでよ」と笑った。
そして、ゆらりと動いた。
反応できなかった。
だが、ニックは特段剣を抜くわけでもなく――ただ俺の髪に手を伸ばして、さっと払った。
リュシアがさっき彫り込んだ紋様が露わになる。
「うわ、やばいね」
ヒュウ、と口笛を吹く。「これ、もし他の女の子を好きになったらどうするの? それとも好きになりません、っていう意思表示?」
「どうでもいいだろ、お前には」
つっけんどんな言葉に、ニックが口を尖らせる。
「まったく、彼女にはさびた金属片だけ? 彼女にも君を彫り込めばよかったのに」
「……見てたのかよ、趣味悪いな。あれはただの金属片とは違うんだよ」
ニックはふふんと笑った。
「そうだよね。あれでボーダンを殺せたもんね」
……こいつ。なぜ知ってる?
雲がきれ、月明かりがその騎士を照らした。
純白の隊服が白く輝く。その胸には沢山の勲章がついていた。
デイトンの友人のこの騎士は、着実に昇進しているということだ。
――砂紋民を殺して?
「お前、何しに来た?」
背中を冷や汗がつたった。
なぜ、こんなに勲章のついている騎士が、こんなに辺鄙な砂紋民の村にいる?
ニックは嬉しそうに言った。
「察しがいいね。嫌いじゃないよ。ただ、きみが気になったのさ。じゃなきゃ、黒い紋様の彼を呼び出す囮にしてるよ」
一瞬、言葉に詰まった俺に、ニックは「そういえば」と俺をしげしげと見た。
「頭にある君のお母さんの紋様、隠しちゃったの?」
「……別にいいだろ。てか、なんで母さんの紋様だって分かったんだよ」
こいつ。得体が知れねぇ。
「分かるさ。けっこう大事なんだ」
にこりと微笑む。
「は?」
顔をしかめるとニックはふっと笑って視線をそらした。
「春の戦いを生き抜いて幸せになれるといいね。……じゃあね」
手をひらひらと振って、その軽薄な騎士は 去っていった。
森の中を誰にも後をつけられないように戻り、家の扉を開けると、親方が出迎えた。
「どうだった、儀式と祭りは」
優しい顔をしている。
「……別に」
危険を承知で俺を村に出してくれたことに感謝すべきなのだが、どうしてもひねくれてしまう。
親方はふっと微笑んだ。
「客人が来てる。トル―シスの部屋に行ってみろ」
「……客人?」
わざわざこんなところまで。誰が何の用だ?
その時、ドタドタと足音がした。
「よお、ネル! 立派になったな!」
昔と変わらない笑顔で顔を出したのは、ダグラスだった。
本物の東ノ国を初めて見た村で一緒に戦った男だ。その後ろにはトルーシスもいる。
「ダグラス! どうしてここに?」
尋ねるとダグラスはニヤリと笑った。
「今こそ砂紋民の村がひとつになる時だと思ってな」
◇
春になる前。
雪が解け始めたころ、俺とトルーシスは親方の家を旅だった。
目的地はダグラスの村だ。ダグラスは一足先に自分の村へと戻っている。
親方の家に集まった若者たちを前に、ダグラスは語った。別々に戦うのではなく、兵を自分の村に集結させてほしいと。
そして、その兵たちのまとめ役をトルーシスにお願いしたい、と頭を下げた。
お前が一番適任だ、と。
トル―シスは「分かった」と静かに頷いたが、その顔に影が少しだけ落ちたのを俺は感じ取った。
人にはそれぞれ性分というものがある。
基本的にやつは孤独を好む。人の中心になりたいタイプではない。
きっと――心の奥底で、人々から掌を返されることを恐れているのだ。
でも、トルーシスはいい奴だから、引き受けたんだろう。
森の中で、雪を踏みしめながら、トルーシスがぽつりと言った。
「親方の家に残らなくてよかったのか。きみなら普通の暮らしができる。リュシアとも……」
やつがそれ以上を言う前に、言った。
「お前についていくさ」
「……なぜ」
トル―シスは伺うように俺を見た。
「森育ちで世間知らずの、お人よしの馬鹿の面倒を見るって決めたんだよ」
トル―シスは少し目を見開いて、それからくつくつと心底おかしそうに笑った。
……久しぶりにこいつの笑顔をみた。昔はよく見た。
戦いが増えるにつれて、こいつは笑わなくなったんだ。
俺も、たぶん同じなのかもしれない。
「君は変わってるな」
トル―シスは微笑んだ。なんだか今にも消えてしまいそうな、儚い笑みだった。
リュシアには、親方や村の友人がいる。
でも、トルーシスには――誰がいる? 俺しかいないと思ってしまうのは傲慢だろうか。
「お前ほど変わってないと思うぜ」
その言葉に、トルーシスはふふっと口の端をあげた。
ダグラスの村に到着すると、集まっていた砂紋民の兵達が一斉に俺らの方を向いて、顔をパッと明るくさせた。
「来たぞ! 英雄が!」
「もう安心だ!」
お互い口々に興奮したように言葉をかわす。
トル―シスは静かに微笑んでいる。
――また、仮面のような微笑みだ。
「おいお前ら、あんまり騒ぐなって」
歯を見せて笑いながら、がっしりとした男がこちらへと歩いてきた。
ダグラスだ。
「よろしくな」
光る眼でトルーシスを見つめ、手を差し出す。
トルーシスはまっすぐ見返し、その手をしっかりと握った。
「頼みます。あなたのような戦いに慣れた人がいると心強い」
静かな闘気のにじむ言葉に、ダグラスが口もとをほころばせる。
「……俺のこと、覚えてる?」
20歳手前くらいの青年が姿を現した。
「えーと……」
「ひどいなぁ、ネル!」
屈託なく笑うのは、最初の村で会った青年、ルカだ。
ルカはトルーシスを見て、微笑んだ。
「顔、隠さないようになったんだな。黒い紋様、イケてるぜ」
トルーシスはダグラスやルカ、そして各地から集まった兵たちと、戦略を練り始めた。
誰も負ける気はしないと思っていた。この時までは。
◇
そのころ、騎士団では。
「……そうか。砂紋民たちが集まり始めたか。都合がいい」
将軍、ガルガリケは口の端をあげた。
「出陣だ。兵を用意しろ」
頭を下げ、伝令に行こうとした部下を、ガルガリケは呼び止めた。
「裏切者の件はどうなった」
「ハッ。特定できました」
部下は白いハトを籠からだした。翼を矢で貫かれ、ぐったりとしている。その足には手紙が括りつけられていた。
「この者で間違いがないかと」
部下はハトの足から手紙を外し、ガルガリケに手渡した。
「なるほどな」
手紙に視線を落とし、ガルガリケはニヤリと笑った。
「捕らえますか。見せしめに殺してみせても」
「いや。もう少し泳がせておこう。似たような白いハトを用意しろ」
その言葉に、部下は得心したように頷いた。




