第15話 成人ノ儀
「あ、デイトンだ」
トルーシスが馬上で空を見上げた。
白いハトが舞い降りてくる。トルーシスは文を開くと、顔を曇らせた。
「次の春は、厳しい戦いになりそうだな」
俺も文を覗き込む。
「総攻撃か……。ガルガリケってやつも気になるな」
「あぁ。冬の間に、できる限りの備えをしよう」
トルーシスは降り始めた雪を見上げ、親方の住まう森へと馬の向きを変えた。
◇
「……私たちの村でも守りを固めていますが、腕の良い鍛冶がいないのです。そこで……」
親方の家の土間で、その砂紋民の若者は言いづらそうに言葉を濁らせた。
腕組みをして若者を見定めるように見つめていた親方が、豪快に笑う。
「いいさ、特別に安くしよう。剣1本につき銅貨3枚」
若者の目が見開いた。
「ありがとうございます! 20本お願いします」
深々と頭を下げ、親方の後ろにいたトルーシスに視線を向ける。
「一度お会いしたいと思っていました。砂紋民の英雄、トルーシスさん」
顔を輝かせる若者に、トルーシスは居心地が悪そうに「そんな大層なものじゃない」と呟いた。
「私たちの村は――周りの村々も、あなたを帝国に差し出すことなんてしません」
少し前に、帝国は砂紋民の村々に2つのふれを出した。
『来年の春、東ノ国が総攻撃に出るとの情報が入っている。帝国騎士は総力をあげて立ち向かう』
『その前に、帝国を乱す黒い紋様の砂紋民を捕らえよ。捕らえたものには金50枚』
今までの村人たちだったら、ただ従順に帝国の話に従ったのかもしれない。
が、今は違った。
若者は声の調子を強くした。
「今まで一度も助けに来てくれなかった騎士など、もう信じません。砂紋民を救うのはトルーシスさん、あなたです」
トルーシスの目が一瞬、見開いた。
若者は床に額をつけ、懇願する。
「もし良ければ……ここに一泊させていただき、戦い方の助言をいただいてもよろしいでしょうか」
「分かった」
トルーシスは微笑してうなずいた。なんだか仮面のような笑みだな、と思った。
それからも続々と、砂紋民の若者たちが親方の家へ来た。
みな、剣を注文し、親方の家にしばらく泊まりトルーシスと戦いの作戦を練った。
滞在する若者同士も盛んに情報交換をし、親方の家は活況を呈していた。
「やっぱり俺の読みの通りだ。今年は家を広めに作っておいてよかった」
親方は満足そうに、熱気あふれる囲炉裏端を壁にもたれかかって見つめている。
「作ったのは、親方じゃなくてほぼトルーシスと俺だろ」
「確かにな」
笑う親方に、ぼそりと言った。
「リュシア、働きすぎじゃねぇか。ちゃんと寝る時間あるのかよ」
もう夜が遅いのにも関わらず、リュシアは若者たちに食事や水を配ったりと、忙しく立ち働いていた。日中は剣を休みなく作っているのにも関わらず、だ。
親方の笑みが深くなる。
「リュシアが自分からやりたいっていうからさ」
声を落として囁いてくる。「お前、うかうかしていると他の男に取られちまうぞ」
「……別に」
リュシアにチラチラと熱い視線を投げかける若者もいることぐらい、気づいていた。
リュシアは作業着ではなく女物の服を着て、背中まで届くくらいの長い髪を今どきの娘がやるように編み込んでいた。
「成人ノ儀、お前どうするんだ?」
にやにやしている親方を押しのけて、炊事場へと向かった。
皆が飲み食いしたあとの椀や皿がたまっているはずだ。誰かがやらないと明日の朝が面倒になる。
◇
皆が寝静まったころ。
俺も寝台に潜り込んだとき、部屋の前をかすかな足音が通った。
――リュシアの足音だ。
しばらくして、炊事場で水の音が聞こえだす。
戦いを繰り返すうちに、トルーシスほどではないが俺も耳がよくなった。
……おかしいな。皿ならさっきあったやつは全部洗っておいたのに。
一瞬、ためらったが、寝台から出た。
「おい、何やってるんだよ」
リュシアは手をひたすら洗っていた。指先があかぎれて血がにじむくらいに。
思わず横から水を止めた。
「血、出てるじゃないか。やめろよ」
リュシアは俺を見て一瞬、動きをとめたが、やがてふっと笑った。
「だって、見栄えが悪いでしょ? ……黒ずんでいる手じゃ」
少しだけ恥ずかしそうに、指先を掌で包んで隠す。
すぐに触れられるほど近い距離にいることに気づき、一歩、離れた。
「……別に気にしないのに」
夜は人を素直にさせるらしい。
「え?」
リュシアがまばたきをした。
「2回も言わせるなよ。別に俺は気にしないっての」
まじまじと俺を見て、一言、呟く。
「……意外」
思わず舌打ちをした。
「ごめん、昔。気にしてた?」
最初にあった酒場で、俺は黒ずんでいる手を否定した。
「……覚えてるんだ」
藍色の目が見開く。
「べ、べつに。ぼんやりとしか覚えてねぇよ」
リュシアはくすりと笑った。
「近くにある村のみんなが、私の手が黒いことに驚くから」
「構うなよ。……手が黒くなかったら、お前じゃねぇだろ」
リュシアはわずかに息を吞み、ほおを緩めた。
「そうだね」
誰かが追加で置いたのか、洗い場に少しだけあった皿を洗おうと白い手を伸ばす。
その腕を手刀で叩き落とし、無言で皿を奪った。適当に洗いはじめる。
「む」
腕を抑えたリュシアが不服そうにこちらを見た。
いけね。ちょっと力が強すぎたか?
「早く寝ろよ。か、剣作れよ」
「……」
リュシアはなぜか微笑むと、少しこちらに身を寄せ、俺の手元を覗き込んだ。
「皿、洗うの上手いね」
「なんだそれ」思わず笑った。「剣だけ握ってると思ってたのか? 日銭を稼ぐために村の酒場で手伝いとかもしたんだぜ」
「うん。まさに剣ばかり握ってると思ってた」
リュシアが屈託なく笑う。編み込みにした髪が揺れた。
「お前、その縄みたいな髪、どうやってつくったの?」
「なわ……」
リュシアはジトっとした目でこちらを見ると、少しの間を置いてから口を開いた。
「ネルは髪を伸ばしてるの?」
「あぁ。いいだろ? 帝都で流行ってるみたいだぜ」
やっと肩くらいまでのびた。髪は後ろで紐で1つにくくっている。
頭の入れ墨は隠れている。英雄の連れとして、さすがに朱色の入れ墨は相応しくない。
「……う―ん」
リュシアが微妙な表情をする。
「なんだよ」
「ただでさえ人相が悪いのに、より悪く見える」
「お前な! こういうときはお世辞でもいいから褒めるもんなんだよ」
「……ネルは、お世辞とかそういうの、嫌いだと思ってた」
図星だ。言葉につまった。こうなれば残された手は一つだ。皿を片付けよう。
黙って高速で皿を洗う俺を見てリュシアがクスッと笑った。
皿をあと一個、洗い終わるタイミングで声をかけた。
「明日の成人ノ儀、出ることにした」
「ほんと!」
リュシアが声を弾ませる。
「祭りはでない。村のみんなと楽しんでくれ」
「……え」
リュシアが何か続けて言う前に、俺は炊事場を後にした。
◇
成人ノ儀当日。
「ネル。来てくれ」
朝、トルーシスが俺を起こしに来た。
「なんだよ。こんな朝早くに……」
あたりは薄暗く、まだ日も上がっていない。成人ノ儀は昼からのはずだ。寝ぼけまなこで睨むと、トルーシスの肩に白いハトがいるのに気づいた。
「ん? デイトン?」
「そうだ。デイトンだ」
トルーシスの顔がきらきらと輝いている。
「え?」
「今、デイトンが来ているんだ。君も森へ行こう」
トルーシスは俺の腕をさっとつかんだ。
「デイトン!」
その懐かしい人影に、思わず口もとがほころんだ。
朝もやの中、ひとけのない深い森の中に彼はいた。騎士の隊服ではなく、質素な旅装姿だ。
腰を下ろしている切り株の近くには、暖をとった焚火のあとと、トルーシスがとってきたらしい鳥の肉などがあった。夜通し話でもしていたのだろう。
「ネル! 立派になったな」
柔和な笑みを口もとに浮かべて、俺の肩に手を置く。
前に会った時――2年前は随分身長差があったように思うが、かなり埋まったように思う。
少し、瘦せたか?
心労があるのかもしれない。なんとなくそう思った。
「どうしてここに?」
尋ねるとデイトンは笑顔で答えた。
「成人ノ儀で入れ墨を入れる役回りになったんだ」
……それ、かなり下級の騎士のやることじゃないか?
だが、デイトンの表情からは、何を思っているか読み取れない。
「こんな深い森へよく来たな。紫煙花も咲いているのに」
今年の親方の家はかなり森の奥に建てた。帝国民であるデイトンにとっちゃ、花の毒は体に悪いはずだ。
「この命など、幾重にも切り刻まれ、灰となって燃えても構わない。君たちにもう一度あえるのなら」
デイトンはまっすぐこちらを見て、一点の曇りもない瞳でこたえた。
……そ、そこまでしなくていいんじゃないか。
「デイトン。君の覚悟を僕はいつも尊敬する」
トルーシスが熱い眼差しを向ける。
こいつらは妙なところで馬が合うらしい。
ひとしきり再開の言葉をかわし、くだらない話をして笑いあったあと、デイトンは深く頭を下げた。
「トルーシス、ネル……本当にありがとう。戦ってくれて」
その言葉には万感の思いがこもっていた。デイトンはそっと声を潜めて続けた。「ガルガリケには気を付けた方がいい」
来年の春は厳しい戦いになると改めて予感した。
トルーシスは深く頷き、しばらく沈黙してから口を開いた。
「僕は、たまに考える。僕のしていることは正しいんだろうか、と。今や、女や子どもまで剣を手にしている」
「でも捕虜や奴隷になるよりはマシだろう」
反論した俺に、トルーシスはわずかに微笑み、頷いた。
「あぁ。でも僕がいたから、戦いが白熱したようにも思うんだ」
デイトンが口を開いた。
「だが、トルーシスのおかげで村の人々は自分の頭で考えるようになった。今までは国や伝承の言いなりだった。……それは生きているようで死んでいるようなものだ」
「生きているようで死んでいる?」
デイトンは白み始めた空を、真っ直ぐ見て言った。
「自分の意思もなく、ただ流されるままに暮らす、というのは本当の意味で生きている、ということになるのだろうか」
考え込んでしまったトルーシスの代わりに俺は口を開いた。
「厳しいな」
その言葉は、おそらく自分自身に向けて言ったものでもあるのだろう。
「あぁ。割り切れ、とニックにもさんざん言われている」
ニックというのは、デイトンの友人の軽薄そうな騎士だったはずだ。
デイトンは苦笑して立ち上がった。
「時間だ。行かないと。あ、ネルは成人ノ儀でるんだよな」
「でるぜ。デイトン、かっこよく入れ墨入れてくれよな!」
思わず声を弾ませると、デイトンは「まかせろ」と歯を見せて笑った。
成人ノ儀当日。
俺は、リュシアと村の他の若者達と一緒に儀式に参加した。
腕の紋様に、ジュワっと帝国の国章の入れ墨をいれられる。
これで砂紋民は帝国の一員だと認められ、晴れて成人となるのだ。
「成人おめでとう」
入れ墨をいれてくれた隊服姿のデイトンが、やわらかい笑みを浮かべた。その隣では緑色のローブを着た役人が帳簿に何かを熱心に記録している。
「……どうも」
一応、デイトンとは他人ということになっている。頭を下げ、次の若者に場所を譲る。
入れ墨を入れ終わった若者たちは続々と祭りに向けて準備をし始めた。
リュシアはまだ後ろの列に並んでいる。
よし。帰ろう。
踵を返そうとした、その時――
「おっ! あなたが噂の……!」
栗色の髪にぱっちりとした瞳の娘がこちらを見つめ、なぜか満足そうにうなずいた。「まあ合格ね」
「なるほどなぁ。君が」
その隣にいる、少し癖のある茶髪の青年も、笑いながらしきりに頷いている。
二人の後ろで先ほどからすざましい殺気を放っていた青年が、こちらを睨みつけた。
「……おい、俺と決闘しろ」
覚悟の決まった目で腰の剣を抜く。でもその構えは隙だらけだ。
「悪いね。シャルミ、リュシア狙いなんだよ」
茶髪の青年が、面白そうに言った。
「さあ、剣を持て、帝都かぶれの長髪野郎。リュシアは強い男が好みだと聞いた」
低い声ですごんでくる。
「そうなのかよ」
それは初耳だ。
いつの間にやら続々と見物人が集まってきた。
「これは伝統なの。求婚したい娘がかぶったら、決闘をして勝った方に求婚権が与えられるの!」
栗色の髪の娘が目をキラキラとさせた。見物人たちも皆一様に、目をキラキラとさせている。
あ――面倒くさいなぁ!
内心毒づいて腰の剣を抜いた。
◇
「リュシアが君に惚れている理由が分かったよ」
地面に伸びている俺に声をかけてきたのは、先ほどしきりに頷いていた茶髪の青年だ。「君、わざと負けただろう?」にこりと笑う。
「なんでそう思った?」
迫真の演技をしたと思ったのに。
さっきまでの俺の対戦相手――シャルミは、見物人に盛大に祝われている。
「なんとなくだよ。動きだけを見れば、君は弱かった。でもさ」 青年は俺の剣を指さす。「かなり使い込まれている。そんな剣を持つ君が、剣を握って1年のシャルミに負けるはずがない」
「へぇ。なかなかいい観察眼じゃん」
「もし戦になったら守らないとだからな」
青年の目は栗色の髪を持つ娘に向けられていた。シャルミを祝っている人の輪の中にいる。
「俺は今日、求婚するよ。君は本当にいいの?」
「いいんだよ」
ひらひらと手を振った。「あいつに興味なんてないし」
青年は苦笑した。「……リュシアが来たよ。君を探しているみたいだ」
いつの間にか成人ノ儀は終わり、祭りの準備が整っていた。
伝統儀に身を包んだリュシアが、きょろきょろとあたりを見渡している。
「知らねぇよ。帰る」
心が痛むのを無視して、踵を返した。
伝統儀を身にまとい、髪を結い上げたリュシアは恐ろしいほど綺麗だった。
親方の家に戻る気にもなれず、森の中でぼんやりと日が沈むのを見ていると、ふと、人の気配がした。
「ここにいたのか。残念だねぇ。あんたを応援しておったのに」
村人だろうか。婆さんが草むらから顔を出した。
「なんで?」
めんどくさいなぁ、と思いながら一応話に乗ってやる。
「だってあんたとリュシア、紋様的に相性がいいし」
婆さんは目を輝かせた。
……どういう意味だ?
首をかしげると意気揚々と説明し始める。
「今の帝国風の文化が入ってくる前はね、紋様によって結婚相手が決められてたんだよ」
「……へぇ」
初めて知った。
「お互いの紋様が重なった時に一番複雑になる相手を選ぶのさ」
そんな風習があったのか。
「今みたいに自由に結婚相手が選べる時代がうらやましいか?」
頷くだろう、と思って問いかけると、婆さんは少し悩んでから首を振った。
「……いや。愛ってのは結局、覚悟だからね」
……説教かよ。
目をそらした俺に、「頑張れよ。若いの」と婆さんはウインクをした。
どれくらい時間が経ったのだろう。ひとりぼんやりとこれからのことを考えているうちに、気づけば夜空に星が出ていた。
ふと、俺の視界を遮る顔が現れた。
「よっ」
あの茶髪の青年だった。
「リュシアはシャルミの求婚を断ったぜ。他の求婚もみんな断ったよ」
「……馬鹿なやつだ」
ニヤニヤと笑う青年を軽く睨む。「お前、何しに来たんだよ」
「まあ、状況報告ってところ。だって俺の妻の友人には幸せになってもらいたいじゃん」
「へぇ。お前はもう確定したのね」
「そうさ。これからいい夜を過ごすよ」
「良かったな。幸せになれよ」
青年は一瞬、驚いたように俺を見て、「そうだね」と微笑んで去っていった。
またガサガサと草むらから音がした。
……今度は誰だよ。
茂みから現れた人影を見て思わず息をのんだ。
リュシアだった。
「ここにいたんだ」
いつもの穏やかな笑みを浮かべ、俺の隣に腰を下ろす。
「祭り、やっぱり参加しなかったんだね。……ま、ネルらしいか」
そこに非難めいた調子は感じられない。
しばし、沈黙があった。
「……お前」 「……ネル」
言葉がかぶった。無言でにらみ合ってお互いに先を譲る。ついに、リュシアが折れた。
「……ネル、わざとシャルミに負けたの?」
リュシアは、他の男を友人のように名前で呼んだ。
「まあな」
それだけ返すと、リュシアはしばらく黙ってから言った。
「……私、誰からも求婚を受けなかったよ」
「何人だ?」
「え?」
リュシアが瞬きをした。
「だから、ひとりじゃないんだろ? 何人から求婚されたんだよ?」
「……3人」
リュシアは少しだけ照れたように言った。
「……もの好きもいるもんだ」
3人? ……3人もかよ。
「私もそう思う」
リュシアが笑う。
「私は親方の家で、剣を作り続けるよ。これからも、ずっと」
リュシアは俺をまっすぐに見た。とても優しい目で。そして、覚悟の決まった目で。
その目線を受け止めることができなかった。
「……なんでそんなこと、俺に言うんだよ」
リュシアはしばらく考えてから、ぽつんと言った。
「また来年も来てほしいから。……それだけ」
「来年、俺生きてないかもよ」
「それでも、いいの」
リュシアはわずかに微笑んだ。
「…………」
しばらく、黙ってから言った。
「お前さ、手先器用? お前の紋様彫り込んでくれない?」
「え? 剣に?」
リュシアが首をひねった。
「馬鹿。……俺の体にだよ」




