第113話 最終話
そのころ、トルーシスたちの大陸では。
「ヴァーレントゥーガの墓まいりか」
青年の声に、墓の前で手を合わせていた異国人は、はじかれたように振り向いた。その頬が涙に濡れている。
首筋と頭に入れ墨がある砂紋民の青年は、すたすたと歩いて異国人の隣に並び、その大きい墓を見上げた。
「お前にとっちゃ、きっといいやつだったんだろ」
「……あぁ」
座り込んだまま、異国人は頷いた。「融和の反対派をみな連れて、死んでいったようなものだ。あの方が、心の中で何を思っておられたのか、私には分からない」
肩を震わせ、消え入るような声で続ける。
「あの方は、ジグルステン殿には勝てない、と度々口にしていた。それなのに、反対派全員をまとめて徹底抗戦を唱え――」
そこから先は言葉にならないようだった。
「そうか」
ふたりはしばらくその墓の前にいた。
落ち着きをとりもどした異国人に、青年が言った。
「聞いているかもしれないが、紫煙花の毒に打ち勝つ薬が1つ余ってた。それをお前に使ったから、今お前はひとり生きてるというわけだ」
「聞いた」
黒い衣を身に纏った異国人が目を伏せた。
「んじゃ、これは聞いたか?」
眉をあげ、青年は続ける。「お前を生かすように強く推したのは、トルーシスだ。戦ったから分かるだろう? 火傷の跡がある男だ」
異国人は目を見開いた。
「とんでもなく強かった、あの男か」
青年の口の端がわずかに持ち上がる。
「理由は、戦っているときにお前が少し、悲しそうだったからだってさ」
「…………」
長い沈黙のあと、異国人は口を開いた。「俺を拘束したりしないのか」
「まあな」
「なぜ?」
「ん――」青年はいたずらっぽく笑った。「たぶん、俺にも半分、お前らの血が流れているし」
気楽な調子で手を差し出す。
「腹が減っただろ。こいよ。俺の妻の料理はうまいぜ」
異国人は信じられないような表情でまじまじと青年を見つめた。
見つめられた青年は、居心地悪そうに視線をそらし、首筋に手をやった。
「あ――それから、新しい国は、もう異国人とかないらしいから。新しい王がそう決めたんだとよ」
そして、ニヤリと笑う。「あと、一応、これから俺がお前のお目付け役だから。よろしくな」
◇
「トルーシス、レオラ。具合は良くなったか」
夕暮れ時、王としての一日の仕事を終えた俺は、ノックをして治療所の部屋の扉を開けた。
瞬間、自分の頬がひきつるのが分かった。
……邪魔してしまった。
寝台の上で、トルーシスはレオラを後ろから抱きしめ、何やら耳元で囁いていた。
「で、デイトン!」
気づいたレオラが、はじかれたようにトルーシスから飛びのいた。猫のように部屋の隅で丸まり、赤面して小さくなる。
トルーシスは照れくさそうに耳の後ろをさわりながら、こちらを向いた。
「デイトン、もうかなり具合はいいよ」
穏やかな微笑みがその顔に浮かんでいた。
「よかった。……本当に」
とにかく、二人の顔色がよくて安心した。「あと、何も見てないから安心しろ」
「それ、見てないと言わない言葉よね?」
うぅ、とうめくレオラの姿に、トルーシスが笑った。
俺もつられて笑った。
トルーシスのこんな笑顔を久しぶりに――いや、ほとんど初めて見た。よかった、と心の底から思った。
ひとつ息を吐き、緩んだ頬を引き締めると、今日ここに来た要件を告げた。
「トルーシス、レオラ。新しい国ではお前たちは英雄だ」
トルーシスの笑顔がすっと消えた。
「民をまとめる際に力を借りたい。政務に関わってくれないだろうか」
深く頭を下げる。レオラが気づかわしげにトルーシスに視線を向けたのが分かった。
しばらくの沈黙のあと、静かな声が響いた。
「承知している。デイトン、頭を上げてくれ」
見れば、トルーシスは微笑を口もとに浮かべていた。
白い頬にかかる栗色の巻き毛の髪。すらりと通った鼻筋に、美しく弧を描く口角。どこか神々しささえ感じるのに、まるで仮面のようだと思った。
胸が苦しくなった。
「トルーシス。お前からしたら、民たちは馬鹿に見えるだろう。ある時はお前を英雄だと崇め、ある時は売国奴だと罵る。つくりものにおどらされる、どうしようもない愚か者だ」
唇を噛み、だが、と続けた。
「どうしようもなく俺はみなが愛おしい。そうでなければ、どうしてみな国を愛し、敵を愛し、美しく在れるのだろう」
その思ったよりも小柄な肩に手を置く。
「トルーシス。俺の新しい国のために力を貸してほしい」
その瞳がわずかに見開き――彫刻のように整った顔がゆらいだ。
「楽しみだな」
ほんの少し笑いを含んだ声。
どこか少年のような表情が顔を出す。
――酒場で初めて会った、あの遠い日に戻ったようだった。
言葉を出せずにいると、レオラが「よかったね、二人とも」と俺たちに微笑んだ。
◇
そのころ、街では。
着々と新しい国のために立ち働く人々を、男は木陰から静かに見ていた。
目深にフードをかぶっていて、その顔は見えない。
「……シェムリ。俺に足りないのは、これだったのだな」
「え?」
男の傍らに身を寄せていた娘は、首を傾げた。
「信じられなかったのだ。どうしても……」
肩を震わせる男の背を、娘は静かにさすっていた。
それからしばらくして。
森の入口で、男は静かに馬に語りかけた。
「……お前だけになったな。また二人で旅に出よう。最初のように」
馬を撫で、さっと飛び乗ろうとする。
「待って。私も一緒にいくよ」
若い娘の声が響き、男ははっとふりかえって目を見開いた。
「……シェムリ。なぜここにいる」
シェムリは自分の馬を引いていた。馬の背には旅荷もつんでいる。
「お前はみなと暮らせばよいのだ。この新しい国で。良い場所になるだろう」
「ううん。あなたと一緒のところがわたしの一番良い場所だよ」
シェムリは背伸びをすると、男が目深にかぶっていたフードをとって口づけをした。
「これからはもう、顔を隠さなくてもいいよ」
「なぜ俺に構う」
男はかすれた声を出した。
「何度でも言うよ? あなたが好きだから」
シェムリはニコッと笑う。
「そう、か」
男は長いため息をついた。「シェムリ。……いくら王が罪を問わないとはいえ、俺がしてきたことは間違っていた」
その声は震えていた。
シェムリは否定も肯定もしなかった。
男は続けた。
「……いつか、いつの日にか、俺は過去を受け入れ、それらの日々を……口に出して語れる日がやってくるだろうか」
シェムリは力強く頷いた。
「必ず来るよ。そのために旅に出るんでしょ」
「……そうだな」
男は頷いた。まだ浮かない表情の男に、シェムリは明るく言った。
「大丈夫。過去は過ぎ去った。未来はまだ来ない。私たちには今しかないんだから」
「……今しかない?」
男は俯いていた顔をあげて、シェムリを見た。
「そ。今、私はあなたといれば幸せ。あなたも私といれば幸せ。違う?」
微笑んだシェムリに、男は苦笑した。
「……お前は強いな」
「うん。もう骸骨はみんな叩き割ったからね」
「どういう意味だ」
「なんでもない」
「そうか」
男はさっと馬にまたがり、笑うシェムリを自分の馬に引き上げた。「しばらくこうやって行くとしよう。お前の馬は予備の馬とする」
「わーい、二人乗りだね」シェムリが体格の良い男を見上げてウインクする。男はふっと口の端で笑った。
「……ありがとな、シェムリ」
その声は走り出した馬の蹄の音でかき消される程度に小さかったが、シェムリにはちゃんと聞こえて、その頬を薔薇色に染めた。
良く晴れた日。
2人の影は遠くへと消えていった。
紋様の民と鉄の時代 <完>




