第111話 嘘
「レオラとトルーシスも目を覚ましたようですし、私は一足先に海の向こうの国に渡わたります」
ノーレスリャーンの言葉に、ニック――ジグルステンはそれを予想していたかのように「分かった」と頷いた。
異国人との戦いで傷を負った腕と腹には包帯が巻かれ、治療を施されている。髪と目の色も本来の色に戻されていた。
デイトンの計らいで設けられた、ジグルステン専用の天幕に二人はいた。
ノーレスリャーンは膝をつき、深く頭を下げた。
「あちらでお待ちしています。怪我が癒えてからで構いません。皆が首を長くして待っています」
ジグルステンは僅かに目を細め、静かに呟いた。
「俺を待つ者など、いないだろう」
「海の向こうの国もだいぶ情勢が変わりました。フローレンス人は思い始めたのです」
ノーレスリャーンはそこで言葉を切り、少し笑みを浮かべて続けた。「”どうして私たちは馬鹿みたいに殺しあうことしかできないのだろう”、と」
「その通りだ」
ジグルステンは僅かにため息をついた。
「故に、今までとは違う王を求める、新たな機運が高まっています」
熱っぽく語るノーレスリャーンの言葉にも、ジグルステンは「そうか」と淡白に返しただけであった。
ノーレスリャーンは言葉を続ける。
「それに、融和政策の反対派はほとんどいなくなりました」
ジグルステンは初めて表情を動かした。眉をひそめ、「なぜ?」と問いかける。
「ヴァーレントゥーガ様に、皆つき従ったのです。全ての反対派は、この大陸に彼と共に攻め込み、そして滅びました」
ジグルステンは絶句した。目を大きく見開き、呟く。
「ヴァーレントゥーガ、なぜ……。お前らしくもない」
「ヴァーレントゥーガ様の胸中は分かりません。ですが、反対派がいなくなった今、我らの国では、本当にスタルトゥス人とフローレンス人が共存する社会が描けるかもしれません。アーシェンヴァ―ン前王は最悪、この大陸にスタルトゥス人のみを移住させようとも考えていましたが」
ジグルステンは答えなかった。
しばらく沈黙が続いた。
ノーレスリャーンは物思いに耽るジグルステンの顔をちらっとみて、「ところで」と話題を変えた。
「あなたは海の向こうの国の王家の秘密を知っていますか?」
ジグルステンは顔をあげ、「いや」とかぶりを振った。
ノーレスリャーンはその耳元に顔を近づけて言った。
「初代国王は、フローレンス人とスタルトゥス人の混血でした」
ジグルステンの黒い瞳が見開いた。
「……二つの種族の間には、子は生まれないはずではなかったのか。今はお前の医術があるが」
「ずっと太古の昔には、まだフローレンス人とスタルトゥスの違いは決定的なものではなかったのでしょう」
瞬きをするジグルステンに、ノーレスリャーンは続ける。「王家は何度となく滅亡の危機に瀕しました。その度に王が秘密裏に取った行動が分かりますか?」
首を横に振ったジグルステンに、ノーレスリャーンは言った。
「スタルトゥス人の妻を迎えることです」
ジグルステンは息をのんだ。
「スタルトゥス人との間の子は、身体的な強さは劣るものの、不思議な力を持っていた。その力を一言で現すのは難しいですが――”信じる力”です」
「信じる力?」
形のよい眉がひそめられる。
「えぇ。困難の中にあっても、希望を見出し、夢を見る力です。その力を持つ子は、必ず時代を切り開いた。……まあ、単にそういった特徴を強く持つスタルトゥス人の女性に、王が惹かれやすかったというのもあるのでしょうが」
「確かに、ターレンシェーンもアーシェンヴァ―ン王もそうだった」
ノーレスリャーンは懐かしいですね、と微笑んでから、力強く続けた。
「私は、スタルトゥス人とフローレンス人との間の違いは、身体能力にくわえて、この ”目には見えないものを信じる力” にあると思っています」
ジグルステンは黙ってその言葉の意味を考え、言った。
「だがそれゆえに、スタルトゥス人はフローレンス人から”愚かな民族”と揶揄されているではないか」
ノーレスリャーンはふっと笑った。
「確かにありもしない話に踊らされるのは、スタルトゥス人の欠点です。ですが、国を潤す発明や発見はみな、スタルトゥス人の研究者から生まれています」
「多くが奴隷の研究者だが」
ノーレスリャーンはその言葉には取り合わず、目の光を強くした。
「ジグルステン様。あなたこそが適任です」
ノーレスリャーンは、先の王、アーシェンヴァ―ンがはめていた指輪を差し出した。
「受け取って下さい。民はあなたを新しい王に望んでいます。アーシェンヴァ―ン様も、トジン様もそうでした」
その語尾にジグルステンはピクリと反応した。
「……トジンもか」
ノーレスリャーンは頬を緩ませる。「えぇ。”あいつはきっと良い王になる”と口癖のように言っていましたよ」
「…………」
しばらくの沈黙ののち、ジグルステンはおもむろに立ち上がった。
ノーレスリャーンの差し出す指輪をそっと受け取り、自分の人差し指にはめ、呟いた。
「分かった。引き受けよう」と。
ノーレスリャーンはジグルステンにぱさりと羽織をかけた。
アーシェンヴァーン王が着ていた、王の象徴である、真紅の羽織だった。
◇
ニック――ジグルステンは馬を飛ばし、北ノ国との国境沿いにやってきた。
一面の荒野にまばらにある貧しい家屋に、兵士たちが身を寄せ合っている。
そこにつくなり、彼は叫んだ。
「罪なきスタルトゥス人たちよ。もう戦う必要はないぞ!」
何事かと家屋から出てきた兵士たちは、驚きで目を見張った。
王の羽織を来た男が、目の前にいる。
「ジグルステンだ。俺が王となり、お前たちの権利を保障する」
束の間、呆然としていた兵士たちは、その言葉に歓喜の声をあげ、涙を流した。
◇
そのころ、傷はというと。
幸い、深手を追わなかった私は番人とともに怪我人の看病に追われていた。
「いやぁ、マジで助かるよ嬢ちゃん。なにせ俺の右腕のリュシアがへばってるだろ? おまけにレオラはトルーシスが怖すぎてひっぱってこれないし。どうしようかと思っていたんだ」
「気にするな。こういうことには慣れている」
昔、よくこうやって――傷ついた臣下や民たちの手当てをした。攻めてきた西ノ帝国を追い払おうと鼓舞しながら。
番人が、私に変えの包帯の束を渡そうとして、「あ、やっぱもう手伝いはいいや。行っていいぞ」とそそくさと踵を返した。
首をかしげていると、「……アリヤ」と後ろから躊躇いがちに声をかけられた。
聞き覚えのあるその声にはっとして振り向く。そこにはまぶしいように私を見つめる人がいた。
――デイトン。
かつての思い人。
そして婚約者だ。
「少し話をしてもいいかい?」
穏やかにそう問いかけるデイトンに、私は頷いた。
「あの戦争のあとから、ずっと君を探していたんだ。見つけることが出来なくてごめん」
デイトンはまず、苦しそうに頭を下げた。途中、探すのを諦めてしまった時期もあった、とも正直に彼は言った。
「いや。それをいうなら私もデイトンを頼らなかった」
どうしても自分の領土を荒らした西ノ帝国の者を頼る気にはなれなかったのだ。
「アリヤ」
デイトンの真っ直ぐな瞳が私を射貫いた。恐ろしいほど純粋で綺麗な眼差し。
「もう一度やり直したいんだ。俺の妻になってくれないか。……君は、変わらず美しい」
デイトンの温かい手が、そっと私の頬の火傷の跡に触れた。
息が詰まった。
ずっと夢見てきたことだったのに、何故だか胸がざわついた。
頷け、と理性が言っている。
この温かく私を包み込み、愛してくれる人と生涯を共にすれば――幸せになれる。
頷き、すぐにデイトンの手を取ればいいのだ。
なぜそれができないのだろう?
その答えは最初から分かっていたのに、なかなか認めることが出来ず、しばらく沈黙する時間を必要とした。
そして私はようやくやっと口にした。
「……ごめんなさい」
デイトンの目を見ることができなかった。
「そうか」
返ってきた声は、穏やかだった。思わず顔をあげると、デイトンは微笑みながら少し目を細めて私を見つめていた。
たまらず、言い募った。
「私がもし、あの時の無垢な娘のままだったら、間違いなくあなたと一緒になった。……でも」
デイトンは私がゆっくりと話す言葉を、ただ穏やかに頷いて、聞いていた。
「私はあまりにもこの世界の辛酸を味わいすぎてしまった。そんな今、心から惹かれている人がいる」
デイトンはふっと笑った。
「知ってるよ。昔からだろう?」
その微笑みがひどく寂しそうで、胸が痛んだ。
「……信じて。私あの時、本気であなたと幸せになるつもりだったのよ」
「あぁ。それも分かってる」
デイトンは頷いてから、息を吐き出すようにして遠くを見つめながら言った。
「俺も、きみが持つ”自由”に焦がれていただけだったのかもしれないな」
それは私を気遣ってくれた嘘か、それとも本当かは分からなかった。
文通している間、私に向けて書いてくれた手紙は、嘘偽りのない愛に満ちているように思えた。
デイトンは最後に、私に心からの礼を述べた。「君のおかげで、つらい青春時代が輝いたんだ」と。
思わず涙がにじんだ。
「私も同じ。あなたに並びたいと思ったから私はかつての東ノ国で頑張れたの」
それに、と呟く。「あなたと時を重ねていた時間は、本当に幸福で、砂糖菓子のように甘かった」
デイトンを伺うと、僅かに目を見開いていた。
私の視線に気づくと、ふっと微笑み、ゆっくりと私の手に、その手を伸ばした。
「……別れの口づけをしても?」
「えぇ」
頷くと、温かな手が私の手のひらを包みこみ、その唇がそっと指先に触れた。
胸が苦しくなるほど、ただ優しく、あたたかな愛で溢れた口づけだった。
「さようなら、アリヤ。……きみの幸福をずっと願っている」
指先から唇を離したデイトンはそう言って、笑顔を浮かべた。
いったい人はどうやったらこんなに美しい笑顔ができるのだろう。そう思うような笑顔だった。
なんとなくそのまま少しだけデイトンと二人で街を歩いた。
人々は甲斐甲斐しく立ち働き、再建途中の街は活気に満ちていた。
デイトンは今までの雰囲気とは打って変わった調子で、いたずらっぽく言った。
「君も一緒に海の向こうの国に渡るのか? なら急いで支度をしたほうがいい。それに、追い返されないようにあいつを出し抜く必要があるぞ」
思わず笑みがこぼれた。
「たしかに。泳いで船に乗り込むことにしようかな」
「それがいい」とおかしそうにデイトンも笑った。
「私がいうのも筋違いだけど……あなたは本当にいい人だから、幸せになってね」
そんなことを最後にいうと、デイトンは驚いたように目をしばたたかせ、「ありがとう」と微笑んだ。
◇
アリヤが手を振り、去ってからしばらくして。
1人佇むデイトンのもとを、訪れた者がいた。
「そんな腑抜けた顔をしてどうした」
若王――シャールシェーンである。
デイトンはふっと笑った。
「ふられてしまいました。見ていたんじゃないですか?」
「……すまぬ」
図星をつかれたシャールシェーンは深く頭を下げたあと、まるで自分のことのように苦しそうに顔をゆがませ、尋ねた。「悲しいか、デイトン」
「そうですね。とても」
微苦笑を浮かべながら、ため息まじりに言葉を吐き出したデイトンを、シャールシェーンは真っ直ぐに見つめ、そして言った。
「ならば、この国と結婚せよ。この新しい国と。私はその覚悟だ」
デイトンはわずかに目を見開いたあと、「いい提案ですね」とゆっくりと微笑んだ。
◇
天幕の中で、アーシェンヴァーン王の遺品の指輪を静かに見つめるジグルステンのもとを、一人の男が訪れた。
「もうすぐ出発すると、若王から聞いて」
笑みを浮かべて入ってきたのは、デイトンだった。
「ニック――いや、本当の名はジグルステンか。向こうの国の王になるんだろ? 不思議な感覚だな。でも妙に腑に落ちたんだ」
屈託なく笑うデイトンに、ジグルステンは寂しそうに笑った。
「本音を言えば、ずっとニックとしてお前とくだらない話をしていたかった」
それは叶わぬことだということを、ジグルステンは深く認識している。
デイトンは、じっとジグルステンを見つめると、手を差し出した。
「ジグルステンでもニックでも、お前は変わらず俺の親友だ。お前に出会えたことに本当に感謝している」
騎士団で話が合うのはお前だけだったよ、とデイトンは少年のように笑った。
「俺もだ、デイトン。お前の存在は俺にとって本当に――」
言葉を詰まらせたジグルステンに、デイトンが「素直なお前って、なんか変な感じだな」とまた笑った。
それから長い間、様々な話をし、空が白み始めたころ、「じゃあな」と言って立ち上がったデイトンは「あ、そうそう」と言ってジグルステンの耳元でささやいた。
「アリヤはお前を選んだ。幸せにしてくれよ」
「……!」
ジグルステンが目を見開き、凍り付く。
その様子にくすくすと笑いながら、デイトンはジグルステンの天幕をあとにした。
翌朝。
朝もやが立ち込めるころ、ジグルステンはひとり、海辺で船の用意をしていた。
さく、と砂浜を踏みしめる足音がした。
「もう旅立つの?」
病み上がりのリュシアだ。その後ろには寄り添うようにネルが立っている。
「あぁ。静かに行くさ」
低い、落ち着いた声が響く。
リュシアはぺこりと頭を下げた。
「あなたからもらった煙管がなかったら私たちは今ここにいなかった。ありがとう」
「俺からも礼を言う。ありがとよ」
ネルも珍しく素直に礼を言った。
「私があげた煙管はある?」
ジグルステンがそっと懐から煙管を取り出し手渡すと、リュシアは後ろを向いてしゃがみこみ、何やら作業を始めた。
「お前……ずっと俺らのこと、気にしてくれてたよな」
頭をかき、視線をそらしつつ、ネルがぼそぼそと言う。
「きっとたくさん、助けてくれただろ。それに、お前を手本にできたから東ノ国の軍で立ち回れた。……ありがとう。尊敬している。元気で」
ネルが深く頭を下げた。
ジグルステンはわずかに息をのんだ。
数歩近づき、ちょうど目線の高さにあるその頭にそっと手のひらを置き、目を閉じて言った。
「……幸せに生きろ」
祈るような口調だった。
「え?」
ネルが戸惑ったような表情で顔を上げた。今やネルの方が随分と背が高い。ジグルステンが見上げると、お互いの視線が交わった。
「背が高くなったな」
ジグルステンの口もとがほころぶ。
「な、何なの? いきなり」
声を少し上ずらせて、見事な体躯の青年は2,3歩後退する。
「……なるほど」
二人がはっと視線をやると、リュシアが意味深な笑みを浮かべて立っていた。
ジグルステンが顔をしかめる。
「絶対に言わないでほしい」
「もちろん、そのつもり」
リュシアは口の端に薄い笑みを浮かべると、煙管を差し出された。
「はい。紫煙花の粉が湿気てたから変えといた」
「……」
じっとその煙管を見つめると、受け取り、懐に入れた。
リュシアはにこりと笑い、「じゃあ、私は最期に行くところがあるから」とネルと共にその場を去っていった。
◇
私は海辺の茂みで身を隠し、船に乗り込むために最適なタイミングをうかがっていた。
近くで、茂みがガサッと音を立てた。
――リュシアと、ラジャトだった。
「アリヤ姉、幸せになってね」
リュシアが餞別に、とても綺麗な砂紋民の民族衣装をくれた。きっと似合うとほほえんでいた。
着る機会がないよ、口をとがらすと「いずれ分かる」と意味深な笑みを返された。
「アリヤ姉さん、元気で」
病み上がりのラジャトは、立派な鷹を餞別にくれた。「たか」という名前らしい。これは何かと助かりそうだ。
その鷹はすぐに私の肩にとまり、居心地よさそうに目を細めた。
二人に別れの言葉を告げていると、「傷」と聞きなれた男の声がした。
「アリヤだよ」とリュシアに突っ込まれて、「あー悪い悪い」と笑う。
「向こうでもお前らしくな。お前の決断、応援してるぜ。デイトンは俺が慰めておいてやるから」
そしていつものようにニヤっと笑った。
「口には出さなねぇけど、あいつ、絶対お前に惚れてるぜ。だってお前と接するときだけ態度へんだもん」
リュシアがその言葉にふき出した。
つられて思わず笑った時、視界の端で船が出るのが見えた。
「あ、そろそろだな。じゃあな!」
ネルが楽しそうに声をあげた。
私はみんなに別れを告げ――そして海へと飛び込んだ。




