第110話 呪い
「ノーレスリャーン。こいつらを診てくれ」
弱り切った顔で番人が私の名を呼んだ。彼はこの大陸の腕の立つ医術師で、いろいろなことを教えてもらっている。反対に教えたことも多々ある。
番人が私を連れて行った部屋には――
青年と娘が重なり合うようにして寝台に横たわっていた。
青年は娘の肩を抱き、娘もまた青年に身を寄せるようにしている。
なんと美しい二人だろう。
返り血で二人とも血だらけなのに、そんなことを思った。
「トルーシスとレオラだ。異国人とずっと戦っていた」
番人が続ける。「二人とも、斬られた傷は致命傷じゃない。だが、数日たっても目を覚まさねぇんだ。特にトルーシスの方が心配だ」
私は二人に近づき、その体を確認した。
確かに、娘の方はだいぶ回復していることが分かったが、青年は脈も薄く、血の気に乏しい。全く生気が感じられない。
「精神的にかなり傷を負うとこのようになることがあります」
「……そうか。二人は離さないようがいいよな?」
離そうにも、トルーシスがレオラを強く抱き寄せていて無理だったが、と苦笑する番人に頷く。
「きっとお互いがお互いを必要としているのでしょう」
「こいつは元々死にたがりだったからな」
番人はポツンと呟き、そっと青年の頬の火傷の跡に手をあてた。
「もともと、ここには黒い紋様があってな。ずっとひどい目にあってきたんだ……」
番人は祈るように言った。
「もうそんな世界はデイトンが終わりにする。だから戻って来い、トルーシス」
そして娘に向き直り、語りかけた。
「レオラ。いつもみたいにトルーシスを引っ張ってこい」
◇
目の眩むような、血で染まった大地。
もう二度とそれを見たくないと決意した。
でも、倒れる仲間たちの血でまた大地は赤く染まった。
ニックの沈んだ横顔と、脳裏に焼き付く”弓”の微笑んだ顔。
そしてこの前。
いまだかつてないほど、大地は赤く染まっていた。
それを作った張本人は――
私だ。
体を蝕む怒りが切れたとき、そのことに気づき、急に体から力が抜けた。
誰かに肩を支えられたと思ったら、ニックだった。
「……ニック。私は――誰かにとってのわたしを作ったのね」
「責任を感じるな。お前を修羅の道に引き込んだ俺が悪い」
今までに聞いたことがない、真剣な口調だった。
「いや、私が……」
強い眩暈がして膝から崩れ落ちそうになったとき――違う誰かに強く抱きしめられた。
「……レオラ。レオラ。死なないで。約束しただろう。地獄の果てまで一緒にいるって」
必死な、懇願するような口調が耳元でして――
そうだ、と私は思いだした。
「勝手に殺さないで」と、かすれた、まるで自分じゃないような弱々しい声で応えたんだった。
はっと目が覚めた。
水から急に上がったような感覚だった。
まだ判然としない意識の中、ただ不思議に響く自分の心臓の音を聞いていた。
やがて、もやがかかったような頭の中がはっきりするにつれ――私は驚愕した。
肩を抱き寄せられている。
少し顔をあげると、トルーシスの顔が間近にあった。
自分の心臓の音かと思っていたのは、彼の心臓の音だった。
驚いて衝動的に離れようとしたが――力強く肩を掴まれていて逃れることができない。
「……トルーシス?」
規則的な心臓の拍動はあるものの、その顔は青白く、生気がない。
まだこの世に意識が戻ってきてないのだろうか。
「トルーシス」
もう一度その名を呼ぶ。
どちらかというと彼は小柄で、そんなに私と体格差はない。だが、いざ戦いともなれば、この体が激しく躍動し――
自分の身長よりもゆうに大きい異国人を斬っていったのだ。
「あなた、泣いたの?」
頬に涙の痕がある。
その時、気づいた。私は槍で撹乱するのがメインだった。剣を使って本当に異国人の命を絶っていったのは、トルーシスだ。
私はどこか、人を斬りすぎて、また人の死が身近になりすぎて、麻痺してしまった節がある。
その点、トルーシスは優しい。
森を歩くとき、いつも小さな虫でさえ殺さないように気を付けて歩いていることを、ひそかに知っている。
この戦いは――どれほど心に堪えただろう。
私がトルーシスの役割と代われたらよかったのに。
自分でも驚くような、そんなことを思った。
「……トルーシス、起きて」
肩を軽くゆすってみるが、反応はない。その体は死人のように冷えていた。
いつかの日の、牢の夜。
温めてくれたことを思いだした。
その温もりが、たまらなく嬉しかったことも。
――今後は私が。
トルーシスに身を寄せ、その冷たい体にそっと手を回した。
◇
隣でわずかな衣擦れの音がして、私はうっすらと目をあけた。
「……レオラ?」
トルーシスの小さな声に驚き、一瞬で覚醒した。
いつの間にか眠ってしまったらしい。まだ部屋は真っ暗だ。夜中である。
――温める作戦、成功ね。
そう心の中で喜んだ瞬間、頬に血がのぼるのを感じた。
トルーシスと近い。
かなり近い。今、普通に寝台で抱き合っている。
はっと息をのんで離れようとしたのに、すぐさま抱きすくめられた。
トルーシスは私を強く抱きしめたまま、低くかすれた声で呟いた。
「ずっと夢を見ていたんだ。酷く冷えた、暗闇でずっとさまよっていた。このまま凍えてしまうと思った時に、急に暖かくなって――春がきたと思って目が覚めた」
……冬眠していた熊か何かのように言わないでほしい。
微妙な顔をした私に気づかず、トルーシスは小さい声で言った。
「レオラ。君は僕の春なんだ。……もう少しだけ、このままでいてもいいかな」
「いいよ」
小さく頷いた。
トルーシスが私の肩に顔をうずめる。
「レオラ。僕は今回の戦いでいったい何人、殺したんだろうな」
何かを言う前に、トルーシスは呟くように言った。
「僕はよく考える。死んでいった者たちを差し置いて、生きていていいのだろうかと」
思わず息をのんだ。安易に、いいに決まっているじゃない、とは言えなかった。
私自身、よく同じことを考えていたからだ。
「こんなことを考えるなんて、おかしいだろうか……」
ため息と共に吐き出されるトルーシスの声。
「いや。おかしくない。私もいつも、それを考えている」
トルーシスがはっと息をのんだ気配がした。
「……レオラ。君はどういう答えを出した」
それを考えるとき、いつも”伊達”の言葉が蘇る。
「ただ、前だけを見て歩いていくの」
トルーシスはしばらく沈黙して、そして私を抱きしめる腕に少し力を込めた。
「君らしく強いな。尊敬する。……でも苦しい時もあっただろう」
なぜか目頭が熱くなった。
そうだ。私はずっと、ずっと――時には柔らかな過去の安寧に浸って思い切り泣きたかった。
音もなく涙する私の背を、そっとトルーシスはさすった。
「僕はずっと過去ばかりを見てきた。だからレオラは……少しばかり後ろを見て立ち止まっても許されるだろう」
その静かな声に、言葉がこぼれ出た。
「海の向こうの国は、仲間たちの仇だった。だから――」
だから、皆殺しにしたかった。
それを口にすることなんて出来なかった。自分が酷く醜い人間に思えた。
「分かるよ」
トルーシスの言葉に、変わらずにそっと背をさする手に、再び涙が出た。
「レオラ。君は1人も殺していない。殺したのは僕だ」
「ちがうわ」
「違わないさ」
トルーシスは静かに首を振った。
「僕はずっと思っていた。死者の魂がいっそのこと、僕を呪い殺してくれたら、と。でもそんなことはなく――死者は何も言ってこない」
トルーシスはため息をついた。
「それなのに、己が己自身に課した呪いばかりが増えていった。他者が己に課す呪いも」
トルーシスは手のひらに視線を落とし、握って開いてを数回繰り返した。
「体は問題なく動く。僕は生かされた」
思わずトルーシスの顔を見た。
その瞳には、不思議な光があった。
「僕はこの――泣きたくなるほどの過去を、時に押しつぶされそうな殺戮者としての過去を背負って、これから一生歩いていく」
息が詰まった。
彼は真面目過ぎる。
「そんな過去――忘れたらいいのに。あなたは新しい国では英雄よ」
トルーシスは首を横に振って、静かな声で言った。
「無理だ」
あぁ。そんなこと、私が一番分かっているはずだった。
前を見ることはできる。思い出さないようにすることはできる。
だが、決してなかったことには、ならないのだ。
「だが――」とトルーシスは呟くように言った。
「死者からの呪いはない。他者から課せられた呪いは消えた。後は己が課す呪いだけだ」
トルーシスは真っ直ぐに私を見つめた。
「――レオラ。これからもずっと隣にいてほしい。一緒に君と――この世界をもう一度、ちゃんと生きてみたいと思ったんだ」
この時の感情をなんと表現したらいいのだろう。
心の底が、深く震えるような感覚だった。
ふと、”弓”の顔が脳裏に浮かんだ。私の勝手な考えに他ならないが、きっと”弓”は文句を言わないだろう。むしろ、祝福をしてくれるだろう。
もちろん、と頷いた。
トルーシスが、初めて見る様な表情をした。
途端に恥ずかしくなって、その胸に顔をうずめる。
「地獄の果てまで一緒に行くって約束したでしょ?」
そうだった、とトルーシスははにかんだ。
どちらともなく私たちは顔を寄せあい、唇を重ねた。
朝。
私はトルーシスにまだ抱きしめられていた。
「ずっとこうしているの?」
なんとなく慣れなくて尋ねると、トルーシスは目を閉じたまま、「……もう少し」と頷いた。
静かな言葉とは裏腹に、私の肩に回された手は力強い。
嫌な予感がする。ここは治療所だ。そろそろ番人とかが見回りにきそう――
ドタドタ、と番人の足音がした。
トルーシスがはっと息をのんだ気配がした。
すがさず私はトルーシスから逃れ、部屋の隅へと移動した。
「おやおや!? おー!! 二人とも目覚めたか!!」
番人が心底嬉しそうな声を出した。そして首をひねる。
「なんだよお前ら、さっきまであんなにくっついてたのに。ずっとそうしてていいんだぞ」
番人は笑いながら、寝台脇のテーブルに食べ者や治療薬を軽快にドンドン置いていく。
「よし、お前らは元気そうだから、後はセルフで!」
「え、ちょっと雑じゃない?」
「いやぁ、まだ患者がたくさんいてねぇ。レオラ、お前もう動けるだろ? 治療を手伝ってくれよ。ま、出来たらでいいけど」
まあ確かに、もう動ける。番人のサポートくらいだったら……
「分かったわよ」
寝台から出ようとしたところを、ぐいっと腕を掴まれた。
そのまま後ろから抱きすくめられる。
……え?
「レオラ。もう少しだけ」
トルーシスが私の肩に頭をうずめた。
な、なんか……
これからこういう距離感なのかな!?
「あっはっは。やっぱりしばらくそうしてるのがいいぞ」
目を白黒とさせる私に番人は笑いかけ、他にも手伝ってくれるやつがいるから大丈夫だ、と片目をつぶると部屋から出て行った。
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※作者つぶやき
ついにこのエピソードをむかえ、作者としては万感の思いです……
トルーシスは父のトルタニスの血を受け継いでいるので、愛が深いですね^^




