第109話 戦いの終焉
「ガレン。森の上空で大量に燻っていた紫色の煙はどうなった」
尋ねると、ガレンの答えが返ってきた。
「……消えている」
なんということだ。ならばリュシアは紫煙花を全て燃やし終わったということだ。
それなのに異国人が倒れていない、ということは。
――足りなかったのだ。本当に。
「もう勝機がない、のか?」
ガレンの乾いた声が響く。
唇を噛みしめたとき。
「いや、ある」
揺るぎのない声にハッと振り返ると、そこにはデイトンが立っていた。
まっすぐにその指で、海岸とは逆方向を指し示す。
「あの山の頂にある湖を狙え。キリルからの遺言だ。そうすれば大量の紫煙花が咲く」
その言葉から、唐突にキリルが死んだことを知った。あのわがままで変わっている、寂しがり屋の青年は生を終えたのだ。
「だが、せめてここからの方位と角度が分からなければ――」
あの山は遠すぎる。ガレンでも狙えない。
「ここにある」
デイトンが指さした地面を見て、度肝を抜かれた。
地面に赤い計算式が連なっている。ここから標的までの距離と角度が計算されていた。
……完璧じゃないか。火薬の量や風まで計算に入っている。
「キリルが残したのを引き継いで、ここまで計算してきた」
デイトンの腕から血が滴っている。腕を斬り、血液をインクの代わりにして計算してきたのか。
――何者だ、こいつ。
だがそんなことを問う余裕はない。
”弾”の向きを微調整しようとして瞬きをした瞬間――
目が、ひときわ強く痛んだ。同時に自分の目を疑った。
暗闇、だった。何も見えない。
「おい、まさか今見えなくなったのか?」
ガレンがそっと聞いた。
――あぁ。そのまさかだ。
この目の、寿命が尽きた。
海の向こうの国のあの女が、薄ら笑いを浮かべた姿が脳裏に浮かぶ。
「ガレン、お前が撃てるか」
ガレンが僅かに、息をのんだ気配がした。
今、この”弾”に入っている弾はあと1発。
それを外したら、再装填にまた時間がかかる。
そして、その時間を耐えられるような余裕は、こちらにもう残っていなかった。
ネルと鋼主が必死に戦っているが、もう何人も、異国人が”弾”の間合いに入っている。
その時、一陣の風がふいた。
同時に、異国人のひるむ気配。
「ニックに言われてこっちの加勢に来た」
女にしては低めの声。
その声を聞いて、この窮地を乗り越えれると確信した。
「傷。あの山を撃て。そうすれば勝つ」
ガレンが即座に端的かつ明快な指示を出した。続けてデイトンの方を向く。
「デイトン、お前は傷に指示を出せ。難しい数式のことは分からん。異国人たちは引き受ける。あと、”弾”についている目盛りをうまく使え」
ガレンは剣を抜き、身をひるがえした。
「……! 分かった」
既に地面の計算式を見て、ギィッと”弾”を動かし始めた傷のもとへと、デイトンが駆け寄る足音がした。
「傷、待て。風の強さを再計算する。少し風が変わった」
「承知した、デイトン。南東からの風だ」
この場は二人に任せ、ガレンの剣戟の音がする方へと加勢に加わることにした。
目くらましの光玉がまだ、懐に残っている。
◇
傷――いや、アリヤの研ぎ澄まされた横顔が、あの山の頂きの一点を狙っている。
息をつめて見守る中、アリヤは撃った。
轟音。
そして地面に響く衝撃と舞い上がる砂塵。
反動で後ろにとばされたアリヤの体を、とっさに抱きとめた。
「無事に打ち抜いたか?」
砂塵で視界が奪われる中でも、アリヤは目を細めて山を必死に見ようとする。
「――大丈夫だ。きっと大丈夫だ」
なぜか、そんな確信があった。
そして視界が晴れたとき――
その山は、見事な紫色に染まっていた。
そこにはえていた紫煙花が全て咲いたのだ。
戦いの音は全てやみ、不思議な静寂に包まれた。
――勝った。
思わずアリヤを抱く手に力を込めた。
数秒、そうしてその美しい紫色の山を眺めたあと、俺たちはどちらともなく歩き出した。
「みなが、命をはって隙を作り出してくれた」
アリヤが呟く。
「その通りだ」
高台から下をみると、もうほとんど動く者はいなかった。
途端に現実が襲ってきて、眩暈がした。
◇
「……勝った、のか」
ガレンは剣を構えたまま、目の前の光景を放心したように凝視していた。
こちらに攻めてきていた異国人たちは、皆一様にバタバタと地に倒れ、動かなくなっていく。
その声に、地面に転がるラジャトが言った。
「異国人たちが、紫色の痣を出して倒れ始めたか。ならば勝った」
「あぁ。その通りだ……」
そこまで呟き、我に返ったようにガレンはしゃがみ、ラジャトの手を握る。
「ラジャト、どうして……。どうして俺を庇ったんだ?」
大きく顔をゆがめ、斬られたラジャトの胸を止血し始める。
ラジャトは懐かしむような目をして、言った。
「お前の兄貴は女を庇って死んだらしい。いい死に方だ。それに、いい判断だった。その女がいなければきっと勝てなかったからな」
それにさっき一瞬だけ目が見えるようになったから、とつけたす。
ガレンの目が見開く。
「なぜ……。俺は、おまえの女でも、優れた能力を持っているわけでもない」
ラジャトはふっと目を細めた。
「僕は長い間孤独だったから……第5師団の仲間になりたいと強く思ってたんだ。……それは叶わなかったが」
軽くせき込み、言葉を続ける。
「俺の寿命は放っておいても消える。これが一番合理的だ」
そして目を閉じ、呟いた。
「”鷹”、キリル……。僕もすぐそちら側へ……」
ふっと体から力を失ったラジャトに、ガレンは縋りついた。
「ラジャトもやべぇな」
鋼主を肩に担いだネルが、ガレンの方に歩いてきた。
すぐさまもう一方の肩にラジャトを担ぎ上げ、また歩き出す。
かなりネル自身も手負いではあるが、足取りはしっかりとしている。
「……俺も手伝う」
ふらふらと立ち上がったガレンの蒼白な表情をちらりと横目で見て、ネルは言った。
「顔色、真っ白だぞ。少し休め」
「いや、でもまだ仲間の救護が」
「……あぁ。それは大丈夫だ。あとのやつらはもうダメだ」
ネルが呟くように低く言った声に、ガレンの顔がゆがんだ。
◇
放心したようにしているガレンに言葉をかけ、俺は戦地を見、一人一人の勇者に礼を言い、その瞼を閉じて回った。
異国人も、海岸線に押し寄せていた艦隊も、動きを止めていた。
――艦隊に乗っていた者たちも、紫煙花の毒にやられたのか。
それほど強い毒をあの山は秘めていたということだ。
今、ここにいない二人にも、深く礼を言った。
「……ありがとうキリル。そして、キリルの父上、ヘブライ殿」
◇◇◇
同じころ、異国人と激しい戦闘を行っていたトルーシスは。
乱れる息を整えながら斬りつけると、異国人の動きが急に鈍くなった。
……なぜ?
理由が分からず、ただひたすら剣を振るい続ける。
「――シス! トルーシス!!」
咆える様な叫び声とともに、後ろから抱きとめられた。
「もういい。もう斬らなくていいんだ。見てみろ」
その低い声に、混乱した精神が徐々に落ち着いていく。声の主はそっと僕から離れた。
荒い息をつき、返り血で霞む目をこすると、そこには僕たちのほかに立っている者はいなかった。
異国人は、みな一様に肌に紫色の痣をだして倒れていた。
「紫煙花の毒がこの大陸を元通りに覆ったんだ」
その言葉は、どこか遠くで聞こえるようだった。
倒れる異国人。
その亡骸の致命傷の多くは、己の剣がつけたものだった。
傍らで戦っていたレオラが、力が抜けたように膝から崩れ落ちそうになったところを抱きとめる。
が、僕も足に力が入らず、ふらついたところを力強い腕で支えられた。
細身だと思っていたのに強靭な体。
「よくやった。俺が全ての罪を背負い、生きる」
まるで水から上がったように、返り血で全身を赤く染めている彼は、今まで知っている彼と全然違っていた。いや、今までの彼が演じているだけだというのは薄々気づいていた。
「……あなたの本当の名は?」
僕の問いに、彼は静かに息を吐いて答えた。
「ジグルステン。……ジグルステン・ヴァルゼンベルク」
◇
戦いは終わった。
動ける者たちは、残された累々と積みあがる異国人達の死体を丁重に埋葬した。
しばらく誰も何も言わない中、デイトンが絞り出すように言った。
「……良い国が必要だ。平和な、良い国が」
若王が真っ先に深く頷き、瞳に決意の光を浮かべる。
「そうだな。二度と争いの起こらぬ新しい国を作ろう」
ニックは、暗い顔で静かに頷いただけだった。
そうしてこの大陸の復興が始まった。




