↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

111/129

第108話 私のすべて

夜の闇(やみ)。

それがたまらなく恐(おそ)ろしく感じるようになったのは、いつからだろう。


――あの頃(ころ)からだ。

東ノ国を興し始めた時。

まだ新しい国に希望を持てていた時期だ。





    ◆





「鋼主様。――あなたは夜の闇(やみ)が怖(こわ)いのではありませんか」

思いがけずヘブライにそれを言い当てられ、体が脈打った。


「そんなことはない。怖(こわ)いものなど、ない」

そういうと、ヘブライは柔和(にゅうわ)な顔で「そうでしたね」と微笑(ほほえ)み、「お困りでしたらいつでも申しつけください」と頭を下げた。





半年後。

「お呼びですか」

ヘブライが私の寝室(しんしつ)に姿を現した。


「きたか」

ヘブライが部屋に入ったのをみとめて、私は内側から鍵(かぎ)をかけ、明かりを消した。

部屋が暗闇(くらやみ)で満たされる。


「ヘブライ。お前には今、どれくらい見える?」


「家具の輪郭(りんかく)がぼんやりと見えます。今日は満月の光が差し込みますから」

確かに、今日は満月らしかった。

だが、私にはそれを認識することすらできなかった。


「……私には何も見えぬ」

目を両手で抑(おさ)えて呟(つぶや)いた。「数か月前からだ。致命的(ちめいてき)だ。これでは夜襲(やしゅう)されたらひとたまりもない」

この時は、東ノ国の王家の残存勢力や西ノ帝国(にしのていこく)に、いつ攻撃(こうげき)されてもおかしくない状況(じょうきょう)だった。


「やはり闇(やみ)の中での視力が落ちていますか」

ヘブライは僅(わず)かに眉(まゆ)をよせると明かりをつけた。

部屋が明るくなり、心底ほっとしていると、ヘブライは私に尋(たず)ねた。


「反対に、明るいところは驚(おどろ)くほど良く見えるのではないですか?」


……驚(おどろ)いた。何故分かる。


「お身体を拝見しても?」

ヘブライが丁寧(ていねい)に尋(たず)ねた。


「あぁ。頼(たの)む」

つけていた覆面(ふくめん)を外し、服を脱ぐと下着以外何も身に着けずに寝台(しんだい)に身を投げ出した。


「これは……」

ヘブライは束の間絶句し、私の眼に光をあてて動きを見、肩(かた)や脚(あし)の筋肉に触(さわ)って何かを確かめるようにした。

そして、ハッと目を見開くと、すぐに窓のカーテンを引いた。


いつも落ち着いているヘブライにしては珍(めずら)しく、まるで、何かにおびえるようだった。

「どうした」

思わず尋(たず)ねると、ヘブライは早口で問うた。


「あなた様のお父様とお母様は?」


「知らん。俺は捨て子だったからな。身寄りのない子どもと一緒(いっしょ)に村で育てられ、10歳(さい)の時に森に捨てられた」


「そうでしたか」

その声は、僅(わず)かに震(ふる)えていた。


「何を知ってるのだ? 最近筋肉がやけに太くなり、体が重くなって困るのだ。視力もおかしい。いつものように助けてくれ、ヘブライ」

博識で知恵(ちえ)のあるヘブライに、私は全幅(ぜんぷく)の信頼(しんらい)を寄せていた。


ヘブライは静かに首を振(ふ)ると、そっと私の体に毛布を掛(か)けた。

「これは直しようがありません。私から一つ言えることは、信頼(しんらい)できる者の他には、決して御体(おからだ)をお見せなさいませぬように」


「……?」

怪訝(けげん)な表情をすると、ヘブライは「お約束くださいませ」と柔和(にゅうわ)な彼には珍(めずら)しく語調を強くした。


「分かった。約束しよう」

頷(うなず)くと、ヘブライは「ありがとうございます」と微笑(ほほえ)んだ。





    





私の右腕(みぎうで)として支えてくれたヘブライは、ある時期から姿を消した。

その後、彼が自殺した、という報を聞いた。


……なぜ? ヘブライ。


私はその前にアイゼンという臣下も失っており、この世から孤立(こりつ)した気分だった。

東ノ国は、いつからか私が望んだものとはまるで違(ちが)う、砂紋民(ヌルム)をモノとして扱(あつか)うような国になっていた。


悩(なや)み続ける日々(ひび)に、1人の女が私の前に現れた。

年上の女だった。

私の心の乾(かわ)いた隙間(すきま)に、女はうまく入り込んだ。


故に、私はヘブライとの約束を破ってしまった。





「……いい体」

女は寝台(しんだい)の上で、うっとりとするように私の筋肉をなぞって、言った。


「あなた、夜の闇(やみ)が怖(こわ)いでしょ?」

美しい笑顔でそう言い当てられたとき、思わず目を見開いた。


「私には分かるの。あなた、この世界で自分だけ何か異質なように感じているでしょ。なぜ他の者たちは根も葉もない噂(うわさ)に振(ふ)り回されるのか。馬鹿馬鹿しくてたまらないんじゃない?」


――まさにその通りだった。


金髪の美しい女は私の目を覗(のぞ)き込むようにして微笑(ほほえ)んだ。

「大事なことを言うわ。本来のあなたの居場所は、海の向こうの国よ」


まばたきをすると、女はにっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「私もそこから来たの。だから私たちが惹(ひ)かれあうのも当然ね」


私の耳にその赤い唇を近づけ、ささやく。

「あなた、心の奥底(おくそこ)でこの世界を憎(にく)んでいるでしょう? その気持ち、殺さなくてもいいのよ」


首筋にじっとりと嫌(いや)な汗(あせ)が浮かぶのを感じた。女の言葉が耳に絡(から)みつく。


「本来、この大陸は私たちのものなの。今は愚(おろ)かな民族に奪(うば)われているだけ。だから、西ノ帝国(にしのていこく)もこの国も壊(こわ)していいのよ」

熱を帯びた瞳(ひとみ)がこちらを向く。「そうしたらあなたは私の国で英雄(えいゆう)になれる」


ぞくりとするような甘(あま)い響(ひび)きが、頭を痺(しび)れさせた。

「でも、壊(こわ)すといっても、どうやってそんなこと――」


至近距離(きょり)で女は微笑(ほほえ)んだ。細い指先が私の腕の紋様(もんよう)をなぞっていく。

「あなたのその黒い紋様(もんよう)にその秘密が書いてあるわ」


「……だが、これを読むことができない」


「頑張(がんば)って解読するの。きっと解読できたときが、頃合(ころあ)いよ」

女はにっこりと微笑(ほほえ)んだ。

その後、女は姿を消したが、それからもその悪魔(あくま)のような言葉は、私の心にこびりついていた。






    ◆






本当の悪魔(あくま)は私だ。


戦争が終わり、なぜか生かされ、己を呪(のろ)った。

トルーシスに比べ、私の人生はなんと愚(おろ)かだったのだ、と。


「鋼主(こうしゅ)。戦ってくれるか、この大陸のために」

若王(わかおう)はまっすぐに私を見て、そう言った。


「分かりました。この戦いで罪を償(つぐな)います」

頷(うなず)くと、若王(わかおう)は微笑(ほほえ)み「頼(たの)んだぞ」と私の肩に手を置いた。


「死なないでね。でも死んでもいいよ。私も死ぬから」

ひた、とシェムリがこちらを見つめてくる。


「お前は生きろ。……私は死ぬべきだ」

顔を背け、立ち上がろうとするとシェムリに動きを封(ふう)じられた。

シェムリは私の真正面に回り込み、言った。


「世界がなんと言おうと、私はあなたに生きてほしいの」


「……なぜ」


白く、柔(やわ)い指先がそっと私の下唇(したくちびる)に触(ふ)れた。そのまま酷(ひど)く荒(あ)れているその場所をなぞっていく。


「何度も唇(くちびる)を噛(か)んだのか。……苦しんでいたのだな」

若王(わかおう)が顔を伏(ふ)せた。


「……そこも薬、いるか?」

番人が懐(ふところ)から軟膏(なんこう)を取り出すのを、シェムリは笑って止めた。


「ううん、このままがいい」


そして、そっと私の耳元でささやいた。

「たくさん私のこと、思い出してくれたんでしょ?」


珍(めずら)しく照れくさそうに笑い、そして柔(やわ)らかな唇(くちびる)を――







ジャリ、と口の中に砂が入った。


――愚(おろ)かだ。

死を前にして、そんなくだらないことを思いだすなんて。


背後から深く背を斬(き)られ、耐(た)えきれず膝(ひざ)を折った。

頭を踏(ふ)みつけられる。


「妙(みょう)に手ごわかったな」

「あぁ。だが所詮(しょせん)はスタルトゥス人。くだらないやつらだ」


そう。なんてくだらない――



「トルーシス、じゃあな。俺はこの世界を変える」

妙(みょう)に明るい声が頭の中に響(ひび)いた。さんさんと降り注ぐ日差しと、鮮(あざ)やかに映る森の緑。


誰(だれ)だ? これは。

この吐(は)き気がするほど希望に満ちた声の持ち主は。


やけに見覚えのある、頬(ほお)に黒い紋様(もんよう)が広がった少年が目に映った。

そして、眩(まぶ)しいものを見るように微笑(ほほえ)んだ。


「元気で、兄さん。僕(ぼく)も成人したら旅に出て兄さんを探します」


唐突(とうとつ)に分かった。

――これは、過去の私だと。


思い返すことすら拒否(きょひ)していた、私のくだらない過去。

だが、それがきっと――



私のすべてだったのだ。



目を閉じ、ひとつ息を吐(は)いた。

せめて、シェムリとトルーシスに恥(は)じぬように死ななくてはなるまい。






     ◇






「……なんてやつだ」

隣で”弾《ダン》”を撃つガレンが、冷静沈着(ちんちゃく)な彼には珍(めずら)しく驚(おどろ)いた声を上げた。


「何が起こっている」

端的に尋ねると、うてば響くように答えが返ってきた。


「鋼主(こうしゅ)が、背中に剣が刺(さ)さったまま……大量の血を流しながら、まだ戦っている」


「……そうか」

鋼主(こうしゅ)には第5商会の剣を納品する際に一度会ったことがある。

恐(おそ)ろしいほど体格が良かった。かなり血の濃(こ)い混血だろう。


「ダグラス達は倒(たお)れたか」


「あぁ。ネルと鋼主(こうしゅ)だけが戦っている。……ラジャトお前、それすらも見えないんだろ」

”弾《ダン》”に手早く追加の玉を込めながら、ガレンが尋ねる。


「……その通りだ」

視界が白く濁(にご)り、近く以外、もうほとんど何も見えない。

あの女からくらった目の傷が最近妙に痛むと思っていたが、ここで失明するなんて――


ガレンの低い声が耳を打った。

「俺は近場を撃(う)つ。お前は海の方を撃(う)ってくれ。こっちに来い」


「?」

言われるままにガレンの”弾《ダン》”の方に行って驚(おどろ)いた。


ごく小さな分度器のような目盛りがつけられている。

「100~105平《ヘイ》、7~25負斜《フシャ》でランダムに撃(う)ち続けろ。これくらいは見えるだろ」


「ガレン。君はどうしてこんなものを――」

昔。”鷹《たか》”が楽しげに語っていた話を思いだした。

そういった独自の単位を体に刻み込み、模擬戦(もぎせん)で無双(むそう)を誇(ほこ)る射手の話を。


ガレンは静かに答えた。

「兄の遺品だ」


――感謝する、”弓《ゆみ》”。

これでよく見えずともおよその狙(ねら)いが定まる。





その分度器の助けを借りて、ひたすらに撃(う)ち続けた。

ガレンは小型の”弾《ダン》”を連射し、ネルと鋼主(こうしゅ)の加勢をしている。


――いつまでこれは続く?

なぜだ。

今頃(いまごろ)リュシアが燃やした紫煙花(シエカ)の毒が大陸中に周り、異国人の侵入(しんにゅう)を妨(さまた)げているはずだ。


もうかなり時間は経った。

まさか。


ある一つの可能性に思い至って、愕然(がくぜん)とした。

足りなかったのか? 毒の量が。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。