第105話 覚醒
はっとした。
どこかで自分を呼ぶ声がした。
跳ね起き、自分が先ほどまで気を失っていたことに気づいた。
目の前で伏していたレオラも同時に目を覚まし、あたりをさっと見回して顔色を変えた。
たくさんの異国人がこちらに突撃してくる。
今までのどこか余裕そうな、弄ぶような感じではない。確実にこちらの命を奪おうとしている。
剣を手に取った。
視界の端でレオラが槍をとったのが見えた。
低い男の声が鋭く響いた。
「レオラ! 槍をふるえ!」
ニックだった。今までに聞いたことのない本気の声。
レオラがはじかれるように異国人の前に飛び出て――槍を繰り出した。
目に見えないほど速い動き。
異国人の足が止まったのが分かった。
「トルーシス! 跳べ!」
ニックの声に、本能的に今、自分が何をすべきなのかが分かった。
瞬時、跳んだ。
剣は異国人の首をとばし、その隣にいた異国人の肩に斬撃を負わせた。
――分かってきた。
何度目かの斬撃を行い、異国人を数人一気に倒したところで、何かが腑に落ちる感覚があった。
きっと異国人はレオラの槍の動きが全て見えるのだ。
だから混乱している。
――そこに隙がある。
あの目は厄介だ。確実にこちらの動きを捕縛する。普通に戦ったら勝つことはできない。
ゆえに、相手に気配を悟られてはならない。
足の裏に全神経を集中させ、物音を立てずに最適な位置に移動し――レオラの槍の動きにあわせて高く飛ぶ。
そして剣を一閃させる。
体の反動を使って円を描くように。
そうすれば、もう、敵が一気に倒れている。
恐ろしい力だ。
これではまるで――呪いの力。
「……スタルトゥス人めが!」
倒れた異国人と目が遭った。
僕らとは違う褐色の瞳。でも、その瞳に宿る憎しみと怒りの炎は、僕がよく知っているものだった。
”呪われた黒い紋様め!”
そう叫んだ同胞の瞳と、まるで同じだった。
ふいに過去が脳裏に強く蘇った。
息が詰まる。体が思うように動かない。
レオラが叫んでいる声が聞こえる。
過去を思い出すといつもこうなってしまう。
――どうすればいい?
こんな時は決まって、自分の中の鬱屈した、どす黒い火種を燃料にする。
そうすれば、体は動き、剣は火花を散らし、あっという間に敵は倒れている。
今回も、それを――
「足の運びが乱れているぞ、トルーシス」
穏やかな男の声が聞こえた。
はっと我にかえった。
己に振り下ろされていた異国人の剣を、すんでのところでかわした。
「トルーシス。お前の父が私に教えてくれたのだ。戦いの時は、”今”だけに集中するのだと」
その声は、いつかの日、宮殿で重臣を惨殺したときに、1人だけ殺さなかった男の声だと分かった。
「過去に囚われず、未来への不安を捨て、今この時だけに集中するのだと」
……今、この時。
「過去も未来も、民族も国も――ないのだと。トルタニスが言っていた……」
思わずその男の方を見た。
男は、胸を剣で貫かれたまま、最期に穏やかな顔で昔を思いだしているようだった。
◇
トルタニスの息子――トルーシスの姿に、過去に囚われていた若き自分を重ねた時、思いだした。
あの森での日々を。
なぜか少しだけ影のあった、あの日のトルタニスを。
あれはいつだっただろうか。
何度目かの”刃”の戦いを終え、疲れ果てて屋敷でトルシカの作ってくれたスープを口に運んでいたときだ。
「トルタニスさんは、どうやって心を保っているんですか」
ポツン、とトジンが聞いた。トジンはこのころ、少しだけ不安定だった。無理もない。本来心優しい、まだ少年ともよべるべき年齢のトジンには、戦いの後、累々と積みあがる死体の山を見るのは、酷なことだった。
「お前は攻めてくる帝国兵をどう思っている」
トルタニスが静かに尋ね返した。
「……こいつらが来なければいいと心から思っているし、正直に言えば……憎んでいる」
トジンの正直な回答に、私は驚いたものだ。
トルタニスは静かに頷いた。
「そうだな。私も最初はそうだった。だが虚しさは募るばかりだった。憎んでも憎んでも……そこには終わりがない」
「分かる気がする」
トジンが目を伏せた。
「俺はな、トジン」
トルタニスがトジンを真っ直ぐに見つめた。あとで知ったことだか、この時にはもうトルタニスは次の族長をトジンにすることを決めていたという。
「帝国も黒紋民も、茶紋民も……最初からないものだと思っている」
「え?」
トジンが顔をあげた。
「俺たちはその”つくりもの”に縛られている。がんじがらめにな。もうそれを解く方法すらも分からないほどに」
トルタニスは目を伏せた。「だから俺は、この呪いが早く解ければいいと思って刃を振るっている。分からないんだ。呪いの解き方が。お前が解いてくれ、トジン」
「……え?」
トジンが目をしばたたかせた。
「難しい話をした」
トルタニスが苦笑した。「俺は情け容赦のない男だ。もう何も感じなくなってしまった」
トルタニスが自分の手のひらに目線を落とす。
「それは違う。トルタニスさんはそんなんじゃない。今日も俺が殺せないのを代わりにッ……!」
そこまで行ってトジンは右腕を抑えて震え出した。今日殺した敵の顔と感触が浮かんできたのだろう。
トルタニスがトジンを抱きしめた。
「大丈夫だ、トジン。お前はそのままでいい。こちらにはくるな」
――あぁ、トルタニス。
お前の言ったことの意味がこんなに最期になって分かるとは。
そして、トジン。……お前は諦めなかったんだな。お前はお前のままで戦い続けたんだ。
何十年とたった今でも鮮明に覚えている、トジンの腕に刻まれた紋様の形。
それを左腕に彫り込んでいる青年の言動で、トジンがつないだものが分かった。
私は――何をのこせたのだろう。
わずかに息を吸い、言葉を絞り出す。
「トルーシス……全てを壊してくれ――私たちを縛っているものを」
トルタニスの息子が、はっとこちらを見た気配がした。
◇
――全てを、壊す?
僕に懇願するような男の言葉に、思わず眉をひそめた。
だが、その祈るような表情に息をのむ。
――過去も未来も、民族も国もないのだ。
唐突にさきほど男が呟いた言葉が頭に浮かんだ。
同時に、しばらく前にデイトンが言っていたことが、すとんと腑に落ちた。
◆
戴冠式の翌日。
デイトンは僕の元にやってきて、紋様にまつわる全てを説明すると、僕の両肩に手を置き、しっかりとこちらを見据えた。
「トルーシス、よく聞いてくれ。本当は呪いなんてなかったんだ。海の向こうの国が都合のいいように全てを作りだしたんだ。この大陸を手に入れるために」
「つくり、もの……」
思わず、声が震えた。「……そしたら、僕が今まで生きてきた、現実は――」
そこから先は言葉にならなかった。
あの過去は。
黒い紋様を持つが故に、刺すような視線を向けられた過去は。
何だったのだろうか。
肩をつかむ温かい手の力が強くなった。
「憎むな。恨むな。――皆が踊らされていたんだ」
デイトンの真っ直ぐな眼差しが、ひたとこちらを見つめる。
「トルーシス。囚われるな。お前ももう、自由になれ」
◆
束の間、目を閉じた。
過去は長い間、一番の敵だった。
いくら殺そうとしても、それは僕の心の暗闇の中で生き続けた。
きっとそう簡単に消えることはないのだろう。
だが。僕はもう自由になるべきだ。
目を静かに開けて、ただこの目に映る世界をみた。
一面の白い砂と化した帝都。広がる地平線。
僕を呪う声は、聞こえなくなった。それは、僕の頭の中で最も大きく、鳴り響いていたのだから。
「そうか。そういうことか」
初めて世界を美しいと思った。
あれほど憎いと思っていたこの世界は、最初からなかったんだ。
倒れる異国人たち。
国も人種も紋様も――この世界すらも――全てつくりものなのだとしたら、僕たちは一体なんのために戦っているのだろう?
さきほどからこちらを憎しみのこもった目で見つめている、異国人と目が遭った。
「――申し訳なかった。君を異国人だと思うこと自体を、疑うべきだったんだ」
「は? 意味が分からねぇ!」
攻撃的な口調と共に薙ぎ払われる剣。
「……やめにしないか?」
口から、小さな呟きが漏れた。
「は? 何言って――」
とびかかってきた異国人をよけ、叫んだ。
「やめにしないか、こんな戦い! ……もう、つくりものに踊らされるのは十分だろ!」
レオラがはっとこちらを見た気配がした。
一瞬、その場が水を打ったように静かになった。
だが、すぐ一斉に異国人の罵倒をあびた。
「は? 俺たちはお前らを殺したくてたまらねぇんだよ!」
「スタルトゥスの蛮族を根絶やしにしてやる!!」
罵倒と憎しみのこもった目には慣れている。
静かに、言った。
「それはただ、間違った呪いに囚われているだけだ」
「お前は”間違った呪い”なんて言うが」
黒い羽織を身にまとった異国人がこちらに進み出た。
身なりからして、おそらくヴァーレントゥーガの副官だ。彼は静かに続けた。
「それがなければ、生きていくことすらできないんだ」
ほんの少しだけ、悲しそうな目だった。
少し前の僕と、全く同じだと思った。
言葉を見失った僕に、副官は寂しそうに笑った。
「俺らは戦いに飢えているのさ」と。
剣を振り上げ、空気を震わせる大声で叫ぶ。
「おい、お前ら! 徹底抗戦だ!」
異国人達が沸き立った。
「トルーシス、ダメなんだ」
いつの間にか近くに佇んでいたニックが、苦しげな顔で首を振った。
先ほどのヴァーレントゥーガとの話が、分かり合う最後の機会だったのだと悟った。
「……分かった」
ただ強く、剣を握りしめた。
*****
※作者つぶやき
過去に縋りつくことでしか生きていられない時期ってありますよねぇ…… 胸が苦しくなります……
※こぼれ話
砂紋民の紋様は、16歳で完成します。トジンはもう少しで紋様が完成するのが楽しみで、よく自慢げにヴァルゼンベルクに二の腕の紋様を見せてました^^
※こぼれ話2
ヴァーレントゥーガは、部下には結構慕われているのでした…




