第104話 詫び
信じられない思いだった。
ヴァルゼンベルク卿が斬られたあと、迫りくる異国人の刃に私は死を覚悟した。
その瞬間。
異国人の刃を何者かが跳ね上げた。
もう近くに動けるものはいないはずだった。
「こいつです! この金髪に碧眼の男が、先ほど半数の艦隊を沈めました! ヘブライの息子だと騙されました!」
異国人の部下が絶叫した。
激しい戦闘をしたのだろうか、私を庇うように立つその男のむき出しの上半身には、いくつもの傷があり、血が流れていた。
そして、左腕には。
紋様の入れ墨があった。
その形は育ての父ラザルに聞かされた――トジンのものと同じだった。
◆
「アリヤ。今日は紋様の話をしよう」
ラザルが夕食後、いつものように私を暖炉の傍に招いた。
あんなに激しい稽古をしたにも関わらず全く疲れを見せていない。
私は正直、すぐにでも眠りにつきたかったが、ラザルがこうやって呼ぶときは、決まって私に大事な話をしてくれる時だと知っていた。
私の本当の父――トジンと共に過ごした森の日々の話しだ。
「俺の紋様の色は茶褐色だが」とラザルは自分の腕をめくりあげて紋様をみせた。
「私の父と母の紋様は黒だっていうんでしょ? 聞きあきたわ」
そういうと、ラザルは「そうだな」と苦笑して、少し真剣な面持ちになった。
「でも今日はお前に、トジンの紋様の形も教えようと思ってな」
「紋様の形?」
瞬きをして聞き返した。
「あぁ。黒紋民は自らの紋様を、大事な人に彫り込んだりするんだ。例えば、恋人とか。他には、自分の意思を継ぐ者とか」
「へぇ。なんで私にそんな話するの?」
首をひねって尋ねると、ラザルはちょっと口ごもって、「まあ、なんとなくそういう気分になったんだよ。絶対あいつは言わないだろうし」と、もごもごと言った。
そして私に、トジンの紋様の刺繍が入っている小さい織物をくれた。「君のお母さんのトリヤがトジンのために作ったものだ。よく形を覚えておきなさい」と言って。
当時は繊細な刺繍に、母の父に対する愛を感じたものだ。
◆
「ニック。あなたに、なんで私の本当の父の――トジンの入れ墨があるの?」
呆然として、ここが修羅場だということも忘れて尋ねた。
ニックはわずかに目を細めて、「アリヤ。デイトンのところへ行け」とだけ言った。
右手には、ラザルの形見の剣。
左手には、槍。その柄には、トジンの紋様の彫り込みがあった。
それを隙なく構え――ニックは真っ直ぐに目の前の異国人に集中した。
ラザルの二刀流だ。
後ろからデイトンが私を呼ぶ声がした。
「……ッ」
今の私がいても、戦闘の邪魔になるだけだ。
すぐに身をひるがえして、蹴られて痛む足を引きずりながらその場を離れた。
デイトンの傍に行っても、ニックの戦う姿から目が離せなかった。
私とヴァルゼンベルク卿の二人でもかなわなかった相手に、互角に渡り合っている。
左手の槍で相手を撹乱し、右手でひらめくように剣を振るっていた。
そう、あの時神技とも思った――ラザルの二刀流だ。
◆
「素晴らしい! ”乱”に続いて、”刃”も完成だ」
道場でラザルが大声で嬉しそうに言った。
どんな対戦相手にも涼しい顔で戦っていた記憶しかないラザルの首筋に、汗が光っている。
ラザルは満足げに頷くと、右手に槍、左手に剣を持ち、笑みを浮かべた。
「では次は二刀流だ」
ニックも同様にそれぞれの手に、槍と剣を持った。
そして、ひとつ大きく息を吐くと、跳んだ。
お互いが槍を突きあい、隙を狙っては剣を一閃させる。
剣と槍が空をきり、打ち合う音が響く。
ニックとラザルは完全に拮抗していた。
それは素晴らしい舞を見ているようだった。
「ニック! 完璧だ! だがお前はまだ行けるだろう?」
ラザルは目を輝かせて私に叫んだ。「アリヤ! お前は”乱”をやれ! 俺は”刃”をやる!」
「はい!」
すぐさま槍を手に取ると、ニックへと横薙ぎに振るった。
渾身の一撃のはずだったのに、さらりとかわされた。連続した突きを繰り出すが、ニックはひるまず、高く跳躍し、私に向かって刃を振り下ろす。
――”刃”の動きはよく分かってる!
槍の穂先でニックの剣をはじいた。
そこで”刃”と”乱”は拮抗するはずだった。
本当は。
視界の端でラザルが高く跳びあがったのが見えた。
「今だ」
鋭く言い、ニックめがけて目にもとまらぬ速さで剣を振う。”刃”の型だ。
ニックはとっさに身をひねると、槍を突き出し――空中で”乱”をやった。
その槍は、薙ぎと突きを織り交せながら、空中を縦横無尽に切り裂いた。
どんな体の使い方をしたら、空中でこんな動きができるのか、私には分からない。
私はラザルが――あの誰にも負けなかった育ての父が、初めて道場の床にしたたかに転がった姿を信じられない思いで見つめていた。
ラザルは床に転がりながら、天を仰ぎ、愉快そうに笑っていた。
「トジンよ、すごい才能がいたぞ」と。
それからラザルは、私とニックにこんな話をした。
この”ラザルの二刀流”は派生形なんだ、と。
本来”刃”と”乱”は二人一組で行うものだという。
ラザルは”刃”で、私の本当の父トジンは”乱”だったという。
そして昔を懐かしむように語った。
「私とトジンは良い組み合わせで、たくさんの敵を撃退した。だが、戦いの後、トジンと一緒にいつもため息をついていたんだ。なぜだか分かるか?」
私は首をかしげたが、ニックがぽつりと言った。
「……もっと強い組みがいたから」
「その通りだ」
ラザルはふっと笑った。「それはもう天性の才能としか言い切れない。彼女の槍は、見えないほどすさまじく風を巻き起こすんだ。そして――彼の剣は、ひと薙ぎで何十人と敵を倒した。俺たちには到底たどり着けない境地だな」
だが、と言ってラザルはニックの頭に手を置いた。
「努力だけがたどり着ける場所もある。ニック。お前は新しい技を編み出したんだ。自分を誇れ」
◆
異国人、ヴァーレントゥーガが叫んだ。
「暴動を起こしたスタルトゥス人のせいで、俺の親類一族は殺されたんだよ! お前らのすすめた、クソ下らねぇ融和政策のせいだ」
間髪入れず、剣を振り回す。
こちらまで聞こえる風切り音。
ニックはその動きを見切ってかわし――そして槍を繰り出した。
「ハッ。ちょこまかとくだらねぇな」
ヴァーレントゥーガは片目をつぶった。その目が槍の動きを補足した――と思った瞬間、ニックが消えた。
正確には跳んだのだ。
ヴァーレントゥーガの顔が一瞬ひきつる。が、すぐに顎をあげてニックの動きを捉えた。
「分かってきたんだよ! 能のないお前らの戦法がッ!」
怒号と共に、うねりをあげる大剣を振りぬく。
ヴァーレントゥーガのすぐれた目は、次に繰り出されるニックの”刃”の動きを一分の狂いなく予測していた。
だが、それは”刃”の動きを予測したことのみ、間違っていた。
ニックは剣ではなく槍を繰り出した。
トジンの紋様の彫り込みが入った槍を。
その槍のひらめくような動きは、ヴァーレントゥーガの目と脳を一瞬、混乱に陥れた。
それは、ほんの一瞬のことだった。
だが、確かな一瞬だった。
「……くッ!」
ヴァーレントゥーガは地に膝をついた。
右目を抑えるその手から血が滴っている。
ニックの投げた剣が、右目を貫いたのだ。
ニックは静かな表情で、右腕を失い、右目を抑えるヴァーレントゥーガを見た。
いつものくだけた表情ではない。どこか影のある顔。
ニックはとどめを刺さなかった。
槍を地面に置き、ヴァーレントゥーガに歩み寄る。
「ヴァーレントゥーガ、話をしよう」
静かな声が響いた。「君が一族をスタルトゥス人に殺されたように、俺もまた一族をフローレンス人に殺された。不毛な争いは限りなく続く。ここで終わりにしよう」
「うるせぇな。綺麗ごとほざくんじゃねぇよ。……そんなの無理に決まってるだろう!」
ヴァーレントゥーガの褐色の瞳がニックを射貫く。ニックはひるまなかった。
「なぜ?」
「なぜって……お互い違うからだよ! スタルトゥス人は野蛮な民族だ! 信じられねぇよ!」
悲壮な叫びが空気を切り裂く。
「信じるしかないんだ。ヴァーレントゥーガ。また一緒に信じてくれ」
ニックがそっとヴァーレントゥーガの斬られた腕に触れた。
「クソォォ!」ヴァーレントゥーガがギリギリと歯ぎしりした。「触るなッ! それに、気安く俺の名前を呼ぶなァァ!」
ヴァーレントゥーガが剣を抜いた。
巨大な剣が空をひらめく。
ニックはよけなかった。
ヴァーレントゥーガが顔をゆがめた。
ぐさり、とその巨大な剣はヴァーレントゥーガ自らを貫いた。
ニックが唇を強く噛みしめた。
「スタルトゥスの蛮族めが……」
力なく呟き、ヴァーレントゥーガの目の光がどんどん失われていく。最期に吐き出すように言った。
「ジグルステン。俺は一回でもお前らを信じた自分を殺す。あの世で一族に詫びを入れる必要があるからな」
頬を一粒、涙が伝ってヴァーレントゥーガは息を引き取った。
「ヴァーレントゥーガ様の仇を取れ!!」
今まで傍観のていでいた他の異国人達がいきり立ち、突進してきた。
「……どうして。どうして毎回殺すことしかできないんだろう」
ニックは静かに呟いた。
バン! と上空に紫色の狼煙をあげると、咆えるように叫んだ。
「トルーシス! レオラ! いつまで転がっているんだ! 武器をとれ!」




