第103話 親友
胸を、ばかでかい剣が貫いた。
面白いくらいに血が吹き出てくる。
……ヤバい。計算に夢中で気づかなかった。
「こいつだな。あの重罪人、ヘブライの息子ってのは」
上から野太い声が降ってきた。
「あぁ。この変な形の文字、間違いねぇ。ヘブライもよくこんなの書いてたぜ」
巨大な体躯の男たちは笑い、剣を僕の胸にさらにグッと強く押し込んだ。
痛みが脳天を貫き、膝から崩れ落ちる。
目の前に地面がある。先ほどまで書いていた計算式が目に飛び込んでくる。
異国人たちが派手に笑い声を上げた。
「こんなのに夢中になって逃げもしないなんて、さすがスタルトゥス人。お前はこれに殺されたんだぜ」
地面の数式が足で踏みつけられ、ぐちゃぐちゃになった。
「さぁ、死ねッ!」
異国人が剣を振りあげる。
なぜか澄み渡るような思考の中で、さきほどの異国人の言葉を反芻した。
僕は数式に殺されたのか?
……違う。数式が――研究が僕を生かしてくれたんだ。
過去が、思いだしたくない過去が、走馬灯のように脳内に流れ出した。
◆
「まったく。こんな何の役にも立たないこと、辞めてほしいわね」
母は、僕がノートに記号や数式を書き連ねていくのを嫌がった。父が生きている間から、僕を立派な騎士にさせようと必死だった。
母が父と離縁し、西の帝国にある母の実家へと移ってから、それは加速した。
「馬に乗る練習をしなさい。でないと追い出すわよ」
母はよくきつく僕にあたった。
母以上に、そこに住む叔父や叔母、そして祖父や祖母が嫌いだった。
ろくにものを知りもしないのに、知った風な口を聞き、指図をしてくる。
僕を騎士にならせようと必死で、うまくできないと叩かれる。
次第に、この世の全てがつまらなく、意味のないものに感じるようになった。
その中で唯一の救いが、砂紋民の紋様だった。
「キリル。砂紋民の紋様には秘密があるんだ。大きくなったら研究してみろ」
別れる前、父はよくそう言って僕の頭を撫でた。
夜な夜な、皆が寝静まったころに砂紋民の紋様に向き合う。
それに没頭する時間だけは全ての嫌なことを忘れられた。
◇
「まったく。こんなことやってるから、ちっとも武芸が上達しないんじゃない!」
僕の部屋に隠していた、砂紋民の紋様についての本と、解読にあたって何百何千パターンも試行錯誤したノートは、母に見つかるや否や、ビリビリに引きちぎられて暖炉の燃料となった。
その瞬間、僕は母に確固たる殺意を持った。
「お前なぁ。頭と心、大丈夫?」
格子の向こうから、見回りの看守が飽きれたような声で話しかけた。
正直、思考の邪魔はしないで欲しかったが、態度が悪いとみなされて問題になっては困る。
「正常です。むしろ、ここに来る前にいた場所の方が、牢屋のようでした」
「……そうか」
看守がなんともいえない面持ちで薄暗い牢屋の壁面を見ている。
赤い血でびっしりと、砂紋民の紋様の類型が記されている。
記憶が薄れないうちに、と思ったのだ。
「もう十分インクはたまっただろ。手当てをした方がいい」
血が流れる僕の右腕と、その血を貯めておいた小さな椀を交互に指さす。
「いい。便利だから」
腕の血を指先ですくい、さっき思い出した一つの紋様の形を壁に書くと、「ったくどういう神経なんだよ」と看守は毒づき、懐から帳簿を開くと、目を落とした。
そこに僕の罪状が書いてあるのだろう。
「母を殺し、他に同居していた一族数名を殺傷、か……。一族殺しの罪は重い。20年は出られないぞ」
「構わない。外の世界に興味はない。ここは飯も出る。僕は死ぬまでここにいて、僕の理論を完成させるつもりだ」
看守はため息をついて、盆に乗せた食事を出した。
粗末な粥とスープだ。腹を満たし、また紋様の解読にうつった。
3年後。
……暇だ。
無気力に牢の中で寝転がりなりながら、何度となくそのことを思った。
腕の傷口は治りかけている。
「お、どしたよ。もう壁に文字は書かないのか?」
いつもの看守――耳にピアスをつけているから他の看守と識別できる――が、話しかけてきた。
「あぁ。終わったから」
「え、その理論とやらが完成したのか?」
看守が心底驚いた声を出した。
「あぁ」
力なく頷いた。砂紋民の紋様が文字だと分かるまでにしばらくの間。
その解読方法が分かるまでにずっと長い期間を要した。それがついに解けた。
だが、紋様を実際に読んでみなければ、そこに何が書かれているかは分からない。
もっと多く、砂紋民の紋様を見る必要があるが、それはこの牢の中では叶わない。
「お前にいい知らせがあるぜ」
看守が口の端をあげた。「恩赦だ。東ノ国に勝利した、その記念だとよ。お前は明日から自由だ」
思わず体を起こし、まじまじと看守を見た。
「……僕の罪は重いはずでは」
「俺が推薦しておいてやったんだよ。才能を眠らせておくのはもったいないってね」
看守は屈託なく笑った。
「外に僕が生きていける場所なんてない」
「ま、とりあえずこの試験受けてみろよ。最後の問題がお前が壁に書いてた呪文にそっくりだぜ」
紋様なんだけどな、と思いながら看守が差し出した試験問題を見て、ハッとした。
最後の問題に、紋様に似た文字があり、それを解読せよ、という指示がある。
”書庫守登用試験”
そう書いてあった。
「成績優秀者は、塔の最上階で紋様の研究を一生やれるらしいぜ」
――やりたい。久しぶりに、心からそう思った。
「恩赦、と言ってもこの地下牢から出られるのか?」
地下に複雑に分岐してできた洞窟を利用して作られたこの地下牢は、一度入ったら出られないことで有名だった。
「普通は無理だ。看守として過ごすのが関の山だな」
「……そうか」
わずかに俯くと、看守は少し口もとに笑みを浮かべた。
「一緒にここを脱出しようぜ。お前のその天才的な頭脳を貸してくれ」
それから地下牢を出て、書庫守登用試験を受け、合格した。
塔の最上階。世間と隔離された空間。そして山ほどの砂紋民の紋様が記録された帳簿。
そこは、僕にとって至高の場所だった。
紋様も好きなだけ解読できるし、任務の空いた時間では、他の学問の研究もできる。
僕は、やっとこの世界に意味があると思えるようになったんだ。
◆
目の前に、とどめを刺そうとした剣が迫っている。
「馬鹿なやつめ」
異国人たちの蔑むような目。
何も言えなかった。
ただ、昔の母や叔父たちの目を思いだした。
やっぱり僕は異質な――罪人なのか。
そのとき、吠えるような叫び声が響いた。
「その言葉を撤回しろ! キリルはこの国で一番の天才だ!」
ここ数年で聞きなれた声。耳を疑った。
……デイトン?
見れば、その手に剣を握り、異国人を相手に一歩も引かず立ち回っている。
――妙なところで物わかりがいいじゃん。
なぜか、目頭が熱くなった。……なんで?
朦朧とする意識の中、唐突に父のことを思いだした。
父も同じことを言って僕を褒めてくれた。
懐かしい記憶が蘇る。
「――キリル。お前は聡明な子だ。
この大陸で一番の天才だぞ。お前の聡明なその頭を使って――」
そこで父は言葉をきって、懇願するように言った。
「この大陸の平和を守ってくれ」と。
「どうやるのです。そんなこと」と僕が尋ねると、「もうあの夜に全て教えたぞ」と父は笑った。
……そうだ。紫煙花だ。
どうして今まで気づかなかったのだろう。
あの山の蒸気と、温泉だ。
胸を斬られてもう声は出なかった。
頭を使え。異国人にばれないように、デイトンに伝えろ。
ちょっと鈍いけど――デイトンなら分かってくれるはずだ。
最後の力を振り絞って腕を動かすが、指先に力が入らず、地面に文字を刻めない。
荒い息をつくと、なじみのある良いインクを発見した。
これだ。
これを使って――最後の一秒まで。
僕の、この最高の頭脳を、この大陸のために使え。
◇
俺は、キリルを殺そうとしていた最後の異国人を何とか倒し、荒く息をついた。
久しぶりに己の剣が血に塗れている。
――キリルは。
視線をやって、凍り付いた。
地面に倒れ伏す彼の周りには血だまりができていた。
腕を伸ばして計算した姿勢のまま、ぴくりとも動かない。
恐る恐る近づくと、地面には、血液で計算式がびっしりとかきこまれていた。
一番最後には、”デイトン、あとは託す”と。
計算式を見て、キリルが何を計算していたのかが分かった。
よく年1回の外出で訪れていた、あの山からここまでの精緻な距離と、角度だ。
風の計算も途中までしてある。
あの山を”弾”で狙え、というのか?
よくわからない。よく分からないが――
天才のお前のいうことは間違ってないんだろ?
俺はさっとキリルの計算の結果を、懐から取り出した紙に書き写した。
――皆はどうなった。
紙を懐にしまい、あたりを見て、愕然とした。
蹴りを入れられて呻くガレンやダグラスたち。レオラとトルーシスも地面に転がったまま動かない。
そして――立ったまま大量の血を流し、傷を守るようにして微動だにしない父上。
その胸を野太い剣が貫き、生きているのか死んでいるのか分からないほど顔面が白い。
だが、その顔は穏やかだった。
傷を背後に庇うように立っている。
「チッ。嫌なことを思いだすぜ」
ヴァーレントゥーガが顔をゆがめて吐き捨てるように言い、剣を父上から引き抜いた。
父上が力なく膝から崩れ落ちた。
凍り付いたように固まる傷に、異国人の刃が振り下ろされる。
「傷! 傷! ……アリヤ!」
叫ぶと、傷がハッと我に返り、後ろに飛びのいてかわした。
だが、続く蹴りには対応できなかった。
異国人の長く太い脚に蹴られ傷が転がり、呻く。
ヴァーレントゥーガは、残忍に笑って倒れている父上を指さした。「あれはお前の父親か? 仲良く一緒に死ねッ!」
考える間もなく体が動いた。
だが、一瞬、遅かった。
異国人の刃が再びひらめき、傷の体を貫こうとするまさにその時――
激しい金属音が鳴り響いた。
異国人の剣が軌道をそらされ、跳ね上がる。
肩で大きく息をして、両者の間に割って入り、真っ直ぐに異国人を見つめる男の顔を見て、俺は信じられない気持ちと共に――納得もした。
ヴァーレントゥーガの褐色の瞳が、怒りで赤く燃え盛った。
そして、耳をつんざくような怒声。
「その顔は忘れないぞ、ジグルステン! 一族の仇であるお前を殺すことをどれだけ夢見たか!」
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※こぼれ話
キリルの回想シーンで出てきた看守は、闘技場でトルーシスやトルクを助け、皆を治療している”番人”と同一人物です。医学の勉強のため、死者の墓を掘り起こし、人体解剖を行っていたのを罪に問われ、「地下牢」へと入れられてしまいました。
その後、キリルと共に地下牢を出ると、闘技場の”番人”として働く傍ら、剣奴たちを相手に医術の腕を磨いています。……という裏設定があります!




