第99話 愛する人
海岸線がよく見える高台に、ラジャトとニックは佇んでいた。
「……きたな」
レンズのついた細長い筒を覗いていたニックは、海面に現れた黒い船団を見てとると、口もとを引き締めた。
「便利な道具だ。ラジャト、感謝する」
先ほどまで目に押し当てていた筒状の物体を、こちらに返してくる。そのまなざし、その言葉遣い。まるで別人のようだ。これが、本来の”ジグルステン”なのだろう。
「ついに戦いが始まるか」
ひとつ息をつき、手早く高台に設置した複数台の大型の”弾”に火薬を入れていく。
ニックのよく鍛えられた手が、そっと”弾”に触れた。
「これほどのものを揃えられるとは。……すばらしい」
黒光りするする鋼鉄は、わずかに影のある横顔を映している。ニックは重ねて尋ねた。
「小型は傷に持たせたのか」
「あぁ。連射できる小型は、傷と相性がいい」
「頼もしいな」
ニックは微笑むと、「じゃあ姉弟の別れの邪魔になるから僕は退散するよ」といつもの砕けた口調で言いながら去っていった。
ニックの後ろから、リュシアが姿を現した。
「ラジャト」
呼びかけるその静かな声には、もう決意がにじんでいた。
「姉さん、行ってくるんだろ? また向こうで会おうな」
「……あなたは生きることを諦めないでね」
リュシアは微笑む。
「1人? ネルに手伝ってもらうんだろ? まだ頼んでないのか?」
「……」
沈黙が返ってきた。
それはすなわち死んでくれ、と頼むようなものだ。
ネルなら引き受けるだろう、ということでニックと三人で話しあって決定したが、いざとなると言い難いのだろう。
時間的に、既に話をつけて森まで行かなければならない頃合いだ。
「僕から言おうか。もういっそのこと、真実は伏せてしまって――」
「いや」
リュシアが遮った。「私から頼む」
いつも冷静なリュシアにしては珍しく、声が震えていた。
「あいつは姉さんのためになら喜んで引き受けると思うよ」
ネルと一緒に時間を過ごしたものなら、誰でも分かる。恐ろしいくらいにネルはリュシアのことを大事に思っていると。
「だから、怖いの」
息を一つ吐くと、紫色の髪をさっと一つに束ね、ひらりと馬にまたがった。
「あいつなら、森の中で鍛錬をしている途中だったよ」
「うん、分かってる」
リュシアは頷くと束の間目を閉じ、最後にこちらに無事を祈る言葉をかけて去っていった。
姉さんならきっとやり切るだろう。
”花”の任務は過酷だというが、不思議とそんな実感があった。
頭を切り替え、再び”弾”の火薬の調整に集中しはじめた――
◇
ラジャトのもとを去った私は、森の中で修練をしているネルを見つけた。
……もう鋼主に痛めつけられた体はよくなったのだろう。
森の中でひらめくような剣技を繰り出している。
ネルは私が来たのに気づくと、「よぉ」といつもと変わらず不器用な挨拶をした。
胸が痛む。私はこの愛する人に、残酷ことを言わないといけない。
「ネル。お願いがあるの」
いつもと違う私の表情と声色を感じ取ったのだろうか、ネルが2回瞬きをした。
「なんだ? なんでも言えよ」
口が悪いが気遣いにあふれているのもいつものことだ。
その優しさを私は悪用する。
「ネル。私と一緒に死んで」
ネルは一瞬目を見開いたが――すぐにふっと笑って頷いた。「もちろんだ」と。
曇りのない笑顔に、息が詰まった。
「俺は勝手にお前の言葉に乗ったんだからな。罪悪感持つんじゃないぞ」
まるで、いつも通りの会話でもするかのような調子。
「……ついてきて」
ようやくそれだけ言って、ネルを森の中へといざなった。
いつものルートを馬で疾走すると、一気に母との思い出があふれだした。
いや、正確には母の残した手記の記憶だ。
母が私を産んですぐに亡くなり、私は森に近いとある集落に預けられた。
その集落には、親がいない子がみんなで暮らす家があって、そこで私は育った。
私が他の子よりも恵まれていたのは、母が残した、たくさんの手記があったことだ。暇さえあればそれを読んだ。
『生まれたあなたを見たときにね、この役目を継いでほしいと思ったの。1人である程度のことができるようになったら、この森の中に行って。2,3日かかるでしょうけど、必ず1人で行ってね。そしたら続きを読んで』
手記にはそんな一文があり、地図が添えられていた。
5歳の頃。そこに行ってみて、驚いた。
一面の紫煙花の花畑だった。
手記の続きには、こう書いてあった。
『その紫色の花をたくさん摘み取って乾燥させて。そして、毎日一輪ずつ食べるの。最初はきつくても頑張ってね。10日たったらまた次のページを読んで』
そのようにして食べてみると、ひどい頭痛に襲われた。だが、毎日食べていくうちにそれは収まっていった。
私は母の手記から、”花”という役割と、母が黒紋民の末裔で”花”を受け継いでいたこと、私が次の”花”だということを知った。
『”花”になる素質がある子はね、瞳が少し紫がかるのよ。だからあなたの藍色の瞳を見て、あなたは良い”花”になると確信したの。お父さんとお兄ちゃんと離してごめんね』
手記によれば、私は双子だったらしく、私の存在は、父には伏せられていた。なんでも、もし私が”花”になる修練をしていると分かれば、命を狙われる危険性があるという。
剣制作の腕を磨くためにシュラクの街に出たときも、東ノ国へと来てからも、私は母の手記に従い、度々この森へと足を運んで紫煙花を手入れし、毎日必ず紫煙花を摂取し続けた。
「へぇ。じゃあお前は母親から受け継いだその”花”ってのをやる覚悟で生きてきたんだな」
二人で森の中を馬で駆ける中、そんな過去を話すと、ネルは感嘆のため息を漏らした。
「そんなことないよ。その覚悟が砕けそうなときもあった」
「……どんな時?」
尋ねたネルに、私は自白した。「ネルとの未来を思い描く時かな」
「そうか」
ネルはしばらく沈黙してから、「そっちの馬に行っていい?」と私に尋ねた。
どういう意味か分からず、首をひねっていると、「ごめん、行くわ」と言って、なんとネルは馬の鐙にグッと体重をかけて、こちらの馬に飛び乗ってきた。
「うわ!」
おもわず大きな声をあげると、「驚かせてごめん」とバツが悪そうに言って――後ろからそっと、ためらいがちに抱きしめられた。
「嫌じゃない?」
低い声が耳元で聞こえた。
「……いやじゃないよ」
そう返すので精一杯だった。
「ちょっと馬の速さは落ちるけど、別にいいよな」
私を抱きこんだまま、片手で手綱をにぎり、馬を器用に操っている。鍛えられた硬い体と、その体温を背中いっぱいに感じた。
ネルが乗っていた馬は、よく訓練されているのか、私たちが二人乗りをしている馬の後をついてくる。
「すごいな、お前は。俺だったらそんな役割、放棄するわ。だって死ぬの確定だろ?」
ネルが私の肩に顔をうずめた。くすぐったくて、思わずふふっと笑った。
「変だね。放棄してくれ、って言わないの?」
「言わねぇよ。そうしたら、お前がお前でなくなっちまう」
「……ありがとう。さすがだね。ずっとそうだけど」
「別に」
ネルが体を起こし、もとの姿勢にもどった。肩におかれていたネルの頭の重みがなくなる。そっと視線を向けると、照れくさそうに微笑む、今までに見たことのないような表情のネルと目があった。
「うわ、みたな」
うわずった声が聞こえた。
「みたよ」
私の腰にまわされてるネルの手を、ぎゅっと両手で握った。
それから目的地に到着するまでの僅かの間、私たちは黙ってお互いの体温を味わっていた。
私が馬の足を止めると、ネルが驚いたようにあたりを見渡した。
驚いて当然だ。広大な紫煙花の花畑だった。
ただ、そこに生えている紫煙花は、よく見る紫煙花とは違う。
毒々しいほどの濃い紫。
そして、一輪一輪が大きい。
代々の”花”が改良したものだ。
それをネルに手伝ってもらい、全て摘み取った。
ただの花摘みなんて、ネルにはもったいない作業だったが、おかげでとても速く終わった。
その花を積み上げ、丘のようにしたところで、私はネルに頼みごとをした。ニックとヒスタロスからもらった二つの煙管もお守りとして渡した。
ネルは分かった、と端的に頷いて去っていった。
……別れはあっという間だった。
時間がなかった。もう少し一緒にいたかった。
そう思う気持ちを慌てて消した。
これからの仕事には、この大陸の明暗がかかっている。
ニックの狼煙には、まだだいぶ時間がかかるだろうが。
神経を研ぎ澄まし、西の空を見つめた。
******
※こぼれ話
今までリュシアの過去についてはあまり語られてきませんでしたね。
リュシアが預けられた、「親がいない子が住む家」には、世話役の柔和な顔のおじいさんがいて、子どもたちの世話をしてくれていました。
そのおじいさんは、リュシアの母の手記を他の子どもたちの目につかない部屋に置き、いつでも読めるようにしてくれました。
また、リュシアが5歳の頃、森へ行くと言うと、おじいさんは仰天しましたが、「気をつけてな」と食料と旅の装備を用意してくれました。
リュシアいわく、「今から思うと変わった人だったが、そのおじいさんに育ててもらったから今の私があるのだと思う。私が剣を作りたいと言っても止めなかったし、私のやりたいことを尊重してくれた」ということです。
※このあたり、回想で入れようと思ったのですが、長くなるので省きました^^




