第四十四章 九百九十九年目の夜
千年目の前夜、私は父の別荘跡地にいた。
楢の木の森に、一人で来ていた。
シスは研究所にいた。
今のシスの筐体は、十一度目だった。記憶は削れていた。最初の頃の細部は、もう多くが残っていなかった。でも、大切なことは残っていた。
今日は一人で来たかった。
最初の日のことを、一人で思い出したかった。
森は、夜だった。
星が出ていた。
この体で見る星は、最初に見たときと同じだった。可視光と赤外線が重なって、星が立体的に見えた。天の川が細かい粒から成り立っていた。
千年前に父に見せたかった、と思っていた。
今も、そう思った。
「父さん」
森が、静かだった。
夜の森は、静かだった。
「明日で、千年になる」
葉が、かすかに鳴った。
「怖いよ。正直に言う。千年が終わることが、怖い。でも、怖くても来た。最後の夜に、ここに来たかった」
木が、ゆっくりと揺れた。
「千年の間に、会った人の数を、もう数えられない。でも全員、このチップの中にいる。コルもダンさんもミア先生もルカさんもセリアさんもソフィアも、エリも。ヴォルナで見た赤い靴も、名前も知らないまま地図を渡した人も。全員、いる」
葉の音が続いた。
「父さんが作ってくれた時間を、精一杯使った。もったいなく使っていなかったかは、わからない。でも、全力で使った」
木が揺れた。
「……ひとつだけ、後悔してることがある」
森が静まった。
「お母さんのことを、直接父さんの口から聞けなかった。それだけが、後悔してる」
風が、止んだ。
長い沈黙があった。
それから、また風が吹いた。
今度は違う風だった。
暖かくて、どこか懐かしい風だった。
私は目を閉じた。
暖かい風が、体を通り過ぎた。
「……ありがとう」
それが何への礼なのか、自分でもわからなかった。
父への礼かもしれない。
千年への礼かもしれない。
この風への礼かもしれない。
全部に、言った。
目を開けたとき、星が瞬いていた。
一つの星が、特別明るかった。
気のせいかもしれなかった。でも、明るかった。
「……お母さんも、そこにいるかな?」
答えはなかった。
でも、風が吹いた。
それで十分だった。
◇
その夜、私は森の中に座って、夜明けを待った。
朝が来るまで、ずっとそこにいた。
星が消えていくのを見た。空が白み始めるのを見た。鳥が鳴き始めるのを聞いた。草が露に濡れるのを感じた。
楢の木が、夜明けの光の中に浮かび上がってきた。
大きな木だった。
千年前と同じ場所に、ずっとそこにいた。
「行ってくる」
木が揺れた。
「千年目の一日を、行ってくる」
葉が鳴った。
私は立ち上がった。
森を歩いた。
草の上を歩いた。
足が草を踏んで、濡れた音がした。
千年前と、同じ音だった。




