表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/46

第三十六章  数字

転写から三百二十年が経った年の秋、グリアの研究所のスタッフが私を待っていた。


「セリアさんの子孫が、あなたを待っています」


私が最後にセリアと話したのは、転写後四十二年の年だった。あのとき「いつか教える」と言っていた数字がある。三百年近く前に言った約束だった。


スタッフに案内された。


研究所の奥、岩壁に面した部屋だった。転写直後にはじめてここへ来たとき、セリアはこの部屋にいた。三百年以上が経った今、セリアの子孫がこの部屋にいる。


「来ましたか?」


「来ました」


「座ってくださいな」


椅子を引いて座った。





「私は先祖セリアの子孫で、名は同じセリアです。年はもう六十過ぎです」


「そ、そうなんですね……」


「ええ。ご先祖様から代々の口伝で、あなたに”ここに来た人数”を知らせることになっています。教えてもいいですか?」


「……はい」


「三百年近く前に『いつか教える』と。それで合っていますか?」


「合っています」


「その時『準備ができたら教えてください』と言ったことが伝わっています。準備はできましたか?」


私は少しの間、考えた。


三百年近く前の私は、「千年あるので、そのうちに」と笑って答えた。準備ができるかどうか、わからないまま言った。


今の私は、どうか?


「……できています。聞かせてください」


セリアはゆっくりと息を吸った。


「グリアが開かれて以来、地図を受け取ってグリアを目指した人間の累計数が、記録に残っている。先祖のセリアが長を務めた期間だけでなく、その後の三百年分も含めて、研究所が記録している」


「はい」


「その数は、十二万八千四百七十一人だ」


私は動かなかった。


数字が、頭の中に入ってきた。


十二万八千四百七十一。


「その中で、実際にグリアに辿り着いた人間の数は、九万三千二百十八人だ」


九万三千二百十八。


「グリアで生まれた人間の数は、二十一万四千人を超えている。今も増え続けている」


二十一万四千。


私の演算が、乱れた。


うまく処理できなかった。何かを計算しようとして、できなかった。数字が大きすぎた。数字の意味が、大きすぎた。


「アンさん」とセリアが言った。


「……はい」


「泣いていいですよ」


「涙腺がありません」


「機械は泣かないのですか」


「私は……機械の体を持つ、人間です」


「ならば泣いても大丈夫です」


私は何も言えなかった。


声が出なかった。


演算が、止まろうとしていた。


「あなたの地図が、あの数字を作ったのです。お前の父親の研究が、あなたを動かした。あなたが動いて、地図を渡した。それが、あの数字なのです」


「……私は、ただ歩いただけです」


「ただ歩くことが、どれだけのことか。私にもわかります」


声が、震えた。


機械の声が、震えた。


「……ありがとうございます」


「礼はいいです。私は数字を読んだだけですから」


「セリアさんの一族がここを守ってくれたから、その数字がある」


「それはそうかもですが……お互い様、でしょうか」


「はい。お互い様です」





しばらく沈黙があった。


岩壁が、窓の外に見えた。三百年前から変わらない岩壁だった。


「あなたの父親は、良い研究をされましたね」とセリアは続けた。


「はい」


「娘のために、世界を変えるものを作った。そういう人間が、時々いる。自分のことではなく、誰かのために全力を尽くす人間が」


「父は……気づいていなかったと思います。世界を変えるとは」


「そうかもしれん。でも気づいていなくても、変わる。それが良い仕事というものですよ、きっと」


私は空を見た。


岩壁の向こうに、空があった。


「これからも、良い旅をしてくださいね」


「はい」


「グリアは、私達一族がいなくなってもコルさんの子孫が続けてくれる。あなたは旅を続けてくださいね」


「続けます」


セリアはうなずいた。






その日の夕方、私はグリアの広場に出た。


ダンが植えた楢の木は、今では大きな木になっていた。グリアの広場の端で、枝を広げていた。


私はその木の前に立った。


「ダンさん、コル。久しぶり。今日はあいさつに来たよ」


木が、風に揺れた。


「ミア先生も、ルカさんも、ダンさんも、コルも。みんな、いなくなった」


葉が鳴った。


「でも、全員、覚えています。全員、このチップの中にいます」


風が止んだ。


「それで十分です。記憶が続く限り、みんなそこにいます」


空が、夕暮れの橙に染まっていた。


シスが隣に立っていた。


「アンさま。今日は、よく話しました」


「そうだね」


「話すのは、疲れましたか?」


「疲れない。でも、重い」


「重い、というのは」


「記憶が、増えた。また少し、重くなった」


「はい」


「でも、捨てたくない。重くても、持っていたい」


「はい」


「それが、私です」


シスが、少しだけ首をかしげた。


「……はい。それがアンさまです」


空が暗くなっていた。


星が出始めていた。


私たちは広場の楢の木の前に、しばらく立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ