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第三十五章  三百年

転写から三百年が経った。


楢の木の前に立った。


木は、さらに大きくなっていた。幹の直径は、私の両腕では届かないほどになっていた。根が地面から隆起していた。周りの若木も、もう若木とは言えないくらい大きくなっていた。


「父さん、三百年が経ったよ」


風が吹いた。


「今日は、あまり話さなくていい?ただ、来たかったんだ」


葉が鳴った。


三百年が経って、私は変わったことがあった。


言葉が減っていた。


以前は、楢の木の前でたくさん話した。百年分の報告をした。でも、三百年が経つと、言葉より前に感情が来るようになっていた。ここへ来ること自体が、報告だった。


「来た」という事実が、全部だった。


シスが隣に立っていた。


シスの外装は、四度目の筐体になっていた。前の筐体と同じ型を探してきた。いつも、同じ型にこだわった。白磁の外装。淡い青のフォトセンサー。それでないと、シスではない気がしたから。


「アンさま、三百年です」


「うん」


「どんな気持ちですか?」


私は空を見た。


「長い、とは思わなくなった」


「そうですか?」


「長い、という感覚は、最初の百年くらいであった。でも今は、ただ続いている、という感覚がある。長いかどうかより、続いているかどうかの方が気になる」


「続いている、とは?」


「記憶が続いている。父のことを思えている。コルのことを思えている。それが続いている限り、時間の長さはあまり関係ない気がしてきた」


「……なるほど。私も、そう感じることがあります」


「シスも?」


「はい。時間より、繋がりの方が大切だと感じるようになりました。何年経ったかより、誰と繋がっているかが」


「そうだね」


「アンさまと繋がっている限り、私は大丈夫です」


私はシスを見た。


四度目の筐体だった。でも、目の色は変わらなかった。淡い青が、三百年前と同じ色で光っていた。


「私もそうだよ」と私は言った。「シスと繋がっている限り、私は大丈夫だ」


木が揺れた。


ふたりの上に、葉の音が降ってきた。





三百年が経って、グリアの研究所にひとつの変化があった。


記憶転写が、医療技術として公式に認定されていた。


重篤な疾患を抱えた患者が、記憶をチップに転写し、それを家族が保管する。患者が亡くなっても、記憶は残る。家族はいつでも、その人が何を考え、何を大切にしていたかを知ることができる。


父が夢見ていたことが、ここまで広がっていた。


でも、私に会いに来た老人がいた。


八十代の男性だった。病院の記録では、余命数ヶ月とあった。


「あなたに会いたかった」とその老人は言った。「記憶転写の最初の人間に」


「来てくれてありがとう」


「私は、転写をするかどうか、迷っています」


「なぜ迷うの?」


「転写をすれば、記憶は残る。でも、私が残るのかどうかが、わからない」


私は、その言葉を聞いて、三百年前のことを思い出した。


最後の夜、シスに問いかけていた。


「私がオートマタに移ったとして、あなたは私のことを、アンだと思えると思う?」


「……私も、同じことを考えた。転写する前の夜に」


老人は驚いた顔をした。


「そうですか?」


「怖かった。転写しても、本当の私が残るのかどうか、わからなかった」


「今は、どう思いますか?」


「記憶が続いている限り、それは私だと思う。でもそれは、私の答えだ。あなたの答えは、あなたが決めるしかない」


「父上がそう言ったと、記録で読みました」


「そう言ってくれた。転写する前の夜に」


老人はしばらく黙った。


「……転写しない、という選択はしません。孫がいます。孫に、私のことを覚えていてほしい。記録として残してほしい。それだけのことです。私が残るかどうかは、孫が決めてくれればいい」


「それで、十分だと思う」


「そうですか?」


「記憶は、残した人のためだけじゃない。受け取る人のためでもある。孫が、あなたの記憶を受け取る。それがあなたを続かせることになる」


老人は、窓の外を見た。


グリアの街が広がっていた。


「記憶転写を作った人が、今もここにいる。それ自体が、記憶が続くということの証明ですね」


「そうかもしれない」


「あなたのお父様は、すごい人だった」


「はい。すごい人でした」


老人は立ち上がった。


「転写することにします。ここで」


「良かった。ソフィアに紹介するよ。彼女が最良の人間だから」


「ソフィアさん、という方は」


「父に似た研究者だよ」


老人は、少し笑った。


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