21.木曜日:美雪
朝、女子寮の食堂でその異変は起こっていた。
昨日と同じく、余裕の笑みを浮かべる優衣。
そしてなぜか昨日と打って変わって、余裕の笑みで朝食を口に運ぶ由香里。
由香里の突然の変貌ぶりに、瑠那と美雪は困惑していた。
目の下のくますら消えている。
昨日、あれほど不安におびえていた由香里には、暗い影がまったく見られなかった。
それ以上に、由香里の持つ空気が明らかに違うのだ。
強い存在感――それは、優衣に匹敵するものだった。
気後れして声を出せない瑠那と美雪を無視して、優衣が告げる。
「由香里、いったいどうしたの? 昨日までうろたえていたあなたと、まるで別人じゃない」
由香里がフッと笑って応える。
「どうもしませんよ。ただ私は、『本当の愛』を知っただけですから」
優衣が怪訝な顔で由香里を見つめていた。
「あなたみたいな子供が、『本当の愛』を語るの?」
「いけませんか? 子供なのはお互い様じゃないですか」
――大人っぽい優衣を、子供扱いした?!
瑠那と美雪は驚愕で言葉もなかった。
今までの由香里なら、絶対に口にしなかった言葉だ。
自分が子供っぽいことに劣等感を持っていた由香里は、大人っぽい優衣に憧れていたのだから。
優衣が気を取り直して告げる。
「ねぇ知ってる? 悠人さん、耳が弱いの。可愛いわよね」
由香里が微笑んで応える。
「ああ、やっぱり優衣さんもそう思いました?
あんなに立派な身体をしてるのに、意外ですよね」
優衣の表情が凍り付いていた。
手が震え、返す言葉を思いつけずに居る。
由香里が続けて優衣に告げる。
「それと、悠人さんって胸にほくろがあるんですよ。知ってました?」
――嘘の味がしない?!
優衣の頭が更に混乱する。
自分の異能に不調でもあるのだろうか。だが由香里の言葉は、とても優衣には受け入れられないものだった。
優衣は怪訝な顔で由香里に応える。
「あら、そんなところにほくろなんてなかったわ。
苦し紛れに嘘を言うなんて、らしくないわよ、由香里」
由香里がネズミをいたぶる猫のような目で優衣を見つめた。
「……ああ、優衣さんは部屋を暗くしてたんですね。
次は部屋を明るくしてみたらどうですか? 小さいですから、暗いと見逃しますよ」
瑠那は目の前で、何が起こっているのか理解できなかった――否、信じられなかった。
昨晩、言葉を交わしていたとき、由香里は確かに不安定な心を持て余していたはずだった。
それが今朝になって、優衣と互角に渡り合って――いや、優位にすら立っていた。
「ねぇ由香里、本当に何があったというの?」
由香里が余裕のある笑みを瑠那と美雪に向けた。
「お二人も、そのうち理解できるんじゃないですか? 『本当の愛』ってものを」
その目線には、どこか勝ち誇った感情が込められていた――それまで慕ってくれていた後輩が、自分たちを格下に見ていた。
あまりの衝撃で、瑠那はその日の朝食の味を忘れてしまっていた。
目の前で大人びて笑う年下の少女、その余裕のある笑みに、強い敗北感だけを覚えていた。
****
朝食が終わると、由香里と優衣、ガラティアが続けて席を立ち、部屋に戻っていった。
残された瑠那と美雪が、混乱しながら言葉を交わす。
「ねぇ、何が起こったって言うの?」
「私にわかるわけ、ないじゃない」
瑠那は小さく息をついて応える。
「意味がわからない――けど、不安定だった由香里が安定したことだけは確かね」
美雪が考え込んでから告げる。
「何が起こったのかはわからないけど、意味はわかるわ。
由香里は優衣と同じ立場を手に入れたのよ。
だからあの子は、優衣のマウントなんて痛くもかゆくもない――そういうことよ」
瑠那が目を見開いて驚いていた。
「――嘘?! それじゃ、あの後、夜にあいつが来たって言うの?!」
「……それぐらいしか、考えられないんじゃない?
少なくとも結果として、あの子は私たちを置いていったのよ」
呆然とする瑠那に、美雪が告げる。
「そろそろ私たちも部屋に戻りましょう。学校に遅れるわよ」
ようやく立ち上がった二人も、ゆっくりと部屋に戻っていった。
****
俺たちがファミレスで待っていると、今日も女子たちが合流してくる。
明るい笑顔で美雪が俺の隣に座り、俺と同じメニューを注文した。
大石が俺に告げる。
「お、今日は別の子か。おい悠人、お前そのうち刺されるぞ」
「うるせぇ! ほっといてくれ!」
食事をしながら、妙に気になる――美雪の距離感が、やけに近い。
隣に座ってるというのに、さらにぴったりと身体を寄せてきていた。
由香里が大人びた笑顔で美雪に告げる。
「美雪さん、そんなにくっついたら、悠人さんが食べづらいですよ」
……あれ? 由香里ってこんな笑い方をする子だったっけ?
美雪が気まずそうに俺から少し距離をとって、食事を再開した。
優衣が微笑みながら由香里に告げる。
「別に食事の間、身を寄せていても良いんじゃない?」
由香里が余裕の笑みで応える。
「私は構いませんけど、悠人さんが狭苦しそうでしたから」
……なんだか違和感がある。由香里が由香里じゃないみたいだ。
でも、昨日の不安定な心はどこかに行ったみたいだし、今はこれでいいんだろうか。
美雪が気まずそうに明るく俺に告げる。
「あはは! ごめんね、悠人さん!
私の日だからって、ついくっつきすぎちゃった!」
「いや、俺は気にしてないよ。だから美雪も気にすんな」
どうやら美雪もこの状況に困惑してるような気がする。
瑠那を見る――戸惑うようにうつむいて食事をしていた。こいつも困惑してるのか。
うーん、明日の午後になれば集まれるし、そんときに話を聞けば良いか。
大石が空手部に向かい、俺たちも食事を終えて立ち上がった。
「じゃあ霧上、また明日な」
霧上は真顔で俺を見つめていた。
「お前――いや、もう言うまい」
何だって言うんだ?
俺は小首をかしげた後、女子たちを連れて六人でファミレスを出た。
****
俺は美雪と手をつなぎながら告げる。
「今日はどうするんだ?」
美雪が明るい笑顔で告げる。
「私の部屋に行こう! 優衣さんがそうしてたんだし、私がだめってことはないでしょ?」
「そりゃまぁ……それでいいなら」
途中でコンビニに立ち寄り、美雪はやたらと食べ物を買っていた。
「おいおい、何を大量に買ってるんだ?」
「悠人さんと映画を見ようと思って!
夜食とかおつまみとか、なるだけ用意しようかなって!」
なるほど、今日は映画上映会か。
……夜食? 夜までか?
「おい美雪、何本の映画を見る気だ?」
「特に決めてないよ。それじゃだめ?」
「いやだめってことはないけど……」
結局、美雪は大袋二つ分の食べ物を買い込んでいた。
荷物を俺が持ちながら、女子寮に向かっていく。
美雪の部屋にたどり着くと、美雪が女子たちに告げる。
「それじゃ、今日は悠人さんを預かるね!」
優衣が余裕の笑みで応える。
「ええ、楽しむと良いわ」
由香里も大人びた微笑みで告げる。
「映画、ごゆっくり楽しんでくださいね」
瑠那はおどおどと美雪を見ていた。
「ねぇ美雪、あんたは大丈夫でしょうね?!」
「大丈夫って、何が?」
「だって! なんだかあなたらしくないわよ?!」
美雪は明るい笑顔で応える。
「やだなぁ、瑠那の考えすぎだよ!
じゃあみんな、また明日!」
美雪は俺の手を引っ張って、部屋の中に連れ込んでいった。
****
美雪の部屋は、映画のポスターが壁に貼られ、映像メディアのパッケージが小さい棚にびっしり入っていた。
「へぇ、本当に映画が好きなんだな」
「あー、勝手に部屋を見て回っちゃだめだよ!」
おっと、いけない。ついうっかり。
「すまん、なんだか美雪の部屋だと思うと、気が緩んで」
俺はコンビニの袋を部屋の片隅において、ローテーブルのそばに腰を下ろした。
美雪が真顔で俺に告げる。
「……それ、どういう意味かな」
「どういうって、そのまんまだよ。
お前のそばだと、なんだかリラックスできる気がして」
美雪が俺の前で膝を突いて、俺の目をまっすぐに見ていた。
「それ、私のことを女として見てないって意味だよね」
「そんなこと言ってないだろ?! なんでそうなるんだよ!」
「私のこと恋人だって言っても、女として見てないからリラックスできるんでしょ」
俺は美雪の剣幕に気圧され、言葉に詰まっていた。
美雪が悲しそうな目で微笑んで俺に告げる。
「……いいんだ。自分でわかってるし。
瑠那みたいに健康的な美人じゃないし。
優衣みたいに大人の色気があるわけじゃない。
由香里みたいに守ってあげたくなる可愛い子でもない。
私ってどっちつかずで、平凡な子なの」
「そんなこと――」
「そんなことあるんだよ! 私は何にも特徴なんかないの!
これと言って取り柄がない、魅力もない、モブみたいな女の子だって!
その程度の自覚くらい、私だって持ってるんだから!
女の競争だって、優衣はまだしも由香里にさえ負けてる!
女の魅力を持ってないって、わかってるんだよ!」
俺は、美雪の血がにじむような叫びに圧倒されていた。
ただできたのは、優しく美雪を抱きしめてやることだけだった。
「……お前だって魅力的だ。
前にもそう言っただろう。お前の笑顔はチャーミングだって。
だから、いつもみたいに笑ってくれよ。
明るいお前に、戻ってほしい」
だけど、美雪は泣きながら俺に告げる。
「そんなの、どこに女の魅力があるってのよ!
あるっていうなら証明して見せてよ!
私にだって、女の魅力があるって!
悠人さんにとって魅力的な女なんだって!
言葉じゃなく、態度で見せてよ!」
……こいつ、もしかして由香里の変化でプレッシャーを受けたのか。
女として先を越されたって思っちまったんだな。おそらく、女として格下と思っていた由香里に。
――本当に、マウント合戦って奴はたちがわるい。
俺は美雪から少しだけ身体を離して、そっと唇を重ねた。
****
夕方、女子寮の食堂に美雪の姿はなかった。
食事をする瑠那が、他の女子に告げる。
「ねぇ、なんで美雪は来ないのかな」
由香里は特に気にすることもなく食事を口に運んでいた。
「分かれるとき、『また明日』と言ってました。
部屋で夕食を食べるつもりなんじゃないですか」
優衣が憂鬱そうにため息をついた。
「あーあ、これでみんな同じステージね――ああ、瑠那はまだだったかしら」
瑠那が困惑しながら優衣に告げる。
「なんでそうなるの?! ただ映画を見てるだけに決まってるじゃない!」
由香里が小馬鹿にした視線を瑠那に向けた。
「瑠那さん、お子様なんですね。
この状況なら普通、そう考えますよ」
一瞬、頭に血が上った瑠那が立ち上がっていた。
由香里が瑠那を見上げながら、穏やかに告げる。
「少し考えればわかることじゃないですか。なぜ否定するんですか?」
歯を噛み締めた瑠那は、黙って腰を下ろし、食事を再開した。
ただ『そうでないこと』を祈りながら、静かな夕食が過ぎていった。
****
朝になり、瑠那が目を覚ました。
時間を見るために携帯端末を手に取る――夜明け前、花鳥風月のグループにメッセージが届いていた。
恐る恐るタップしてメッセージを開く。
『ほんとに胸にほくろがあるんだね。瑠那も早く見たら?』
呆然としている瑠那の携帯端末に、悠人から個別メッセージが届いた。
『すまん、今日のロードワークは休むわ』
何もわからなくなった瑠那は、友人全員において行かれた孤独に苛まれ、冷たい涙を流していた。




