第122話「廃嫡屈辱!自我?傀儡?」
……忌まわしい、前世の記憶。
人気声優であり、プロゲーマーであり、そして上級国民の血を引くエリート。
俺、星野レンは、常に世界の中心にいる『選ばれた特別な存在』だった。
富も、名声も、女も、俺が望めばすべて手に入った。
俺の声を聴くだけで女どもは歓声を上げ、俺が微笑むだけで莫大な金が動く。
人生という名のゲームは、俺のために用意されたイージーモードの接待プレイのはずだったのだ。
だが、その自己愛の裏には、決して他人には見せられない暗い泥のような感情が渦巻いていた。
俺の生家は、代々政治家を輩出する名門だ。
そこには、俺より遥かに優秀で、父の秘書として政界の王道を歩む完璧な『長男』がいた。
俺は所詮、兄に何かあった時のための『予備の駒』。
どれだけ甘やかされようと、決して一番にはなれない次男坊というレッテルが、俺のプライドを常に削り取っていた。
その惨めな現実から逃げるように芸能界やゲームの世界へ入り浸り、そこで愚かなファンどもを侍らせることで「俺こそが王だ」と満たされない承認欲求を埋め合わせていたのだ。
あの日もそうだった。
『ホーリースイート2』のコラボイベントで、あろうことか小汚い一般人のキモオタ(ネズミ男)に、公式仕様とはいえハメ技で完封されるという、この上ない屈辱を味わわされた。
俺が声を担当した最強の剣士アーリーが、あんな底辺のゴミが操る聖女ロザリオに一方的にボコボコにされるなどあってはならないことだった。
怒りと屈辱で腸が煮えくり返り、イベントのスタッフに当たり散らして会場の裏口を出た俺を待っていたのはさらなる理不尽だった。
『嘘!!
嘘つきッ!!!
裏切り者ぉぉぉッ!!』
鬼の形相で迫ってきたのは、俺が適当に遊んでATM代わりにしていた狂信的なファン(遊びの女8号)だった。
俺のためにあのネズミ男を処分したと誇らしげに語る狂ったメンヘラ女。
関わり合いになるのを避け、適当な甘言で警察へ突き出そうとした俺の計算は、彼女の狂気の前では無意味だった。
胸を深々と貫くナイフの冷たさ。
熱い血が噴き出し、視界が急速に黒く染まっていく。
(……なぜだ。
なぜ、選ばれた特別な存在である俺が、こんなゴミみたいな女に殺されなきゃならないんだ……!)
圧倒的な怒りと、世界に対する強烈な理不尽さへの恨み言を最後に、俺の意識は途絶えた。
◇
……次に目覚めた時。
俺は豪奢な天蓋付きのベッドの中で、柔らかな布に包まれていた。
視界に入るのは、精緻な彫刻が施された高い天井と、恭しく頭を下げるメイドたちの姿。
自分の手を見れば、それはプクプクとした赤ん坊の手だった。
転生。
オタクどもが好むあの陳腐なライトノベルの展開が、俺の身に起きたのだ。
周囲の人間たちの会話から、俺はここが自分が声を担当していた大人気乙女ゲーム『ホーリースイート』の世界であり、俺がソーヴィニヨン王国の王族として生まれ変わったことを理解した。
『ふ、ふはははは!
やっぱりな!
神は分かっている!』
俺は赤ん坊の体で歓喜の笑い声を上げた(周囲には元気な産声にしか聞こえなかっただろうが)。
前世での理不尽な死は、この『本当の俺に相応しい世界』へ来るためのチュートリアルに過ぎなかったのだ。
今度こそ俺は真の主人公として、この世界を俺の思い通りにプレイしてやる。
ヒロインたちを侍らせ、王座を手に入れ、邪魔な奴らは全て排除する。
これは、俺のためのゲームなのだから。
……だが。
俺のその歓喜は、物心がつく頃には無残に打ち砕かれることとなった。
◇
成長するにつれ、俺は自分の置かれている『残酷な現実』を正確に理解した。
俺は、華やかな王城の光の中でチヤホヤと甘やかされて育つ第二王子『アーリー』ではなかった。
あろうことか、双子という理由だけで『災厄の印』『忌み子』という烙印を押され、王家から切り離されて辺境の没落侯爵家へと養子という名の体いの良い名目で追放される、日陰者の兄『カベルネ』だったのだ。
「……ふざけるな」
俺は、与えられた薄暗い子供部屋で、爪が食い込むほど拳を握りしめた。
前世でも優秀な兄の陰に隠れた『次男』だった俺が、転生してまで、またしても『予備の駒』として日陰に追いやられるというのか。
侯爵家での扱いは表面上こそ王家からの預かりものとして丁重だが、裏では使用人たちからも「気味の悪い忌み子」として冷遇され陰口を叩かれている。
「俺が……俺がアーリーの声を担当していたんだぞ!
本来なら、俺が王城でヒロインたちに囲まれ、光り輝く玉座に座るはずの存在なんだ!
それが、なぜ俺がこんな辺境のモブ貴族のところで、日陰者のカベルネとして生きなきゃならないんだ!」
激しい屈辱と、粉々にされた自己愛。
俺のプライドは、この理不尽な世界の設定によってズタズタに引き裂かれた。
そしてその怒りの矛先は、本来俺が座るはずだった王城の温かいベッドで、俺の人生を謳歌しているであろう双子の弟アーリーへと向けられた。
「……許さない。
俺から全てを奪ったアーリー。
そして俺を捨てた王家。
絶対に、この手で全てを奪い返してやる……!」
俺はただ嘆き悲しむだけの無力な子供ではない。
中身は、大人の狡猾さと、前世で培った残忍な計算高さを持った男なのだ。
辺境で腐って終わる気など毛頭ない。
盤面をひっくり返すためには、まずは足場を固める必要がある。
俺はこの養家である『侯爵家』の完全な乗っ取りを開始した。
◇
俺は子供という『無害で非力な外見』を最大限に利用した。
大人は子供の無邪気な視線を警戒しない。
屋敷の隅々を探索し、使用人たちの行動パターンを観察する。
メイドの不倫現場。執事の横領の痕跡。
それらを『たまたま見つけてしまった無邪気な子供』を装って少しだけ仄めかし、彼らが焦って隠蔽しようとするのを、大人の知能で確実に証拠として押さえていく。
弱みを握られた使用人たちは、やがて俺の恐怖の支配下に置かれ、手足となって動く忠実な駒へと変わっていった。
そして、わずか数歳の時。
俺はついに養父である侯爵の書斎の隠し金庫から決定的なものを手に入れた。
没落気味だった侯爵が、裏社会と結託して密輸に手を染めていた証拠となる『裏帳簿』。
その夜、俺は一人で侯爵の書斎を訪れた。
「……カベルネ?
こんな夜更けにどうした。早く部屋に戻って寝なさい」
侯爵は酒の入ったグラスを片手に忌々しそうに俺を追い払おうとした。
俺は無言のまま、背中に隠し持っていたその裏帳簿を侯爵の机の上に放り投げた。
バサッ。
「なっ……!?
お前、これをどこで……!」
侯爵の顔から、一瞬で血の気が引いた。
俺は幼い子供の顔に不釣り合いなほど冷酷で、底意地の悪い大人の笑みを浮かべた。
「お義父様。
随分と危険な橋を渡っているようですね。
もし、この帳簿が王家の監察官の手に渡れば……侯爵家は取り潰し、お義父様は斬首刑。
一族郎党、路頭に迷うことになりますよ?」
「き、貴様……!
子供の分際で何を……!」
侯爵が激高して俺に掴みかかろうとするが、俺は一歩も引かず冷ややかな目で見据えた。
「子供だからこそ、ですよ。
『王家から預かった』無邪気な子供が、うっかりこの帳簿を『拾って』近衛兵に渡してしまったらどうなるか。
……お義父様には、それを止める術はありませんよね?」
「…………ッ!!」
侯爵は振り上げた拳を下ろすこともできず、ワナワナと全身を震わせた。
目の前にいるのはただの子供ではない。
人間の弱さを熟知し、それを容赦なく抉ってくる悪魔の化身だということを悟ったのだろう。
「……私に、どうしろと言うのだ」
ついに侯爵が膝を折り、屈服の言葉を口にする。
俺は満足げに頷き彼の耳元で囁いた。
「簡単なことです。
今日から、この侯爵家の実権は俺が握ります。
財力も、私兵も、すべて俺の指示通りに動かしていただきます。
……もちろん、お義父様の首が繋がっている間は、ですがね」
こうして俺はわずか数歳にして養家である侯爵家を完全に傀儡化し、裏から実権を握る『冷酷なる支配者』へと成り上がった。
他者の感情を踏みにじり、すべてを自分のための「盤上の駒」として扱う強欲さと冷徹な傲慢さ。
俺を忌み子として容赦なく切り捨てた父親――デラウェア王を俺は激しく憎悪している。
だが、なんという皮肉だろうか。
温室で甘やかされて育つ弟のアーリーよりも、日陰に捨てられた俺の方が、あの父親の『冷徹で計算高い覇王の血』を誰よりも濃く受け継いでしまっているのだから。
◇
侯爵家を掌握した俺は、屋敷の機密資料の中からある一つの『奇妙な事実』を発見した。
それは、俺が王家から忌み子として追放された身でありながら、国法を捻じ曲げてまで『王位継承権第2位』を残されているという事実だった。
「……なるほど。
俺を生んだ母親、ピオーネ王妃の仕業か」
資料によれば、王妃は双子を引き裂かれたことに狂乱し、俺に対する異常な執着と歪んだ母性を剥き出しにして、王にこの特例を認めさせたという。
一人は光の当たる城で育て、一人は影の辺境で飼い殺しにする。
だが、その影の方にも、王位へ繋がる細い蜘蛛の糸を残しておく。
なんとも女らしく、そしてドロドロとした歪んだ感情だ。
「……使えるな」
俺の口角が、自然と吊り上がる。
ここで、前世の星野レンが培ってきた『女を騙して貢がせるスキル』が火を吹く時が来た。
俺は前世で何人ものファンを甘い言葉で誑かし、自分に依存させ、ATMとして利用してきた。
女の母性本能や庇護欲を刺激する方法など、息をするより簡単だ。
相手が実の母親であろうと、王妃であろうと関係ない。
女は女だ。
俺は上質な羊皮紙を用意し、秘密裏に王妃へと宛てた手紙を書き始めた。
『親愛なる、そして誰よりも美しいお母様へ。
辺境の冬は寒く、夜はとても寂しいです。
でも、僕は泣きません。
いつか、立派な王族としてお母様の元へ帰る日を夢見て、毎日厳しいお勉強と剣の稽古に励んでいます。
お母様が僕に残してくれた継承権の重みを胸に、決して恥じない息子になります。
遠い空の下から、お母様の健康と幸せを、毎日祈っています。
あなたの愛する、カベルネより』
俺は、手紙の所々に、わざと水滴を垂らして滲ませた。
さも、寂しさに耐えきれず涙をこぼしてしまったかのように見せかけるための、完璧な演出だ。
健気で、可哀想で、母親を慕う孤独な息子。
そんな偶像を、俺は紙の上で見事に演じ切ったのである。
数週間後。
王妃からの返信は、俺の予想を遥かに超える熱量で届いた。
涙で文字が滲んだその手紙には、俺への狂おしいほどの愛と、会えないことへの罪悪感、そして「私が必ずあなたを王城へ呼び戻してみせる」という、盲目的な決意が書き連ねられていた。
そして、手紙と共に、侯爵家の予算とは比較にならないほどの莫大な『活動資金(裏金)』が同封されていたのだ。
◇
「……くくっ、あっはははは!」
自室の豪奢なソファに深く腰掛け、俺は王妃からの手紙と金貨の山を見つめて嘲笑った。
「女なんて生き物は、どうしてこう頭が悪いんだ。
王妃だろうが何だろうが、前世で俺に貢いできた愚かなファン共と何も変わらない。
少し甘い言葉を囁いて同情を引いてやれば、勝手に財布の紐を緩めて股を開く。
……本当に、笑いが止まらないぜ」
俺は王妃の盲目的な愛と罪悪感を徹底的に利用し、彼女を完全なATM、そして情報源として食い物にしていった。
俺からの健気な手紙が届くたびに、王妃からの裏金は増額されていく。
俺はその資金と傀儡にした侯爵家の権力を使って次なる一手に出る。
「王妃様。
僕が将来、王城に戻った時のために、信頼できる家臣をそちらで育てておいていただけませんか?」
そんな甘えた要望を出すだけで、王妃は喜んで手引きをしてくれた。
俺は侯爵家の息のかかった優秀な人間たちを、王城の侍女や近衛兵、さらには文官として、次々と中枢に潜り込ませていく。
『人事の口利き』という名の、合法的な間者の配置だ。
王妃の権限を通しているため、誰一人として疑う者はいなかった。
さらに俺は王妃との文通を通じて王城の警備体制の穴や温室育ちの双子の弟――アーリーの行動パターン、お気に入りの場所といった機密情報まで、まるで世間話を聞き出すように簡単に手に入れてしまった。
盤面は完全に俺の支配下に置かれたのだ。
「……さて、と」
俺は自室のテーブルに広げた王都の詳細な地図を見下ろした。
地図上には、俺が配置した間者たちの位置と、アーリーの行動ルートが赤い駒で示されている。
「この世界は、俺のために用意されたゲームだ。
主人公(俺)が、日陰で泥水を啜るなんて間違っている。
俺が主人公として光り輝くためには、お前という『本物』が邪魔なんだよアーリー」
俺は赤い駒を一つ指で弾き飛ばし、代わりに黒い駒を王城の中央へと置いた。
「待っていろよ、アーリー。
お前が何の苦労も知らずに甘受しているその居場所も、将来手に入れるはずの女たちも、そして玉座も。
すべて俺が奪ってやる」
窓の外、辺境の空に冷たい月が輝いていた。
王城内部に自らの手駒を完全に配置し終えた最悪の攻略者が、己の運命を強引に書き換え盤面を根底からひっくり返すための『誘拐計画』。
その邪悪で冷徹な歯車が今、静かに回り始めたのだった。




