第121話「生誕凶事!隔離?放逐?」
時代は、現在から十数年前に遡る。
パルスイートやチクロたちが、この世に生を受ける少し前のこと。
ソーヴィニヨン王国は、その圧倒的な武力と権威をもって、周辺諸国に睨みを利かせる強大な国家として君臨していた。
王都に聳え立つ王城、その名は「ブラン」という。
天を突くような白亜の尖塔と堅牢な城壁に囲まれたその城は、王国の揺るぎない権力の象徴であった。
時の国王、若かりし日のデラウェア・ソーヴィニヨンは徹底した『鷹派』の君主として知られていた。
周辺諸国への強硬な外交政策、軍備の拡張、そして自国の領土と利益を最優先するその姿勢は、一部の貴族からは反発を招きつつも、結果として国に表向きの繁栄と圧倒的な威信をもたらしていたのである。
強国には強固な血脈が必要である。
第一王子キャンベルの誕生は、国中を熱狂の渦に巻き込んだ。
金髪碧眼の正統なる王位継承者の誕生により、デラウェア王の権威はさらに盤石なものとなった。
そして、それから数年後。
国王の寵愛を一身に受けるピオーネ王妃が、待望の第二子を身籠ったのである。
王城ブランは、新たな王族の誕生への期待と喜びに沸き返っていた。
男児であれば、王家の血脈はさらに強固なものとなり、たとえ女児であっても、他国の王族や有力貴族との政略結婚における最上級の駒となる。
どちらに転んでも、王家にとっては喜ばしい慶事となるはずであった。
だが、運命は時に残酷な悪戯を仕掛けるものである。
王家の光となるはずだったその誕生は、嵐の吹き荒れる夜に訪れた。
◇
ゴロゴロ……ピッシャァァァァンッ!!
空を引き裂くような凄まじい雷鳴が、王都の夜空に響き渡った。
窓を叩きつける豪雨と吹き荒れる暴風。
まるで天そのものが何かの誕生を拒絶しているかのような、そんな荒れ狂う嵐の夜だった。
王城の奥深く、重厚な扉で閉ざされた王妃の産室。
そこには、痛みに喘ぐピオーネ王妃の悲鳴と、産婆たちの慌ただしい声が交錯していた。
「王妃様!
もう少しです!
いきんでください!」
「あ、ああぁぁぁぁっ……!」
難産であった。
数時間にも及ぶ苦しみの末、ようやく、一つの小さな命がこの世に産み落とされた。
「オギャアッ!
オギャアアッ!」
力強い男児の産声。
産婆が安堵の息を吐き、血に塗れた赤子を丁寧に布で包み込む。
「おめでとうございます王妃様!
元気な男の子でございます!」
その報告に、疲労困憊のピオーネ王妃も、汗に濡れた顔に薄らと笑みを浮かべた。
だが、その安堵はほんの一瞬のことだった。
「……っ!?
お、お待ちください!
これは……!」
赤子を取り上げた産婆の顔が、一瞬にして恐怖に蒼白となった。
彼女の震える視線の先。
王妃の胎内からもう一つの命が、静かに、しかし確実に産み落とされようとしていたのである。
「う、嘘……
そんな、まさか……!」
侍医たちも、信じられないものを見る目で息を呑んだ。
続いて産み落とされたのは、先に生まれた男児と全く同じ顔をしたもう一人の男児だった。
『双子』
その事実が突きつけられた瞬間、産室の空気は歓喜から底知れぬ絶望へと急転直下した。
この世界において、あるいはソーヴィニヨン王国の古い伝承において。
王族に双子が生まれることは、決して祝福されるべき出来事ではなかったのだ。
それは『災厄の印』であり、『最大の凶事』とされていた。
王権を二分し、国を裂く争いの種。
歴史上、双子の王族が誕生した時代には、必ずと言っていいほど凄惨な後継者争いが起こり、国が血の海に沈んできたという忌まわしい記録が残っている。
ゆえに、王家に双子が誕生したという事実は国の根幹を揺るがす絶対的なタブーであった。
「……ひぃっ……」
産婆の一人が恐怖のあまりへたり込んだ。
侍医の顔には、この恐ろしい事実を知ってしまった自分たちの命が、果たして明日まで保つのかという絶望が浮かんでいる。
バンッ!!
その時、産室の扉が乱暴に開かれ、ずぶ濡れの外套を羽織ったデラウェア王が足を踏み入れた。
「どうした!
無事に生まれたのか!」
王の威厳に満ちた声が響く。
だが、彼を出迎えたのは凍りついたような産室の沈黙と、二つの産声だった。
デラウェア王の鋭い眼光が、二つの小さな布の包みを捉える。
「……陛下
申し訳……ございません……」
侍医が震える声でひれ伏した。
「双子の……男児でございます」
「…………」
デラウェア王の顔から、一切の感情が消え去った。
彼は冷酷な瞳で二人の赤子を見下ろし、そして、短く、絶対の命令を下した。
「……この部屋を封鎖せよ
中にいる者は、一人たりとも外に出すな。
そして、すぐに重臣たちを秘密裏に集めろ」
それは、国家の威信を守るための冷徹なる処断の始まりであった。
◇
深夜の王城。
窓の外では未だ嵐が吹き荒れる中、地下の隠し会議室には、ごく一部の腹心だけが集められていた。
円卓を囲む重臣たちの顔は一様に暗く、張り詰めた空気が部屋を満たしている。
「……陛下。
事の露見は、何としても防がねばなりません」
王家の影を担う暗部を統括する大臣が冷酷な声で進言する。
「双子の誕生は我が国の威信を失墜させ、他国に付け入る隙を与えます。
ましてや両名とも男児となれば、将来の王位継承において必ずや争いの火種となるでしょう。
……ここは、秘密裏に片方を『処分』すべきかと存じます」
処分。
すなわち、生まれたばかりの赤子の殺害である。
その冷酷な言葉に何人かの家臣が息を呑んだが、表立って反対する者は誰もいなかった。
王国の安寧と自らの保身を天秤にかければ、答えは明らかだったからだ。
「どちらかを残し、もう一方は死産であったと発表する。
それが、国家の傷を最小限に留める唯一の道でございます」
大臣の言葉が、冷たい石壁に反響する。
デラウェア王は、玉座に深く腰掛けたまま、無言で目を閉じていた。
彼は、決して情に流されるような君主ではない。
国の利益のためならば他国を血の海に沈めることすら厭わない冷徹なリアリストだ。
だが彼は同時に、極めて合理的な『計算高き覇王』でもあった。
「……殺処分、か」
デラウェア王がゆっくりと目を開いた。
その瞳には血の通った父親としての悲哀は微塵もなく、ただ冷徹な『損得勘定』の光だけが宿っていた。
「……それは、いささか『もったいない』な」
「……陛下?」
家臣たちが怪訝な顔で王を見上げる。
「どちらも我が王家の血を引く男児だ。
魔力においても、知能においても、間違いなく優秀な素質を持って生まれてきたはずだ。
それを、ただの迷信と保身のために握り潰すのは戦力の損失に他ならん」
王にとって、血脈とは『愛すべき家族』ではなく『利用すべき駒』であった。
有能な駒を使う前から盤上から捨てるなど、彼の覇道には反する行為だった。
「……では、陛下。
いかがなされるおつもりで?」
「物理的かつ系譜的に完全に切り離す」
デラウェア王は、テーブルの上に置かれた国の地図を指で叩いた。
「兄として先に生まれた方を『カベルネ』と名付ける。
弟を『アーリー』とする。
鑑定では『アーリー』の方が魔力量が多く、見込みが良いとの報告があったが、間違いないな?」
「陛下のご認識通りで間違いございません。
『アーリー』王子は第一王子キャンベルを凌ぐ、類まれなる素質をお持ちのようでございます。
対して『カベルネ』王子ですが、残念ながら魔力に至っては多少の素質は認められますが、凡人の域を超えてはおりませんでした…」
王の問いに、傍で控えていた筆頭侍医が真摯に答える。
「ふむ…
では弟のアーリーを単独で生まれた『第二王子』として公式に発表し、この城で華々しく育て上げる。
そして、兄のカベルネは……」
王の指が王都から遠く離れたある辺境の領地を示した。
「王家からは除籍し、『忌み子』として辺境の侯爵家へ養子に出す。
忠誠心は高いが没落気味で扱いやすいあの家ならば、秘密を漏らすこともなく王家の裏の駒として都合よく育て上げるだろう」
実質的な体いの良い追放である。
光の当たる王城で、第二王子として人々の羨望を集めて育つ弟。
そして、暗い辺境で忌み子として出自を隠され、裏の駒として生きることを運命づけられた兄。
同じ顔、同じ血を持ちながら、二人の運命は、王の冷徹な決断によって天と地ほどに引き裂かれたのだ。
「……承知いたしました。
すぐに手筈を整えさせます」
重臣たちは深く頭を下げ、王の残酷な、しかし合理的な決断に従った。
この時、彼らはまだ気づいていなかった。
この『生かして遠ざける』という決断が、後に王家そのものを喰い破る、恐ろしい毒蛇を野に放つ行為であったということに。
◇
夜が明け、嵐が去った翌朝。
産後の肥立ちが悪く、ベッドに横たわっていたピオーネ王妃は、デラウェア王から下されたその無慈悲な決定を聞かされ、狂乱した。
「嫌です……!
絶対に、絶対に嫌です!!」
彼女は、血の気を失った青白い顔で、髪を振り乱しながら王にすがりついた。
「私の愛する我が子を忌み子として辺境に追いやるなど、絶対に許しません!
二人とも、私の腹を痛めて産んだ大切な王子です!
どうか、どうかあの子を私の手元に……っ!」
王族としての体面も、淑女としての矜持も忘れ、ただ一人の母親としての狂気じみた執着を剥き出しにして泣き叫ぶ王妃。
デラウェア王は、その姿を冷ややかに見下ろしていた。
「ならん。
既に決定したことだ。
これ以上騒ぎ立てれば、お前とて王妃の座から引き摺り下ろさねばならんぞ」
「いやああぁぁぁぁっ!!
私の……私の子供を返してっ!!」
王妃の絶叫が、産室に虚しく響き渡る。
彼女は、連れ去られようとする兄の赤子に向かって必死に手を伸ばしたが、冷酷な侍女たちに押さえつけられ、叶うことはなかった。
だが、王妃のあまりの狂乱ぶりと、産後の急激な衰弱を見たデラウェア王は、これ以上彼女の精神が崩壊し、今後の政務や外交に支障をきたすことを危惧した。
「……ええい、鬱陶しい」
王は舌打ちをし、面倒を避けるために、ある『妥協案』を提示してしまったのだ。
「……よいか、ピオーネ。
あやつを城に置くことは絶対に許さん。
だが……
特例として、カベルネに『王位継承権第二位』の座だけは、密かに残しておいてやろう」
「……え?」
王妃が、涙で濡れた顔を上げた。
「王家の系譜からは外す。
が…万が一、キャンベルやアーリーに何かがあった時のための予備の駒として、継承権だけは剥奪せずに置いておく。
それであれば文句はあるまい」
それは、国法を根底から捻じ曲げるような異常な特例であった。
王家から追放され、他家の養子となったはずの忌み子が、王位継承権の第二位を保持し続ける。
結果として、城に残り『第二王子』として公式に発表される弟のアーリーは、第二王子でありながら『王位継承権第三位』となるという、誰もが首を傾げるような異常なねじれ現象が発生することになったのだ。
「……あ、ああ……!
ありがとうございます、陛下……っ!」
ピオーネ王妃はその歪んだ特例を聞いて狂気じみた笑みを浮かべた。
「これで、あの子もも王家の血として、権力と繋がっているのですね……。
私の愛する息子たち……。
いつか必ず、あの子も私の元へ……」
彼女の瞳には引き裂かれた我が子への歪んだ愛情と、いつか彼を王城へ呼び戻すという狂おしい執念が宿っていた。
一人は光の当たる城で、何不自由なく甘やかされて育つ弟。
もう一人は影となる辺境で、忌み子として理不尽な屈辱を味わいながら育つ兄。
そして、その兄には、国を乗っ取るための正当な『継承権』という名の牙が、密かに与えられたままになっていたのだ。
国王の異常な決断と、母親の狂った執着。
ソーヴィニヨン王国の歴史の裏側で、暗く冷たい破滅の歯車が、音もなく回り始めた夜であった。




