第119話「真相究明!公開?後悔?」
パルスイート・アスパルテームが、王都を追放されてから数日が経過していた。
私は、ズルチン侯爵家の自室にある豪奢なソファに深く身を沈め、窓の外の青空をただぼんやりと見つめていた。
彼女の追放。
それは、私の知るどのシナリオにも存在しなかった未知の出来事だ。
自分が創り出した箱庭が完全に壊れ、先が読めない制御不能な濁流へと飲み込まれていく懸念と恐怖。
だが、それと同じくらい、私の心の中にはずっと拭い去れない『一つの懸念』が静かに横たわっている。
それは、パルスイートの中身――彼女の魂の正体についてだ。
数年前、彼女とエリスがこのズルチン侯爵家を訪れ、私たちが互いに「日本人からの転生者」であることを確認し合ったパジャマパーティの夜。
彼女が「34歳の過労死OL」と名乗った時、私は心底安堵していた。
前世のゲーム販売における正史(完成版)でいけば、『ホリスイ2』は私――チクロがエリスの復讐劇を繰り広げる血生臭いダークストーリーだ。
だが、この世界にはエリスが悪役令嬢であった過去も、断罪された結末も存在しない。
だから私は幸いにも物語は正史には流れず、途中でボツになった『パルスイートが主役のコメディシナリオ』のルートが適用された状態なのだと考えたのだ。
もちろん、彼女が「ドン・〇ホーテ」の歌を歌ったことで、「もしかしたら、設定通りのNPCではなく、本物の日本人の魂が転生しているのでは?」という疑念はあった。
そうだったら良かったのか。
そうじゃない方が良いかったのか。
当時の私は深く考えることをやめ、ただ「自分の書いたシナリオのレールに乗ってくれている」と勘違いし安心しきっていたのだ。
だが、あの王宮での追放騒動を経て、私は嫌でも理解させられた。
この世界は、私が書いたどのシナリオでもない、未知のストーリーが繰り広げられているのだと。
先が全く読めない現実世界において、パルスイートが「34歳OL」という正史本来の設定にはない『没設定』を、今も頑なにアイデンティティとして生きている。
そのことに、私は決定的な違和感を抱いた。
その疑念を確かめるため。
私は彼女が追放される少し前のお茶会で、ある巧妙な『カマかけ』を行っていた。
◇
「……そういえばパルス。
アンタ、前世で例の『魔法少女の映画』って観た?」
それは、王都の人気のスイーツ店で、私たち二人が内緒のお茶会を開いていた時のことだ。
私は、目の前に置かれた紅茶のカップを指先でなぞりながら、極めて自然な口調でその話題を振った。
前世の現代日本で、一時期社会現象になるほどの大ヒットを記録した、深夜アニメ発の魔法少女映画。
そのタイトルを口にした瞬間。
パルスイートは手に持っていたフォークを置き、目をキラキラと輝かせたのだ。
「あーっ!
あれ、泣けたわよね!
私、劇場に三回も観に行っちゃったわよ!」
彼女は身を乗り出し、熱量高く語り始めた。
「あのクライマックスの演出!
絶望的な状況からの、あの主人公の自己犠牲と救済!
それに、役者さんたちの演技が本当に最高で…
とくにあの相棒の子の泣き叫ぶシーンなんて、聞いてるこっちまで胸が締め付けられちゃって……」
彼女は身振り手振りを交えながら、映画のあらすじや演出、そして声優の演技の機微に至るまでを詳細に語り尽くした。
それはただの一般の観客というよりも、演技や演出の意図を深く理解しようとする同業者にも近い熱の入り方だった。
私は彼女の話に「そうそう、あれは良かったわよね」と適当に相槌を打ちながら、テーブルの下で、ギュッと拳を握りしめていた。
(……やっぱり、ホリスイ2自体を全く知らないなんておかしい。
あの映画を3回も見ているのなら、公式サイトの製作発表を知らない筈ないもの)
私の心臓が早鐘のように鳴り始めた。
その『魔法少女の映画』が公開されたのはいつだったか。
私が明確に記憶しているその時期。
それは、『ホーリースイート2』の制作が発表され、『主人公パルスイート』役が発表された、まさにその直後だったのだ。
その後、ネット上で彼女への謂れのない凄惨なバッシングが広がりきり、彼女が精神を病んでしまう、それよりもほんの少し前の時期。
希望に満ち溢れ、役作りのため、あるいは純粋な趣味として、劇場に足を運ぶ活力が彼女に残っていた最後の時期。
もし…
もしパルスイートが言うように、彼女が34歳のOLとしてその映画を観ていたのだとしたら、なぜ彼女は『ホーリースイート2』の初期内容を知らないと言ったのだろうか。
『最大の矛盾』
そもそも彼女が『34歳11ヶ月の過労死した守銭奴OL』だと名乗ること自体に潜んでいた。
なぜなら、そのストーリー主役担当の新人アイドルがバッシングの末に自ら命を絶ったという痛ましい事件の後、制作サイドでシナリオの大幅な改稿が行われた。
実際にリリースされた完成版の『ホリスイ2』はパルスイート主人公の転生モノではなくなり、私――チクロ主人公の、血生臭いダークファンタジーな復讐劇へと完全に変更されていたからだ。
パルスイートが、ボツになったはずの『初期設定(34歳OL)』を名乗って生きている。
まずその点で「彼女が完成版を知らない」という最大の証明となる。
だとしたら、パルスイートの中身はこの世界本来の住人のものではない可能性が高い。
映画の時期で前世の記憶が途絶え、かつ世に出ていない『没設定』を世界の真実だと思い込んでいる存在。
配役の決定から、新人アイドルの自殺でシナリオ改稿に至るまでの期間で、パルスイートが34歳のOLが転生した事を体現出来る存在。
(……もしかして?
ううん…多分そうよね…)
私は紅茶の水面に映る自分の顔を見つめながら、強い疑念と推測を胸の内に抱いた。
◇
「……ねえ、パルス」
私は映画の話に一区切りついた彼女に向けて、静かに問いかけた。
「そういえば、アンタ。
生前の名前は、なんだったの?」
私の唐突な質問に、パルスイートはピタリと口を閉じ、少しだけ目を瞬かせた。
そして彼女はいつも通りの、少しとぼけたような、けれどどこか寂しげな笑顔を作った。
「……覚えていないのよね」
彼女は紅茶のカップを両手で包み込みながら、視線を落とした。
「転生した時のショックかしらね。
自分が34歳で過労死した社畜だったってことと、このゲームの知識は覚えてるんだけど……
肝心の自分の名前とか、家族のこととか、そういう個人的なことは、すっぽり抜け落ちちゃっててね。
……まあ、思い出してもろくな人生じゃなかっただろうから別にいいんだけどね」
彼女は、カラカラと笑って誤魔化した。
それが嘘なのか、本当に記憶を封じ込めているのか、私には分からない。
かつての辛い自我を捨てるために、自ら記憶に蓋をしたのかもしれない。
「……そう」
私が短く答えると、今度はパルスイートが私の方を見つめてきた。
「アンタは?
チクロは前世の名前、覚えてるの?」
彼女の問いに、私は少しだけ逡巡した。
私が本名を口にすれば、彼女の心の奥底に眠るトラウマを呼び覚ましてしまうかもしれない。
「……私もね、本当の名前は思い出せないのよ。
ただ、自分の書いていたWeb小説のことや、ペンネームは覚えてるのよね…
その時は『クロシロ』って名前でやってたわ」
私は初期のWeb小説公開サイトで使っていた古いペンネームを名乗った。
「この名前しか覚出せないのよ」
その言葉を聞いた瞬間。
パルスイートの目が、これ以上ないほどに見開かれた。
彼女の手が震え、カップがソーサーの上でカチャリと音を立てる。
「……『クロクロ』とか『シロシロ』って知ってる?」
彼女の口から飛び出したのは、私が素人時代に細々と連載していた、かなりマイナーな作品のタイトルだった。
「……ええ、よく知ってるわ。
自分の書いた作品だもの、当然よ」
そう私が答えると、パルスイートはテーブルから身を乗り出すようにして私の手を両手で握りしめた。
「嘘……!
嘘でしょ!!
あの、クロシロ先生!?
私、あの作品大好きだったのよ!!」
彼女の瞳が、純粋な喜びと興奮でキラキラと輝き出す。
「クロクロに関しては、不器用だけど真っ直ぐな主人公の生き方が本当に好きで!
特に、第4章で主人公が親友を庇って泥を被るシーンなんて号泣しちゃって……
私、いつかあの子みたいに誰かのために真っ直ぐに生きられる強さが欲しいって、ずっと思ってたの」
熱を帯びた声。
真っ直ぐな眼差し。
それは、かつて。
アフレコスタジオの非常階段で、私がおにぎりを食べていた彼女に声をかけた時。
あの子が私に語ってくれた、言葉思い出させるものだった。
『私、実は……先生の作品の大ファンなんです』
『あの作品の、不器用だけど真っ直ぐな主人公の生き方が本当に好きで……』
過去の記憶と、目の前の少女の姿が重なり合う。
「……本当に、ファンだったのよ?
ま、今更よね~」
パルスイートは照れくさそうに笑い、そっと私の手を離した。
「でも、まさか……
こんな異世界で、大好きな作品の作者様に会えるなんて思わなかったわ。
これだけでも転生した甲斐があったってもんよ」
彼女のその無邪気な笑顔を見て、私は胸の奥がギリリと締め付けられるように痛んだ。
(……やっぱり
そうなのね…)
推測は揺るぎない確信となった。
彼女は自分が誰であったかを忘れた…または、それを捨てたのだ。
私が創り出した『パルスイート(34歳OL)』という設定で、自身の記憶を上書きし、この世界で生き直そうとしているのだ。
この理不尽な世界で、強欲に逞しく生き抜こうとしている彼女。
その狂気とも言える執念と痛ましい過去への想いが、私の心を深く、深く抉った。
「……そう
ありがとう。
私の作品を、そこまで愛してくれて」
私は震えそうになる声を必死に抑え込み、優しく微笑み返した。
私は彼女が何者であったかの確信を持っても、敢えてその名前を口に出して語ることはしなかった。
彼女が辛い自我を捨ててまで、この世界で『パルスイート』として生きることを選んだのだから。
私がその殻を剥がし、現実の痛みを突きつける権利などない。
(……なら)
私は、テーブルの下で、自分の膝を強く握りしめた。
(なら私は、この作品を生み出した元凶として、彼女が望んだこの『パルスイート』という役の人生を、何があっても絶対に見守り抜かなければならない)
私が彼女に背負わせた業は私が引き受ける。
彼女の嘘を、初期設定への自己暗示を、私はあえて暴かない。
この秘密は、私が墓場まで持っていく。
◇
「……パルス」
自室のソファで、私は過去の記憶から意識を浮上させ、静かに窓の外を見つめた。
彼女は王城の謁見の間で理不尽に王都を追放された。
だが彼女はきっと負けない。
彼女は34歳のOLという強欲な設定を被り、泥水を啜ってでも生き抜く強さを持っているはずだ。
「しぶとく生き残りなさいよ、パルス。
アンタが辺境で力を蓄える間……私も王家の思い通りにはならないよう、一所懸命に盤面を引っ掻き回してやるから」
私はこの作品を生み出した重い責任と、友への深い愛情を胸に抱き、一人静かに決意を新たにした。
未知のシナリオへと突入したこの世界で。
彼女が望んだ『幸せな不労所得ライフ』を、彼女自身の力で掴み取れるその日まで。
私はこの『チクロ・ズルチン』に『ズールティン』という特異な力を持つ駒の片割れとして、全力で抗い続けることを密かに誓ったのであった。




