第118話「追放裏側!政略?売却?」
『千歳……
叔父様は、やはりわたくしたちを家から追い出すおつもりのようですわ』
冷たく、硬質な鉄の感触と共に脳内に響く声。
それは、ズルチン侯爵家に代々伝わるインテリジェンスウェポン『魔槍ズールティン』の内に押し込められてしまった、本物のチクロお嬢様の魂だ。
(……ええ。
分かってるわ、チクロ)
私たちの身体は今、王城「ブラン」の謁見の間へと向かう、長く冷たい石造りの回廊を歩いていた。
一歩足を踏み出すごとに、逃れられない重苦しい現実がのしかかってくる。
ズルチン侯爵家は、アセスルファム公爵家を筆頭とする鳩派の重鎮であり、強大な武力を誇る名門だ。
かつて、私の……いや、チクロの実の父親である前ズルチン侯爵は、隣国リプトーン教国との苛烈な戦争において、魔槍ズールティンを振るい、防衛線の要として壮絶な戦死を遂げた。
英雄として国を守り抜いた正統な後継者。
その忘れ形見であるチクロは、本来であれば次期当主として大切に育てられ、家を継ぐべき存在だった。
だが、権力というものは往々にして血の繋がりよりも残酷だ。
前侯爵の戦死後、当主の座に就いたのはチクロの叔父だった。
叔父は、英雄の血を引く正統な後継者であるチクロを、内心ではひどく疎ましく思っていたのである。
自身が確固たる当主の座に就くためには、目の上のたんこぶであるチクロを、どうにかして家から追い出す必要がある。
……私たちは今日、王家からの突然の呼び出しを受け、言い知れぬ重苦しい予感を抱えながらこの謁見の間へと向かっているのだ。
◇
『わたくしを、誇り高きズルチン家を、あのような叔父様の野心の道具にするなど……!』
ズールティンの中で、チクロの魂が静かな、しかし激しい怒りに震えている。
(落ち着いて、チクロ。
私たちが今ここで騒いでも、無駄死にするだけよ)
私は必死に彼女の怒りをなだめながら、謁見の間の重厚な扉をくぐった。
そこは、息が詰まるほどの静寂と、肌を刺すような緊張感に支配されていた。
玉座には、国王デラウェアと王妃ピオーネ。
その傍らには、第二王子アーリーと、私の親友である公爵令嬢エリスリトールが控えている。
そして、ふと視線を横に向けると、そこには見慣れたピンク色のゆるふわな髪をした少女がいた。
パルスイート・アスパルテーム伯爵令嬢。
私が前世で生み出したキャラクターであり、今はこの世界で最も親しい友人の一人だ。
彼女は今、周囲を近衛騎士に取り囲まれながらも、一切の怯えを見せず、優雅にカーテシーを決めている。
(……あの子、また自分の首を絞めるようなことして)
私は、その姿を冷ややかな戦慄と共に観察していた。
パルスイートは、エリスリトールが第二王子との婚約を嫌がっていることを知り、自らが悪役となってその婚約を破棄させる計画を企てていた。
彼女の目的は、自分が泥を被ってエリスを自由にすることなどという高尚なものではない。
傷心の第二王子に付け入って、自分が玉の輿に乗ることだ。
(……恐ろしいわね)
私は内心で息を呑む。
その強欲で現金な行動原理は、まさに私が前世で書き上げた『34歳過労死OL』という設定そのままである。
彼女は、私が創り出した設定を、まるで本物の人間のように完璧にトレースして動いているのだ。
「……静粛に。
これより、第二王子アーリー・ソーヴィニヨンと、公爵令嬢エリスリトール・アセスルファムの婚約に関する沙汰を申し渡す」
国王の重々しい声が響く。
パルスイートの背中が、期待に微かに跳ねるのが分かった。
「まずエリスリトール。
其の方とアーリーの婚約は、本日をもって白紙とする」
その言葉に、パルスイートが内心で勝利を確信しているのが手に取るようにわかる。
だが、国王の次の言葉が、彼女の、そして私の運命の歯車を大きく狂わせた。
「……チクロ・ズルチン。
前へ」
名前を呼ばれ、私はビクッと肩を震わせた。
長年培ってきた『堅物令嬢』のポーカーフェイスを必死に維持し、私はゆっくりとパルスイートの横へと進み出る。
「チクロ・ズルチンよ。
其の方を、アーリーの新たな婚約者として迎えるものとする」
「つつ、謹んで……お受けいたします……」
私は、震える声でそう答えるしかなかった。
隣でパルスイートが、信じられないものを見るような顔をしてこちらを見ている。
だが、私の方こそ、完全にパニックに陥っていた。
(……なぜ?
どうしてチクロが、第二王子の婚約者……?)
頭の中が真っ白になる。
そんな展開、私の記憶には一切存在しないのだ。
私がシナリオライターとして書いた初代『ホーリースイート』にも。
一度はボツになった『チクロ主人公のダークストーリー版ホリスイ2』にも。
そして、あの悲劇の少女のために書いた『パルスイート主役版ホリスイ2』にも。
チクロ・ズルチンが第二王子アーリーの婚約者になるルートなど、どこにも書いた覚えがない。
(どういうこと……?
シナリオが、完全に書き換わっている……!?)
創造主である私ですら知らない、完全に未知のルート。
……いや、理由は明白。
叔父だ。
あの叔父が邪魔な私を家から追い出し、あまつさえ王家へ恩を売るため、私を『魔槍ズールティンごと』王家へ売り飛ばす裏取引を交わしたのだろう。
そして叔父は、最悪の一手を選択したのだと私はこの場で悟った。
それは、私の構築した箱庭が根底から覆され、制御不能な運命の濁流に巻き込まれていくことを意味していた。
私は必死に無表情を貫こうとしたが、未知のシナリオに放り込まれた創造主としての底知れぬ恐怖と、叔父に国へ売られたという絶望が相まって、どうしても動揺が隠しきれない。
視線が定まらず、目が激しく泳いでしまう。
隣のパルスイートからは、「鳶に油揚げをさらって気まずそうにしている」ように見えているだろうが、そうではないのだ。
私はただ、自分の理解を超えた事態の異常性に、冷たい汗を流していたのである。
◇
「パルスイート・アスパルテーム。
貴様を王都より追放し、辺境『ピメント』での謹慎を命じる!
即刻立ち去るがよい!」
国王の冷酷な宣告が下る。
パルスイートが絶望のどん底に突き落とされ、衛兵たちに両腕を掴まれる。
(……ごめんなさい、パルスイート)
私は内心で、彼女に向かって深く謝罪した。
私が彼女の計画を意図して邪魔したわけではないが、結果として、私が彼女の望んでいた座を奪い、彼女を辺境へと追いやる形になってしまったのは事実だ。
だが、彼女が抵抗も空しく連行されていく後ろ姿を見送りながら、私はある強烈な違和感に囚われていた。
(……おかしいわ。
なぜこの事態になっても、あいつがここにいないの?)
私が書いた設定ならば、パルスイートがこれほどの危機に陥り、理不尽に王都を追放されるような事態になれば、必ず駆けつけてくるはずの存在がいる。
彼女の義理の兄であり、その正体は絶対防御のインテリジェンスウェポン『絶鎧アスラムテイル』。
常軌を逸した過保護なシスコンである彼が、愛する妹の追放という一大事に、黙って姿を見せないなどあり得ないのだ。
『千歳……。
どうやら、アスラムテイルはアスパルテーム領から一歩も出ていないようですわ』
ズールティンを通して、至宝間の情報ネットワークにアクセスした本物のチクロが、訝しげな声で報告してくる。
(一歩も出ていない?
そんなはずないわ。
あいつはパルスイートの危機には地の果てからでも飛んでくるような設定よ)
『ええ。ですが、至宝の繋がりで感じる彼の気配は、明らかに領地に留まっています。
それに……』
チクロの言葉が、少しだけ躊躇いを帯びる。
『アスラムテイルとパルスイート様の間には、確かに絶鎧の継承契約たる『パス』は済んでいるようです。
ですが……パルスイート様ご自身が、それを全く認識していない……いえ、無意識に拒絶しているように感じられますわ』
(拒絶……?)
私は眉をひそめた。
私が書いたホリスイ2のシナリオでは、主人公であるパルスイート(中身は34歳の過労死OL)は、兄の異常な愛情やシスコンぶりを、「まあ、顔がいいからいっか」とか「使えるものは使う」という大人の打算で受け入れる設定だったはずだ。
インテリジェンスウェポンとの契約は、双方の魂の合意があって初めて機能する。
だが、今のパルスイートの態度を見る限り、彼女は兄の愛を「便利」だとは微塵も思っておらず、本気で生理的な嫌悪感を抱いて拒絶しているように見える。
設定上の『34歳OL』なら、あんなイケメンの庇護を無下にするはずがない。
それはまるで、本来のパルスイートである34歳OLとは別人格…『潔癖な生理的本能』のようなものが表に出ているかのような反応だった。
(……もしかして)
私の脳裏に一つの可能性が閃く。
だが、今はまだそれを検証する余裕はない。
この、自分が設定したはずのシナリオとの致命的な乖離――明らかなの存在に、私は深い戦慄を覚えるしかなかった。
◇
バタンッ
パルスイートが衛兵に連れて行かれ、謁見の間の重い扉が閉まる。
残されたのは、私と、冷ややかな視線を交わす王族たちだけだ。
「……これにて、我が王家は新たな力と結ばれた。チクロ・ズルチンよ、大儀であった」
国王デラウェアが、満足げに頷く。
その隣で、新たな婚約者となった第二王子アーリーが、私を見下ろしてニヤリと薄笑いを浮かべていた。
その瞳に浮かんでいるのは、愛情でもなんでもない。
強大な武力を手に入れたという、傲慢な征服者の優越感だ。
(……どいつもこいつも、ふざけるんじゃないわ)
私は、ドレスのスカートを強く握りしめた。
叔父に売られ、王家の『四大至宝』独占というドロドロとした陰謀の駒にされた私。
前世では、会社の歯車として心を殺し、理不尽な上層部の指示に従った結果、大切な友を死に追いやった。
そして今世でもまた、権力者たちの都合の良い道具として扱われようとしている。
(二度と……あんな後悔はしない)
私は、奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めた。
私が創造した世界で。
私が愛したキャラクターたちが生きる世界で。
こんな薄汚い大人たちの思い通りにさせてたまるか。
『千歳……』
ズールティンの中から、チクロの静かな、けれど確かな覚悟に満ちた声が響く。
『わたくしたちは決して、誰の操り人形にもなりませんわ。
ズルチン家の誇りにかけて』
(ええ、そうねチクロ。
私たちを舐めないでほしいわね)
私は、心の中で本物のチクロと意識を深く通い合わせた。
前世のライターとしての記憶と、今世の侯爵令嬢としての誇り。
その二つが完全に融合し一つの強固な意志となる。
(絶対に、王家の思い通りにはさせない。
しぶとく生き残って、力を蓄えて……。
いつか必ずパルスと合流して、この理不尽な未知のシナリオを根底からぶっ壊してやる)
私は、アーリー王子の冷たい視線を受け止めながら、無表情の仮面の下で、熱く、そして固く反撃の誓いを立てた。
これが、私――チクロ・ズルチンの、孤独で凄絶な戦いの始まりだった。




