第117話「豪邸裏側!至宝?密談?」
侯爵令嬢チクロ・ズルチン。
その内側には、前世でトラックに轢かれて命を落とした『ホーリースイート』のシナリオライター、千歳結衣の記憶と自我が存在している。
そして私の意識の深淵には、もう一つの魂が同居していた。
『千歳……
もうすぐ、お見えになりますわね』
冷たく、硬質な鉄の感触と共に脳内に響く声。
それは、我がズルチン侯爵家に代々伝わるインテリジェンスウェポン『魔槍ズールティン』に押し込められてしまった、本物のチクロお嬢様の魂だ。
(ええ、そうね、チクロ)
私は、鏡の前で自らの紺色の髪を梳かしながら、静かに呼応した。
今日は、特別な日だ。
私が前世で命を削って設定を練り上げた乙女ゲーム『ホーリースイート』。その運命の鍵を握る二人――パルスイートとエリスリトールが、我が家を訪問してくるのだ。
創造主として、自分が生み出したキャラクターたちと直接対面し言葉を交わす。
それは奇跡のようでもあり、同時に自分が創り出した設定という呪縛が、彼女たちをどう縛っているのかを見せつけられるようで恐ろしくもあった。
(……私が書いたシナリオ通りなら、エリスはプライドの高い悪役令嬢。
そしてパルスイートは、その取り巻きの一人に過ぎない。
でも、この世界はすでに、私の知るシナリオとは微妙に違う方向に動き出している気がするのよね)
私は、窓の外の広大な庭園を見下ろした。
そこで私は、兵士たち相手に『一斉乱取り』という名の、日課の棒術の稽古をつける予定だった。
『千歳が鍛え上げたこの体、存分に動かして差し上げなさい。
お客様をお迎えする前に、少し汗を流すのも悪くありませんわ』
本物のチクロが、少し楽しげな思念を送ってくる。
私は彼女の言葉に頷き、稽古着の帯を締め直して、部屋を後にした。
◇
ゴッ、バキッ、ドゴォッ!!
鈍い音が連続して響き渡り、百人以上の兵士たちが次々と宙を舞い、地面に這いつくばっていく。
私の手にあるのは槍ではなくただの六尺棒だ。
だが、身体強化の魔法とこのチクロという肉体に宿る圧倒的な武の才能があれば、当家の精鋭といえども相手にするのに刃など必要ない。
「はい、お疲れ様。
衛生兵、怪我人の手当てを急いで」
私は息一つ切らさず涼しい顔で言い放った。
これが、私――チクロ・ズルチンの日常だ。
お客様であるエリスとパルスイートが到着し、この圧倒的な暴力……もとい、稽古の様子を見学して度肝を抜かれていたのは少しばかり痛快だった。
彼女たちを客室へ案内し少しの休息を取ってもらった後、私は夜の歓迎パーティーに向けてお色直しをするため一人で自室へと戻った。
カチャリ
ドアを開け、部屋に足を踏み入れた瞬間。
私は部屋の空気が普段とは全く違うことに気がついた。
張り詰めた、しかしどこか甘く、圧倒的な質量を持った『気配』がそこにあった。
「……誰?」
私は瞬時に警戒態勢に入り、部屋の隅の暗がりを睨みつけた。
そこから、音もなく一人の青年が姿を現した。
太陽の光を紡いだような、眩い黄金色の髪。
宝石のように澄み切った碧眼。
絶世の美貌と呼ぶに相応しい、この世のものとは思えないほどの美しさを持つ男だ。
「こんばんわ、チクロ・ズルチン。
いや、千歳君だったかな?
槍の方にいる子に、簡単だけど経緯は聞いたよ。
君が今の『ズールティン』なんだね。
僕のことは、知っているのかな?」
その声を聞いた瞬間、私の脳内にあったデータがピタリと一致した。
この男の正体。
パルスイートたちとは別の馬車で、おそらく気配を消して密かにこの屋敷に潜入していたに違いない。
「……ええ。もちろん存じ上げているわ、アドバンテーム卿。
いえ、アスパルテーム伯爵家の至宝、『絶鎧アスラムテイル』」
私の言葉に、アドバンテームは少しだけ目を細め美しく微笑んだ。
彼がここにいる理由は明白だ。
愛する妹であるパルスイートの動向を、影からこっそりと見守るため。
ただそれだけのために、他家の領地に無断で侵入するという、常軌を逸した行動力である。
彼は、部屋の飾り台に安置されている魔槍ズールティンへと視線を移した。
「ここで一つ、聞かせてくれないか。
ズールティンの記憶は、どうなっている?」
静かな、しかし確かな哀悼の念が込められた問いだった。
隠し事に意味は無い。
私は今解っている事実だけを告げることにした。
「チクロのお父様と一緒に、彼女の思いはこの世を去ったようね。
槍本来の情報や大まかな記録は残っているけど、彼女がインテリジェンスウエポンとして持っていた自我は、既に……」
私の言葉を聞き、アドバンテームは伏し目がちに深く息を吐いた。
「そうか……
ズールティンは繊細な子だったからね。
主と共に涅槃へと旅立った彼女に、哀悼の意を捧げるよ」
四大至宝として長い時を共に生きてきた同胞に対する、彼なりの偽りない鎮魂の言葉だった。
この世界が、私が書いた設定以上の重い歴史を背負って存在していることを改めて実感させられる。
「ありがとう。
彼女もきっと喜ぶわ」
私は短く礼を述べ、そして、ずっと気になっていた疑問をぶつけた。
彼がパルスイートの傍にいるにも関わらず、なぜまだ彼女との間に『契約』のパスが完全に機能していないのか。
「そんな事より、貴方はまだ主であるパルスイートと、正式な契約をしていないのは何故?
彼女の危機に、絶対防御である貴方がすぐに対応できない状態というのは、いささか問題ではないかしら?」
私の問いに対し、アドバンテームは全く悪びれる様子もなく、自信たっぷりに答えた。
「ああ、その事か。
まだ時期じゃないからね。
大丈夫。
僕はずっと彼女を見守っているよ。
危機にはどこからでも駆けつけるさ」
その言葉には、一切の迷いも不安もなかった。
私はそれを聞いて、「なるほど」と密かに安堵した。
私が設定した『過保護なシスコン兄』というキャラクターの行動原理。
彼は彼なりのシステムで、パルスイートの安全を完璧に担保しているのだろう。
正式な契約がなくとも、彼がパルスイートを守護する機能は生きている。それならば、私が生み出した彼女の命が理不尽に散ることはない。
「そう?
ならいいんだけど……」
私は彼の言葉を、額面通りに受け取った。
これが、後に私自身を恐ろしい疑心暗鬼のどん底へと突き落とす、致命的な判断ミスになるとは、この時の私は露ほども思っていなかったのだ。
◇
その日の夜。
ズルチン家の食堂では、盛大な歓迎パーティーが開かれていた。
豪華な料理が並ぶ中、私はパルスイートの正体を確かめるための、決定的な『カマかけ』を用意していた。
「本日は遠路はるばるのお越し、感謝いたしますわ。
デザートには、当家の料理長が腕を振るった特製の品をご用意しましたの」
私が合図をすると、メイドたちが小さな黒い塊――『アンコロ』をテーブルに運んできた。
小豆を砂糖で煮詰めた、この世界には存在しないはずの和スイーツ。
私はじっと、パルスイートの反応を観察した。
「……んんっ!?」
パルスイートは、それを一口食べた瞬間、目を見開いて震えだした。
そして、たまらず席を立った彼女が、廊下でスキップしながら歌い出したあのメロディ。
「♪ドンドンドン、ふっふ~」
「♪ボ~リュ~ム満々~、激安ジャ……」
間違いない。
あれは、現代日本の有名なディスカウントストアのテーマソングだ。
私は曲がり角で彼女と鉢合わせし、無言の視線を交わした。
彼女の顔に浮かんだ焦りと確信。
互いに、相手が『同郷の人間』であることを悟った瞬間だった。
夜も更けた頃。
私たちは、エリスを交えてのパジャマパーティーを開催した。
タイミングを見計らい、私とパルスイートはついに互いの正体を明かし合った。
「アンタ、日本人でしょ!」
私の直球の問いに、彼女はニヤリと笑って「大正解~!」と答えた。
互いの前世について語り合う中、私は彼女の年齢について尋ねた。
「パルス。
アンタ前世でなにやってたの?
そのディスカウントストアの歌を歌うノリ……もしかしてアンタ、アラフォー?」
「し、失礼ね!
34歳よ! あと一か月で35だったけど……あくまで34歳よ!」
彼女は必死になって抗弁した。
34歳の過労死OL。
その年齢と設定を聞いた瞬間、私の心の中にあった一抹の疑念は完全に晴れ渡った。
彼女は紛れもなく私が書いた『ホーリースイート2』の主人公設定そのままだ。
(そう……
彼女は私が設定した『強欲で打算的な34歳のアラサーOL』の通りに生きている人間なのね)
私は深く納得し、安堵の息を吐いた。
もし彼女の中身が別の日本人だったなら、私は彼女にどう向き合えばいいか分からなかった。
だが、彼女は『ゲーム設定の通り』に34歳のOLだと言う。
ならば彼女は私の設定という枠組みの中で、強かにこの世界を生き抜いていけるはずだ。
「そう。
よかったわ。
アンタたちとは腐れ縁になりそうだしね」
私は彼女と手を重ね合い、未来を誓い合った。
彼女は34歳の大人の女性としての打算と計算を持っている。
そして、あの絶鎧アドバンテームが、陰から彼女を「ずっと見守っている」と約束してくれた。
彼がいざという時に駆けつけて守るシステムが機能しているのなら、パルスイートの未来は絶対に安全だ。
私は、創造主としての重責から解放されたような気分で、笑い合うエリスとパルスイートを見つめていた。
……だが
この時の私の安心は、すべて砂上の楼閣に過ぎなかった。
パルスイートの「34歳」という言葉を信じ切ってしまったこと。
そして、アドバンテームの「見守っている」という言葉を額面通りに受け取ってしまったこと。
その二つの思い込みが、数年後。
あの王宮の謁見の間で起こる『婚約破棄と追放騒動』の最中において、私を底知れぬ戦慄と違和感のどん底へと突き落とすことになる。
今はただ、この束の間の平和な夜と、同郷の友を見つけた喜びに、静かに浸っていたかった。




