第113話「続編企画!却下?抜擢?」
『ホーリースイート ~光の聖女と救いの世界~』は、発売されるや否や、乙女ゲーム界に旋風を巻き起こした。
奇をてらわない純粋な王道ストーリー。
魅力的なキャラクターたちと、彼らが紡ぐ甘いセリフの数々。
疲れた現代の女性たちの心に、圧倒的な「光」と「愛」を届けたこの作品は、私の予想を遥かに超える大ヒットを記録したのだ。
それに伴い、メインシナリオを手掛けた私、千歳結衣の元には、ゲーム雑誌のインタビューや他社からの引き合いが殺到するようになった。
だが、私の心はすでに次へと向かっていた。
『ホーリースイート』の大成功からしばらく後。
開発チームの熱気も冷めやらぬうちに、当然の流れとして続編『2』の企画がスタートしたのである。
「先生、次回作についてなんですがね」
ある日、プロデューサーの黒田が、いかにも親しげな様子で私に声をかけてきた。
彼は前作の成功で鼻息を荒くしており、仕立ての良いスーツを着崩して、自信たっぷりの笑みを浮かべていた。
「次は、少し趣向を変えてみませんか。
例えば……そう、あの『チクロ』を主人公にするというのはどうでしょう?」
「チクロを、ですか?」
私は少し驚いた。
前作のチクロは、悪役令嬢エリスリトールの取り巻きの一人に過ぎない。
しかも、嫌味なセリフを吐くだけの、完全な端役である。
乙女ゲームの主人公としては、いささか毒が強すぎるのではないか。
「ええ。
前作で悪役だったキャラクターが、実は裏でこんな事情を抱えていた……なんて展開は、ファンも食いつきやすいんですよ。
それに、彼女の声を担当している華城麗華クン、最近アイドルとしても人気が出てきましてね。
彼女をメインに据えれば、新たなファン層の獲得も狙えます」
黒田の言葉の端々に、不純な思惑が透けて見えた。
彼がチクロ役の華城麗華と「個人的に」深い関係にあることは、業界の端くれにいる私でさえ耳にしたことがある。
要するに、愛人を主役に据えたいという、プロデューサーの露骨なゴリ押しである。
普通なら、そんな身勝手な理由で自分の作品を歪められるのは腹立たしい。
だが、この時の私は、黒田の提案を意外にもすんなりと受け入れていた。
(……チクロが、主人公。
悪くないかもしれないわね)
私自身、『チクロ・ズルチン』というキャラクターには強い思い入れがあったのだ。
チクロとズルチン。
どちらも強い甘みを持ちながら、毒性の疑いから使用を禁止された人工甘味料。
その二つを掛け合わせた名前に込めた、物語の「劇薬」としての役割。
前作では単なる取り巻きとしてしか描けなかった彼女の「毒」を、前面に押し出すことができる。
前作でエリスリトールが受けた理不尽な屈辱を、チクロが他を巻き込んで、力と知略で晴らしていく……。
少しダークで、それでいて痛快な復讐劇。
そこに、格闘ゲームやアクションゲームの要素を取り入れた新しいシステムを組み込めば、乙女ゲームの枠を超える意欲作になるのではないか。
「わかりました、黒田プロデューサー。
チクロ主人公の路線で、企画書を練ってみます」
私が快諾すると、黒田は「さすが先生、話が早い!」と下品な笑い声を上げた。
こうして、黒田の不純な思惑と、私のクリエイターとしての創作意欲が奇妙に合致する形で、『ホーリースイート2』の最初の企画は動き出したのである。
◇
数週間後。
ゲーム会社の最上階にある、重厚な役員会議室。
長大なマホガニーのテーブルを挟んで、会社の経営陣や出資元の重役たちがズラリと並んでいた。
彼らは皆、一様に気難しそうな顔で、私の提出した企画書をパラパラと捲っている。
(……空気が重いわね)
私は会議室の隅の席で、静かに息を潜めていた。
前作のヒットにより発言権は増したとはいえ、私はただの外部のシナリオライターだ。
この場での決定権は、彼ら経営陣が握っている。
「……黒田プロデューサー。
これは、どういうことかね」
上座に座る恰幅の良い専務が、企画書をテーブルに放り投げるようにして言った。
「前作は、光に満ちた王道の恋愛モノだったはずだ。
それがなぜ、続編ではこんな『ダークで血生臭い復讐劇』になっている?
主人公の令嬢が、槍を振り回して敵を物理的に粉砕する?
アクション要素を増やす?
客層が全く違うではないか」
重役たちの間から、賛同の囁きが漏れる。
黒田が慌てて立ち上がり、弁明を試みた。
「お、お待ちください専務!
これは、既存の乙女ゲームの枠を打ち破るための、新しい挑戦なのです!
チクロという毒のあるキャラクターの魅力を引き出し、アクションゲーム層の男性客をも取り込む……。
主人公役の華城麗華の知名度も活かせます!」
「だめだだめだ、リスクが高すぎる」
別の役員が、苛立たしげに手を振った。
「前作のファンが求めているのは、キラキラした王子様との甘い恋愛だ。
こんな小難しい復讐劇や、アクション開発に伴う多大なコストの増加は承認できない。
もっと愉快で、明るくて、前作のアセット(素材)を流用して安上がりに作れる設定にしろ」
「で、ですが!
チクロのキャラクター性には、絶対に惹きつけられる魅力が……!」
黒田は、愛人を主役にするという自分の野望のために必死に食い下がる。
だが、専務の冷ややかな一瞥が、彼を完全に沈黙させた。
「……黒田くん。
君はただのプロデューサーだ。
経営の判断に、いち社員風情が口を出すんじゃない」
「……っ!」
黒田の顔が屈辱で真っ赤に染まるが、それ以上反論することはできなかった。
彼が見事に撃沈したところで、専務の視線が私へと向けられた。
「千歳先生。
そういうわけです。
コストを上げず、既存のキャラクターを使いつつ、もっと愉快で今風の……若年層にウケるような設定の別案を、早急に提出していただきたい」
「……承知いたしました」
私は深く頭を下げた。
発言を許される空気ではない。
会社の会議とはこういうものだ。上の鶴の一声で、何週間もかけて練り上げた企画が数分で紙屑になる。
私は、自分の生み出した「チクロ主人公のダークファンタジー」が完全に握りつぶされた悔しさを噛み殺しながら、会議室を後にした。
◇
自宅のアパートに戻った私は、パソコンの真っ白な画面を前に、深く頭を抱えていた。
「コストを上げずに、既存キャラで、愉快で、今風のウケる設定……」
無茶振りにも程がある。
チクロの案がボツになった以上、他のキャラクターを主人公に据えるしかない。
だが、前作のヒロインをそのまま使うのは芸がないし、他のメインキャラはすでに攻略対象と結ばれている。
残っているのは、端役のモブ令嬢くらいだ。
「パルスイート……。
あの子を主人公にするしかないわね」
パルスイート。
チクロと同じく、エリスリトールの取り巻きの一人だ。
ゆるふわなピンク色の髪をした、これといった設定もない背景キャラクター。
この子を主人公にして、どうやって「愉快で今風な物語」を作るというのか。
私は気分転換に、パソコンのブラウザを開き、以前自分が執筆していたWeb小説投稿サイトを覗いてみた。
ランキングの上位を占めているのは、相も変わらず同じようなジャンルの作品ばかりだ。
『異世界転生』
『知識チート』
『悪役令嬢』
(……異世界、転生ねぇ)
現代の知識を持った主人公が、ゲームや小説の世界に転生して無双する。
現実世界のストレスから逃避したい読者たちに、圧倒的なカタルシスを与える魔法のジャンル。
「……これだわ」
私の脳内に、一つの閃きが舞い降りた。
点と点が繋がり、新しい物語の輪郭が急速に形作られていく。
ただのモブ令嬢であるパルスイートに、現代の日本人の魂が転生する。
それも、ただの女子高生などではない。
(私と同じ、ブラック企業で神経をすり減らし、理不尽な上司にこき使われて過労死した……ギリギリアラサーのOL!)
キーボードを叩く指が加速する。
『34歳11ヶ月のブラック企業OLが過労死し、目覚めると乙女ゲームのモブ悪役令嬢パルスイートに転生していた。
前世の貧乏で過酷な労働の記憶を持つ彼女は、転生先のゲーム世界で「お金と不労所得」を求め、知識チートを駆使して領地経営と商売に乗り出す。
恋愛よりもお金。王子様より領地の黒字化。
そんな守銭奴な主人公が、勘違いと偶然の連鎖で、なぜか周囲から崇められ、世界の中心へと登り詰めていく……』
「いける……!
これなら、完全にコメディ色全開で、今の流行りのど真ん中を突けるわ!」
アクション要素なんていらない。
既存の立ち絵と世界観を流用し、テキストの力だけで圧倒的な面白さを生み出せる。
私は、自分が長年抱えてきた「社会の歯車としての鬱憤」を全てパルスイートに憑依させ、狂ったように企画書を書き上げた。
◇
数日後。
再び招集された役員会議室で、私の新企画書を読んだ経営陣の反応は、劇的なものだった。
「……面白い!」
専務が、膝を打って大声を上げた。
「主人公が34歳の過労死OL!
なんという世知辛くも共感を呼ぶ設定だ!
王子様との甘い恋愛を期待している層を逆手に取り、金と権力を追い求めるギャップが素晴らしい!」
「ええ。
それに、既存のパルスイートの立ち絵を使えば、新規キャラクターのデザイン費用も抑えられます。
領地経営という名目のテキストベースのイベントを増やせば、アクションシステムを組む必要もなく、開発コストは前作と同等かそれ以下で済みます」
私の説明に、重役たちがウンウンと深く頷いている。
「素晴らしい。
まさにこれだ。これこそが我々が求めていたものだ!
千歳先生、この案で進めましょう。
すぐに本シナリオの執筆に入ってください!」
会議室は、一転して祝賀ムードに包まれた。
ただ一人。
プロデューサーの黒田だけが、青ざめた顔で私を睨みつけていた。
チクロ主人公の案が完全に消滅し、パルスイートが主役に決定した。
それはつまり、彼の愛人である華城麗華が主役の座から引きずり下ろされ、パルスイート役の三間江里菜が大抜擢されることを意味していたからだ。
(……悪いわね、黒田プロデューサー。
でも、これが私の『仕事』なのよ)
私は彼の視線を冷たく受け流し、勝利の笑みを心の中に隠して会議室を後にした。
◇
その日の夕方。
私は、喫茶店に一人の少女を呼び出していた。
「千歳先生!
お呼び出しだなんて、どうされたんですか?」
駆けつけてきたのはパルスイート役の声優――アイドルグループのサブメンバーである三間江里菜だった。
彼女は相変わらず地味なパーカー姿で、少し垢抜けない笑顔を浮かべている。
「江里菜ちゃん。
実はね、今日、次回作の『ホーリースイート2』の企画会議があって……」
私は、彼女にまっすぐ向き合い、そして告げた。
「『2』の主人公は、パルスイートよ。
あなたが、次回の主役よ」
「……えっ?」
江里菜の動きが、ピタリと止まった。
「しゅ、主役……?
パルスイートが……私が、ですか?」
「そうよ。
中身は34歳の過労死OLっていう、ちょっと変わった設定になっちゃうけど。
でも、あなたのあの素朴で、裏表のない真っ直ぐな声が、このコミカルな主人公には絶対に合うって確信してるわ」
私がそう言うと、江里菜の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
「先生……っ!
私、私なんかが、先生の作品で主役をやらせていただけるなんて……っ!」
彼女は両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣き出した。
「私、ずっとグループの端っこで、誰の目にも留まらなくて……。
でも、先生の作品が大好きで、パルスイートのこと、誰よりも愛して演じてきて……!
本当に、本当に嬉しいです……っ!!」
打算のない、純粋な喜びの涙。
私は、隣に座って彼女の背中を優しく撫でた。
「泣かないで。
あなたが頑張ってきたから、掴み取った結果よ。
これから収録で忙しくなるわよ。一緒に、最高のゲームにしましょうね」
「はいっ!
私、命懸けで頑張ります!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、江里菜は満面の笑みを向けた。
私たち二人は、手を握り合い、新しい作品の大成功を固く誓い合った。
この純粋な少女が主役なら、きっと素晴らしい作品になる。
私はクリエイターとして、確かな希望に胸を膨らませていた。
◇
だが。
光が強ければ強いほど、その裏に落ちる影は、より色濃く、より深く黒く染まっていく。
同じ頃。
都内の高級マンションの一室。
「……嘘でしょ」
チクロ役のセンター、華城麗華は、黒田から電話で聞かされた決定に、愕然として立ち尽くしていた。
『すまない、麗華クン。
チクロ主役の案は、重役に握りつぶされた。
代わりに、あのパルスイートが主役になるそうだ』
スマートフォンを持つ彼女の手が、怒りでワナワナと震えている。
「なんで……
なんでよ!!」
ガチャンッ!!
彼女は手元のグラスを壁に投げつけ、粉々に粉砕した。
自分の体を使ってまで、黒田に媚びを売り、抱かれ、ようやく確実なものにしようとしていた主役の座。
自分が誰よりも輝けるはずだった最高のステージ。
それが、たった一回の会議で覆された。
よりにもよって。
グループの中で最も地味で、最も見下していた、あの三間江里菜に奪われたのだ。
「あの女……!
何の取り柄もない、ヘラヘラ笑ってるだけのブスのくせに!」
麗華の顔が、夜叉のように醜く歪む。
自分は這い上がるために泥水を啜ってきた。
汚い大人の欲望に付き合い、プライドをすり減らしてきた。
それなのに、あの無自覚で能天気な女は、ただシナリオライターに気に入られたというだけで、全てをかっさらっていく。
「許さない……」
彼女の心の中に、どす黒い、底なしの憎悪の炎が燃え上がった。
「絶対に許さない!
あの子が枕営業で主役を奪ったって、私が言いふらしてやる!
千歳結衣に取り入って、汚い手を使ったんだって、ネット中に書き込んでやる!」
麗華は血走った目でパソコンを立ち上げ、裏のアカウントを開いた。
「私のものを奪った代償……。
社会的に殺してやるわ。
地の底まで、叩き落としてやるんだからぁぁぁぁっ!!」
理不尽な嫉妬と悪意が、毒の牙を剥き出しにする。
この一人の少女の身勝手な暴走が、やがて取り返しのつかない凄惨な悲劇を引き起こし、私自身の運命をも狂わせていくことになるなど……。
喫茶店で江里菜の純粋な涙に微笑んでいた私には、知る由もなかったのである。




