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第109話「絶鎧人化!託宣?終焉?」


 教国の切り札であった先代聖女を討ち取り、祖国防衛の要として散っていった王国最強の武人たち。

 その凄絶な死闘の末、パルスエット・アスパルテームは、教国軍の侵攻を完全に食い止め、防衛線を死守するという偉業を成し遂げた。

 後に『聖女殺し』として歴史にその名を刻むことになる彼女の活躍により、教国軍は総崩れとなり、撤退を余儀なくされたのである。


 だが、アスパルテーム領へと帰還した彼女を迎えたのは、英雄を称える華やかな凱旋の歓声ではなかった。


「パルスエット……っ!!

 パルスエット!!」


 領主館の玄関ホールに、マルチトールの悲痛な絶叫が響き渡る。


 馬車から降ろされたパルスエットは、もはや自力で歩くことすらできない状態だった。

 黄金の鎧『絶鎧アスラムテイル』は既に解除されており、血と泥にまみれた彼女の体は、青ざめた兵士たちが担ぐ担架の上に乗せられていた。


「……マルチトール様、落ち着いてください。

 すぐに奥の寝室へ!

 医師を呼べ!

 急げ!!」


 ソルビトールが、顔面を蒼白にしながらも的確に指示を飛ばす。


「……マルチ、トール……」


 担架の上で、パルスエットが微かに目を開け、掠れた声で夫の名前を呼んだ。

 その顔色は土気色を通り越し、まるで蝋人形のように生気を失っている。

 弱々しい呼吸は、今にも途切れてしまいそうだ。


「ここにいます!

 私はここにいますよ、パルスエット!!

 死なせない……絶対に、あなたを死なせたりなど……っ!!」


 マルチトールは彼女の冷たい手を両手で握りしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、担架と共に寝室へと駆け込んでいった。


     ◇


 静寂に包まれた、パルスエットの自室。


 窓には分厚いカーテンが引かれ、部屋の隅では、ベビーベッドの中で幼いパルスイートがスヤスヤと穏やかな寝息を立てている。

 何も知らない無垢な命の呼吸音だけが、この部屋に残された唯一の希望のように感じられた。


「……っ、はぁ……」


 ベッドの上に横たえられたパルスエットは、ゆっくりと重い瞼を開いた。


「パルスエット……。

 気が、つきましたか……」


 枕元には、目を真っ赤に腫らしたマルチトールが、彼女の手を握りしめたまま膝をついていた。

 その後ろでは、ソルビトールがギリリと奥歯を噛み締め、涙を堪えながら床を見つめている。


 お抱えの老医師は、既に無言で首を横に振って退出していた。

 もはや、いかなる処置も無意味であると、誰もが悟っていたのだ。


「……泣かないでよ、マルチトール。

 アンタは、笑ってる顔が、一番似合うんだから……」


 パルスエットは、動かない体を無理やりに動かし、震える指先で夫の涙に濡れた頬にそっと触れた。


「パルスイートは……?」


「あそこに……。

 ベビーベッドで、いい子に眠っています。

 とても、おとなしくて、可愛い子です……」


「……そう。

 よかった……。

 私の命を懸けて、残した甲斐があったわ……」


 パルスエットは、満足げに、本当に幸せそうに微笑んだ。

 その笑顔は、かつて裏庭でモーニングスターを振り回し、豪快に笑っていたお転婆な令嬢のままだった。


「……私ね、マルチトール。

 後悔なんて、一つもないの。

 アンタに見つけてもらって、愛してもらって。

 こんなに可愛い娘を産むことができて……。

 最高に、幸せな人生だったわ……」


「そんなこと……言わないでください……っ。

 私を置いていかないでください……!

 あなたがいなければ、私は……私は、これからどうやって生きていけば……っ!!」


 マルチトールは、ついに声を上げて泣き崩れた。

 愛する妻の体を抱きしめ、子供のように縋り付く。


「……バカね。

 パルスイートがいるじゃない。

 あの子が……私とアンタの結晶が、これからのアンタの生きる希望になるのよ」


 パルスエットは、夫の銀色の髪を優しく撫でた。


「……約束して、マルチトール。

 私の遺したこの領地と……パルスイートを。

 アンタの手で、立派に育て上げて」


「……はい。

 誓います。

 私の生涯をかけて……この命を燃やし尽くしてでも。

 君の愛したこの領地も、パルスイートも……私が必ず、守り抜きます……!」


 マルチトールは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、力強く、血を吐くような覚悟で誓った。

 その後ろで、ソルビトールも深く頭を下げ、その誓いに無言の同調を示す。


「……ふふっ。

 頼もしいわね……。

 これで、一つ目の心残りは消えたわ」


 パルスエットは、静かに視線を虚空へと移した。


「……アスラムテイル。

 いるんでしょ?」


 彼女の呼びかけに応じるように、ベッドの傍らの空間が微かに揺らぎ、黄金色に輝く鎧の幻影が姿を現した。


(……パルスエット)


 知性を持つ魔法の鎧、『絶鎧アスラムテイル』。

 その思念波は、かつてないほどに弱々しく、深い悲哀と絶望に満ちていた。


(……すまない。

 本当に、すまなかった。

 お前の外側をいくら完璧に守ろうとも……。

 私は、お前の内側の命の炎が消えゆくのを、ただ見ていることしかできなかった。

 私は……絶対防御などと名乗りながら、己の半身すら救えぬ、無力な鉄屑だ……!!)


 アスラムテイルの慟哭が、パルスエットの脳内に直接響き渡る。

 最強のインテリジェンスウェポンとしての誇りはズタズタに引き裂かれ、彼は契約者を失うという絶対的な絶望に打ちひしがれていた。


「……バカね、アスラムテイル。

 私の心臓がポンコツだっただけよ。

 それに、あんたが私の外側を守り続けてくれたからこそ、私はここまで生きられて、パルスイートを産むことができたの」


 パルスエットは、幻影の鎧に向かって、優しく、慈しむように語りかけた。


「……あんたのおかげで、私は最後まで、私らしく戦えた。

 本当に、ありがとう」


(……パルスエットォォォォォォォッ!!)


 アスラムテイルの悲痛な叫びが響く。


「……ねえ、アスラムテイル。

 あんたに、最後のワガママを言ってもいいかしら」


(……なんだ。

 言ってみろ。

 お前の望みなら、我が存在を懸けて、何であれ叶えてみせよう)


「……私の代わりに」


 パルスエットは、部屋の隅にあるベビーベッドの方へ、慈愛に満ちた視線を向けた。


「これからは……あの子の、パルスイートの外側を、完璧に守ってちょうだい。

 あの子を、あんたの次の契約者にしてほしいの」


(……お前の、娘を)


「ええ。

 あの子には、私みたいな無茶はさせたくないけど。

 でも、もしあの子に危険が迫った時は……

 あんたの『絶対防御』で、あの子を……私の宝物を、守り抜いて」


 パルスエットの最後の願い。

 それは、己の命に代えても守りたかった愛娘の未来を、最も信頼する相棒へと託すことだった。


 アスラムテイルの幻影が、激しく、眩いほどに明滅する。


(……承知した。

 我が半身、パルスエットよ。

 お前のその願い、このアスラムテイルが確かに聞き届けた)


 アスラムテイルの声から、先ほどの絶望が消え去り、代わりに強烈な、揺るぎない覚悟が宿っていた。


(……だが、パルスエットよ。

 私は、鎧としてただお前に付き従うだけの存在では、あの子を完璧には守りきれん。

 お前の時のように、あの子の日常の些細な危機を、私は見過ごしてしまうかもしれない)


「……アスラムテイル?」


(だから、私は変わる。

 お前の遺した命の残滓と、この魔力を受け取り……。

 私は、あの子を最も身近で、誰にも怪しまれずに守り続けるための『形』を取ろう)


 その瞬間だった。


 パルスエットの体から、微かな光の粒子が立ち昇り、アスラムテイルの幻影へと吸い込まれていった。

 それは、パルスエットが最後に残した、彼女自身の魔力と生命力の残滓。


「な、なんだ……!?」


 マルチトールとソルビトールが、驚愕に目を見張る。


 カッ……!!


 アスラムテイルの黄金の鎧が、限界を超えて眩く輝き始めた。

 部屋全体が黄金の光に包み込まれ、目が開けられないほどの閃光が弾ける。


 そして、光がゆっくりと収束していった後。


 そこに、巨大な鎧の姿はなかった。


 代わりに立っていたのは――。

 太陽の光を紡いだような、眩い黄金色の髪。

 そして、宝石のように澄み切った碧眼を持つ、三歳ほどの美しい男児だった。


「……え?」


 パルスエットが、目を丸くする。


 黄金の髪を持つその男児は、ゆっくりとベッドの傍らに歩み寄り、パルスエットの手を、その小さな両手で包み込んだ。


『……驚いたか、パルスエット』


 その口から発せられたのは、幼い少年の声でありながらも、どこか威厳に満ちた、聞き慣れた相棒の声だった。


「アスラム、テイル……?

 あんた、人間の姿に……?」


『ああ。

 次の契約者となるパルスイートを、兄として、家族として、一番近くで守り抜くためだ。

 インテリジェンスウェポンとしての制約を越え、私は自らを人化させた』


 男児――人化したアスラムテイルは、碧眼を揺らし、優しく微笑んだ。


『君の娘は、僕が……この『アドバンテーム』が、一生涯、完璧に守り抜くと誓おう。

 だから、パルスエット。

 ……もう、安心しておやすみ』


 それは、絶対防御の鎧が、一人の『兄』として生まれ変わった瞬間だった。


「……アドバン、テーム。

 ふふっ、いい名前ね。

 それに……とっても、可愛いわ……」


 パルスエットは、アドバンテームの黄金色の髪を、愛おしそうに撫でた。


 愛する夫の、決して揺るがない覚悟。

 そして、娘を生涯守り抜くと誓ってくれた、最強の鎧であり、新たな家族(兄)の誕生。


 もう、彼女の心に何の未練も、不安もなかった。


「……ありがとう、マルチトール。

 ソルビトール。

 アドバンテーム……。

 みんな……大好きよ……」


 パルスエットは、最後に、この世の全てを愛おしむような、とびきり美しい笑顔を向けた。


 そして。

 彼女の重い瞼が、ゆっくりと、静かに閉じられる。


 握られていた手から、ふっと力が抜け落ちた。


「……パルスエット?」


 マルチトールが、震える声で呼びかける。

 だが、返事はない。

 彼女の胸の鼓動は、完全にその役目を終え、静止していた。


「……あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 パルスエェェェェェェェットッ!!!」


 マルチトールの、獣のような悲痛な慟哭が、部屋の中に響き渡る。

 ソルビトールは膝をついて深く頭を垂れ、その肩を激しく震わせていた。


 アドバンテームは、閉じたパルスエットの目にそっとキスを落とし、そして、静かに立ち上がった。


 彼は、マルチトールの方へ向き直り、少年の姿には不釣り合いなほどの、重く決然とした声で告げた。


「……泣くのは、今日だけにしておけ、マルチトール。

 明日からは、僕たちが彼女の遺した宝を……パルスイートを守り、育てていくのだから」


 マルチトールは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、黄金の髪を持つ少年を……自らの『息子』となる存在を見つめ返した。


「……ああ。

 分かっている……。

 パルスエット……君の遺した全てを、私が……私たちが、必ず……っ」


 悲しみに暮れる部屋の中。

 マルチトールは、アドバンテームを『実の息子』として、アスパルテーム家の長男として迎え入れ、娘と共に生きていく決意を新たに固めたのだった。


     ◇


 こうして。

 凄惨な戦争を終結させ、自らの命を懸けて愛娘を産み落とした英雄、『聖女殺し』パルスエット・アスパルテームの短くも鮮烈な生涯は、静かに幕を閉じた。


 だが、彼女の命と強い想いは、決して消え去ることはなかった。


 娘、パルスイートへと受け継がれた、数奇な運命。

 そして、妹を異常なまでに愛し、守り抜こうとする過保護な兄、アドバンテームの誕生。


 彼らが紡ぐ新たな物語の舞台は、ここから十数年の時を超え――。


 あの、辺境パプリカ領での、強欲で規格外な『悪役令嬢』の快進撃の時代へと、確かに繋がっていくのである。

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