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第108話「聖女討伐!母性?死闘?」


 血の匂いと、焦げた肉の臭いが鼻を突く。


 ソーヴィニオン王国と聖リプトーン教国との国境地帯は、わずか数日の間に完全に教国軍に制圧され、王国軍は総崩れとなっていた。


「退け!

 退けぇぇぇっ!

 バケモノだ、あいつらは死なないぞ!」


 王国軍の兵士たちが、武器を捨てて逃げ惑っている。


 無理もない。

 彼らの頼みの綱であった王国最強の武人、ズルチン侯爵は既に討ち死にした。


 侯爵が振るった四大至宝の一つ『魔槍ズールティン』が放つ絶死の瘴気すらも、敵本陣に控える『聖女』が放つ強大な聖属性の光の前に、完全に浄化され、無力化されてしまったのだ。


 頼みの魔槍すら通じない。

 さらに教国の兵士たちは、どれだけ致命傷を与えようとも、後方からの聖女の回復魔法によって瞬時に傷が癒え、再び立ち上がってくる。


 まさに不死身の軍団。


 それに加えて、我がアスパルテーム軍を率いて殿しんがりを務めたお父様までもが戦死したのだ。


 王国軍の士気は完全に底を突き、敗走は止められない濁流となっていた。


 だが。

 その敗走する兵士たちの波を逆行し、ただ一人、敵陣へと歩みを進める黄金の影があった。


「……はぁっ……はぁっ……」


 パルスエット・アスパルテーム。


 全身を四大至宝の一つ『絶鎧アスラムテイル』に包み、右肩に愛用のモーニングスターを担いだ私は、血を吐くような荒い呼吸を繰り返しながら、一歩、また一歩と前進していた。


(パルスエット……!

 もうよせ!

 お前の心臓は、とっくに限界を超えているんだぞ!)


 脳内で、相棒であるアスラムテイルの悲痛な思念が響く。


 彼の言う通りだ。

 命懸けの出産を終えたばかりの私の体は、ベッドから起き上がることすら本来なら不可能な、満身創痍の極みにあった。

 一歩足を踏み出すたびに、胸の奥で心臓が握り潰されるような激痛が走り、視界が白く明滅する。

 口の中には、常に生臭い血の味が広がっていた。


「……うるさい、わね。

 お小言は……もう、聞き飽きたわよ……」


 私は、口元から垂れる血を手の甲で拭い、無理やりに笑みを作った。


 ここで私が倒れれば、お父様が命を懸けて守ろうとしたこの領地は教国軍に蹂躙される。

 王都への進軍ルートにはアスパルテーム領もある。

 生まれたばかりの私の愛娘、パルスイートの未来が、戦火に焼かれて消えてしまう。


 それだけは、絶対に許さない。

 私の命を燃やし尽くしてでも、この防衛線は私が死守する。


「なんだ、あの女は!?」


「黄金の鎧……!

 まさか、先日の戦いで現れたという『悪魔』か!?」


 私に気づいた教国軍の前衛部隊が、槍を構えて殺到してくる。

 無数の矢が放たれ、攻撃魔法の豪雨が私に降り注いだ。


 だが、その全てはアスラムテイルの絶対防御によって、私の体に触れることすらできずに弾き返される。

 外からの攻撃は、一切通じない。


「……邪魔よ」


 私は、重い右腕を振り上げた。

 遠心力を乗せたモーニングスターが、唸りを上げて教国軍の密集陣形へと叩き込まれる。


 ドゴォォォォォォォンッ!!!


「ぎゃああああっ!?」


 一撃で数名の兵士が鎧ごと粉砕され、血の雨が降り注ぐ。


 また回復魔法?

 本当に忌々しい…

 人の生命を、死を冒涜しているのはそっちよ!


 私は激痛に悲鳴を上げる心臓を無視し、ただひたすらに、目の前の敵を粉砕し、血路を切り開いていった。


     ◇


「……そこを退きなさい。

 肉壁にもならない貴女たちに、そこに居る意味なんてないわ」


 敵の死体の山を築き上げ、私はついに教国軍の本陣、その最奥へと辿り着いた。


 そこは、戦場の泥と血の匂いが嘘のように浄化された、神聖な空間だった。

 純白の法衣に身を包んだ近衛兵たちに守られ、高台の上で祈りを捧げている一人の女性。

 彼女の全身からは、太陽のように眩い、圧倒的なまでの聖属性の光が放たれている。


 聖リプトーン教国の切り札であり、王国軍を絶望の淵に叩き落とした元凶。

 『教国の聖女』だ。


 彼女は、血に塗れた私を見下ろし、悲痛な、しかし決して揺らぐことのない強い眼差しで私を射抜いた。


「……来たのね、王国の切り札。

 私の光を否定する『反神聖』の悪魔…」


 聖女の声は、澄み切った鐘の音のように戦場に響き渡った。


「いい加減、他の言い回しはないの?

 まぁ悪魔で結構、こちらからすればアンタだって悪魔でしかないわよ。

 ……アンタのその理不尽な光のせいで、ウチのお父様も、大勢の味方も死んだわ。

 大人しく首を差し出しなさい。

 そうすれば、兵士たちの命までは奪わないであげる」


 私がモーニングスターを突きつけて凄むと、聖女は静かに首を横に振った。


「それはできません。

 私には……この国を、そして教国の民を守る義務があります。

 何より……私がここで退けば、遠くへ逃がした『あの子』の安全が脅かされる」


 聖女の言葉に、私は思わず目を見開いた。


 逃がした、愛する我が子の安全のため。


 国のためでも、神のためでもない。

 彼女が自らの手を血で汚してでも戦い続ける理由は、ただ一つ。


 『母親』として、我が子を守るためなのだ。


「……奇遇ね。

 私も愛する家族と生まれたばかりの娘の未来を守るためにここに来たのよ」


「……そうですか。

 お互いにどうしても退けない理由があるのですね」


 聖女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

 だが、その目から敵意が消えることはなかった。

 互いに、相手の事情を理解した。

 理解した上で、殺し合うしかないのだと悟ったのだ。


 パルスエットがアンホーリーの魔力を纏ったモーニングスターを構え、聖女が聖属性の光を凝縮させた杖を高く掲げる。


 そして。

 二人の母親は、全く同じタイミングで、全く同じ『親としての祈りと覚悟』を戦場に響かせた。


 「「愛する娘の明るい未来のために――」」


 「ここで、アンタを」「ここで、貴女を」


 「殺す!!」「倒す!!」


 奇しくも重なり合った二人の絶叫と共に。

 純白の光の奔流と、漆黒のアンホーリーの波動が、真っ向から激突した。


     ◇


「アスラムテイル!!」


(任せろ!!)


 光の奔流が私を飲み込もうとした瞬間、黄金の鎧が眩い輝きを放ち、聖なる攻撃魔法を完全に弾き返した。


「いくわよぉぉぉっ!!」


 私は左手に、聖属性を真っ向から否定する拒絶の光――『アンホーリー(反神聖)属性』を収束させた。

 その魔力をモーニングスターに纏わせ、地面を蹴って高台へと跳躍する。


「砕けろぉぉぉっ!!」


 ドガァァァァァンッ!!!


 アンホーリーの魔力を帯びた鉄球が、聖女の絶対防壁に激突する。

 ガラスが軋むような甲高い音が響き、防壁の一部に亀裂が走った。

 私の反神聖の力が、聖女の光を中和し、削り取っているのだ。


「くっ……!

 なんという禍々しい力……!

 ですが、私の光は、決して屈しません!」


 聖女が祈りを強めると、亀裂の入った防壁が瞬時に再生し、さらに分厚くなっていく。

 圧倒的な回復力。

 私が削るそばから、それを上回る速度で修復されていくのだ。


「チッ……!

 なら、修復が追いつかない速度で、何回でも叩き潰すまでよ!!」


 私は連続してモーニングスターを振り下ろした。

 右から、左から、上段から。

 怒涛の連撃が防壁を叩く。


 だが、その無茶な連続攻撃が、私の限界ギリギリの心臓に、致命的な負荷をかけた。


「……ッ!!」


 心臓が、破裂した。

 そう錯覚するほどの、鋭く、巨大な痛みが胸を貫いた。

 全身の血が逆流し、視界が真っ赤に染まる。


「ガ……ハッ!!」


 私の口から、大量の鮮血が噴き出した。

 鉄球を振るう腕から力が抜け、私はその場にガクリと膝をついてしまった。


(パルスエットォォォォッ!!

 限界だ! これ以上は本当に死ぬぞ!!)


 アスラムテイルの絶叫が脳内に響く。


「今です!

 聖なる光よ、悪魔を討て!!」


 私の隙を見逃さず、聖女が最大出力の光の槍を放ってきた。

 その槍はアスラムテイルの装甲に激突し、弾かれた。

 外部へのダメージはゼロだ。

 だが、魔法を防いだ衝撃の反動が、私の脆い内臓を容赦なく揺さぶる。


「あ、が……ぁっ……」


 私は血だまりの中に倒れ込み、苦痛に身悶えした。

 呼吸ができない。

 心臓の鼓動が、どんどん弱く、不規則になっていくのがわかる。


(……ここまで、なの……?)


 薄れゆく意識の中で、私は夫の泣き顔と、愛娘の小さな寝顔を思い浮かべた。

 私が死ねば、あの子はどうなる。

 この恐ろしい聖女を倒さなければ、王国は敗北し、私の領地も、家族の未来も、全てが奪われてしまう。


「……冗談じゃ、ないわよ……」


 私は、血に染まった歯を食いしばり、震える両腕で体を支えて、ゆっくりと立ち上がった。

 アスラムテイルの黄金の鎧が、私の血で赤く汚れている。


(パルスエット!

 もう動くな!

 頼む、これ以上は……!)


 相棒の悲痛な願いを無視し、私は自らの体内に残された、最後の、すべての生命力を掻き集めた。


「……私の命なんて、どうせ長くないんだから。

 ここで、全部使い切ってやるわ」


 私の全身から、眩いオーラが爆発的に噴き出した。

 それは、私の命そのものを糧にして燃え上がる、極限のアンホーリーの魔力だった。


「なっ……!?」


 聖女が、その禍々しい力の奔流に目を見開く。


 私は、そのすべての魔力を右手のモーニングスターに集中させた。

 鉄球が、ブラックホールのように周囲の光を吸い込み、さらなる巨大な光の塊と化す。


「娘の未来は……私が、守る!!」


 私は地面を蹴り、残された全存在を懸けて、聖女の防壁へと突っ込んだ。


「させません!!

 神の奇跡よ!!」


 聖女もまた、自身の命を削るようにして、全魔力を込めた巨大な光の盾を展開する。

 純白の光と、漆黒の闇。

 二つの極限の力が、空間の中心で激突した。


 ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


 世界が、白と黒に明滅した。

 凄まじい衝撃波が戦場を吹き荒れ、高台が崩壊し、周囲の近衛兵たちが木の葉のように吹き飛ばされる。


 私の放ったアンホーリーの闇が、聖女の光の盾を侵食し、喰い破っていく。

 光が中和され、それはガラスのように砕け散った。


「……ああ」


 防壁を突破した私の鉄球が、聖女の純白の法衣を貫き、その胸を深々と打ち砕いた。


「ガッ……!?」


 聖女の口から鮮血が噴き出し、彼女の体が宙を舞って、崩れた高台の瓦礫の上へと叩きつけられた。


 同時に。

 私の心臓も、最後の役割を終えたかのように、完全にその鼓動を一瞬停止させた。


「…………あ」


 プツン、と。

 弱り切った心臓が最後の足掻きと脈打つも、私の中で張り詰めていた糸が切れ、視界が急速に闇へと沈んでいく。


 私は武器を取り落とし、そのまま聖女の倒れた瓦礫の傍らへと、崩れ落ちるように倒れ込んだ。


「聖女様ぁぁぁっ!!」


「退け!

 退却だ!!」


 絶対的な切り札であった聖女が討たれたことで、教国軍は完全にパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように敗走を始めた。


 戦場に、奇妙な静寂が落ちる。


 血の海に倒れ伏した二人の母親。

 私は、薄れゆく意識の中で、すぐ横で荒い息を吐いている聖女の顔を見つめた。

 彼女の胸は大きく陥没し、誰の目にも致命傷であることは明らかだった。


「……はぁ……はぁ……。

 強い……のね。

 貴女も……私と同じように……娘を、愛しているのね……」


 聖女が、口から血の泡を吹きながら、かすれる声で私に語りかけてきた。

 その瞳には、憎しみはなく、ただ同じ母親としての深い共感と、無念さだけが浮かんでいた。


「……ええ。

 愛してるわ。

 ……私の、一番の、宝物よ……」


 私も、動かない唇を必死に動かし、掠れた声で答えた。


「そう……

 もし、私たちが……戦場でなく、別の場所で出会えていたら……

 友達にも……なれたかも、しれなかったのにね……」


 聖女は、どこか遠くの空を見つめるように目を細め、静かに、本当に静かに微笑んだ。


「……ええ。

 きっと……子供の自慢話なんかして、盛り上がれた世界も……あったかもしれないわ……」


 私は、血の味のする唾液を飲み込みながら、笑い返した。


「私たちの、この愚かな争いが……

 いつか……子供たちの世代に……平和を、もたらして……叶うと、いいわね……」


「……ええ。

 きっと……叶うわ……」


 私の言葉を聞き届けると、聖女の瞳から光が消え、その首がガクリと横に倒れた。


 教国の聖女は、ここで完全に息絶えたのだ。


「……終わった、のね」


 私は、重い瞼をゆっくりと閉じた。

 全身の感覚が失われ、冷たい闇が私を包み込んでいく。


 恐怖はなかった。


 ただ、やり遂げたという安堵感と、愛する家族を残して逝くことへの、ほんの少しの寂しさだけが残っていた。


(……マルチトール……。

 パルスイート……。

 アンタたちを、一人にして……ごめんね……)


 私の意識が、完全に闇へと溶け込もうとした、その時。


(パルスエット……!!

 死ぬな!

 死なせない!!

 お前を、こんなところで終わらせるものか!!)


 私を包む黄金の鎧、アスラムテイルが、悲痛な慟哭を上げた。

 幻影であるはずの彼の手が、崩れ落ちる私の体を、確かに抱きとめる感触がした。


 彼の絶叫を子守唄のように聞きながら。

 パルスエット・アスパルテームの意識は、ここで完全に暗転したのである。

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