127 卵かけご飯
日本の常識は異世界でも非常識。
卵かけご飯が食べたい。
とある日の朝、無性に卵かけご飯が食べたくなった俺は、芋鳥の卵で卵かけご飯を作ることにした。
幸いな事に芋鳥の数は順調に増えているので、比例して食用の無精卵も増えている。
しかし、前世では有名な話だったが、卵を生や半生で食べるのは某映画の主役ボクサーと、日本人だけと言われていたように、卵の生食は非常に危険である。
日本以外の国では基本的に卵の殻には、サルモネラ菌が付着しているし、極めて稀だが卵の中にもサルモネラ菌が入っている可能性があるという前提の上で、充分な加熱をして食されている。
現代日本のスーパーなどで流通している卵は、出荷時に例外なくすべて消毒され、流通段階においても冷蔵して殻に付着したサルモネラ菌の繁殖を抑える努力がされている。更に生食を前提とした消費期限を明記し、家庭での保存も冷蔵庫で10度以下で行うなどの行政指導があってこそ、生食を可能としていた。
ごく稀に、個人レベルで育てた未消毒卵を、産みたて新鮮卵販売と称して一般人相手に、販売する者がいるが、前記のような処理をしていないとなれば、いつ購入者が食中毒になってもおかしくない。
結果当局の指導を受けて適切な殺菌処理を行うか、加熱用として業者に販売するかになるため、ほとんどの場合は販売を中止することになる。
まあそれはともかく。
俺は生食可能な卵を見極めるべく、目の前に置かれた十個ほどの卵に鑑定をかける。
「10分の10でサルモネっているんだが、果たしてどうしたものか…」
「きちんと加熱してない卵は、危なくて食べられないわよ。お腹が痛くなるだけじゃなくて、熱が出たり大変なんだから」
腕組みして卵を見つめる俺に、レオノールが若干呆れを滲ませる声で言う。
「まあ、菌が100万個以下なら発症しないと言うし、殻についているだけならば、割るときに注意すれば問題ないか」
毎日、朝夕に巣の卵を確認しているが、日本のように産んだら転がって自動的に回収される訳もなく、ここでは飼育者が見つけて回収している。卵を産んで作ってまた産んでというサイクルも、地球の鶏がおよそ25時間であるのに対し、芋鳥は27〜30時間サイクルと少し長く、更に個体差や日々のちょっとした事でもストレスを感じて、サイクルがずれることがある。その上鶏と違って昼夜問わず産むため、卵によっては半日経過してから回収されることもザラで、そうした回収前の時間に菌が増殖するのだ。
「一番少ないのはどれ?」
「これだね。卵かけご飯にする?」
「私は、今は万が一にも体調を崩すのは嫌だから、両面焼きで確り焼いて食べるわ」
「そうだね、じゃあ…俺も焼こうかな」
「別に私に合わせなくても良いわよ。そもそも私は生卵を食べた事が無いから、特に思い入れは無いし。むしろ故郷の味なら龍雄さんに声かけてあげたら?」
「そっか…じゃあ龍雄に声かけてみる。あいつならサルモネラ菌が200万だろうが300万だろうが、全く問題ないだろうし」
「美味いっす!これ、日本でも高級品になる卵の味ですよ。なんでもっと早く食べさせてくれなかったんですか」
龍雄に食わせたら、すごい勢いでガッついてる。美味いのはわかるけど高級品卵なんて俺は食べたこと無かったが、龍雄は食べたことがあったのだろうか?
それにしても卵かけご飯で、五杯目ってどうよ。龍だから食えるのか?しかし流石に飽きないか?
「今までは個体数が少なかったから、有精卵重視だったし無精卵は飼育担当者の役得みたいな感じで、消費されてたんだよ。最近になって無精卵の数も増えて担当者が食べ切れなくなったから、こうして俺たちに回ってきたわけだ」
実際は無精卵を俺によこそうとしていたけど、俺が遠慮したため、週一位でおすそ分けされていた感じだが、それは黙っていよう。
「で、他の皆の感想は?」
ついでだったので、目についた者達を誘ってみた。
「食感がちょっと馴染みないが、味は悪くないな」
「いや、むしろこの濃厚な卵の味を、米と共にかき込むのは悪くないぞ、なんと言っても手早く食える…生でも安全なんだよな?」
「おかずがなくても飯を食べられるのはいいと思いますが…携帯に向きませんし、家にいるときは同じ卵料理でも、もう少し手の混んだものが食べたいですね」
感想は好評と言えるかどうか微妙だった。
モーブは顎が強いから、干し肉とかの硬いものも余裕だが、逆に柔らかいものはイマイチのようだ。
ドルトンは酒宴の料理にはうるさいが、普段の食事はさほど拘らない。極論で言えば仕事の合間にササッと食べられれば良いので、お茶漬けどころか湯漬けや水飯でも良いらしい。まあドワーフだけで暮らしていた頃は、豆や芋が主食でだったので、作業しながらふかし芋を齧っていたというから、普段の食事は気にしないのだろう。
最後のヨルンは…流石に生卵を携帯する発想は、俺には無かったぞ。魔法の袋に入れたらどうなんだろうな?他の荷に押しつぶされたりするのかな。それと冒険者は留守がちだから、家にいる時くらい嫁の手料理が食べたいのはわかるが、何故今言うのだ?最近は出張もないし、割と帰りが早いだろ?
「最近は冷蔵設備も普及してきたし、卵の販売もしようと思うんだが、生卵は食中毒の危険がある事について、どう思う?」
「お主が食えると言えば、大多数が食べてみるじゃろうな」
「スマホアプリで卵の状態を調べれば危険はないし、販売する店が保存や調理法について指導すれば良いのでは?」
「事前に殺菌して売るんでしょう?なら良いんじゃないですか」
「う〜ん。殺菌して売るが、生で食べられるとなると、殺菌していないものを、生で食べようとする者が出るだろ?」
日本の場合、まず鶏の体内にサルモネラ菌を増やさないために、飼育環境の改善や抗菌剤とワクチンなども使用した上で、次亜塩素酸ナトリウム水やオゾン水などで洗浄殺菌が行われているので、同様の効果をだす魔道具を作ればいい。次亜塩素酸ナトリウムはあとの処理が大変だが、オゾン水のオゾンは放置すれば酸素に戻るので、水の処理も楽だから俺の管理下で売るには問題ない。
だが、自分で飼育した鳥や、菌が怖いからと自分で水洗いなどした卵は絶対に生食してはいけない。サルモネラ菌は常温で爆発的に増えるので、キッチンに置いておくだけでも、他の食材に菌をばら撒くことになるし、洗った卵は殻の保護力を下げて菌を内部に入れてしまうだけなので、かえって危険なのだ。
「自分で殺菌する方法は無いんですか」
「一応あるよ。サルモネラ菌は低温には強いから、冷蔵や冷凍では繁殖を抑制できるだけだけど、逆に熱には弱いから、60℃以上65℃以下のお湯で10分煮れば、ほぼ殺菌できる。その上、卵の凝固温度以下なので、黄身も白身も生卵と変わりない状態を保てる。他には買って帰ったら直ぐに沸騰したお湯をかけてから、冷水で冷やすかだな。熱湯ならばサルモネラ菌は数秒で死滅するから、表面の菌はこれで除菌できる。でも既に菌が中に入っていたら、それは加熱しなきゃだめだけどな」
日本では馴染みがないが、海外ではこうした低温殺菌卵が販売されているらしい。見た目は生だけど、加熱されたゆで卵扱いなので、これを食べても生食とは言わないそうだ。
しかし、ちょっと温度が高いと温泉卵のようになってしまうので、温度調節するには結局魔道具が必要になる。
また、生卵を使った加工食品といえば、マヨネーズが有名だが、日本のマヨネーズが外国産より美味いというのは、使用されている酢や殺菌方法の違いだろう。実は味だけであれば酢であれば何でもいいが、殺菌となると話が変わる。酢の量もさることながら、種類によってサルモネラ菌への抑制力に違いがあるのだ。味を犠牲にしても安全を取るか、味を損なわず安全を確立するか、日本のメーカーは食へのこだわりから、後者を選んだのだろう。対して自家製マヨでの食中毒が多いのは、酢=殺菌=安全という思い込みから生じていると思われる。
「別に外の町に売らなければ、問題ないんじゃないか?保管方法で賞味期限も変わるんだろ、ならそういう前提で注意書きを添えて売れば良いじゃないか」
「食堂などで提供する場合はどうする?ここで食べたからと、真似されて病気になったら困るぞ」
「それも事前に説明するしかないじゃろ。そもそも生で食えると考える者はおらんから、この世界では普通生卵を食べんのじゃ。卵を触ったら確りと手を洗うとか、他の食材を近づけないなども常識じゃ。ここで感化されたからと、安易に生で食って体調を壊しても、それは自己責任じゃろ」
「それで良いのか?」
「似た話として、肉が美味いが毒のあるシビレ蛇の話がある。素人がさばくのは以ての外じゃが、例え料理人がさばいても毒にあたって死ぬことがある。好事家はそれを承知で食うんじゃから、死んでも文句言えんというのが常識じゃ」
う〜ん、調理法が確立されていなかった頃の、ふぐみたいなものか?ふぐの別名“てっぽう”は、めったに当たらないけどあたったら死ぬから、鉄砲になぞらえたのだとかいうし。
「それじゃその方向で生産と販売を検討するか」
その後販売をすると、殺菌卵は好評で半熟オムレツなどは直ぐに広まったが、卵かけごはんはあまり人気がないようだった。
ダンジョンの海洋フロアで海苔を採取して製品化すれば、焼き魚や味噌汁とあわせて日本の朝食セットが宿屋で提供できるんだが、それで卵かけご飯への理解が深まるかなあ。
この作品に飯テロなどというものは無いのです。
参考
お茶漬け=煎茶又はだし汁=庶民に煎茶が普及した江戸時代以降の食べ物。
湯漬け=白湯かけご飯=織田信長が桶狭間の戦いの前に食べたとの記録がある。当時は冷や飯を温かくして食べるための常識だった。
水飯=白湯ではなく普通の水=蘇我入鹿の暗殺を命じられた者が、緊張で喉を通らぬ飯を水飯で流し込んだと伝えられるほど、その歴史は古い。
インスタントのお茶漬け=今から70年弱前に誕生。
ご飯にお茶をかける文化=米食文化圏においても、ほぼ日本だけの特異な文化。




