125 逃走劇
聖光神国の聖都、その中央には聖光神教の教団本部が存在する。その本部建物はイタリアにあるミラノ大聖堂の如く、大きく荘厳な建物である。周囲には幾分小型ではあるが、これもまた精緻な意匠を凝らされた、教団関連建物が並んでいる。その基本素材は石材であるが、魔法適性のない人族が、どのようにして必要な建材を運び建築したのか?それは教会の秘匿事項とされ、聖都在住の一般人には知らされていない。
そんな教団本部付近の細い路地で、複数の猫が集会を開いていた。
「な〜」(揃ったにゃ?)
「にゃ〜」(まだ数人来てないにゃ)
「にゃ〜」(この辺りの建物、大き過ぎにゃ)
「にゃ〜」(もう少し静かにするにゃ、騒ぐと人に追い払われるにゃ)
「にゃ〜」(昼間は街も騒がしいにゃ、平気にゃよ)
「なう」(お前ら、語彙すくないにゃ。もう少し、なき声工夫するにゃ)
「にゃ〜」(声出せば、意志伝わるんにゃから、なき方とかどうでもいいにゃ)
『あら、そうなの。それは便利ね』
「にゃ〜」(今更なにを…え、今の誰?)
『私?そうね、あなた達みたいな怪しい猫ちゃんを、捕らえるお仕事…あら、人の話はきちんと聞かないとだめよ』
突然、割り込んできた声が、猫の言葉に答えるのを無視して、その場にいた猫達は脱兎のごとく逃げ出した。
「にゃ〜〜〜〜〜」(なんで、言葉が理解されてるにゃ!?)
「にゃ」(誰か、相手の姿見たにゃ?)
「にゃ」(見てないにゃ)
「にゃ」(あれは、ケント公とおにゃじ、念話にゃにゃいか?)
猫のふりをしていた、ケット・シーの潜入員は、全力で逃げながらも言葉を交わして、情報交換をする。猫のなきマネでも、声に出せば日本語として意図した言葉が伝わるので、どれ程短くとも音声を出せれば会話に支障はない。
『うふふふふ、正解よ〜。私は他人や動物と念話ができるの。さあ、可愛い猫ちゃん、私とじっくりお話ししましょう。走って逃げても無駄なんだから、さあ私の大きな胸に飛び込んでいらっしゃい』
「なあ〜」(どこだ、どこに居るにゃ?なんで姿が見えないにゃ)
「にゃ、キャ!」(まとまっていると、え、キャ!)
「にゃ!?」(どうしたにゃ、イプシロン(コードネーム))
「なう」(ほ、捕獲されそうになったにゃ。でも躱したにゃ、敵は影の中に居たにゃ。巨漢の男にゃ!念話の声や、口調は女性っぽいにゃけど、実態は男どころか漢だったにゃ)
捕まりそうになったケット・シーが、身震いしながら自分が見たモノについて話す。
「まあ、なんて口の悪い猫ちゃんかしら。私、乙女なのよ?乙女に対しいて、漢呼ばわりなんて酷い侮辱だわ」
「声、低!!こわ、っすっごい怖いにゃ!って……ニャー!」
「ひ、ひいいいいいい」
「にゃ」(みんな散るにゃ)
念話では無く、野太い声が至近距離で聞こえて、周囲に視線を走らせれば、道脇にある塀の影の中に、上半身だけ地中からだして高速移動する、豪華なドレスを着た巨漢を発見できた。その姿を見て、二人のケット・シーが素で悲鳴を上げる。見た目は正に漢、ドレス姿から滲み出る、倒錯と世紀末感に加え、輝く禿頭が更なる破壊力を感じさせる。更にその漢は、常人の太ももより遥かに太い両腕を備え、岩のように頑健なその手で、巨大なハルバードを握って尚、四足で全力疾走するケット・シーに、余裕で並走していた。
そして漢は掛け声と共に、言葉を発したケット・シーに向けて、やにわに手にしたハルバードを振り回し始めた。
「えい、えい、えい」
ブオンブオンブオン…バゴン!
「にゃ〜〜」(うああ、危ないにゃ、いきなり何するにゃ。そんな物で斬りつけられたら真っ二つにゃ、話なんてできなくなるにゃよ?というか、今誰かの家の壁をぶち抜いたにゃよ、本当は殺す気にゃね!?)
掛け声と共に繰り出されるハルバードの斬撃に、たまらず文句を言うケット・シーに対して、返えされた言葉は。
「あら、大丈夫よ。先端に付けた…ほらこの網で、あなた達を優しく捕獲してあ・げ・る」
ドレスを着たそれは、最後の部分にみょうな力を込めて言って、うふっと笑った。
「なぁ〜〜〜」(そんな網、にゃんの役にも立ってにゃいにゃ!全く説得力がにゃいにゃ)
「にゃ」(ここに生類憐みの令は無いにゃか)
「にゃう!」(にゃぜにゃ、にゃぜ我らが、普通の猫でにゃいと思うにゃ!)
「今のあなた達を見て、普通の猫と思う人は居なくてよ。でも、初めに気がついた、切っ掛けがなくくも無いけど、それを私が、あなたたちに教えると思って?」
ドレス漢は野太い声でそういうと『うふふ』と笑う。
「にゃ」(その武器に当たったら間違いなく死んでしまうにゃ、死んだら心残りににゃるにゃよ。猫は化けて出るにゃ、猫は祟るにゃよ。猫レイスになって毎晩枕元で泣いてやるにゃ。それが嫌なら、教えてるにゃ。教えてくれたら、ちょっとだけなめてあげるにゃ)
ブンブンと振り回されるハルバードを避けながら、ケット・シーは言う。
「あら、それは…ちょっと魅力的な提案ね。レイス猫ちゃんと毎晩会えるのも悪く無いけど、折角なら生きた猫ちゃんとの、スキンシップの方がいいわね。良いわ、教えてあげる。普通の猫ちゃんは夜しか集会をしないの。昼間出会っても互いに無干渉か、喧嘩になるかよ。それに、この街に住み着いてる普通の猫ちゃんに比べて、あなたたちは毛並みも良いし、何より痩せてないのよ。さあ約束通り、私のほっぺを、なめてちょうだい」
そう言って、漢は片頬に指を当てて『ここにお願い』と示しながら、ケット・シーに舐められるのを待つ。
「そうっだったにゃか、うっかりしていたにゃ。教えてくれてありがとうにゃ……じゃあ」
「にゃ?」(え、本当にソレ舐めるにゃ?)
ケット・シーが足を止めると漢も止まる。ケット・シーは油断なく近づいていくが、漢は緩んだ笑顔を浮かべるだけで、ジッとその瞬間を待っているようだ。
そして男の頬に、モフッとした感触が伝わり。
プシャー。
漢の頬と言わず顔全面に温かい液体が吹きかけられた。
「な、おバカ、何してるにゃ!」
「あばよ、おっさん。じゃあにゃ〜」
のほほんとそう言って、同僚の叱責に取り合わず、ケット・シーは、再び全力で逃げ出した。
一拍おいて、もう一人も走り出す。
「何やってるにゃ、あんにゃ事したら、あの筋肉ダルマが激怒して追ってくるにゃよ」
「最初から追われてるにゃ、それに言った通りなめてやっただけにゃ、有言実行にゃよ!」
「なめるの意味が違うにゃ」
数秒の硬直後、残された漢は懐から、刺繍の施された白いハンカチを取り出し、無言で顔を拭う。
吹き掛けられた液体は臭かった。
雄猫が己の存在を主張する時などに撒く、小便に似た非常に臭い液体が、その正体だったからだ。
「んっもう、イタズラ好きな猫ちゃんね、お気に入りのお洋服が臭くなっってしまったわ。これは、お腹も含めて全身モフモフして、お耳のムニムニを堪能してから、爪切りして肉球プニプにさせてくれないと、私許してあげないんだから」
なんでそうにゃるにゃ!?
ケット・シーは、漢が怒ったら『言った通りなめてやっただけにゃ、敵の提案に乗る方が悪いにゃ』と、さらなる煽りで逆上させて、冷静な判断力を削ぐつもりだった。だが、漢の反応は予想していたものとは違いすぎた。
「それにゃら、これでどうにゃ」
四足走行から道脇の壁に飛び付き、壁を駆け登って上から漢の頭に飛び掛かる。猫の身体能力を活かした、ロープ不要の立体機動である。
バリバリバリ。
禿頭に乗って、逆向きに顔面攻撃をすれば、厳つい顔にいく筋もの線が刻まれ、血が滲む。
そして爪撃(引っかき攻撃)を放った後は、即座に離脱し仲間の元へ戻る。
「いった〜い」
「今にゃ、あれを仕掛けるにゃ」
両手で顔を抑える漢を見て、男のケット・シーが叫ぶ。
「にゃ?まさかアレにゃ?二人では無理にゃよ!」
「今がチャンスにゃ、キャトストリームアタックにゃ!」
「あんた少しは話を、聞きにゃさい!」
同僚の静止も聞かず、ケット・シーが走り出したため、仕方なくもう一方もあとへ続く。
ケット・シーは、両手に魔力を込めると、輝く巨大な爪を生成して、漢に斬りかかる。
だが、寸前にその攻撃を察知した漢は、身を捻って攻撃を躱し、ハルバードで反撃に出る。
ケット・シーは迫るハルバードを、飛び越えて避ける。
同時に先のケット・シーの背後に隠れた、もう一人のケット・シーが石礫の魔法を放つ。
漢は体を影に沈み込ませて、石礫を避ける。
本来キャットストリームアタックでは、さらにもう一人が、攻撃を仕掛けるのだが、この場には二人しか残っていない。
「やっぱり、手が足りないにゃ」
「にゃら、僕がもう一発!」
「無駄よ、そんな攻撃私には通用しない……あ、駄目ドレスが燃えてしまう」
叫んで最初のケット・シーが、漢の後方から火魔法を放つが、漢は横に移動してこれを避ける。
しかし、火炎は漢のドレスの一部を掠め、炎がドレスに広がっていく。漢は手でその炎を消そうとするが、哀れ漢のドレスは燃え上がり、漢は炎に包まれる。
「今のうちに逃げるにゃ」
「絶対やりすぎな気がするにゃ」
そしてに二人はその場を離れようとするが…突然風が吹き、もはや聞き慣れてしまった声が、二人の頭上から聞こえた。
「神の僕“天使”であるこの私から、そう簡単に逃げられると思って?お気に入りのドレスの敵を討つためにも、あなたたちを絶対にモフってみせるわ」
恐る恐る、そっと頭上を見上げた二人が目にしたモノは、コルセットとガーターのような物を身に着けた漢が、ハルバードを構えて股間もろ出しで、光に包まれ仁王立ちしている姿だった。
みれば、所々見られた火傷と顔の引っかき傷が急速に回復し、光が収まった時には無傷の変態が、そこに立って居た。
「ええええええぇぇぇぇぇ〜〜〜」
地球の衣料品においても、パンツの歴史は意外と浅い。
ヨーロッパでは貴婦人のスカートは、裾が広がっているのが定番だったが、これは立小便を容易にするためで、当然スカートの中はノーパンである。
更に言うとハイヒールは、その辺にポイ捨てされた糞尿を踏まないための工夫であり、香水は異臭漂う宮殿や自己の体臭を、誤魔化すために発明された物だった。
そしてこの聖光神国では、既にパンツに類似した物はあったが、それをドレスの下に着用する習慣が無かった。
ちなみに大多数のケット・シーも、パンツを履いていないがナラ公国において、それを咎める者は居ない。
だが、ケット・シーを驚愕させた理由に、パンツなど全く関係なく。
「つ、ついてない?……は!にゃー達と同じ収納式にゃか!」
「なに言ってるにゃ、玉もにゃにゃよ?……まさか取ったにゃか?」
ケット・シーの見上げた先には、竿も玉も無かった。
「本当に失礼な猫ちゃんね、私は生まれた時から正真正銘、女で乙女よ」
「ええええええぇぇぇぇぇ〜〜〜」
それから、更に一時間程、ケット・シーは追い回され、聖都中を走り回ったあげく、泣きながらゲートで逃げ出したのだった。




