105 釣り道具(前)
「駄目だ、店の釣り道具は外に売らない」
「え、な、なぜですか」
ある日、うちに移住した商人の一人が、釣り道具の販売許可を求めてきた。
「今さらな部分もあるんだが、俺の店にしかない物については、あまり外に出したくないんだよ。既に店の商品から酒や保存食、食器や布製品、農具など様々な物を輸出しているが、基本的にこの世界でも代替品があるものや、品質が劣ったとしても模倣できる物だけだ。店の酒や保存食は嗜好品や贅沢品扱いだから、出所不明の高級品でもいいが、釣り道具は素材からして、この付近では再現できないだろう」
「そうですか、残念です……」
商人が落胆を隠しもせずにいう。まあそうだよな、うちの商品を輸出するために、移住してきたのにそれができないなら、意味がないもんな。
「まあ、そうがっかりするな。実は代用品を開発中なんだが、それが販売できるようになれば、充分商いになる」
「代用品ですか?外でも模倣できて、それでいて模倣品をものともしない、高品質な物ですか」
「ああ、もちろんだ。なにせ、開発に携わっているのはドワーフ漁師だ。彼らが自身の経験をもとに作る物と比べれば、外の細工師が作るものなど、似て非なる物になるだろうし、そもそも材料の供給も、うちが握っているからな」
「材料を?それでは、ここにしか無いのと変わらないのでは、ありませんか」
「いや、ある程度材料を供給すれば、あとは自然に増えるから問題ない。主に竿の素材になる竹と釣糸だな」
そもそも釣りなんて、自分の手と糸と針と餌があればできる。前世でも今のゴブリン集落ぐらいの文明跡から釣り針が発見されている。それなのにこの辺りの漁は、追い込み漁や槍や銛で突くという方法しかない。それはなぜかと言えば、身近に釣り竿に適した植物や釣り糸に適した糸がなかったからだ。
「竹?ですか」
「前世では、古くから竹という植物が竿に使われていたが、この近辺では竹が見つかっていない。前々から竹製品を作るために探していたが、森周辺には自生しておらず、北はブルクス伯に、南は漁村などにも確認を頼んだが、竹林や竹藪についての情報を得られなかった。釣糸の素材には絹糸が良いが、これも高価だからな」
「…木の枝で代用するにも限度がありますし、虫糸にしても採取は命懸けの超高級品で、王公貴族の衣類にしか使われませんから、釣り道具になんてなりませんね」
「店の釣糸は工業製品で、現状では作成不可能だ。うちにはアルケニーが居るから、蜘蛛生糸で釣糸を作れるが、これもうちだけで……ん?命懸け?高価な上に、養蚕技術が無くて天然物の採取で危険なのか?」
「ヨウサンと言うのは聞いたことがありませんが、それが畜産のように飼い慣らして育てるという意味であれば、行われておりません」
「何で?」
「何ぜと聞かれましても、飼育が危険だからなのですが……あ、もしや綿花のように何かの植物から虫糸が取れるのですか?」
「いや、普通に虫の繭から取れるんだが?」
「でしたら、あまりにも危険なため、家畜化は無理かと思います」
「えーと…………鑑定、絹…じゃなくて虫糸の虫」
【鑑定:虫糸の虫】
虫糸の虫=ジャイアント・モス。幼虫の体長は凡そ1メートル。幼虫は肉食のため、植物を食べることは無い。雌の成虫は翼長2メートルを超える巨大な蛾になる。成虫には口や消化器官が存在せず、成虫になるのは産卵のためだけである。雄は成虫にならず、交尾は雄雌共に幼虫のまま行う。交尾を終えた雌は成虫になり、雄や他の動物に卵を産み付ける。雄は他の動物や自身を繭玉に包んで、静かにその時(孵化後の餌になる)を待つが、成虫の雌は卵が孵るまで外敵から繭玉を保護する。
幼虫の武器は強靭な顎と、体表に分泌される麻痺毒。成虫は鱗粉に麻痺毒をもつ。麻痺毒が使用されるのは獲物を長期間生かし捕食するためである。
「……こんなの、お蚕様じゃねえー」
「このように小さな、いもむしから虫糸、いえ生糸が取れるのですか」
俺はスマホの画面を片手に地球の蚕について説明をした。
「ああ、大きくなっても小指ほどの芋虫で、人に害はない。鑑定によれば他の大陸には生息しているらしいが、この大陸にはいないみたいだな」
「他の大陸となると、さすがに難しいですね」
「そうだな……まあしかし、問題ない。この虫は俺がどうにかしよう。これを飼育すれば一大産業になる。飼うための設備費は発生するが、飼育で雇用も生まれる」
「あ、ゲートで他大陸から、持ってくるのですね」
「まあ、そんなところだ」
「と言うわけで、お蚕様をダンジョンで捕獲しようと思う」
「虫が苦手なお館様にしては、意外な提案だと思ったらそういうことですか」
戦闘時のフル装備をした黒足が苦笑いしながらいう。確かにダンジョンで虫を捕ると言ったが、そんな格好が必要な虫を、俺が好んで捕るわけがない。まあ、俺も防具は着けているけど、これは外出時の標準装備だ。
「そうだな。正直に言えば苦手だから、関わりたくないが、相手がお蚕様ならば仕方が無い」
「オカイコサマとは、それ程の芋虫なのですか」
それ程の虫だとは思うが、黒足の発音がおかしいので訂正をする。
「いや、お、蚕、様だ。カイコガという虫の幼虫を、かいこと呼ぶが、養蚕を仕事にしていた人達にとっては財を成してくれる、ありがたい虫だからな。それだけ大事にしていたんだよ。…まあ、大事にしても殆どが殺処分されて、成虫になれないんだけどな」
「食用の家畜と同じですね」
黒足の部下その一のアインが、ひげを撫でつつ言う。彼らの進化も、既に人族と言える域に達しており、ぱっと見は人族と変わらない感じになっている。いや、むしろ同じ段階での黒足や、レオノールよりも人寄りだろう。ヨルンを人族の標準としたならば、相違点は耳とひげと身長だろうか。彼らは人の顔に犬耳と、太く長い犬ひげを生やし、身長が160センチそこそこの姿をしている。犬ひげは、感覚器官としてはかなり退化しているので、無くても猫ほど困ることは無いのだが、外に出なければ剃ったり抜いたりする必要もないので、そのままにしているらしい。
「さて、蚕の捕獲なんだが…このダンジョンは、この世界に加えて、前世の地球を一部再現する設定で作られている。その為、鉱物資源や動植物も含めて、外には存在しないモノがあるし、危険な病原菌や寄生虫等を入れない様に設定すれば、そのようになるありがたい神ダンジョンなわけだが、それでも地球の蚕を手に入れるのは難しいかも知れない」
「何故です?季節の問題ですか」
「いや、季節はある程度操作できるが、再現しようにも地球には野生の蚕が居ないんだ」
「え?虫ですよね」
「ああ、虫だけど前世で唯一、完全家畜化された虫だ。数千年もの間、人から餌をもらった結果なんだが、先ず体色が白くて目立つ為、外に出すと鳥に捕食される。そしてそれ以上に問題なのが、筋力?が絶望的になく、餌である桑の葉に自力で掴まっていられない。なので、葉っぱに乗せてもあっという間に地に落ちて、蟻などに食われるわけだ。その上、餌を与えなくても逃げ出さないので、餌を探しに出ることなく、その場で餓死する」
「……お館様の世界も業が深いですね」
「む、確かにそうだな」
動かない生き物の代表である、ナマケモノでさえも、いざとなれば動く。ナマケモノは生存の為の手段として、自ら動かないことを選択したが、お蚕様は命の危険にあっても動かない。数千年人に養われた結果、お蚕様は“働いたら負け”を地で逝くようになってしまった。そう考えると、人間は罪深い生き物かもしれないな。
「まあ、とりあえず桑畑は用意したから、この世界のカイコガの卵か幼虫が、いるかもしれないし、最悪、山繭蛾(ヤママユや天蚕とも言う)の繭ならば手に入るだろう」
ヤママユガは、ヤママユガ科の蛾で、幼虫はクヌギを好み、日本中に生息していた。カイコガ科の蚕とは違う蛾だが、ヤママユガの繭から作られた天蚕糸は絹糸に近いものになる。非常にややこしい話だが、釣り糸であるテグスは、元々ヤママユガ科のテグスサンという蛾の幼虫の、体内にある絹糸線を取り出し、引き伸ばし加工して作る糸だった。テグスは中国からの輸入品だったらしいが、テグスサンは楓蚕と書き日本ではフウサンと読む。そして、日本では天蚕糸蚕と書いてテグスサンと読む。なぜそうなったかは俺にはわからない。ともかく、江戸中期に薬剤を縛る半透明な紐を見た漁師の言葉をきっかけに、大阪の薬問屋が釣り糸用にと、テグス商を始め、その有用性からあっという間に全国に釣り糸としてテグスが広まり、それ以来日本では釣り糸を、テグスと呼んでいるわけだ。
現代ではナイロンなどの化学繊維に置き換わったが、この世界で釣糸を作るならこうしたテグスが最適だろう。
「お館様、桑の木に色々虫がついてますが、どれが蚕ですか」
「どれって、白いやつだけど、桑の木は案外虫がつくから、変なのを捕らないように、ちゃんとアプリで確認しろよ。尺取り虫ぐらいなら可愛いげがあるけど、アメリカシロヒトリとか害虫だから注意しろよ」
折りたたみ椅子に座って、声だけで指示を出す。お蚕様と言えども、俺もまあ一国の王だから、何というかあれだよな、態々俺が出るまでもないってやつだよな。
「お館様、この桑の実は食べられるのですか」
「どどめは赤黒くなってれば、甘くなってるよ。赤みが鮮やかなうちは、酸っぱいから止めたほうが良いぞ」
「どどめ?」
「俺の地元じゃそう呼んでたんだよ。色素が強いから食べると、口や舌が紫色になるし、皮膚や服につくとシミになるから注意しろよ」
子供の頃に、近所の桑畑で摘んで食べたけど、唇や舌に色がついて、なかなか落ちないから、結構親にバレるんだよな。皮膚に付くと青アザみたいになるし。ああ、今思うとあの頃はあまり考えずに口にしていたな。桑の木は基本的に、消毒しないから薬剤の害はないけど、ホコリやら虫や鳥の食べかけというリスクはあったし、道端のサルビアなんかを摘んで蜜を吸ってたけど、あれは……うん、今更だし忘れよう。
尚、どどめはどどめ色という言葉の元になっているが、どどめは色が変化するので、これがどどめ色という決まりはないらしい。まあ青紫から赤黒い紫まで、幅広い色をさしているので、定義しづらいだろうな。そして“どどめ色という表現”はある種の連想を伴う場合があるので、不用意に使わない方がいいだろう。
「お館様、なにかデカい虫が、そっちに行きましたよ!」
「ん?……んぎゃーーーーーー何だこれ⁉」
折りたたみ椅子に座って、ぼ~と考えていたら、声が掛かり顔を上げると、ヘルメットのバイザーいっぱいに巨大な虫が張り付いた。
「頼む取ってくれ!」
うああああ、顎がカチカチ言ってる。熊より怖え、泣きてえ。
「お館様、カミキリ虫のようです」
「このデカイのがカミキリ⁉」
古代Gか!でかすぎるだろ。
「駄目です、カミキリの大群が⁉」
「うそーーー」




